2017年09月26日
戦後の日本人は高瀬が言っていたとおり、たとえそれが誰であれ長には忠実というその性格を遺憾なく発揮して宿敵だった米国に忠節を尽くし、見事な復興を成し遂げた。しかしやはり戦後の復興をどのような形で成し遂げていくかということについては誰もがその到達点やそこに至る過程を具体的に明示することが出来なかった。
豊かな生活というのは確かに戦後の復興を進めるうえで一つの到達すべき目標だったかもしれない。しかし一体どんな生活が豊かなのか、豊かとは一体何なのか、それを誰もがつかみ切れないままに日本人はその豊と言う抽象的な概念をただひたすらに追い続けた。
戦後の日本は奇跡の復興と世界を瞠目させ、確かに世界でも稀に見る豊かな生活を実現させたが、豊かさということについて何一つ具体的なものを持たなかった日本人は自分たちが享受している世界でも稀なほど豊かな生活に満足することはなかった。
その結果、日本人は何が足りないのか分からないまま欲求不満を膨らませ、慢性的な飢餓感に駆り立てられて走り続け、最後には金満長者を気取ってマネーゲームに明け暮れて、投機の対象になりそうなものには端から不相応な評価を与え、裸の王様よろしく見事に破綻した。
しかしあれだけ見事に破綻してもこの国はまだまだ余裕を残しているのに、やはり誰もが自分達の未来を具体的に描ききれず羹に懲りてなますどころか、氷菓子まで吹きまくって萎縮し切っている。世界でも有数の豊かな生活と身近に脅威を感じることのない平和な社会、あとは自分自身の生き方があればそれで十分だろうと思うのだが、やはりこの国には何事につけても価値の基準を定めてくれる長が必要なのだろうか。
若しも日本人が自ら自己の価値観を創出することが出来るような人種であったら、近代日本はどのように発達してきただろうか。ビジョンを持ってしなやかに強かにそして冷静に目的に向かって進んでいくようなそんな日本人だったら。だが、私にはそんな日本人はいるとは誰一人として思いつかなかった。
ホテルからタクシーで機体を預けてあった空港の整備会社に向かった。そこで料金を支払うと燃料を満載した機体を受け取った。整備員に手を貸してもらって後席に身の回りの物を入れた小さなバッグを放り込むと操縦席に乗り込んだ。管制塔から離陸の許可を受けて私は空へと舞い上がった。高度を四千まで上げると私は機首を南西に向けた。
絶望して死を選ぶつもりではなかった。私は精一杯自分の時間を生きて来たのだから。ただ体をチューブで縛られて病院のベッドで最期の時を迎えたくはなかっただけだ。動けるうちに自分の身の始末をつけておきたかった。
所々に白い雲の浮んだ空は当時のままだった。その雲の間に喜界が島が見えてきた。忘れもしない光景だった。私は胸のポケットをそっと撫でてみた。そこにはあの時掬い上げて麻のハンカチに包んだ土がそのまま入っていた。
「ずい分遅くなってしまったけれどやっとみんなのところに行くことが出来る。」
私はもう一度ハンカチに包まれた土を撫でた。そして少し機首を上げた。爽やかな気分だった。頭上の断雲を抜けると喜界が島から遠ざかるように大きく旋回した。そして適当なところで大きく翼を振って機体を反転させた。海と空が私を軸にして入れ替わった。
その時、私の周りに紫電の編隊を見たように思った。山下隊長が、高藤飛曹長が、安藤大尉が、竹本中尉が、私よりも一足先に翼を翻して急降下して行くのが見えたような気がした。そして最後に胴体に大きな金色の十字架を描いた高瀬の紫電が翼端から白い水蒸気の筋を引いて急降下して行った。
「迎えに来てくれたんだな、みんな。」
私はそのままゆっくりと操縦桿を手前に引いた。空は徐々に視界から消えて目の前には蒼く輝く海がだんだんと大きくなって私に向かって近づいて来た。
Posted at 2017/09/26 18:05:20 | |
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小説2 | 日記
2017年09月22日
しかし飛行長の心配した占領軍からの御咎めも特になく、私にも部隊を去る日がやってきた。身の回りの私物を雑嚢に詰め込んでから飛行長のところに挨拶に行った。もう海軍もなくなってお互いに一般人となってはいたが、やはり挨拶は敬礼で始まった。
「辛いな。」
私を遮って飛行長は一言そう言った。
「生き残るってことがこれほど辛いとは考えもしなかった。」
私は飛行長に答えることが出来ずに黙っていた。
「武田中尉、貴様はこれから何をする。」
「それを聞きにここに参りました。私は俄か雇いの予備士官で職業軍人ではありません。戦争が終わったらやりたいことが山ほどあったような気がしていたのに、実際に戦争が終わって海軍が消滅してしまったら、何を拠り所に何をしたらいいのか分からなくなってしまいました。私は戦争を憎んでいました。そして軍の不合理を嫌悪していました。
しかし、そういう気持ちとは裏腹に戦っている時の自分はこれまでになかったくらいに真剣で充実していたように思います。しかも、どこかで海軍という組織に惹かれ、自分が海軍軍人であることを誇りに思い、自分の拠り所にしていたような、今になって思えばそんな気がします。
高瀬が戦死しても、妻が空襲で死んでも、戦が続いている時は自分には負うべき任務があり、自分も何時でも彼等のそばにいけるように思えたので、それほど辛いとも感じませんでした。しかし、こうして戦が終わってしまうと、海軍は消滅し、我々が命を預けて戦った紫電も敵にゴミのように燃やされ、高瀬や妻も、もう二度と手の届かない遥か彼方に去って行ってしまったように感じます。今、急に生きろと言われても私にはどうして生きればいいのか分かりません。飛行長、我々はどうしたらいいのですか。」
「俺にも分からんのだよ。分かることといえば生きることが何と辛く苦しいのかと、それだけだ。ただな、どう生きればいいのか分からないのなら、しばらくは何もしないで様子を見ようと思う。今、この国は混乱の極みにあるが、しばらくすれば落ち着いてくるだろう。
まあ、今は生きていくことさえも容易なことではないのかもしれないが、戦が終わってしまった今になって死んでみても何もならんだろう。生きていればそう遠くない将来、それぞれまた生きる道が見えてくると思う。そうしたらその方向に向かって生きていけばいい。俺はそう思うよ。それが貴様の問いかけに対する答になっているかどうかは分からんが、今の俺にはそれしか言えない。」
私たちはずいぶん長い間黙り込んでいた。部屋には何時の間にかすっかり秋らしくなった柔らかな日差しが差し込んでいた。
「おい、ちょっと外に出てみないか。」
飛行長はそのまま外へと出て行った。私は黙って飛行長の後を追って外に出た。米軍が整備した滑走路や格納庫にはもう紫電の姿はなく、米軍の航空機が並べられていた。
「覚えているか、初めて横須賀の料亭で顔を会わせた時のことを。あの時、貴様たちの言うことを聞いて頭がおかしくなりそうだったよ。同じ海軍士官の軍服を着ている者がどうしてあんなことを口にするのかと。俺達は意思を完全に統一されて、そうして組織を構成する人間が意思を統一することは組織を円滑に動かすためには最良の方法だと信じていたからな。それを貴様たちはとんでもないことを公言して憚らない。どうしてこんな奴等が海軍士官の軍服を着ているのか、あの時の俺には分からなかった。」
「生意気なことばかり言いまして。」
私は飛行長に向かって頭を下げた。
「俺はあれから今度の戦をいろいろ考えてみたが、組織の意思を統一する前にしておかなければならないことがあったんじゃないかと思うようになったよ。議論だ。いろいろな立場から意見を出して議論をすべきだった。それぞれが考え抜いて智恵を絞って意見を出し合って、そうして搾り出した意見を検討して結論を出すべきだったんじゃないかと。
始めから情況を設定して、それについて意思の統一をしておけば確かに結論を出すのは早い。多かれ少なかれ誰もが似通った意見を持ち出すからな。しかし、それでは想定していない事態には柔軟に対応が出来ない。今度の戦を戦ってそのことを思い知ったよ。
しかし、俺の目を開かせてくれたその戦で日本は壊滅的な打撃を受けて、これからの日本を背負っていかなければならない若者を大勢殺してしまった。山下や安藤そして高瀬、高藤、竹本、多田、みんな純真な心とすばらしい才能を持った若者たちだった。そして貴様の奥さんも。優しい心を持った日本女性だった。戦は何時もそうして若者や国民に残酷な負担を強いる。後に残るものは殺戮と破壊とそして空虚な喪失感だけだ。
我々はそんなことは何も考えずに図面の上で定規やコンパスを広げては硬直した戦術議論に明け暮れて本当の戦争の実態を見ようともしなかった。いや、金科玉条に凝り固まった頭では実情を正確に見ることも出来なかった。そうして大勢の若者や国民を戦火の中に投げ込んでしまった。そんな自分たちこそ死ぬべきだったのにこうして生き残ってしまった。それを考えるとこうして自分が生き残っていることが何よりも辛い。」
私たちは格納庫の前を通り過ぎて何時の間にか診療所壕のあったところに来ていた。爆撃で大きく抉られた土は何時の間にか生い茂った野菊に覆われていた。そして粗末な慰霊塔が肩をすくめるように立てられていた。
「私が偵察の彩雲を庇って負傷した時、高瀬が倶楽部にやって来てこの戦争や学問について話していきました。高瀬は今度の敗北の原因は国力や戦力も劣っていたこともあるが、それ以上に日本は文化や知性でも米英に及ばなかったからだと言っていました。
奴はこの戦に生き残れたら今回の戦についてしっかりと見直してみる。そして二度とこんなことを繰り返さないために、この国の特質と、そして教育や学問の意味と役割についてもう一度よく考えてみるとそう言っていました。
戦争は悪かも知れませんが、自分自身そう思いながら、戦っていた時はこれまでにないくらい真剣で充実していました。それが戦に負けて海軍が崩壊してしまってからは支えが外れたようになって忘れてしまっていましたが、今ここに来てあの時高瀬が話していたことを思い出しました。とりあえず大学への復学を考えようと思います。私は戦闘機乗りとしても学究としても高瀬のように優秀ではないかもしれませんが、せめて生き残った者の義務としてこの戦争を考えてみようと思います。」
「そうか、それもいいことだ。戦争の惨さ、悲惨さは実際に弾の飛んでくるところで戦った者にしか分らんからな。俺は部隊の葬儀を済ませたら、東京に出て海軍航空戦史の編集をすることにするよ。米軍さんからお誘いがあったんでな。海軍しか知らない俺達には君たちのように学問なんてしゃれたことは出来ない。せめてこの戦争を研究する者のために正確な戦史を編集しておこうと思う。」
私は壕があった場所に踏み込んで行って土を一掴み掬い取ると麻のハンカチにくるんでポケットに入れた。
その日の午後、私は部隊を離れた。こうして私の海軍軍人としての生活も戦も終わった。実家に帰ってからしばらくして私は大学に復学した。大学には私のように軍隊を離れて復学した者があふれていた。中には兵学校や士官学校からの編入組もいた。そんな者たちが集まって会社を興したのは最初に話したとおりだ。
Posted at 2017/09/22 17:45:37 | |
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小説2 | 日記
2017年09月14日
その後は施設の接収や武器弾薬の引渡しへの立会などしばらくは多忙を極めたが、やることが終わってしまうと時間を持て余すようになった。そしてそうした武装解除作業が一段落すると米軍の尋問が始まった。最初は司令や飛行長、その他の参謀など上級者から尋問されていたが、やがて我々下級士官も順次呼ばれるようになった。そして私にも尋問のための出頭日時が告げられた。
指定の時間に以前の司令部に行くと元の司令室に通された。そこには尋問官の少佐と書記の下士官、そして通訳が待っていた。席に着くとコーヒーやクッキーを勧められた。それから徐に質問が始まった。生立ちから経歴、軍に入った動機、軍歴、部隊内での役職、戦歴と質問は進んでいった。質問は当然通訳を介して英語で行われた。
通訳がいなくても対応できる自信はあったが、質問に対して考える時間を得るために敢えて通訳を退けなかった。その通訳自身もお世辞にもうまいとは言えなかった。
部隊での配置について『自分は戦闘機搭乗員だった。』と答えると尋問官は身を乗り出すようにして尋ねた。
「君は何機くらい米国の航空機を撃墜したか。」
「海軍では個人の撃墜数を公式に集計していない。自分の撃墜数について公式な数字はないが、十機以上は撃墜していると確信している。」
誰もが戦犯の指名を受けないように撃墜数などは控え目に答えていたようだが、私は概ね正直な数字を答えた。
「それでは君は部隊のエースだったのか。」
「海軍ではそのような呼称は存在しないが、あなた方の言うように五機以上の敵機を撃墜した飛行士をエースと言うのならそういうことになる。」
「君は部隊では最高の戦闘機搭乗員だったのか。」
「そうではない。もっと優秀な搭乗員が大勢いた。そういう優れた搭乗員の援助があって自分は任務を果たすことができたと考えている。」
尋問官はしばらく質問を打ち切って書類を繰っていた。読んでいるというよりは時を計っているという感じだった。彼等が本当に聞きたいことを切り出す間合いを計っているようだった。そしてやがて手を止めると私の方に向き直った。
「君の部隊の指揮官は君たちにどのような任務を与えたのか。君たちの部隊に与えられた任務はどのようなものだったのか。」
「西日本の制空権の奪還と確保が我々に与えられた任務だった。」
「それは何のためか。」
「日本の国民と国土を君たち米軍の攻撃から守るためだ。」
「再びアジアに侵略の手を伸ばすためではないのか。そのために我々を打ち破ろうと無駄な消耗を繰り返していたのではないのか。」
「繰り返して言うが、我々の任務は日本の国民と国土を君たちの無差別な攻撃から守ることだった。侵略のためではない。」
「アジア地域への侵攻について指示されたことはないか。」
「そのようなことは一度もない。」
「君は今回日本が始めたこの戦争が中国や東南アジアに対する侵略戦争だったと認めるか。」
「それは帝国海軍軍人としての自分に対する質問か、それとも一個人としての回答を求めているのか。」
「軍人としての貴官に対する質問だ。」
「戦争の目的は帝国議会に支持された大日本帝国政府が決定したことで我々は与えられた任務を遂行しただけだ。戦えと命令されれば個人の意思にかかわらず任務に最善を尽くすのが軍人の任務だ。」
「君が言う政府とはトウジョウのことか。」
「違う。大日本帝国議会に支持された正統な大日本帝国政府だ。東条閣下はその政府を代表する総理大臣の一人に過ぎない。独裁者ではない。」
「君はこの戦争が日本政府の正式な決定事項として開始されたと認識しているのか。」
「そうだ。政府の決定事項でなければ軍は戦闘行動を開始することはできない。」
「それでは日本の正統な政府がこの侵略戦争を開始したと認めるのか。」
「政府が開戦を決定するに至った経緯について我々は詳細には承知していない。政府は自存自衛のため米英に対して開戦のやむなきに至ったと説明している。我々は日本の国土を侵す者に対して国民と国土の防衛のために戦闘行動を取るよう命令されただけだ。」
「君個人としてはこの戦争をどう考えるか。」
「貴官は先ほど軍人としての自分に質問していると言った。今の質問は個人としての貴官からの質問か。」
尋問官は明らかに苛立った様子を見せた。
「君はこの戦争に勝てると思ったのか。」
「戦争に勝てるかどうかは我々には関係ない。命令があれば、情況がどうであれ全力を尽くして戦うのが軍人としての我々の義務だ。」
「君たちは他国を侵略して、それらの国民に多大な辛酸を舐めさせた。しかも自国まで破滅に導き、多くの国民を死に至らしめ、惨めな敗北を喫した。それをどう考えるか。」
「開戦に至ったのは単に日本だけに責任があるとは思っていない。双方に戦争を回避しようとする意思があれば、まだその方法はあったはずだ。それに日本の非戦闘員が多数死亡したのは米国の無差別爆撃のためだ。貴官はそれをどう考えるか。軍人として国民に申し訳なく思うことはそれを防ぐことが出来なかったことだ。
確かに帝国陸海軍は完膚なきまでに敗北した。それは認める。しかしこの半年間、我々の部隊は個々の戦闘で米軍に敗北したとは思っていない。むしろ戦闘では貴官の国の部隊を圧倒していたと言ってもいいかもしれない。圧倒的な戦力の貴官の部隊に対して何ら怯むことなく勇敢に戦った戦友たちを誇りに思っている。」
「国家と国民を破滅に導いておいて何ら責任も取ろうとせず反省の言葉もないというのか。」
「反省というのなら貴官たちも同じことだろう。戦に勝った側だけが主張することができる正義だとしたら、そんな正義など何の意味もない。外交において自らの主張を通すための一つの手段として戦争という方法があることは認める。しかし、戦がもたらすものは大量殺戮と破壊そして永く薄れることのない憎しみだけだ。我々は真に自存自衛の場合を除いて戦端を開くべきではない。軍は抑止力としてのみその存在価値がある。」
尋問官は思い切り机を叩くと立ち上がった。
「君から戦争や軍の存在の意義について講義を受けるつもりはない。もういい、帰りたまえ。」
激怒する尋問官に軽く会釈をすると私は部屋を出た。そして飛行長のところに行って顛末を報告した。飛行長は苦笑いをしながら「占領軍とけんかをするなんて困った奴だ。何事もなければいいんだが。」と一言言ったが、それ以上は何も言わなかった。
Posted at 2017/09/14 17:12:02 | |
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小説2 | 日記
2017年09月04日
午前八時過ぎに発進命令が下がった。飛び立ったのは第一、第二、第三小隊合わせて十七機、高度を取って待ち構えているところに五、六十機の敵機が飛び込んできた。他の小隊がこれに向かって急降下して行ったが、私の小隊は更に高度を上げて護衛の戦闘機群に備えた。
護衛の戦闘機は攻撃機を狙う味方機に向かって降下攻撃を繰り返すが、我々はこれを妨害して味方を助けようと奮闘した。もとより生死は念頭になかったので、私は敵機のど真ん中に飛び込んだり、敵機が後の迫っているのに他の敵を追ったりと大胆なことをやってのけた。
空襲の合間を縫って着陸して燃料と機銃弾を補給して再び飛び立った。そして今度は艦載機の一群を見つけてこれに攻撃を加えた。数の少ない味方は混戦で散り散りになって後に従うのは島田一飛曹ともう一機だけだった。数的には極めて劣勢なので一撃離脱を心がけたが、二回も攻撃を繰り返すと敵機は汐が引くように引き上げて行った。
それを追撃して最後尾の一機を追い詰めて至近距離から機銃弾を浴びせると敵機は爆発して砕け散った。更に攻撃を続けようと去っていく敵機に目をやったが、もう距離が離れ過ぎていて追撃しても無駄だと判断して基地に戻った。着陸して整備員に燃料と機銃弾を補充しておくように言って機体を離れたが、もう二度とこの紫電で空を飛ぶことはないことをこの時の私は全く考えもしなかった。
指揮所に向かうと飛行長に「重大な指示があるので士官は会議室に集合しろ。」と言われて首を傾げながら会議室に向かった。そこで我々は陛下の終戦の詔勅を聞かされ、この戦が終わったことを知った。純粋に自衛以外のすべての戦闘行為は厳しく禁止され、軍はその機能を停止した。終戦を聞いても徹底抗戦を叫んで憤る者が大多数を占めたが、軍はその統制を失わず武装解除は速やかに進行した。
外に出ると待機線に並んでいた戦闘機は骨組だけになった格納庫に戻され、これまで戦うために全精力を傾けて整備を行ってきた整備員の手によってプロペラや機銃が外され始めていた。私はついさっきまで敵と激烈な戦闘を交えていた紫電が戦うための牙と翼をもぎ取られるのを茫然と見つめていた。
その晩、宿舎では士官同士、今後の取るべき方策を廻って議論が沸騰した。詔勅は策謀だとして徹底抗戦を叫ぶ者も少なくなかったが、すでに詔勅が下がった今は粛々としてこれに従うべきだという意見が大勢を占めた。私はそうした議論を聞きながら心の中ではほんの何時間かの差で生き残る者と死んだ者を隔てたものが一体何なのか、それを考え続けていた。
しかし戦争を憎み、軍の体質に反発しながら、唐突に日本の敗戦という形で戦争が終結して、軍自体がその機能を停止してしまうと暗闇にいきなり明かりを消されたように何物も見えなくなってしまって、容易に結論が得られなかった。
翌日、下士官兵については指定された者を除いて帰郷命令が出された。私は士官室から三々五々荷物を背に隊門を出て行く下士官兵を見送っていた。そこに島田一飛曹が入って来た。
「分隊士、いろいろお世話になりました。命令が出ましたので故郷に帰ります。士官の方たちはまだここに残られるそうですが、どうかご無事で。それから奥様のことは本当にお気の毒でした。」
島田一飛曹は律儀に敬礼をした。
「礼を言うのはこっちの方だ。本当に色々と世話になった。どうかこれからも体に気をつけて。」
「私の田舎はここです。落ち着いて気が向いたら訪ねてみてください。何もない田舎ですが、空襲で焼き払われた街中よりは過ごし良いかも知れません。」
島田一飛曹は住所の書かれた紙片を差し出すと部屋を出て行こうとした。
「島田さん、急ぐのですか。」
私が呼び止めると島田一飛曹は驚いたように振り返った。
「いえ、特には。汽車の時間もどうなっているのか分かりませんし。しばらくは街の旅館にでも逗留して様子を見ようと思っていますが。」
「そうですか。お互い、これからどうなるか分かりませんが、どうか、お健やかに。」
私は島田一飛曹に『どうして我々は生き残ったのだろうか。』と聞きたくて彼を足止めしたが、その言葉をかろうじて飲み込んで当り障りのない挨拶を口にした。もしも聞いたとしても彼にも答が出るはずもないだろうし、死んでいった仲間に対して誰もが背負っている、生き残ってしまったことに対する後ろめたさを表に引き出すことは忍びないと思ったからだった。島田一飛曹はわざわざ呼び止めたにしては通り一遍の私の言葉に意外さを感じたようだった。
「分隊士、どうして我々が生き残ったのか、その理由はきっと一生考えても分からないでしょう。でも命を与えられたのですから、それを大事に生きればいいのだと私はそう考えています。それが死んでいった仲間に対する供養だとそう思います。ではまたお会いする日を楽しみに待っています。」
島田一飛曹は一礼をすると部屋を出て行った。私は残務処理要員としてこのまま部隊に残るように言われて司令部の指揮下に入った。その業務は多忙を極めた。武器弾薬の回収と保管、台帳の作成、重要書類の焼却、米軍の進駐までに済ませなければならないことは山のようにあった。業務の間に格納庫の前を通り過ぎるとプロペラを外されて放置された紫電の姿が目に入った。命を預けて戦った紫電のそんな姿を見るのが辛くて目を伏せると足早に通り過ぎた。
九月になって米軍が進駐して来た。彼等の最初の指示は『紫電四機を至急整備して横須賀に空輸せよ。』というものだった。半月以上放置してあった気難しい誉を装備した紫電が果たして飛ぶのかどうか不安だったが、進駐軍の命令は絶対だったので残った整備員を掻き集めて程度のよさそうな機体を選ばせ整備を開始した。そして指定された日の朝、待機線に四機の紫電が並べられた。見慣れた光景だったが、紫電の翼と胴体には日の丸の代わりに大きく白い星のマークが描かれていた。
空輸要員に志願したが、飛行長に部隊に待機するように言われて断念した。そして空輸隊の出発を見送った。紫電は点火栓や電線を米軍支給のものに交換して潤滑油と燃料も米軍側から良質のものを提供されていたので心配された紫電の発動機は高瀬を撃墜した敵機を追ったあの時と同じように甲高い排気音を響かせて極めて快調だった。そして軽々と離陸すると監視のF六Fを従えて東の方向に飛び去った。飛行する紫電を見たのはそれが最後になった。空輸隊が離陸してしばらくしてから整備員が士官室に駆け込んできた。
「分隊士、紫電が、紫電が燃やされています。」
整備員は涙を浮かべていた。外に出てみると米軍は格納庫に残っていた紫電をブルドーザやトラックで引き出して滑走路の片隅に運んではガソリンをかけて火をつけていた。赤黒い炎が見る間に機体全体に回って外板のアルミが溶け、桁が折れて力尽きたように地面に崩れ落ちる紫電を茫然と見つめる他はなかった。
そうして一機、また一機と焼け落ちていく紫電を見つめているうちに私は体の骨が崩れ落ちるような脱力感と心の奥から突き上げるような悲しさを感じていた。高瀬の死を目の当たりに見た時も小桜が死んだことを告げられた時もこれほどの衝撃も悲しさも感じなかった。戦えば被害は付き物、自分たちは戦争をしているんだ、すぐに自分も立派に戦って死ねる、戦いが続いている限り自分もすぐに彼等のところに行けるんだというある種の救いがあった。
しかし、戦に敗れ、自分たちが命を預けて戦ってきた紫電を目の前でまるでゴミのように燃やされるのを目の当たりにして初めて自分たちの国が戦に敗れたことを思い知らされた。そして戦が続いている間はたとえ両者の間に生と死という深い隔たりがあっても高瀬や小桜を常に身近に感じることができたのに、こうして敗戦というかたちで戦が終わってしまったことを否が応でも認めざるを得ない現実を突きつけられると高瀬や小桜にもう一度出会う機会を永遠に奪われたような陰鬱な思いが圧し掛かって更に私を打ちのめした。
下士官や兵の前でなければ大声で泣き出したかったが、俄か雇いでも士官としての責任感がかろうじてそれを押し止めていた。首の皮一枚を残すような危うさで自分を支えていた私は解散の号令をかけると誰もがそれぞれ敗残の重圧を肩で支えながら宿舎へと戻って行った。
Posted at 2017/09/04 20:41:48 | |
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小説2 | 日記
2017年09月01日
車輪が地面に着いて機体の行き足が止まると私は風防を空けて機体の外に出た。まだ半ば夢の中にいるようで、たった今目の前で起こったことが現実とは思えなかった。そんな不確かな意識に囚われながら私は無造作に機体から飛び降りると指揮所に向かった。
「只今帰還しました。敵哨戒機及び戦闘機多数と交戦、敵機十機を撃墜するも高瀬中尉以下三名は戦死。」
「高瀬が、・・。そうか、やつも逝ってしまったか。」
飛行長は珍しく肩を落として落胆の表情を見せた。私は敬礼をすると立ち去ろうとしたが、飛行長に呼び止められた。
「分隊士、貴様に詫びなければならないことがある。いや、詫びて済むことではないかもしれない。敵の落とした爆弾が医療所に使っていた壕を直撃した。今、救出作業を急がせているが、そこに智恵さんが、・・。済まん。俺があんなことを了解しなければ。」
私は上空から見た光景を思い出した。『もしや。』とは思ったが、それ以上は考えられなかった。
「誰のせいでもありません。あれが自分で決めたことですから。」
私はもう一度飛行長に敬礼をすると医療所があった場所に歩いて行った。敵機の投下した千ポンド爆弾は狙ったわけではなかったのだろうが見事に壕の中央に命中して壕を粉砕していた。百人を越える隊員が泥やコンクリート片を取り除いて潰された壕を掘り返して救助作業を行っていたが、泥の中から掘り出されるのは巨人が踏み潰したかのように折れ曲がった鉄製寝台や医療器具と引き裂かれ押し潰され、そして焼け焦げた肉塊や人の手足だった。
私はしばらくその場に立って作業を見つめていたが、司令部の伝令が待機所に戻るよう伝えに来たのを潮時にその場を離れた。私は小桜が惨い姿で発見されなかったことに内心安堵していた。待機所に戻ると今戻って来た紫電が待機線に引き込まれて弾薬と燃料の補給が始まっていた。両脚を踏みしめて待機する戦闘機は体を低くして今まさに敵に飛びかかろうとしている獣のように見えた。
『今度出たらこいつと一緒に死のう。もう何も思い残すことはない。』
私はついさっき性能の限界を超えて高瀬を葬り去った敵機を追撃してくれた紫電を見つめながら力みも何もない素直な気持ちで思った。これまで心の中に常にまとわりついていた葛藤がきれいさっぱりと消えていた。死ぬべき理由も何も考えなかった。ただ押し寄せる敵機と戦って戦って戦い抜いて、自分の義務を果たして死ねればもうそれで思い残すことはなかった。私は待機所に戻って椅子に腰を下ろした。そこに島田一飛曹が近づいてきた。
「分隊士、死ぬ気ですね。」
島田一飛曹は私のそばで耳打ちした。
「それは神が決めることだ。今の俺にできることはただ命の続く限り精一杯戦うこと。」
私は前を見つめたまま島田一飛曹に答えた。島田一飛曹はそれ以上何も言わなかった。待機線には十数機の紫電が並んでいた。それが部隊の稼動全機だった。しかしもう彼我の戦力などは全く気にもならなかった。私は前を見つめたまま時を待った。発進待機がかかった。私は腰まで下ろしていた飛行服を引き上げると手袋をつかんで紫電に向かった。
「異常ありません。」
整備兵が敬礼をしながら申告したのに答礼をして答えると操縦席に乗り込んだ。すぐに発進の青旗が振られた。
「第二小隊長から各機、生死を省みず徹底的に敵を撃墜せよ。」
私は列機に激を飛ばすと滑走を始めた。高度を四千に取って待ち構えているところにP三八が三十機ほど飛び込んできた。第一小隊はこれに向かったが、私は高度を上げながら護衛のP五一を狙った。自らを囮にして敵機に身を晒し、それを狙って上空から降ってくる敵機を緩横転でかわしながら降下していく敵機を追った。敵の機銃弾が何度も機体を取り囲んで流れて行ったが、私はまるで意にかけなかった。また敵機を捉えると後ろに敵がいようが、構わずに照準器で捉えた敵を追撃しては射撃した。
護衛のP五一が去ってしまうと、今度は低空を引き上げていくP三八を捉えようと降下攻撃をかけた。そうして機銃弾がなくなるまで攻撃を繰り返したが、機体に何発かの敵弾を受けただけで重大な損傷を受けることもなく基地へと帰還した。
機体から降りると私は滑走路脇に咲いていた花を何本か摘み取って直撃弾を受けた診療所壕に向かった。そして爆撃で抉り取られた大地の淵にその花を置くと大きく口を開けた大地の穴に向かって敬礼をした。
『すぐに君や高瀬のそばに行く。』
心の中で一言つぶやいた。それがほんの数日だったが夫婦として暮らした小桜への暫しの別れの挨拶のつもりだった。他に言うべきことは何もなかった。その晩は宿舎には戻らず、私は待機線に置かれた紫電の翼下で夜を明かした。そして短い夏の夜が明けきらないうちから起き出して機体の整備を始めた。整備員を急き立てて燃料と機銃弾を補給させ、発動機を入念に整備させた。
Posted at 2017/09/01 23:37:16 | |
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小説2 | 日記