珊瑚海(さんごかい)海戦、ミッドウェー海戦などの艦隊航空戦で火花を散らし、太平洋戦争序盤の零戦の最大のライバルといっても過言でないF4Fワイルドキャット。その性能、戦歴をコンパクトに紹介する。
1930年代中旬、折から単葉単座の新しい艦上戦闘機を求めていたアメリカ海軍は、グラマン社とブリュースター社の試作機のうち、後者の機体をF2Aバッファローとして採用した。しかし前者の機体も捨て難かったので、F4Fワイルドキャットとして採用されたのだった。そして太平洋戦争が始まると、バッファローは零戦にまるでかなわなかったが、ワイルドキャットは戦い方によっては零戦に勝つことができた。
運動性に優れた零戦が防弾防御を備えていなかったのに対して、ワイルドキャットは頑丈で損傷にも強かった。そのため、空戦で零戦に手ひどくやられたにもかかわらず、何とか帰り着くことができた機体も少なくない。ワイルドキャットと深い関係にあるのが、ジョン・サッチ(最終階級:大将)だ。本機が1機では零戦にかなわないことを知ると、彼は本機を2機で1ペアー(これをセクションと呼ぶ)にし、それを2組、つまり2ペアー(これをディヴィジョンと呼ぶ)としたうえで、1機の零戦と戦う空戦術を編み出した。
当時、日本の空中無線電話器は性能が劣悪でほとんど使えなかったが、アメリカのそれは優れていた。そのせいで、零戦は単機で戦うのが当たり前だったが、サッチは空中無線電話で連携をとりあった4機が、1機の零戦と戦うことにしたのだ。まず1セクションが零戦を攻撃している間、もう1セクションはそれを掩護(えんご)する。そしてもし零戦がその1セクションの攻撃を逃れたら、掩護していた1セクションが代わって攻撃を加える。つまり、2機が攻撃して2機が掩護するという機動を繰り返す空戦術で、発案者のサッチ自身は当初、これをビーム・ディフェンスと呼んでいた。
しかしのちにサッチの発案に敬意を表したアメリカ海軍は、この空戦術をサッチ・ウィーブと呼ぶことにした。以降、サッチ・ウィーブはさまざまな改良が加えられ、ワイルドキャット以外の戦闘機でも使用されるようになった。それに加えて、性能向上型のFM1やFM2というワイルドキャットの改良型が登場したが、いずれも性能が向上しており、それとは逆に、戦争の進捗によってパイロットの質が低下した零戦は、外見的には類似したこの後期型のワイルドキャットに撃墜されることも少なくなかった。(白石 光)
資源に恵まれ、技術レベルも高かった米国に比べて資源が乏しく技術でも劣っていた日本にとって数をそろえることが難しいので個体優勢に走り、また長期戦を戦うつもりがなかったことから防弾性能に目をつぶって個体優勢を追い求めた典型が零戦かもしれない。一式陸攻も防弾能力がないと批判されるが、艦隊決戦の前哨戦で1個飛行隊が全滅しても侵攻してくる米国戦艦1隻を撃沈すればいいと言う考え方だったのかもしれない。零戦は度重なる改修で重量が増加したが、エンジンは最後まで中島の栄エンジンで出力の向上はほとんどなくその性能を低下させて行ったが、52型を出したときに三菱の金星エンジンに換装しておけば最終的には栄の1.5倍ほどの出力を出したのでもう少し使いやすく戦いやすい戦闘機になっていたかもしれない。F4Fは米国の護衛空母などに搭載されて後方支援などの役目を担って戦っていたようだ。そのエンジンの出力は1200馬力ほどだったので金星よりは若干落ちるようだが、いずれにしても零戦とはほぼ互角のライバル機だった。飛行機にしろ車にしろ動くものは何でも性能を上げるにはエンジンのパワーを上げないとどうにもならない。有り余るほどの燃料と豊富なエンジンのラインアップを整えた米国と違い、燃料は質が劣り常に欠乏状態で装備するエンジンも種類や性能が限られていた日本は高性能エンジンはトラブルが頻発していたので安定した金星エンジンは零戦の性能向上には最適なエンジンだったが、海軍は航続距離が落ちると言う理由で換装を渋っていた。52型で金星エンジンに換装していたら零戦もF4Fはもちろん、F6Fにもそれなりに効果的な戦闘ができただろう。残念なことではある、‥(^。^)y-.。o○。
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Posted at
2021/12/29 17:24:26