2016年11月17日
織田信長(11)
信長さんは残虐非道な魔王だったのか。信長さんの経歴にはあっちで何万人を虐殺したとかこっちで寺を焼き払ったとかそういうたぐいの話が多い。社会の支配体制の変革を目指していたので旧体制の破壊者とも言われた。確かに比叡山を焼き討ちしたり一向一揆をせん滅したりしてはいるが、それはあくまでも抵抗勢力として存在している武力集団をせん滅したのであって何ら無抵抗の人民を殺戮したわけではない。比叡山に対しては事前に何度も説得を重ねたがこれを聞き入れなかった結果であり、せん滅した後の活動について何ら制限は加えていない。
一向一揆に対しても厳しい対応をしているが、信仰で刃向かってくるものに対して説得工作は通用しないと言うことを理解していたのだろう。そうしたものに対しては徹底的にせん滅する以外にはないと言う軍事的合理性が働いたのだろう。また、信長さんは親族間での血で血を洗う骨肉の争いを経て尾張の支配を確立しているが、信長さんは親族や近親者に対しては深い情を示しているところがある。謀反を企てた信勝も一度は許しているし、自分をあまり顧みなかった母親も高額な生活費を与えて自由にさせていたようだ。そんな信長さんだから自分の親族や配下の武将を多数殺害した一向一揆には復仇と言う思いがあったのかもしれない。
信長さんの他人に対する対応は極めて分かり易い。自分の近親者、付き従うものには非常に情が厚い。逆に裏切ったものや反抗する者に対しては苛烈な対応をする。浅井一族などはその例だろう。ただ、いきなりではなくて何度も説得しているが、概ね3回でせん滅へと舵を切っていたようだ。また結んだ盟約を自分から破ったことも一度もないと言う。
信長さんは非常な自信家であったと言うが、世間の評判を気にしていて常に正義を通すことに腐心したと言う。要するに是は是、非は非がはっきりした人だったと言うことだろう。ただ、秀吉くんや家康タヌキなどは自分の都合が悪いことを信長さんに押し付けているところもあるようだ。
タヌキが長男の信康君を信長の命で切腹させたと言うが、実際は自分に従わない長男を排除するために自分でやったことのようだ。ただ、タヌキが神様に化けた後で「そりゃまずいだろう」と言うことになって信長さんの命令だったとしたようだ。実際はタヌキ自身が信長さんに伺いを立てているらしいが、「あんたの家のことだから好きにしたらいいんじゃないの」と言う意味で「是非に及ばず」と答えたと言う。
信長さんは天皇を排して自分が日本の王になろうとしたとか髪になろうとしたと言う話もあるが、信長さんは朝廷が軍事的・経済的には無力ではあるが日本の社会では隠然たる力を以って頂点に君臨していることは知っていた。それをうまく利用しようと言うつもりはあったかもしれないが、自分がその地位にと言うことはないだろう。大体、そんなことにそれほどの興味を持っていなかったのではないだろうか。
安土城の本丸に清涼殿と同じ御殿を建てて自分の足下に天皇を住まわせようとしたと言う話もあるが、仮に天皇が安土城に行幸したらその間は信長さんは天主を降りて二の丸の信忠君の屋敷にでも移っただろう。
また総見寺に大石を置いて自分の代わりにご神体として拝めと言ったことから神になろうとしたのではと言うが、もともと無神論者の信長さんが神になろうとしたとは思えない。ただ、宗教の持っている人心掌握力というものはいやと言うほど知っていただろうから人心掌握のためのテストケースとしてやってみたのか、あるいは「この世に存在もしない神仏などを拝むよりも間違いなくこの世に存在して実利をもたらしてくれる俺を拝めばいいじゃないか」という半分ジョークのような気持ちもあったんじゃないだろうか。
なにしろ比叡山焼き討ちを思いとどまるよう強く進言した光秀さんを「仏像と言うのはな、木と金でできていることを光秀に教えてやらないといけないな」と言ったそうだからまさか自分がその木と金になろうとは夢にも思わなかっただろう。まあ、戦国時代は戦に勝てば負けた方をなで斬りにしたり領民を奴隷として売り払ったりそんなことは日常茶飯事として行われていた時代なので信長さんだけが残虐非道な魔王と言うわけではないだろう。また、そのやり方は部下には信賞必罰、謀反にはまず説得、聞き入れない場合はせん滅と言う分かり易いルールがあったように思う。
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2016/11/17 12:44:02
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