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イイね!
2020年09月26日

帝国海軍の軍艦がボカスカ撃沈された理由だって、‥(^。^)y-.。o○。

あまり知られていないが、太平洋戦争では日本の軍艦は魚雷攻撃に非常に弱く、いとも簡単に沈没していた。そのため戦艦大和は行動が制限され、海軍の基本戦略は齟齬をきたしたのである。なぜ日本の軍艦はそれほど脆かったのか? 映画『アルキメデスの大戦』で製図監修をつとめ、大和などの設計図をすべて描いた船舶設計のプロが、このほど上梓した『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)で指摘した、日本の軍艦の致命的な欠陥とは? ----------

「常套句」に隠されたもの
太平洋戦争における日本の敗因は、そもそも米国と戦ったことだとは、よくいわれるところです。たしかに開戦直前の国力の差は、GNPで比べると日本は米国の約9%にすぎませんでした。これでよくも開戦したものと驚くばかりです。しかも、日本が乏しい国力を傾けて建造した戦艦大和は、ほとんど出撃しないまま終戦直前に沈没し、戦後になってピラミッド、万里の長城と並ぶ「無用の長物」と揶揄されました。そんなものをつくった海軍は時代遅れの「大艦巨砲主義」に陥っていたと非難され、ただでさえ不利なのにこれでは勝てるはずがなかった、などと総括されています。しかし私は、そうした常套句だけでこの戦争を語るのは、何か大事なものを見過ごすことになるように思われてならないのです。もとより歴史や軍事の専門家ではありませんので、戦略や戦術についてのくわしいことはわかりません。それでも船のエンジニアとしての立場から、指摘しておきたいことがあるのです。

世界を驚かせた「造船の神様」
太平洋戦争前の国内工業は、たしかにあらゆる点で欧米先進国より遅れていて、工作機械もすべて輸入品でした。しかし、進取の気性に富む海軍は、航空機時代の到来を世界に先駆けて予見し、1922(大正11)年には航空母艦「鳳翔」を完成させました。これは世界で初めて設計段階から空母をつくる目的で建造された、本格的空母でした。さらに山本五十六連合艦隊司令官は海軍航空隊まで設立し、ほとんどの国がまだ航空機の効能を軽視していたなかで、確信をもって飛行訓練を重ねていました。そもそもは、日本の海軍は「大艦巨砲主義」ではなかったのです。むしろ、当時は米国や英国のほうが多くの大型戦艦を建造していました。世界が航空機の重要性に気づいたのは皮肉にも、日本がのちに真珠湾攻撃と、続くマレー沖海戦で大勝利をおさめてからでした。

1922年、第一次世界大戦の戦勝国である米英仏伊日の戦艦建造競争が過熱してきたため、ワシントン海軍軍縮条約によって戦艦保有規模が制限され、日本は米英の6割に抑えられました。そこで日本海軍はやむなく、巡洋艦や駆逐艦などの補助艦に活路を見いだす方針を打ち出します。巡洋艦とは、戦艦よりは小さくて速度がある中型の軍艦で、駆逐艦は、さらに小型で俊敏な艦です。翌1923年に完成した「夕張」は、排水量3100tと小型ながら、14 cm砲6門、61cm連装魚雷発射管2基を搭載し、なんと速力は34ノットと、5500t型巡洋艦と同等の戦闘能力を装備した画期的な巡洋艦でした。公開された夕張を見た各国の海軍関係者は、巡洋艦設計の概念を根本から覆す構想と、その工法に大きな衝撃を受けました。これにより、「夕張」を設計した造船中将・平賀譲の名は一躍、世界に知れわたったのです。平賀はまた、「古鷹」でも、世界で初めて戦艦並みの20cm砲を巡洋艦に搭載してみせました。

しかしワシントン条約以降は巡洋艦の建造競争が過熱したため、1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約によって、巡洋艦も排水量や砲の口径を基準に保有数を制限することになり、制限の対象となるものは重巡洋艦、それ以下のものは軽巡洋艦と呼ばれました。それでも平賀は、条約による制限のもとで精魂込めて、小型の巡洋艦でも1クラス上の巡洋艦と同じ性能や砲力をもたせようと、特異な設計をして世界を驚愕させつづけました。平賀は「造船の神様」とも呼ばれ、まさに伝説の設計者となったのです。なお、『アルキメデスの大戦』には、平賀をモデルにした平山忠道造船中将が登場し、戦艦大和をみずから設計して主人公の櫂直と対立しますが、実際の平賀は大和の設計には指導や助言をするのみだったようです。のちに東京帝国大学の総長もつとめた平賀を、私は船舶設計者としても、人間としても非常に尊敬しています。しかし、これから述べようとしているのは、そのような「神様」にも過ちがあったという話です。

巡洋艦に入れられた縦隔壁
太平洋戦争で、なぜ日本の巡洋艦と駆逐艦が魚雷攻撃に対して異常に弱かったのか。それは、これらには構造上、きわめて大きな欠陥があったからです。そして巡洋艦の欠陥は、平賀の設計に原因があったのです。日本の巡洋艦の内部には、船体の中央を縦に走り、左右を隔てる縦隔壁が入っていました。米英の巡洋艦には、そのようなものは入っていません。巡洋艦をとことん軽量化しようとした平賀は、そのために艦を縦に折り曲げようとする力に対する曲げ強度(縦強度)が不足することを懸念し、その対策として縦隔壁を設けたのです。しかし、これは非常に危険な構造でした。

艦が側面に魚雷を受けて浸水した場合、縦隔壁があると、水が艦の両側に流れず、片舷のみが浸水します。すると横傾斜が大きくなり、復原力が急速に消失して、横転沈没しやすくなるのです。横転には至らなくても、横傾斜すると砲が撃ちにくくなり、速度も低下するので敵に撃沈される危険が高くなります。「神様」の設計に対して畏れ多いことですが、縦隔壁を入れたことには大いに疑問があります。というのは、船体の曲げ強度は、縦隔壁を入れても大幅には増加しないからです。

土木建築の柱、梁、杭などに広く使われているI型鋼は、上下の水平部材と、縦の垂直部材の組み合わせですが、曲げ強度を増やすには垂直部材を厚くしてもあまり効果がありません。しかし水平部材を厚くすれば、曲げ強度は非常に大きくなります。したがって巡洋艦の曲げ強度を増やすには、縦隔壁を入れずに甲板と船底を厚くすべきだったのです。縦隔壁を入れたことは、平賀の致命的な設計ミスでした。縦隔壁がなかった米英の巡洋艦は、魚雷を受けても沈下はするものの、横転することはありませんでした。

太平洋戦争において沈没した日本の重巡洋艦と、その原因を表に示します。艦名を太字にしたものが、縦隔壁が原因とみられる沈没です。戦前、海軍では沈没は砲撃によるものが最も多くなると想定していましたが、それは11%にすぎず、じつに18隻中13隻、約72%が、航空機や潜水艦からの魚雷攻撃による横転沈没だったのです。なお、検証しきれていませんが縦隔壁は空母にも入っていましたので、同じ問題があったと思われます。だとすれば、それが多数の空母、そして航空機の喪失につながり、さらには制空権を奪われる原因ともなった可能性があります。

駆逐艦の動力系配置
もう一方の駆逐艦における問題は、平賀の設計ではありません。それはボイラー室とタービン室の配置にありました。ボイラーとは燃料を燃焼させて熱エネルギーをとりだす機関で、タービンは熱エネルギーを回転エネルギーに変えて動力を生みだす機関です。この二つは船の動力系で、いわば心臓部です。

日本の駆逐艦は、タービン室が2室連続し、そのあとボイラー室が2室連続するという基本構造でした。つまり、機能ごとに連続配置したのです。この配置では、機能が同じ2室の間に魚雷攻撃を受けたときは、両側2室とも浸水し、ボイラーあるいはタービンの機能は完全に失われます。つまり動力系が停止し、艦は動けなくなります。これに対して、米国の駆逐艦はタービン室、ボイラー室、タービン室、ボイラー室と交互に配置していたため、どこかの2室が浸水してもどこかは残るので、動力は低下するものの艦は動くことができたのです。その差は生死を分けるものでした。コストを考えれば、日本の駆逐艦のように区画ごとに機能をまとめるほうが、工事は容易で費用も安くすみました。機能を互い違いにすると、どうしても工程が煩雑になるからです。しかし米国の設計思想はそもそも、損傷したときにいかに被害を小さく抑えるかというダメージコントロールを重視していました。この違いが結果的に、太平洋戦争での1等駆逐艦の沈没数が日本は128隻、米国は71隻という差となって現れたのです。

駆逐艦は見直されたが…
太平洋戦争における海軍の基本戦略は「アウトレンジ作戦」でした。国力が違いすぎる米軍とは四つには組まず、前哨戦で戦力をできるだけ削ってから艦隊決戦に持ち込み、リーチの長い大型戦艦で遠くから決定打を放つという構想です。大和が建造されたのは、そのためでした。
ところが、大和の周囲を固めるべき巡洋艦や空母、駆逐艦などが欠陥によって次々と沈められ、艦隊決戦を挑む前に艦隊の編制が難しくなっていったのです。1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦は、敗色濃厚となった終戦前年にようやく訪れた、艦隊決戦の機会でした。しかし結局は、武蔵ほか戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦9隻、空母4隻が沈没し、帝国海軍はこれをもって事実上、壊滅しました。さきほど表に掲げたように重巡洋艦では「愛宕」「摩耶」「鳥海」「筑摩」の沈没と、「妙高」「那智」「熊野」「青葉」「高雄」の航行不能は、縦隔壁が原因と思われます。大和はついに艦隊決戦を戦うことが不可能となり、ここに海軍の基本戦略は完全に潰え去ったのです。

じつは、その少し前に、駆逐艦はあまりにも沈没が多いことから遅まきながら設計が見直され、米国のようにボイラー室とタービン室を交互に配置した松型駆逐艦がつくられました。コストを切りつめた二級品でしたが、魚雷攻撃への耐性はかなり高くなり、「これで生きて帰れる」と乗員には好評だったようです。巡洋艦にも欠陥があることに、誰も気づいていなかったとは考えにくいところです。しかし、「神様」が入れた縦隔壁が撤去されることはありませんでした。私はあの戦争には、こうしたことがいくつも積み重なっていたような気がしてなりません。そして、同じようなことは戦後75年以上たったいまも、あちこちで起きているように思われるのです。(播田 安弘)


帝国海軍の軍艦はボカスカ沈められたと言う。その理由は当時の艦艇が防御力よりも攻撃力を重視して設計されていたとか、記事にも書かれているように縦隔壁による復元性の喪失とか、機関のシフト配置とか、対空、対潜兵器が劣っていたとか、いろいろ理由があると思うが、何と言っても米軍の圧倒的な航空攻撃がその主な原因だろう。開戦からガダルカナル攻防戦が終了するころまでは日米双方の艦艇喪失はほぼ拮抗しているが、それ以降は圧倒的な米軍の航空攻撃で日本の艦艇はまさにボカスカ撃沈されている。戦艦大和・武蔵が戦争前半期にほとんど活躍しなかったのは両艦がそれぞれ連合艦隊旗艦で局地戦などに出撃できなかったこともあるが、一番の理由は動かすと大量の油を消費することが原因だった。マリアナ沖海戦以降は制空権を取られた日本艦隊は米軍の航空攻撃でいいように叩きのめされた。大和にしてもあれほどの航空攻撃を受けることは想定して設計はされていなかった。魚雷1本が命中しても5分以内に戦列に復帰でき、2,3発が命中しても帰港できるという程度の防御だった。それが武蔵は魚雷20本以上、爆弾10数発以上、大和も魚雷10本以上。爆弾数発以上という驚異的な抗堪性を発揮した。空母も脆弱と言うが、瑞鶴などは魚雷7本、爆弾多数という命中で沈没しているが、設計上は魚雷2本までは耐えられると言う程度だったそうだが、戦訓によって改造を重ねた結果だったそうだ。1万トン級の条約型重巡は攻撃力を重視しすぎて抗堪性はさほど高くはなかったようだ。条約で縛られていたので仕方がないが、こうした重巡よりも戦艦の方が攻撃力、抗堪性ともにはるかに高かったように思う。また日本の艦船はダメージコントロールも米国のそれに比べて劣っていたと言うが、航空攻撃でボカスカやられて最後にはかなりのレベルに達していたようだ。対米国戦争は五分に戦えるのは蓄積軍備が整っている2年間と言っていたが、全くその通りだった。圧倒的な戦力差の下では抗堪性もへったくれもない。小さな改善などで何とかなるようなレベルの話ではない。英国の戦艦プリンスオブウェールズは日本海軍の72機の陸攻の航空攻撃で5発の魚雷を受けて僚艦のレパルスと共に撃沈された。延べ1千機もの航空機による波状攻撃に耐えられる軍艦など当時の世界のどこにも存在しなかっただろう。大事なことは冷静に状況を認識して適切な判断を下せるかと言うことだろう。縦隔壁は問題があるのは戦訓で認識してはいたが、当時の海軍はもうそれを改善している余裕などなかったのだろう。良かれと思ってやったことが裏目に出ることはどこの国でもあることだ。日本が完膚なきまでに叩かれたのは状況判断を誤った結果で一つの技術を取り上げて云々してもあまり意味がないように思う、‥(^。^)y-.。o○。

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Posted at 2020/09/26 21:53:12

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