2019年11月21日
謎の多い「忠臣蔵」と言う話、・・(^。^)y-.。o○。
「決算忠臣蔵」と言う本が評判で映画にもなっているようなので今読んでいるところだが、「忠臣蔵」と言う話、比較的最近起こった事件で時期も江戸時代中期の安定期である割には実態が伝わっていない。明らかなのは勅使饗応役と言う公務を仰せ付かった浅野内匠頭が何らかの理由で激高して指南役の高家筆頭吉良上野介に江戸城内で切り付けて切腹になり、家も断絶にされた。その後、大石内蔵助ら家臣が吉良家に押し入って主君の仇を討ったとただそれだけで浅野内匠頭が刃傷に及んだ理由も大石ら家臣が仇討ちをした理由も何も報じられていない。
刑法的な事件で言えば、「殺人・殺人未遂・凶器準備結集・住居侵入・建造物損壊・器物損壊・銃刀法違反」などかなりの凶悪犯で討ち入った47人は完全に共謀の意思があり、首謀者がいて役割分担も決まっていたので明白な組織犯罪になる。ところが今伝わっている「忠臣蔵」と言うのは事件が起こった後で日本人の好みに合致するように脚色された「仮名手本忠臣蔵」という創作歌舞伎の話で事実は全く不明ではある。
吉良が浅野をいじめたというのも勧善懲悪に話を仕立てるための創作で実際にそんなことはなかったようだ。浅野にしてもこの役目は2回目で大まかな流れは承知していたらしい。この辺は織田信長が明智光秀をいじめたから謀反を起こしたというのと共通するかもしれない。ただ公家に近い性格の吉良と田舎の大名の浅野では性格的に合わない部分はあったのかもしれない。
幕府にしても事件発生時、感情に任せて浅野を処分してしまった失策を帳消しにしようとそれとなく赤穂浪士が討ち入りをしやすい環境を整えてやっていた風がある。吉良の屋敷を呉服橋から田舎の本所松坂町に移転させたりしているし、また当時の幕府が結構派手に動いている赤穂浪士の討ち入りを察知できないなんておかしい話ではある。また大石が江戸に上ってくるのを阻止しようと思えばそんなことは容易にできたはずである。
首謀者と言う大石も実際には断絶された浅野家再興派で仇討にはあまり興味がなかったとも言う。京都の色街で遊び狂っていたのも敵を欺くためではなく生来の女好きと思うように状況が好転しない現状に嫌気がさした現実逃避ともいう。またそれほどの放蕩はしていないという話もあるが、あちこちに妾を作ったりして大石が女好きだったのは事実のようだ。
実際に討ち入りを決意したのもその理由がよく分からない。江戸の急進派を抑えかねて「このまま放置すればいずれ暴発してしまうと浅野の本家や親戚に迷惑が及びかねない。それならばいっそのこと武士の本分が立つように計画して実行しようか」と言うことで討ち入りに加わった可能性もある。あるいはそれなりに家名を汚さずに趣旨を立てて形式を整えたかったのかもしれない。
討ち入り後に全員が出頭して身柄を拘束されているので討ち入りについて詳細を聴取しようと思えばできたんだろうけどそれもなかったようで処分についてのみ議論されている。そこには幕府の何らかの情報統制があったんだろうと思うがどうなんだろう。その他にも創作と事実が混同され、また事実無根のことが伝えられている点も多々あるんだろうけど当時の関係者はまさか300年も経ってもこの話がこれだけ取り上げられて受け継がれていくとは夢にも思わなかっただろう。それを知ったら浪士も本望だろうけど吉良は「勝手に人を悪者に仕立てた話を作るな」と怒るかもしれない。そう言えば討ち入りの時に吉良は武人らしく脇差で激しく抵抗したらしい。また領地では水害対策をしたりしていて名君として慕われてもいたらしい。何とも謎の多い忠臣蔵ではある、・・(^。^)y-.。o○。
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Posted at
2019/11/21 12:00:51
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