2021年12月08日
日本が二度と戦争の惨禍に巻き込まれることがないことを祈りたいが、・・(^。^)y-.。o○。
今年も太平洋戦争開戦の日が来た。この時期になると戦争関係のTV番組が増える。先日日テレのニュースでキャスターの桜井翔が、真珠湾攻撃に雷撃隊搭乗員として参加した103歳の男性に、「魚雷を発射したら船に乗っている人が死ぬと言うことを考えなかったのか」とか言う平和ボケでおバカな、そして質問される側にとっては極めて残酷な質問をしていた。局の方針でそう言う質問をしたのかもしれないが、戦争とは敵の戦闘員、総力戦になれば非戦闘員も含めて、を殺傷し、兵器を破壊することで、当時の軍人にしてみればそれがいいとか悪いとか、やるとかやらないとか、そんなことを批判したり、戦いに参加するかしないかを選べるような選択肢はない。命令を受ければ全力を以って敵をせん滅すること、それが彼らの任務であり、それ以外にはあり得ない。現代の感覚で当時の軍人個人が職務としてしたことについて「いいの悪いの言うこと」自体が極めてバカげたことで責任は彼らにはない。それよりも選択肢のない戦場で血で血を洗う様な戦闘を経験してきた元軍人が「戦争は絶対にやってはいけない」と言ったその一言には計り知れない重みがある。
しかし、それにしてもバカげた戦争をしたものだ。当時、日本にとって石油、鉄鉱石、ボーキサイト、ゴム、錫、ニッケル、タングステンなど戦略物資の8割は英米圏に依存していた。開戦すればそれらの戦略物資は入って来なくなる。また工業力は米国だけでも少なく見積もっても当時の日本の10倍、英国にしても4,5倍はあったと言う。また軽工業中心の日本に対し、英米は重工業が発達し、工業技術力でも日本を凌駕していた。当時の日本の要人で米国に宣戦布告して日本が勝てると予想するものは皆無だったそうだ。海軍は何とか対等に戦えるのは2年と予想していたが、これはその通り当たっている。互角の戦闘ができたのはガダルカナル島攻防戦で敗れて撤退するまで、それ以後は防戦一方、マリアナ沖海戦で負けてからの戦争は米国から見ればほとんど残敵掃討戦だった。陸軍にも「米国と戦って勝利はない」と言う冷静客観的な予想をした者もいたが、東条さんは、「戦争は戦ってみなければ分からない」とか言っていたそうだ。
結果として明確な戦略もなく、海軍は、「戦えないと言ったら予算を陸軍に取られてしまう」と言う自己保身で開戦に賛成し、陸軍も「戦争をすれば組織が拡大してポストも増える」と言った陸軍第一、国家国民第二、第三の発想で開戦してしまった。開戦時の日米の主力艦は日本が12隻、米国が16隻だったが、国力を基にした建造数で単純計算では1年後は日本が13隻、米国が26隻、2年後には日本が14隻、米国が36隻、3年後には日本が15隻、米国が46隻と言った具合に差が拡大して行く。実際に米国は戦争が始まって戦艦8隻、巡洋戦艦3隻、正規空母19隻、軽空母9隻、護衛空母100隻以上を建造したが、日本は戦艦は0、正規空母が戦艦改造の信濃を入れて5隻、軽空母4隻、護衛空母8隻だった。その他、補助艦艇でも隔絶した差がついている。これは航空機や陸上兵器でも同じことで戦場にどれだけの火力を投入できるかと言う総力戦の原理ではどうにもならないほどの圧倒的な物量で日本は圧倒された。
ただそんな戦争を始めたとして責任があり、非難されるべきはこうした成算のない無謀な戦争を始め、国民を巻き込んだ指導層であり、大きな時代の流れの中に巻き込まれ、戦争に参加して戦った戦士ではない。彼らはそうした時代の大きな流れの中で命を投げ出してその責任を果たしたのであって、「戦争は絶対にやってはならない悪である」という考えとはまた別のことである。戦争は絶対にやるべきではない。しかし、急迫不正の侵害に対して国家の自立と国民を守るどうしても戦わなければならない場合がある。この国にそうした極限状況がもたらされないことを祈りたい、‥(^。^)y-.。o○。
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Posted at
2021/12/08 21:28:48
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