2023年08月09日
太平洋を縦横に駆け巡って活躍した彩雲艦上偵察機、\(^_^)/。
日本海軍は専用の偵察機を持たなかった。陸上偵察機は陸軍の偵察機を借用したり艦上偵察機は艦攻や戦艦や重巡搭載の水偵を活用していた。これらの偵察機は偵察には問題はなかったが、低速なために敵戦闘機に捕まった場合は逃げ切れず撃墜されることが多かった。そこで海軍はいかなる敵戦闘機より高速の17試艦上偵察機の試作を中島航空機に指示した。中島では1千馬力級エンジン2基を胴体に収容して翼に装備したプロペラを延長軸で回すという怪しげな機体を検討したが、2千馬力級の誉が実用化されたことからこれを装備した常識的な機体になった。それでも高度6千メートルで必要な馬力に400馬力も不足していることから機体の直径を絞って軽量化に努め、単排気管による排気推力の利用、大口径プロペラの装備、機体外板に厚板を利用してリベットの数を減少させるなど機体の小型軽量化に努め試作機は639キロという海軍機最高速を記録した。量産機になると時速609キロとやや速度は低下したが、それでも米軍のグラマンF6Fより高速だった。実用化された機体は「彩雲」と命名されて中部太平洋、フィリピン、沖縄、本土で長距離偵察に活躍したが、実用化された時には搭載する空母はなく艦上偵察機と言っても空母で偵察活動をすることはなかった。彩雲に搭載された誉エンジンは作動不安定であったが、エンジンが安定した状態の時は高速で「我に追いつくグラマンなし」の電文を発信して敵機を振り切って悠々帰還したこともあったと言う。こうして戦争末期に敵情偵察に活躍した彩雲だが、誉エンジンの不調で敵機に捕捉されて撃墜されることもあったと言う。戦後米軍は接収した彩雲の試験飛行をした際に時速694キロという高速を発揮して米軍を驚かせたと言う。この米軍の試験飛行には様々異論があり、飛行試験をせずに推定値を記録したという説もある。確かに技術的に劣っている敗戦国の整備不良の航空機の試験をまともに行ったとも思えないが、米軍は意外に正直でいいところはいい、悪いところは悪いとはっきり言うので実際に試験してその高速に驚いた👀‼️のかもしれない、\(^_^)/🙆🆗🎃😅。彩雲はその高速のために30ミリ機銃を搭載してB29迎撃に使用されたりもしている。長い脚を踏んばって大空を見上げる彩雲の姿は月に向かって吠える大鹿のようだとも言う。戦争後期に試作された機体はほとんどが実用化出来ずに終わっているが、彩雲はその高速を発揮して太平洋を縦横に駆け巡って活躍した。しかし戦況は絶望的で終戦になると色綾なす雲に乗って消えて行った。彩雲と言う名前自体絶望的な戦況を諦めて遥か先にかすかな希望を見つけようとする現実に対する諦念のようなものを感じる名前ではある、\(^_^)/🙆🆗🎃😅。
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Posted at
2023/08/09 18:27:09
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