2016年12月12日
烈風は帝国海軍の救世主になれたか。
帝国海軍の次期主力戦闘機だった烈風という機体がある。これも審査をしていた海軍のテストパイロットが、「烈風が2千機あれば戦局を変えることができる」と言ったほどの優秀な戦闘機だったと言う。機体は空力的には極致と言ってもいいほどの出来で非常にきれいな戦闘機だった。ところがエンジンが中島の誉だったが、出力がカタログ値ほどは出ておらず最高速度は300ノット、上昇力は6千メーターまで10分とまるで攻撃機のような状態で戦闘機としては使えないとして不採用となった。
治まらないのは三菱で自社のハ43という金星を18気筒化した2000馬力級エンジンを装備して名誉挽回を目指した。すると最高速度が340ノットまで回復し、操縦性も極めて滑らかで操縦し易い機体だったと言う。
烈風が当時の日本の戦闘機としては優れていたかもしれないが、如何せん、翼が大きすぎる。翼面積が31平米もあるというが、これは米海軍のF6Fと同様の翼面積で機体としてはF6Fの方が烈風よりもずっと大きい。翼幅も14メーターもあるが、これもあまりにも大きい。
当時の米軍の戦闘機、F4U、P38、P51、P47などは650キロから700キロで630キロ程度、試作機の速度なので量産機になれば600キロちょっとくらいまで落ちる、では相手に積極的な攻撃は仕掛けられないし、格闘戦に持ち込もうとしても急降下で逃げられれば追いかけることもできない。
もう少し翼を小さくして翼面荷重180キロ程度なら翼面積は26平米で翼幅を12メーターくらいまで小さくできただろう。その分、運動性は落ちるかもしれないが、速度はもう少し速くなっただろう。それでP51やP47と互角になったとしても米国はジェット戦闘機(P80など、・・)を雲霞の如くに差し向けてきただろう。
烈風の後は20試甲戦とか言って烈風の機体に2400馬力級の高性能エンジンを装備する計画だったと言うが、その機体が実戦配備される頃には戦闘機はジェット化されていただろう。烈風よりも紫電改にハ43を搭載した紫電改五の方がF8Fとスペックが似通っていて有望だったと言う話もあるが、紫電改自体もF6Fと互角かやや優勢と言う程度の機体でP51やP47などには分が悪かったようだ。
燃料やオイル、電装品などが良質なら米軍機に劣らない性能が出せたと言うが、そうしたインフラが劣っていては工業生産力とも相まって勝負あったと言うことだろう。19年ころに烈風が戦線に登場してくれば若干は有利な戦闘ができたかもしれないが、それは局地のある一面でと言うことで戦局が変わると言うことはなかっただろう。それよりも零戦52型に金星を搭載した方が良かったかもしれない。それで18年から19年の前半を凌いで紫電改につなぐか、三菱には局戦などやらせずに艦戦一本に絞らせるという手もあっただろう。
ただ、肝心の戦闘機用2千馬力エンジンが19年まで出来なかったので結果は同じだったかもしれない。技術には三段跳びはないのでどうやっても米国には勝てなかっただろう。そう言えばお隣の成金大国は技術の三段跳びを高らかに歌い上げているが、現実のレベルは日本以下かもしれない。烈風が順調に開発を終了して実戦配備になったとしてもその性能はF6F以上F8F、P51以下と言うところかもしれない。
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2016/12/12 00:05:33
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