2016年12月09日
あり得ないことが、(120)
ママはカウンターの中に引っ込んで料理を準備し始めた。僕はビールを一口飲んでグラスを置いたら何だかため息が出てしまった。
「どうしたの、ため息なんて珍しいわね。そんなに悩んでいるの。」
クレヨンが突然人間に戻ったように気の利いたことを言った。
「あんなに胸を触らせて大丈夫なの。気持ち悪くないの。やっぱりその気があるのかな。」
僕の顔色を窺うようにまた変なことを言い出したクレヨンの腕を取って引っ張り込むと「あんたのも作り物じゃないかどうか調べてあげるわ。」と言ってからかってやった。クレヨンは必死に僕の腕から逃れると胸を押さえて「止めてよ、変態。」と言ったが、他のお客が皆クレヨンに注目しているのでここがどういうところか思い出したらしく下を向いて黙り込んでしまった。
結局ここのママも対女土方戦には特に名案はないようだった。もっとも普通の男女でも事情は人それぞれ様々でこれと言った名案があるわけでもないのでその辺はビアンでも同じなんだろう。
それにしてもやはり僕が極めて男風だと言うことは皆それなりに分かるようだ。すらり氏から始まって北の政所軍団にも社長にもクレヨンにもテキストエディターのお姉さんにもそして女土方にもそれは言われたことだった。
姿かたちは女でも立ち居振舞いや考え方はほとんどそのまま男でやらせてもらっているので極めて男風と言われるのも仕方がないかもしれない。何より一番男が外に出てしまうのは愛を交わす時でその作法それ自体もそうなのだがいきなり女土方をラブホテルに引張り込んだりして、女土方が呆気に取られることが何度もあったらしい。
そういうことを捕らえてビアンらしくないからだめだと言われるならそれは確かにそうかも知れない。体が女と言うだけで精神構造や行動様式は全くの男そのものなのだから。
でも女土方はこれまで一言もそんなことは言わなかった。彼女は僕のそばで幸せそうだったし僕も彼女と一緒で穏やかな生活を送ることが出来た。男女にしてもビアンにしてもペアリングは一緒にいて心地良いというのが基本中の基本なので僕達は理想に適っていたわけだ。
だからそれでいいのじゃないか。離れてお互いどうなるかなんて何も先の見えないことをあれこれ考える必要なんか全くないんだ。それを女土方にどう納得させるかが問題だが。その辺は僕も良くは分からなかったが、どの道当たって砕けろと言うことになりそうだった。
一通り僕達は晩飯に匹敵するくらいの量を食べ終わると引き上げることにした。ママは席を立とうとした僕達のところに来て「今日は来てくれて本当にありがとう。それからあなたには失礼なことをして本当にごめんなさい。私が出来ることがあれば何でも手助けするから咲ちゃんのこときっとお願いしますね。」と言うと僕を抱き締めた。ここのママは男だった時の僕よりも年上だろうと思うが、なかなか品のあるきれいな人だった。
「ありがとう、何かあったらきっと相談しますから助けてくださいね。でも私は咲子のことは絶対に諦めないしまた元に戻して見せるわ。」
手を離したママを今度は僕の方から軽く抱いてそう答えた。ママは僕の腕の中で「お願いね、お願いね。」と小さな声で何度も繰り返した。
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Posted at
2016/12/09 17:58:41
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