2017年05月11日
あり得ないことが、(139)
車を借りるといってもここにはくさるほど余っているんだから買い物用の高級車を拝借すればいい。
「え、本当。行こう、行こう。」
クレヨンは一もニもなくこのお出かけ話に飛びついた。話が決まれば早い方がいい。僕達はお買い物用下駄代わりの高級車を乗り出した。そして都内から東名を通って箱根を一周することにした。
都内から首都高、東名と車を進めたが、休日のためか東名の下りはやや混み合っていた。それにしても特に急ぐ旅でもないので慌てずに流れに任せて走っていた。
クレヨンは助手席に座ってやれ飲み物だの食い物だのと準備してくれたり、音楽だのDVDだのと機械相手に悪戦苦闘したりとにかく落ち着きがないこと甚だしかった。それでも明るく楽しそうだったので特に文句は言わなかった。
山道に差し掛かると図体のでかい車はちょっと持て余し気味のところがないでもなかったが、必要にして十分をはるかに超えるほどの馬力とトルクはなかなか魅力だった。こうして僕達は何とかスカイラインを駆け抜けて芦ノ湖のとある有名ホテルで休息した。
しかしそこも手が回っているらしく車がホテルの玄関に着くとすぐに支配人が挨拶に出て来て僕達はことさら眺めの良いレストランのテーブルをあてがわれた。この世の中で一番強いのは金を握っている者だということを今更のように身に染みて知ったが、知ったからといってどうにもなるものでないことも、悲しいかな、厳然たる事実だった。
ここでなかなか良い景色を楽しみながら美味いコーヒーとケーキを食わせてもらった。そして芦ノ湖を半周して箱根大観山から有料道路をまっしぐらに里に下ってあちこち渋滞を避けながら丸子橋から東京都に戻り自宅に帰った。そう言えばこんな長い距離を車で走ったのはずい分久しぶりだった。あの例の波乱の伊豆ドライブ旅行以来かも知れない。
自宅に帰って、正確には自宅ではなく居候をしている家だが、またそこで豪華な食器に入った普通の晩飯をたらふく食ってやった。今日はメンチカツにキャベツの千切り、サラダ、果物だった。何だか学生街の定食のようなメニューだがそれはそれでなかなか美味かった。
飯を食ってしまうと今度は二階の部屋に上がってソファに体を投げ出してテレビを見た。ここのテレビは当然有料の衛星放送だからチャンネルが多くて煩雑だが、これと言った番組を見つけると結構面白くてはまってしまう。クレヨンはちょうど僕のお腹の辺りに腰をかけて体を僕に沿わせていた。他人が見たら恋人同士と思うような格好だった。
「ねえ、ちょっとどいてくれる。アイスコーヒーを取ってくるから。」
僕が声をかけるとクレヨンはさっと立ち上がって自分で取りに行ってくれた。クレヨンのこの辺の変わり身はなかなか天晴れだった。アイスコーヒーを取って戻ってくるとクレヨンはグラスにコーヒーを注いでサイドテーブルに置いてくれた。そしてまた僕の脇に腰を下ろすと体を沿わせて来た。
「あのね、教えてあげるわ。」
「何を」
「どんな時だったら抱かれてもいいと思うか。」
ああ、そのことか。もう今更どうでもいいと思ったが、せっかくクレヨンがその気になっているので聞いてやることにした。
「あのね、その人のことがとても好きで信頼出来て、それからその人と一緒にいるととても安心出来る人なら良いと思うわ。だから今のあなたとなら出来ると思う。」
お前、『今のあなたとなら出来ると思う』なんて言っても今の僕もお前も女だろう。クレヨンにそう言ってやると人を愛するのに男も女も関係ないと言い出した。それは違うだろう。好きになる相手が男か女かなんてことは関係大有りだろう。
「ねえ、それじゃあ人を愛するってどういうことだと思う。あんたが私を愛しているというのならその証は何なの。」
「証って言ってもあなたのことがとても好きで何時も一緒にいたいって、それじゃあだめなの。」
「それはね、違うでしょう。それはあなたの一方的な事情でしょう。愛って言うのはね、ある意味、愛する人のためなら自己を犠牲にすることも厭わないってそういう感情がないとだめでしょう。好きだけじゃなくてもっと崇高な観念が必要でしょう。
あのね、人を愛するっていうのはね、その人がとても好きだという感情に相手に対する義務とか奉仕の概念が加わったものじゃない。」
「あなたと話していると恋も何だか哲学みたいになってしまうのね。でもそんなこと良いわ。そんなことが二度と言えないようにしてあげるから。」
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Posted at
2017/05/11 18:08:12
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