2016年12月09日
見つからなかった四式戦車、・・。
先日、浜名湖に行った際に、「猪鼻湖に沈んでいる四式戦車を引き上げる」と言う話を思い出してどうなったのかと思ったら、超音波ソナー探査でいくつかの小ぶりの鉄の破片らしきものは見つかったらしいが、戦車のような大きなものはなかったそうだ。終戦時に97式戦車や鹵獲した英国の装甲車などと一緒に四式戦車も猪鼻湖に沈められたと言うが、調査結果から見ればそこには戦車はなかったようだ。
四式戦車と言うとこの戦車が戦線に投入されていれば戦局が変わったようなことを言う向きもあるが、事実は米軍のM4と1000~1500メーターの距離で正面から撃ち合うことができる戦車と言う程度のようだ。
それでもM4と正面から撃ち合えると言うことは画期的なことでそれまではM4の正面装甲を撃ち抜ける戦車砲・対戦車砲がなく、ハッチの蝶番を狙って射撃するとか視察用のスコープを狙って射撃するとか名人芸のようなことを繰り返して戦っていたのだから当時の戦車戦の射撃可能距離である1000メーターでM4の正面装甲を貫通できるのであれば閻魔大王も泣いて喜んだだろう。
当時の日本の戦車兵の練度は非常に高かったそうで、仮に敵の戦車の装甲を貫通できるだけの威力を持った砲を装備した戦車を与えてやれば戦車戦で米軍に負けることはなかったと言う。もちろん、戦闘の一局面での話ではあるが、・・。事実、フィリピンではノモンハンの生き残りの戦車兵がたった4両の一式自走砲で距離500メーターで米軍のM4の正面装甲を撃ち破って米軍を手玉に取っている。
で、その四式戦車と言うのは砲力ではM4とほぼ互角、戦車と言う戦闘システムではM4にやや劣ると言う程度の戦車ではなかっただろうか。しかし、米国はM4を5万両量産して戦線に送り出したが、日本は四式戦車を2両、一説には6両しか作れなかった。これが勝敗の決定的な理由だろう。
まあ、そんなことはどうでもいいが、湖底に沈んだはずの四式戦車はどこに行ってしまったのか。場所が違っていると言うこともあるかもしれないがさほど広くない湖のこと、あれば見つかるだろう。この間、太平洋戦争初期にジャワ沖で沈んだオランダの軽巡デロイテルが消えてなくなったと言う記事が出ていた。他にも消えた船や消えかかっている船があると言う。どうしてかと言うとどうも金属を売却するために何者かが爆破して引き揚げてしまったらしい。
そうすると四式戦車も戦後の金属不足の折に何者かが解体して引き揚げて売り払ってしまったんじゃないだろうか。終戦後、管理が甘くなった軍の兵器や物資を盗んで売り払うことが盛んにおこなわれたと言うので湖に沈めた戦車を売り払ってもおかしくはないだろう。残っていれば戦争の記念碑とともに日本の技術を示す資料にもなっただろうけど残念なことではある。まあ、今後、見つかるかもしれないが、・・。
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Posted at
2016/12/09 16:17:36
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