2018年08月20日
今日は京都に来た。バイクでも良かったんだけどエンジンの調子が悪いんで日寄って新幹線にした。何がしたかったわけでもないが、本能寺跡から妙覚寺跡、信長さんが作った二条城跡、同じく将軍足利義昭のために作った二条御所跡を歩いてみた。信長さんが一体何を目指していたのか、そんなことを考えてみた。信長さんと言うと超過激な英雄のように言われるが、実際にそうだったんだろうか。まあ日本史上、比類ない天才戦略家の考えたことを凡才が辿っても分からんけどそれなりに思うところもあるかもしれない。
ついでに、ついでと言ったら叱られるかも知れないが、京都御所も見てきた。なかなか立派だけど天皇陛下が退位して京都に住むなら新しく隠居御所を建てないと暮らせないだろう。警護も大変だろうし、無理だろうなあ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/08/20 22:36:28 | |
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歴史 | 日記
2018年05月23日
京都と言う街は中学校の修学旅行で「奈良・京都研修旅行」とか言って回らされた。そのときは寺や神社ばかり見せられて「これほどつまらん街があるのか」と思った。何とかの誰々が作った茶室などと言っても当時はホームレスの小屋くらいにしか見えなかった。今も基本的には変わりはないが、・・。
仏像と言ってもどれもこれも同じようなものばかりで食傷気味で「なんでこんなに寺や神社があるんだろう」くらいしか思わなかった。その後、長い間、京都はつまらない街の代表のよう思ってきたので敢えて行こうという気にはならなかった。
ところが最近はよく京都に行く。別に年を取って寺に縁ができたわけでもないし、ありがたい仏像を拝めば極楽浄土に行けるなどとは夢にも思っていない。「あれは木と金でできているんだ」と言う信長さんの言葉に強く同意してしまうような不信心ではある。
京都に足を運ぶようになったのは信長さんの影響で本能寺などを見てみたくて京都に行き始めた。京都の街を歩いてみると確かに神社仏閣が多いが、それにも増して「ここで誰それが殺された」「ここに誰それが幽閉されていた」なんて場所が山ほどある。やはり京都と言うのは1300年間日本の首都であり権力の中心であったんだなと思わせる。
京都は有名な神社仏閣を訪ねるのもいいのかもしれないが、それよりも街の路地裏をぶらぶら歩いてみるととても興味深い。京都と言う街が普通の街とはちょっと違う街だったんだと言うことがよく分かる。京都を南北に縦断しても2時間くらいじゃないだろうか。まあ全部歩いてみなくてもバスや地下鉄を使ってみてもいい。とにかく路地裏から路地裏へと歩いてみると様々な歴史の発見がある。
京都に寺社仏閣が多いのも理解ができる。1300年の長きにわたる様々な権力争いの中でそれに敗れて非業の死を遂げた大勢の者たちが祟らないようにとそれぞれ死んだ人間たちを祭る神社仏閣を立てまくったからで別に後世に文化を残そうとしたわけでもないようだ。何しろ自然災害や病気の流行、その他、凶事はすべて祟りになってしまうのだから神社仏閣などいくらあっても足らなかっただろう。
「歴史と文化の街『京都』」と言うが、歴史は間違いない。ただ、文化は半分くらい、あるいはもっと、・・怪しい。もっとも人間の権力志向と闘争本能もある意味文化かもしれないのでそうするとそれも当たっているんだろう。
京都と言う街は日本の都としての雅で華やかな部分とそこで繰り広げられた権力をめぐる暗闘の歴史と言う二面性を持っている。そしてその闘争の果てに男たちの、あるいは一部の女性も、野望の残骸がそこここに見えるのも興味深い魅力ではある。最近はそう言うことが見えてきたので京都に行くのかもしれない。
京都の雅な部分よりもそうした暗いドロドロした部分に焦点を当ててみてみるのもいいかもしれない。京都、ちょっと他にはないなかなか面白い街ではある。最近はそれが分かるようになってきた、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/05/23 13:53:34 | |
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歴史 | 日記
2018年05月21日
今日は下賀茂神社から始まった。ここも本能寺ホテルで下賀茂神社の参道を信長さんが行列で進んでくる。確かに近代的な人工の構造物がないので時代劇は撮り易いかもしれない。そこから京都駅の方に南下して御所を見たり、宮川町や八坂大通りを見たりしながら東寺方向に歩いてみた。
御所と言うのは天皇の宮殿で皇室的には京都が首都だから日本の首都は京都と言っても間違いとは言えない。今は一般に公開しているそうだけど月曜は休みだそうだ。皇宮警察の、正式には皇宮護衛官と言い、警察官ではないが、おまわりさんが立っていた。
京都の信長さんの関係は本能寺くらいなので東寺で何とか市をやっていると言うので見に行ってみた。ものすごい数の露店が出ているが、要は大規模がらくら市のようなものでこれと言ったものはなかった。東寺と言うのは五重塔が目立つが、彫刻類にも国宝が目白押しでなかなか壮観ではある。
京都と言う街は名所旧跡もいいのだろうけど路地から路地へと歩いて見るのが面白い。アッと驚くようなものがあるし、また興味深いものもある。御所の蛤御門などもハチの巣のように弾痕が残っている。京都は歴史と文化の街とか言うが、権謀術策渦巻く権力闘争と野望の残骸の街でもある。歴史と文化よりもそっちの傾向が強いかもしれない、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/05/21 22:50:13 | |
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歴史 | 日記
2018年05月21日
京都というところは街の中をあてもなくぶらぶら歩いていると様々いろいろ面白いものに出会う。まるで男たちの野望の残骸の捨て場のようなところではある。今日は本能寺ホテルのロケに使われた妙心寺、そこからぶらぶら歩いて建勲神社、更にずっと下がって本能寺跡、まあその間、適当に目に入るところを訪ねてはみた。野望の残骸とは言っても残骸でも残せればそれはそれで幸せかも知れない、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/05/21 22:46:14 | |
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歴史 | 日記
2018年03月19日
今日は今宮神社のあぶり餅を食ってから神護寺に行って来た。今宮神社のあぶり餅は神社に向かって左側のお店の方が現代的な味付けで右側のお店はオリジナルの味を保っているとか。今時の人には左側のお店の味が合うけどオリジナルの味は右側なんだそうだ。そんなわけで右側の店の餅を食ってみた。砂糖味噌味で確かにちょっと古風かもしれないが、まあそれなりにうまい。本能寺ホテルでは婚約者とその高校時代の友人とか言うのは左側の店から出てきていたな。
足がなくて面倒なのでそこからタクシーで神護寺まで行って来た。小浜に抜ける道を山の中に入ってしばらく走ったところで石段をけっこう登らないと寺には着かない。紅葉の時期は人でごった返すそうだが、平日だし、桜も咲いていないので人はほとんどいない。
「本能寺ホテル」で信長さんと胴長姉ちゃんが、「やりたいこと」について話をする場面が本堂に通じる石段だが、がらんとしていてほとんどイメージがわかない。戦国時代の街のセットを作ってエキストラを何十人も使って何日もかけて撮影したそうだ。
まさかあんな山の中の寺で撮影しているとは思わなかったが、考えてみれば街場では余計なものが画面に入ってしまうので時代劇を撮るのは難しいんだろう。他にもあちこちで撮っているようだけど彦根や岡山、神戸など回れないのでこれにて打ち止めとしておいた。またそのうちに機会があったら行ってみようか、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/03/19 23:23:37 | |
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