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2017年02月05日 イイね!

罰当たり坊主ども、信長さんの死に大喜びとか、・・。




◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる

愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。


文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。

 
その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。

 
詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。

 
信長が1579年に築いた安土城に触れ「天守は(高さ)百尺(約30メートル)」「苦役で民が汗を流し、ぜいたくな城を築いた」と解釈できる部分もあった。信長の比叡山焼き打ちにも言及していた。

 
島田教授は2014年に高崎住職から依頼を受け調査を進めていた。島田教授は「信長が仏教界から尋常ではないほど恨まれていたことが伝わってくる」と話した。




やかましい、坊主ども、日本史上、不世出の天才に何を言うか。でもまあ、キリスト教を庇護して、一向宗は徹底的に弾圧したし、比叡山は焼き討ちしたし、恨まれるかもしれない。でもなあ、信長さんは対抗勢力としての宗教団体をせん滅しただけで宗教活動それ自体は何ら規制はしていない。まして住民を弾圧など一切していない。織田家の財政は年貢としての米よりも商業などを通じて上がって来る利益に負うところが大きかったようだ。楽市楽座で誰でも自由に商売ができるように努め、関所を排して道路や橋を整備して物流を円滑にするなど非常に近代的な商業政策を取っていたようだ。信長さんの政策と言うのは中世から近世を飛び越えて近代に至るような革新的な政策だった。信長さんは不世出の天才戦略家だったが、神ではないので人として欠点もあっただろう。それでも旧来の体制を一新して新しい世の中を作ろうとしたことは大いに評価できる。ただ旧来の体制に乗って保身を図ってきた旧勢力にはそれは評判は悪いだろう。光秀さんも旧勢力の信奉者だったので信長さんの政策が理解できず自身や一族、家臣などの身分の保証も得られないことから不安に駆られて謀反を起こしたのだろう。あの謀反には黒幕や同調者などはいない。光秀さんと家臣が組んで身の保身のために起こしたことだと思う。信長さんが何をしようとしていたか天才の考えることは想像がつかない。ただ、仮にあと10年か15年生きていたら日本は近世を飛び越えて近代へと進んでいたかもしれない。信長さんと言う人は自身にも家臣にも極めて厳しく過酷だったそうだが、身近に仕える者ほどその魅力に心酔したと言う。本能寺でも小姓から小物に至るまで誰一人逃げようともせずに信長さんを守ろうとして圧倒的な明智軍と戦って死んだと言うからやはりそれだけの人間的魅力があったんだろう。分かったか、坊主ども、不届き千万である。
Posted at 2017/02/05 12:48:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年12月01日 イイね!

三成くん、再評価で大人気とか、・・。




滋賀出身の戦国武将として再評価が高まっている石田三成を顕彰するため、彦根、米原、長浜3市で開いた「MEET三成展」が30日、閉幕した。来場者数は3カ所で計7万8千人を超え、キャラクター三成くんやひこにゃんが、引き続き三成をもり立てていくことを確認し合った。
 

同展は、3市でつくるびわ湖・近江路観光圏活性化協議会が主催。5月14日から、彦根城開国記念館(彦根市)と観音寺(米原市)、湖北観光情報センター(長浜市)の3カ所を会場に展示などを行ってきた。
 

この日は、3会場でひこにゃん、三成くん、ホタルンのキャラクターが「大一大万大吉」の旗をリレーし、顕彰活動を続けていくことを確認し合った。
 

同協議会によると、期間中の3カ所の総入場者数は7万8623人。プレオープンとして4月29日から開催した開国記念館の入館者は6万47人で、前年同期の2・4倍となった。




正統とされる歴史は権力者の手によって作られるので権力者に都合がいいように事実が歪められている。最近では「明治維新」がその最たる例だろう。ただのクーデターで先に幕府がやっていたことを後取りしただけなのに大改革をしたように喧伝している。あの時代、ちょっと気の利いたものが見れば誰でも国を開いて産業を興す以外にはないと思うだろう。そんなことは坂本龍馬や西郷隆盛の専売特許ではない。大体尊王攘夷運動など今で言えばテロリズムそのものだろう。


まあ、それはそれで三成くんも家康タヌキによって悪者にされた被害者で豊臣に忠義を尽くした生真面目者だった。ただ、その場だけでも清濁なんでも併せ呑んでみせると言った政治力ではタヌキに遠く及ばなかった。秀吉くんも三成くん、大谷くん、小西くん辺りにもっと大きな領地を与えて宇喜多くんと合わせて200万石くらいの対タヌキ包囲網でも構築しておけばよかったのに、・・。先月、米原・長浜に行って三成くんの実家跡など見てきたが、神様に化けたタヌキとはなんと差があることか。歴史には多面性がある。ある一面だけを見て真実と思い込むのは早計だろう。様々な角度からその時代を見て判断しないといけない。あ、大谷くんや小西くん、そして宇喜多くんも評価してやってくれ。
Posted at 2016/12/01 11:41:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年11月17日 イイね!

織田信長(11)




信長さんは残虐非道な魔王だったのか。信長さんの経歴にはあっちで何万人を虐殺したとかこっちで寺を焼き払ったとかそういうたぐいの話が多い。社会の支配体制の変革を目指していたので旧体制の破壊者とも言われた。確かに比叡山を焼き討ちしたり一向一揆をせん滅したりしてはいるが、それはあくまでも抵抗勢力として存在している武力集団をせん滅したのであって何ら無抵抗の人民を殺戮したわけではない。比叡山に対しては事前に何度も説得を重ねたがこれを聞き入れなかった結果であり、せん滅した後の活動について何ら制限は加えていない。


一向一揆に対しても厳しい対応をしているが、信仰で刃向かってくるものに対して説得工作は通用しないと言うことを理解していたのだろう。そうしたものに対しては徹底的にせん滅する以外にはないと言う軍事的合理性が働いたのだろう。また、信長さんは親族間での血で血を洗う骨肉の争いを経て尾張の支配を確立しているが、信長さんは親族や近親者に対しては深い情を示しているところがある。謀反を企てた信勝も一度は許しているし、自分をあまり顧みなかった母親も高額な生活費を与えて自由にさせていたようだ。そんな信長さんだから自分の親族や配下の武将を多数殺害した一向一揆には復仇と言う思いがあったのかもしれない。


信長さんの他人に対する対応は極めて分かり易い。自分の近親者、付き従うものには非常に情が厚い。逆に裏切ったものや反抗する者に対しては苛烈な対応をする。浅井一族などはその例だろう。ただ、いきなりではなくて何度も説得しているが、概ね3回でせん滅へと舵を切っていたようだ。また結んだ盟約を自分から破ったことも一度もないと言う。


信長さんは非常な自信家であったと言うが、世間の評判を気にしていて常に正義を通すことに腐心したと言う。要するに是は是、非は非がはっきりした人だったと言うことだろう。ただ、秀吉くんや家康タヌキなどは自分の都合が悪いことを信長さんに押し付けているところもあるようだ。


タヌキが長男の信康君を信長の命で切腹させたと言うが、実際は自分に従わない長男を排除するために自分でやったことのようだ。ただ、タヌキが神様に化けた後で「そりゃまずいだろう」と言うことになって信長さんの命令だったとしたようだ。実際はタヌキ自身が信長さんに伺いを立てているらしいが、「あんたの家のことだから好きにしたらいいんじゃないの」と言う意味で「是非に及ばず」と答えたと言う。


信長さんは天皇を排して自分が日本の王になろうとしたとか髪になろうとしたと言う話もあるが、信長さんは朝廷が軍事的・経済的には無力ではあるが日本の社会では隠然たる力を以って頂点に君臨していることは知っていた。それをうまく利用しようと言うつもりはあったかもしれないが、自分がその地位にと言うことはないだろう。大体、そんなことにそれほどの興味を持っていなかったのではないだろうか。


安土城の本丸に清涼殿と同じ御殿を建てて自分の足下に天皇を住まわせようとしたと言う話もあるが、仮に天皇が安土城に行幸したらその間は信長さんは天主を降りて二の丸の信忠君の屋敷にでも移っただろう。


また総見寺に大石を置いて自分の代わりにご神体として拝めと言ったことから神になろうとしたのではと言うが、もともと無神論者の信長さんが神になろうとしたとは思えない。ただ、宗教の持っている人心掌握力というものはいやと言うほど知っていただろうから人心掌握のためのテストケースとしてやってみたのか、あるいは「この世に存在もしない神仏などを拝むよりも間違いなくこの世に存在して実利をもたらしてくれる俺を拝めばいいじゃないか」という半分ジョークのような気持ちもあったんじゃないだろうか。


なにしろ比叡山焼き討ちを思いとどまるよう強く進言した光秀さんを「仏像と言うのはな、木と金でできていることを光秀に教えてやらないといけないな」と言ったそうだからまさか自分がその木と金になろうとは夢にも思わなかっただろう。まあ、戦国時代は戦に勝てば負けた方をなで斬りにしたり領民を奴隷として売り払ったりそんなことは日常茶飯事として行われていた時代なので信長さんだけが残虐非道な魔王と言うわけではないだろう。また、そのやり方は部下には信賞必罰、謀反にはまず説得、聞き入れない場合はせん滅と言う分かり易いルールがあったように思う。

Posted at 2016/11/17 12:44:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年11月16日 イイね!

主家を支えようと孤軍奮闘するも力尽きた三成くん




先日、滋賀県長浜市の石田郷に石田三成くんの実家を見に行ってきた。長浜の市街地から東の外れに今は石田会館となっている三成くんの実家跡がある。その近所の八幡神社の裏手に石田家の墓があるが、ここは昭和まで墓が破壊されて埋められていたらしい。


八幡神社も小さなもので墓もその裏手にひっそりと建てられているが、きれいに手入れされている。家康タヌキは東照神君などと神様になって日光東照宮に祭られているが、忍耐強いのが取り柄のケチで人を化かすのがうまかったタヌキがどうして神なんだろうか。ふざけた話ではある。


三成くんの活躍した時代は戦国の末期で各大名は自分の身の保全のみを目的として動いていた。秀吉君が死んで気位ばかり高いおバカな淀さんと幼少の秀頼くんで傾きかけた豊臣よりは250万石を有する大大名の家康タヌキ船に乗り換えようとする大名が多い中で一人傾きかけた豊臣家の屋台骨を支え続けたのが三成くんだった。


ただ、事務的で冷淡そうな、実際は決し得そうではなかったようだが、その性格が災いしてなかなか味方が集まらなかったようだ。特に加藤、福島、浅野、黒田など秀吉子飼いの大名どもは三成くん憎しでタヌキに加担したが、とんでもないバカな奴っぱらではある。


加藤、福島、黒田など危ない筆頭は結局取り潰されて家は残らず、浅野は幕末まで残ったが、本来であれば豊臣のために戦って家を安定させてから、「おい、三成、お前の態度は何だ」と言うのが筋だろう。そんな腰が引けたおバカばかりの秀吉君子飼いの大名どもの中で、宇喜多、小西、大谷など少しは男気のある大名が集まってタヌキに対抗しようとしたが、総大将の毛利はこれも腰が引けて大阪に腰を据えてしまい、小早川などの裏切りも出て関ケ原で大敗してしまった。


大谷くんなどは、「タヌキは年が行っているのでもう少し待てば死ぬだろう」と説得したと言うが、待っていても徳川の支配体制が固まるばかりで三成くんなどは真っ先に因縁をつけられて切腹、家名断絶になってしまっただろう。三成くんもそれは分かっていたのだろうし、大谷くんもそう言われて三成くんに加担する決心をしたのかもしれない。


だから関が原が豊臣再興の最後の機会でそのために少なくともタヌキに対抗し得る勢力をまとめ上げたのは立派と言えるが、義だけでは利には勝てなかったと言うことだろう。その後はタヌキに大悪人にされたが、徳川光圀は「主君に一筋に仕えた忠臣」と称えている。


大体、家康タヌキなど信長さんがいなければ今川の使い走りで終わっていただろうし、あるいは武田に食い潰されていたかもしれない。秀吉君も朝鮮征伐などしていないで何でもいいから因縁をつけてタヌキをタヌキ汁にしておけば豊臣も食われなかったのにねえ。


滅んで行くものは見ているとやはりそれなりの理由があるのだが、三成くんはあまりにも直球勝負過ぎてタヌキの化けの皮を剥ぐことができなかったんだろうし、人を引き付ける人望も足りなかったのだろう。戦も下手と言われたが、6千の軍勢に大砲などを装備して最後の最後まで東軍の攻撃に耐えて戦場に踏み止まったと言うので戦下手でもなかったのだろう。それとも主君を支えようとする一念がそうさせたのだろうか。


三成くん、人としてはあまり面白味はないが、ただ一筋に主家を支えようとしたその滅私奉公は立派だと思う。遺体は京都の大徳寺に葬られていると言う。

Posted at 2016/11/16 16:34:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年08月05日 イイね!

豊臣秀頼に生き残る道はあったか。(番外編)




秀吉君が死んだ後の豊臣氏に生き残る道はあったのかと思うとまずなかったと言うのが正直なところだと思う。秀吉君は晩年は自分の権力の向上ばかりに意を用いて政権の安定を図らなかった。




元々、親族も少なく、譜代の家臣もいない政権基盤の弱い豊臣政権だから石田、大谷、加藤、福島、浅野などの子飼いを固めて大きな領地を与え、家康タヌキに備えるか、元気なうちに何でもいいから難癖をつけても家康タヌキをつぶしておくかすべきだっただろう。




秀吉君が権力志向が強かったのは頭の中に常に超すに超せない信長さんがいたからだろう。最も危ない敵に250万石も与えて自分の死後を頼んだのはやはりこれと言う人物がいなかったからだろうか。秀次君に継がせておいたら豊臣はしばらく続いただろうが、秀頼君の出番はなかっただろう。




秀吉君の死後、家康タヌキはせっせと豊臣政権の簒奪を開始する。それに気づいた三成君はこれを止めようと躍起になるが、なんと言っても本家本元の淀さんが世の中を何も見ていないのではどうしようもない。また、側近は凡人ばかりでこれまた頼りにはならない。俗に秀頼君は三成君の子とか言うが、そんなに淀さんと三成君が親しければ歴史は変わっていたはずだ。




豊臣氏が復権する最後のチャンスは関ケ原の戦い、ここで毛利辺りに後見をさせて秀頼君を関ケ原まで押し出して家康タヌキと戦わせるか、せめて影武者と千成瓢箪の馬印だけでも押し出すとかすれば、あの戦いの帰趨は全く変わっただろう。関ケ原の敗戦で宇喜多、小西、石田、大谷などの親豊臣勢力が壊滅してもう豊臣に生き残る道はなくなった。




最後の最後に乾坤一擲、家康タヌキと刺し違える機会は大坂冬の陣でここで大砲の弾くらいでガタガタしないで邪魔な淀さんなどは地下壕にでも幽閉しておいて決戦を寒中の2月末辺りまで引っ張っておいて一気に家康タヌキの本陣に向けて攻撃をかければあるいは首くらいは取れたかもしれない。




徳川方は20万の兵力を野外に留め置いていたが、食料事情など兵站補給は相当に悪かったようだから家康タヌキも和睦を急いだのだろう。しかし、和睦と聞いて豊臣方は誰もが驚いたと言うが、味方が苦しい時は敵も苦しいので戦いでちょっと苦しくなったからと言ってすぐにへこたれていたら勝機などつかめるはずもない。ただ、豊臣方には家康タヌキに内通しているものが大勢いたと言うので相当に秘密保持を厳格にしないとこれも難しいだろう。




最後の最後は夏の陣、もうどうにもならない状況ならとにかく全軍が一丸となって家康タヌキの本陣へ突撃してタヌキの首を取ることだけに専念する。真田勢だけであれだけできたのだから残存全軍が突撃すればタヌキの首くらいは可能だったかもしれない。




ただ、いずれにしても秀頼君本人が陣頭に立つことが絶対条件であるが、結局一度も前線に出なかったと言うからやはり滅びるべくして滅んだのだろう。豊臣滅亡に一番貢献したのは淀さんでこの女がしゃしゃり出なければ、あるいはもっとしっかりと世の中の成り行きを見て秀頼君を一人前の武将として育てていればまた少しは違ったかもしれない。




秀頼君はなかなかの名君だったと言う話もあるが、ここと言う時に一度も前線に立たないと言うことはそれだけで名将の資格に欠ける。おっかさんが止めようが、誰が止めようが、男は命を懸けなくてはならない時がある。一軍の将ともなればましてのこと、それがおっかさんと一緒に城の奥にこもっていたのではやはり豊臣に生き残る目はなかったのだろう。


Posted at 2016/08/05 15:38:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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