戦艦「大和」には主砲以外に副砲と呼ばれるサブ的な攻撃力を備えていた。そのスペックを解き明かす。
戦艦「大和」は、世界最大の46cm主砲の他に、副砲として60口径15.5cm3連装砲塔を、2番主砲塔の後ろの艦橋前と、3番主砲塔の前の煙突寄りに各1基ずつ、さらに艦中央部の上部構造物側面の左右両舷に1基ずつ、計4基12門を装備していた。そのため、片舷(へんげん)に向けられるのは前後の2砲塔と、左右どちらかの1砲塔の合計9門となる。この15.5cm砲の砲身は、最上型軽巡洋艦(比較的、小型の巡洋艦)が重巡洋艦(大型の巡洋艦)へと改装された際に、50口径20.3cm連装砲塔5基に換装されたため撤去されたものを流用。ただし砲塔は、新造されたものだった。最大射程は27400mで、駆逐艦サイズの高速軍艦との近接戦闘を行う目的で搭載された。
しかし、航空機が海戦の主力的立場になってくると、左右両舷の1基ずつを撤去。大和では12.7cm連装高角砲6基に換装され、武蔵は高角砲の設置が間に合わなかったので、代わりに25mm3連装機銃6基が装備されたという。とはいえ、この15.5cm砲は対空射撃も可能で、その際は零式通常弾と三式通常弾が使われた。ちなみにレイテ沖海戦では、大和が380発前後、武蔵が203発の対空射撃を副砲で行っている。なお、対空射撃時の発射速度は、最上型時代の毎分5発から毎分7発に向上しているが、これは、大和型では揚弾機構が改善された結果であった。
このように、大和型の副砲は優秀な砲であったが、一方で、砲塔式の副砲を備える戦艦共通の懸念として、砲塔の装甲防御力の問題があげられる。たとえば、敵戦艦の大口径砲弾が大落角で副砲砲塔の天井部に命中した場合、砲弾が貫徹して砲塔内部とその下の揚弾機構などを通過し、弾火薬庫に達して爆発するような事態に至れば、誘爆と火災により大きな損傷が生ずる恐れがあった。もっとも、既述のごとくこれは大和型のみならず、副砲を砲塔式に装備したすべての戦艦が抱える弱点であり、解決策としては副砲砲塔天井部の装甲厚を増大させるしかない。しかしその結果、砲塔そのものの重量が重くなると、砲塔旋回速度の低下などの悪影響が生じるため、対応が難しいところでもあった。(白石 光)
大和型戦艦の副砲は最上型巡洋艦から降ろした15.5センチ三連装砲塔を採用している。この砲は極めて優秀で60口径という当時としては極めて長い砲身を採用することで20.3cm砲とほぼ同じ27,400mの最大射程を実現した。砲弾一発あたりの威力では20.3センチ連装砲に劣るが、単位時間あたりの投射砲弾重量では20.3cm連装砲に勝っていて最上方の主砲を換装する際にずいぶん惜しまれたそうだ。また限定的ではあるが対空射撃も可能だった。大和型の副砲は最上方巡洋艦から降ろした砲を再利用したものだが、砲塔の装甲が薄く主砲塔直後に配置された第1・4番副砲は、大和型防御の欠点であるとよく言われる。副砲塔は波浪除けの25mmの装甲しか施されておらず駆逐艦主砲の5インチ砲弾も防げなかった。従って爆弾や大角度での落下砲弾がここに命中した場合、砲爆弾は副砲弾薬庫に達して炸裂し、これが隣接する主砲弾火薬庫を誘爆させて轟沈する可能性があった。この弱点については手直し程度の改善はあったもののこの欠点は最後まで解消されなかった。両舷への指向が可能という利点にこだわった設計ミスだと言われて千早が副砲に関する懸念を山本五十六に訴えると山本は「副砲を撤去して蓋をしておけ」と言ったそうだ。大和型では副砲塔そのものの装甲強化をあきらめる代わりに副砲の弾火薬庫を厚い装甲で囲まれた主要防御区画内に配置していたため直接弾薬庫に貫通弾を受ける可能性は高くはなかったそうだ。また副砲塔と弾火薬庫の間に防焔扉を設置し、副砲塔に貫通弾を受けたとしても弾火薬庫に被害が広がりにくいように配慮されていた。副砲塔に過大な防御を施すと高速の敵駆逐艦を撃退するため高い機敏性が求められる副砲の旋回性が失われる可能性があり副砲塔そのものの防御には限界があったそうだ。副砲周辺の防御については主砲火薬庫がある第1・4番副砲塔を支える円筒の露出した支筒下部に敵弾が命中した場合の問題点を指摘されたが、この円筒には75mmの装甲に28mmの装甲追加が行われ、これにより支筒下部は800kg爆弾の命中に耐えうるものとされた。さらに防焔扉の板厚を増し、中甲板の貫通部に不規則な形の防焔板を隙間なく装備したことで最上型軽巡洋艦に搭載されていた時よりも総合的な防御力は強化されていたそうだ。しかし前記のように重装甲にして砲塔重量が増すと駆逐艦などの小型軽快艦に追従できなくなることから軽装甲に甘んじざるを得なかったが、大和も武蔵も沈没に至るまで副砲防御が大きな被害を引き起こしたことはなかったそうだ。副砲の対空射撃についてはレイテ沖海戦で副砲は主砲と共に高角砲の射程外にある敵機編隊に対する長距離対空戦闘用として使用されている。1944年(昭和19年)10月24日の対空戦闘では武蔵の副砲は203発もの対空射撃を行っており、これは同じ日に大和が行った高角砲射撃の頻度を上回るものであったそうだ。同海戦で行われた大和型戦艦副砲の対空射撃は武蔵が203発、大和が383発(他説もあるそうだ)の計586発にも及んでおり、レイテ沖海戦後には対空用砲弾として用いられる零式通常弾の搭載定数が50発から100発に増加されている。また俯仰・旋回速度にも優れていたため編隊を分離して攻撃態勢に入った敵航空機に追従できたそうだ。また米海軍護衛空母艦隊との遭遇戦では近距離で米駆逐艦を砲撃もしている。ただ副砲を射撃すると爆風により特設機銃に被害を与えたそうである。大和型の副砲は砲としては非常に優れていて対空、対水上とも威力を発揮したそうだが、戦艦の砲で戦争の帰趨を決する時代は過ぎ去っていた。それでも戦艦は時代遅れの産物ではなく高い抗堪性と大火力を有する価値のある兵器だったと思う、・・(^。^)y-.。o○。
ブログ一覧 |
軍事 | 日記
Posted at
2022/07/13 22:03:06