2017年11月18日
あり得ないことが、・・(取り敢えず最終章)
男として生きていくことと女として生きていくこととどっちが良いかと聞かれたらちょっと困ってしまうかも知れない。
勿論生き慣れた男として生きる方が楽に決まっているが、今のような特殊環境でならば女として生きるのも悪くはないし、結構世俗の好奇心も満たされる。
ただし僕の場合良い方に条件が整っていたからそれなりに悪戦苦闘しながらも何とか生きられたのだが、ずっと前にも話したとおり、換わった相手が極めて仲睦まじい新婚家庭の奥様だったとか妊娠中だったとかあるいは舅姑に夫や子供に加えて挙句の果てには小姑付きなんて家庭だったらその日のうちに逃げ出す以外にはなかったかも知れない。
そうするとその日から生活の手段がなくなるので本当にのっぴきならない事態へと追い込まれていたかも知れない。
でもそんなことはどのように生きていても天国と地獄は紙一重なので必然的にこうなったのかも知れない。これもどんなに考えても分かるはずもないことなので考えるだけ無駄だろう。そして元の自分や佐山芳恵のことも。
女土方は元佐山芳恵に何かしら劇的な変化が起こって今のニュー佐山芳恵が誕生したとは思っているようだが、さすがに佐山芳恵の中身が男に入れ替わったとまでは客観的には信じられない様子だ。
でもそれも仕方がないだろう。逆に自分の身の回りで同じ事が起こったとしても人間の中身が入れ替わるなんてそんなことを信じるバカもいないだろうし、事実を突き詰めてあくまで真実を探ろうという極めて冷静客観的な人間もいないだろう。
結局、女土方の結論は自分にとって都合よく変わってくれたのだからそれでよしとしてそれ以上深くは考えないようにしようということらしい。
僕もそんなことを深く詮索されても答えることも出来ないし、事実を言っても心情的にはとにかく実際には誰も信じないだろうから詮索しないで済ませてくれることはありがたい。何と言っても僕は女土方を生涯の同志として信じ切っているのだから。
僕は最近こんなことを思うんだ。科学技術が発達し、高速交通手段やデジタルネットワークなどというついこの間までは思いもつかなかった通信網が張り巡らされ物理的に世界は狭くなった。どこにでも好きなところに行けるし金さえあれば何でも好きなものが買える。
それでも人の生き方というのは基本的に太古の昔からさほど変わっていないのではないかと思う。世の中のしきたりに従って人生の王道とまでは行かなくても枠の中で人に付かず離れずに生きていくことが求められるし、それが個人にとっても一番生き易いのかも知れない。
それでも中にはそんな枠など歯牙にもかけず蹴飛ばして自由に生きる者もいれば流れに逆らって生きようとする者、岸に這い上がって流れていく者を見ている者など大勢とは異なった動きをするものがいないでもない。
そんな彼らを変わり者だの頑固者だのと非難することは容易い。でもそんな彼らにもやはり止むに止まれぬ理由があってそうしているのだろうと思う。だからそんな人たちを見かけても集団の和を乱し他人に迷惑を掛けない限りそっとしておいてやって欲しいと思う。
そしてもしもそういう人間達が援助を申し出て来た時はそっと手を差し伸べてやれるような優しさを持ち続けることが出来れば良いと思っている。
僕のこの取り止めのない話もずい分長くなった。そしてこの他愛もない話に付き合っていただいたことを本当に心からお礼申し上げたい。
僕も女土方もクレヨンもテキストエディターのお姉さんも、そして紳士だけれどちょっと大人気ないところもある社長や男勝りだけれど意外に優しい北の政所様もきっとまた皆さんに出会うことを楽しみにしていると思う。
だからまたきっとどこかで皆さんにお目にかかる機会があると思うが、その時はきっと暖かく声をかけてもらえればとてもうれしい。僕たちもきっと皆さんのことを何時までも覚えているだろうから。そして笑顔であの時はありがとうとお礼を言いたいから。
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Posted at
2017/11/18 10:41:17
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