2017年06月21日
あり得ないことが、(143)
『お前なあ、優しいのもいろいろと理由があってしているんだから何でもかんでも愛に結びつけたれても困るんだよ。何時までも子供じゃないんだろうからいい加減にまともな考えを持ってくれよ。』
僕はこんなことをクレヨンに言ってやりたかったが、どうせこいつには言っても分かるまい。確かに人に向かって進化している稀有なサルだが、自分の都合のいいところだけ進化しているようなところがないでもないやつだから。
明日のことが大方自分の思う方向に決まったことからクレヨンは余裕をかましていた。僕はこういうことはなるようにしかならないし、僕としては何よりも自分自身がこの先クレヨンと繋がるつもりがないので事がややこしくならないようにクレヨンの挑発に深入りしないようにすればいいのだから。ただしこの辺は欲望と誘惑に強くはない男の僕としては鉄壁の自信があるわけでもなかった。
僕は何時ものようにソファに体を投げ出してテレビを見ていた。そしてクレヨンは頼みもしないのにコーヒーやら何やら僕の好物を持って来てくれてテーブルの上に置いてくれたのでこれはありがたくいただくことにした。そして当のクレヨンは僕の体に寄りかかってこれもまた寛いでいた。
「ねえ、今晩は抱いてよ。」
クレヨンがテレビの画面を見ながら呟いた。
「抱いて抱いてって抱き枕じゃあるまいし、女同士でどうしろって言うのよ、全く。」
「伊藤さんとしているようにして。」
「彼女とだってあんたと同じようなことしかしていないわよ。そんなにややこしいことをしているように言わないでよ。」
女土方とはクレヨンよりはもう少しややこしいことをしているかもしれないが、別にそんなことをあからさまに言うべきことでもないだろう。
「そんなに同じことをして欲しければしてあげるからベッドの方に行って横になりなさい。」
僕はクレヨンにベッドを指差した。クレヨンは僕の顔とベッドを交互に見てから意を決したようにベッドに上がると体を横たえた。
「優しくしてね。」
クレヨンはベッドに腰を下ろした僕に小さな声でそう言うと目を閉じた。僕はクレヨンの左脇に横になると背中からクレヨンをそっと抱いた。そして軽く抱き締めると「さあ、このままお休みなさい。」と耳元で囁いた。
その瞬間クレヨンはいきなり後ろを振り返って「またそうやって私を誤魔化そうとする。」と文句を言ったが、その後で「でもこれもなかなか気持ちがいいわね。このまま眠りたくなって来た。」と言うと目を瞑った。
「じゃあ、あんたはもう寝なさい。私はもう少し起きているからね。」
僕はベッドから起き上がってまた元のソファに戻った。するとクレヨンも追いかけてきてまた僕の腹の辺りに寄りかかって座った。
「ねえ、あんた、何だかんだ言って結局は淋しいんでしょう。」
「うん、そう。何時もそうよ、淋しいわ。」
クレヨンは馬鹿に素直にはっきり淋しいと答えた。
「だから私に迫って来るの、違う。」
「うーん、よく分からないわ。あなたのことは信用出来るし、一緒にいると安心するわ。一緒にいれば淋しさも感じないしね。」
「でもねえ、ずっと一緒というわけにも行かないでしょう。巨大銀行頭取のご令嬢としては。」
「分かっているわ、そんなこと。みんなそういう言い方をするのよ、私に。私には自由がないの。私は自分の意思を認めてもらえないの。」
「そんことはないと思うわ、あなたにはあなたの自由があるし、あなた自身の意思も尊重されるべきだと思うわ。ただね、何でも勝手にやっても良いということではないと思うわ。自分を取り巻く状況といったものも考慮に入れないとね。
家族とかお友達とかその他にもいろいろあるでしょうけど。どの辺でバランスさせていくのかはそれぞれその人が背負った状況やその人の考え方で違うんでしょうけど。そういうことではあなたはかわいそうな子なのかもね。」
「みんな私のご機嫌を取ることに一生懸命でちょっと機嫌を損ねるとおろおろして。お金だ物だって何でも与えてくれて。ただ私の機嫌が直るのをみんなで遠巻きに見守っているだけ。そういうのを見てると余計に腹が立ってきて無理を言ったりしてみたくなるわ。
あなただけよ、私の正面に立ちはだかって力でねじ伏せようとしたのは。投げつけられたり叩かれたりした時は本当に殺してやりたいくらい憎たらしかったけど、あなたのやり方は私には新鮮だったわ。夢中であなたに反しているうちに何だかあなたの中に取り込まれてしまったようになって気がついたらあなたに好意を持つようになっていた。
それがどういう感情なのか私にも良く分からないわ。でも一番近いものを言えと言われれば男女間の感情に一番近いのかも知れない。あなたと私が結ばれないことなんてそんなこと言われなくても分かっている。ただ我がままを言いたかっただけよ。
私は自分のことも父のことも自分が置かれた状況も、そして自分の母のことも分かっているわ。あちこちで捩れて歪んだ部分がみんな私のところに集約されているようでそのことが私を苛立たせたから仕返しのつもりでむちゃをしていたけど考えてみればいくらむちゃをしても仕返しにも何もならないのね、お互いに傷つくばかりで。だからもう止めるわ、むちゃするのは。」
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Posted at
2017/06/21 17:21:21
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