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2025年07月30日 イイね!

太平洋戦争開戦は正しい決断だったか、(--〆)。

太平洋戦争開戦は正しい決断だったか、(--〆)。太平洋戦争終戦から今年で80年だそうだ、(--〆)😠🤬👿。太平洋戦争は日本と米国に限れば西太平洋と中国、東南アジアの覇権を巡る戦争でどっちが正しい、間違っているもない戦争だった、(--〆)😠🤬👿。ただ当時の日米の国力を考えると何をどうしても勝てる戦争ではなかった、(^_^;)😅👿。

国の総合力ではどれほど低く見積もっても米国は日本の10倍以上、粗鋼の生産量は日本の20倍、石油🛢️の産出量は日本の600倍、工業技術力でも米国は日本の先を行っていて航空機のエンジン、プロペラ、燃料、オイルなどは米国の技術を導入、あるいは米国から購入していた、(^_^;)😅👿。その他のアルミニウム、タングステン、錫、マンガン、亜鉛、ニッケルなどの戦略物資の80%以上を英米圏に依存していた、(^_^;)😅👿。

その英米にケンカを売るということは理解ができないが、陸軍は主戦派が多数を占めていたし、海軍も短期決戦講和路線を主張する者が大勢を占めていた、(--〆)😠🤬👿。陸軍にも「米国と戦っても勝てない」と認識している理性派もいたし、海軍にも非戦派はいたが、主戦派に押し切られてしまった、(^_^;)😅👿。海軍は早期に米国艦隊を撃破して有利な条件で講和を目指したが、緒戦の勝利に勢いづいて作戦目的を統一できないままミッドウェー海戦で敗退、その後米豪分断を目指してソロモン方面に進出するが、ここで一大消耗戦に引き込まれて国力をすり潰して戦力に大差がついて敗戦が決定的になった、(^_^;)😅👿。

昭和19年以降の戦闘は米軍の残敵掃討戦で対等の戦闘ではなかった、(~_~;)😅👿。陸軍は島嶼戦闘で戦力の増強や兵站補給に苦しんで敗退していった、(~_~;)😅👿。陸軍師団の火力は米軍師団の1/3程度で戦車戦力や火砲の性能も劣っていて対等に戦えるレベルではなかったそうだ、(~_~;)😅👿。戦争末期には制海権、制空権の喪失によって海外から国内に物資を搬入することができず全ての資源物資が欠乏してまともに航空機を飛ばすこともできなかったそうだ、(^_^;)😅🛩️👿。

最後は広島と長崎に原爆が投下されソ連が参戦して万事休した、(--〆)😠🤬👿。米国が日本に原爆を投下したのは戦争の早期終結のためではなく莫大な予算を費やして開発した新兵器の威力を試したかったからでドイツに投下するという案もあったそうだが、「ドイツ系米国人の反発を引き起こして国内が混乱するし選挙で負ける可能性があるが、好戦的な黄色いサルの国なら構わないだろう」ということだったそうだ、(--〆)😠🤬👿。

開戦前に陸軍から海軍に「海軍が戦えないというなら陸軍も引くがどうか」と内々に打診があったとか、(^_^;)😅👿。しかし対米戦に莫大な予算を費やしてきたので「やれない」とは言えなかっただろうし、また国内の混乱😖の責任を取らされることや陸軍に政治的主導権を握られることも抵抗があったのだろう、(--〆)😠👿。当時本当に国のことを憂えていたのは昭和天皇と一部の側近だけで国家の指導的な立場にあった者は国家国民二の次、三の次で自分が所属する組織と自分自身のことしか考えていなかったのかもしれない、(--〆)😠🤬👿。

「国家の誇りを捨てるよりも一戦交えて滅んだ方が後世に有意」と唱える者もあったが、やはり臥薪嘗胆、艱難辛苦に耐えても引くべきところは引くべきだっただろう、(--〆)😠🤬👿。日本は明治以降急速に発展して世界の大国と言われるまでになったが、それは日本の実力というよりも周囲の状況の変化が日本を押し上げただけで日本の権力者はその辺りを正しく理解してはいなかったのかもしれない、(--〆)😠🤬👿。

国内経済の困窮が日本を外征へと向かわせたが、ある海軍士官が言ったように「軍艦を派遣して資源をぶん取ってくるなんて海賊🏴‍☠️のようなことは止めて軍艦を作る金で買ってくればいい」という正論を尊重すべきだったのだが、それができなかったことは日本にとって不幸なことだった、(--〆)😠🤬👿。


Posted at 2025/07/30 22:02:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2025年07月13日 イイね!

大和型戦艦の防御力はどの程度だったのか、(--〆)。

大和型戦艦の防御力はどの程度だったのか、(--〆)。世の中に不沈艦と言われた戦艦は第二次世界大戦前に建造された「英国🇬🇧のキングジョージ級、ドイツ🇩🇪のビスマルク級」など様々あるが、実際に不沈であった戦艦はない、(・_・;)😅👿(^_^;)。大和級戦艦の設計者は「この世の中に不沈艦などはない。ただできるだけ沈み難い船を造る」と言っている、(^_-)-☆😉(^_^;)。

ではどのくらい沈み難い船だったのかと言えば「魚雷1本を被雷しても応急注排水装置で5分以内に傾斜を復旧して戦列に戻れる。魚雷2本から3本を被雷しても基地まで帰投できる。」程度の沈み難さだったようだ、(^_-)-☆😉👿。また敵戦艦からの砲弾については「1、2発なら戦闘を継続できる。3、4発でも基地まで帰投できる。」程度だそうだ、(^_-)-☆😉👿。

大和型戦艦設計当時は航空機はまだまだ脅威とは認識されていなかったが、航空攻撃に当てはめれば魚雷は潜水艦や駆逐艦からのものが当たるし、爆撃は大角度で落下してくる敵戦艦の砲弾が該当するだろう、(--〆)😠👿。「砲弾は1、2発程度なら戦闘継続が可能、3、4発でも基地まで帰投可能」という程度なので魚雷3本程度、爆弾数発程度なら何とか頑張って帰投できるという程度の防御力だったのだろう、(--〆)😠👿。

また大和型戦艦は味方の制空権下での戦闘を基本としていて制空権を失った状況で戦うなど考慮されてはいなかった、(--〆)😠👿。就役時の大和型戦艦の対空火器は高角砲連装6基12門、機銃3連装12基36門で艦橋に13ミリ連装機銃が2基装備されていた、(--〆)😠👿。しかし米軍の航空攻撃が激しくなるに従って対空火器が増設されて沖縄海上特攻時には高角砲連装12基24門、機銃は3連装、単装合わせて150門にもなっていたという、(--〆)😠👿。

それでも高速化する米軍機を捉えるのは困難だったそうだ、(--〆)😠👿。しかし米軍側からすればシャワーのように撃ち上げる対空砲火の中に飛び込んで行くのは恐怖だったそうだ、(--〆)😠👿。日本海軍は主力対空火器として25ミリ機銃を多用した、(--〆)😠👿。これはフランス🇫🇷のホチキス社製の機銃をライセンスしたもので有効射程は1000メートルから1500メートル程度で海軍はこれを「威力不足」とか言うが、陸戦では軽装甲車両などはガンガン撃破したそうで米軍から恐れられたそうだから航空機相手に威力不足はないだろうが、射程が短く敵機に有効弾を与える時間が短かったのだろう、(--〆)😠👿。米軍のように高角砲と機銃の間を受け持つ中口径火器があれば効果が上がったのではないかという、(--〆)😠👿。

海軍が多用した40口径12.7センチ連装高角砲は高速化した米軍機を捉えるのは困難だったようだ、(--〆)😠👿。大和型戦艦の基本設計は「味方の制空権下で敵主力艦と砲撃戦を行うのが主任務で魚雷1、2本、敵弾1、2発なら戦闘継続可能、魚雷3本、敵弾数発を被雷被弾しても基地まで帰投可能」という程度で数百機の航空機の波状攻撃などは全く想定外だった、(・_・;)😅👿(^_^;)。

ドイツの戦艦ビスマルクは航空攻撃で舵を破壊された後に英国戦艦群の集中砲火で撃沈された、(・_・;)😅👿。英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズは日本海軍の航空攻撃で撃沈された、(・_・;)😅👿。イタリア戦艦🇮🇹ローマはドイツ空軍のミサイルで撃沈された、(・_・;)😅👿。米軍の戦艦で真珠湾攻撃以降撃沈されたものはない、(--〆)😠👿。魚雷で損傷したものや特攻機の突入で損傷したものはあるが、特攻機の突入速度で250キロ爆弾を叩きつけても戦艦の装甲は破れなかった、(--〆)😠👿。

日本海軍には何百機の正規の攻撃機を向けるような戦力は残っていなかったが、仮にそれだけの戦力があれば米軍の戦艦も間違いなく撃沈されただろう、(--〆)😠👿。大和型戦艦は魚雷3、4本、砲弾、爆弾なら数発を被弾しても基地まで帰投できる程度の防御力を有していたが、延べ1千機にもなる航空機の波状攻撃に耐えるようには設計されてはいなかった、(--〆)😠👿。それでも極めて沈み難い船であったことは間違いない、(--〆)😠👿。


Posted at 2025/07/13 10:58:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2025年07月13日 イイね!

大和型戦艦は無用の長物だったのか、(--〆)。

大和型戦艦は無用の長物だったのか、(--〆)。戦艦大和を無用の長物とか時代錯誤の役立たずとか言う向きもあるが、大和の建造が決まったのは昭和12年で航空機は急速な発達を遂げてはいたが、まだまだ主戦兵器は戦艦だった、(^_-)-☆😉👿。だから貧乏で数を頼めない日本が米国と張り合うには性能で凌駕するしかなかった、(^_^;)😅👿。

そこでこれまでの主力艦の主砲よりも2インチ口径の大きい18インチ砲を採用して米国の主力艦をアウトレンジして撃破することを計画して大和型戦艦の建造に踏み切った、(^_^;)😅👿。大和型戦艦は基準排水量6万4千トン、満載排水量7万3千トン、18インチ砲9門(3連装砲塔3基)を備えた防御力の高い世界最大の戦艦だった、(^_-)-☆😉👿。

その後航空機が急速に発達して主戦兵器の座を航空機に譲ったが、それでも強力な攻撃力と強固な防御力を備えた戦艦は有力な兵器だった、(^_-)-☆😉👿。太平洋戦争前半は空母機動部隊が主戦兵器として戦い戦艦はその護衛艦となったが、大和型戦艦は速力がやや低いということで空母機動部隊には加わらなかったが、戦闘に参加するには莫大な燃料が必要なことと最大の主力艦を傷つけたくないという考えもあったのだろう、(~_~;)😅👿。

もしも本当に大和型戦艦を使うなら米軍の航空戦力がさほど強大になっていなかった戦争前半期だったのだが、(・_・;)😅👿。特にガダルカナル島攻防を巡るソロモン方面の戦闘に投入すれば大きな戦力になっただろう、(^_-)-☆😉👿。

大和型戦艦が戦闘に投入されたのは昭和19年6月のマリアナ沖海戦からだが、この頃には米軍の空母機動部隊の戦力は強大になっていてその前では何者も存在し得ないような状況だった、(・_・;)😅👿。昭和19年10月のレイテ沖海戦では同型艦の武蔵が魚雷20本以上、爆弾10数発を受けて撃沈された、(・_・;)😅👿(^_^;)。大和も爆弾数発を受けて損傷している、(・_・;)😅👿(^_^;)。

そして昭和20年4月、大和は沖縄海上特攻に駆り出されて延べ1千機という米軍の航空攻撃を受けて魚雷10本以上、爆弾数発を受けて撃沈された、(・_・;)😅👿(^_^;)。大和型戦艦の特徴は世界最大の主砲とその強固な防御力で魚雷20本の被雷に耐えた戦艦は存在しない、(--〆)😠👿。大和は左舷に9本以上の魚雷を受けてバランスを失って転覆したが、それでも多数の航空攻撃に2時間半も耐えている、(--〆)😠👿。

大和型戦艦の欠点は装甲が船体にリベット止めされていて魚雷を受けるとその衝撃でリベットが飛び散って装甲がずれて浸水すること、レーダーの精度が落ちることなどだが、装甲の装備方法はある程度改善されているし、レーダーも対空2種類、対水上1種類を装備して光学照準と合わせるとレーダー射撃も実用レベルだったともいう、(--〆)😠👿。

大和型戦艦は極めて強力な戦艦だったが、貧乏な日本が爪に火を灯すような思いをして建造した虎の子だったのでやはり「ここ一番で使いたい」という気持ちが海軍首脳に強かったのだろう、(--〆)😠👿。「局地戦などに大和、武蔵を使うのはもったいない」という心情が時期を逸したのだろうが、極めて強力な戦力を使うべき時に使うべきだっただろう、(--〆)😠👿。普段は軽やCカーに乗っている者がスーパーカーなんかに手を出すから使いたくなって失敗するみたいなことを言った海軍幹部もいた、(--〆)😠👿。また大和型戦艦を動かすと大量の燃料が必要だったので常に燃料が逼迫していた日本海軍はその点も気にしていたのかもしれない、(--〆)😠👿。

大和を撃沈した際の米軍機の損害は10機というが、米軍は劇的勝利を印象づけたいことと基本的に損害を極小化するのが米軍のやり方なので実際にはもっと多くの損害があったのだろう、(--〆)😠👿。何百門の機銃や高角砲を備えた艦隊を攻撃して10機の損害なんていうのも嫌らしい、(--〆)😠👿。それでも大和他第二艦隊の損害に比べれば微々たるものではあっただろう、(--〆)😠👿。大和型戦艦は無用の長物でも何でもない。要はその使い方の問題だっただろう、(--〆)😠👿。


Posted at 2025/07/13 10:54:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2025年07月13日 イイね!

砲の威力も装甲も列強に劣っていた日本陸軍の戦車、(--〆)。

砲の威力も装甲も列強に劣っていた日本陸軍の戦車、(--〆)。太平洋戦争当時の日本陸軍の戦車は小型軽装甲で搭載する砲も小口径で威力不足、その上数も少ないといいところがなかった、(・_・;)😅👿(^_^;)。これは予算不足に貧弱な輸送インフラ、さらには冶金技術や砲の製造技術が劣っていたこと、また陸軍は戦車よりも航空機の整備を優先していたこともあった、(^_^;)😅👿。

また砲にしても技術的に遅れていたので外国、特にフランスの技術に頼っていた、(^_^;)😅👿。対戦車砲も戦争初期は37ミリ速射砲を装備したが、同口径のドイツのラインメタル製には貫徹力で劣っていた、(^_^;)😅👿。戦争中期には47ミリ速射砲が装備されたが、この砲は性能はよかったが、当時の世界の主流は75ミリクラスで威力不足は否めなかった、(・_・;)😅👿(^_^;)。さらに57ミリ速射砲を試作したが、列強の戦車に対しては威力不足ということで開発は中止になった、(^_^;)😅👿。

しかし米軍のM4戦車に対抗するためにフランス🇫🇷シュナイダー社製の75ミリ野砲をライセンスした90式野砲を一式戦車に載せて三式戦車を製造したが、この砲は500メートルの距離でM4戦車の正面装甲を貫通することができたが、当時の戦車の交戦距離は1000メートルから1500メートルくらいでやはり威力不足だった、(・_・;)😅👿(^_^;)。また野砲をそのまま戦車に載せたので射撃は砲手が照準して車長または装填手がりゅう縄を引いて発射したそうだ、(^_^;)👿😅。また制退器が砲塔外に出ていてこれに被弾すると射撃不能になってしまうので大きな欠点だったそうだ、(ーー;)😥😨(-_-;)。さらに4式戦車は主砲に戦争初期に鹵獲したスゥエーデンボフォース社製の75ミリ高射砲を載せていたが、この砲も高射砲の需要で手一杯で戦車砲を製造する余裕がなかったそうだ、((+_+))😅👿(^_^;)。弾丸もムクの金属弾ではなく中に火薬が入っていたので強度が低くて装甲に当たると割れてしまったという、(^_^;)😅👿。

また戦車の装甲もレベルが低かったという、((+_+))😅👿(^_^;)。海軍が一式戦車を利用して水陸両用戦車を製作した際、装甲は軍艦のものを利用したらその装甲の強度に陸軍関係者は驚いたそうだ、(^_^;)😅👿。また火砲も海軍の方が技術的に進んでいたそうなので陸軍は海軍とケンカばかりしていないで技術的に交流すればよかったのだが、陸海軍が紛いなりにも協力するようになったのは戦争も末期になってからだった、(。>﹏<。)😅👿(^_^;)。

そんなわけで日本陸軍の戦車は「偉大なる凡作」と言われた米軍のM4戦車には全く歯が立たず苦戦に苦戦を重ねた、(--〆)😠👿。それでは日本陸軍の戦車兵が弱かったのかと言えばフィリピンなどで90式野砲を搭載した一式砲戦車4両が隠蔽待ち伏せ戦法でM4戦車を撃破したりクラークフィールド飛行場防衛戦では旧式な15センチ榴弾砲を搭載した四式自走砲2両が射撃しては移動する機動戦でM4戦車を撃破しているので要は敵戦車の装甲を抜ける砲を搭載した戦車があればノモンハン以来の精強な日本陸軍の戦車部隊指揮官と戦車兵は決して負けなかったという、(--〆)😠👿。

また威力のない砲でM4戦車のハッチの蝶番や視察孔を狙って撃破したり野砲や高射砲と協力して撃破するなど苦しい戦いを続けたが、要はせめて敵戦車の装甲を貫通することができる火砲を製作すればよかったのだが、予算もなく技術的にも劣っていた日本陸軍にはそれさえできなかったのは実際に戦う兵にとっては厳しい現実ではあった、(--〆)😠👿😅(^_^;)。


Posted at 2025/07/13 10:49:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2025年07月05日 イイね!

B29迎撃に間に合わなかった日本陸海軍の戦闘機たち、(゜o゜;

B29迎撃に間に合わなかった日本陸海軍の戦闘機たち、(゜o゜;日本陸海軍は戦争中盤に米軍のB29爆撃機の存在を知るとこれを迎撃するための高高度戦闘機の開発を始めた、(・_・;)😅(^_^;)👿。海軍は双発の天雷、閃電、烈風改、震電、電光など、陸軍はキ87、キ94、キ98、キ102、キ108など、また陸海軍共同でロケット戦闘機の秋水など様々な機体の開発を始めたが、最終的にごく一部の機体が実戦に参加しただけで全てものにはならなかった、(゜o゜; 

海軍の天雷はエンジン不調で所定の性能が出ず開発中止、閃電は戦況に間に合わないとして設計段階で開発中止、烈風改は一部の部品を製作したのみ、震電は3回の試験飛行で終戦、電光は1号機が被爆、2号機が完成直前に終戦、陸軍のキ87は脚の不調などで5回程試験飛行して中止、キ94Ⅰは操縦席を挟んで機体前後にエンジンを配置した形状があまりに現実離れしているとしてモックアップで中止、キ94Ⅱは陸軍機の白眉と言われた美しい機体だったが、試験飛行2日前に終戦、キ98は製作中にソ連の侵攻を受けて退却の際に破壊、キ102は一部が実戦参加したのみ、キ108は与圧室を装備した本格的高高度戦闘機だったが、試験飛行のみで終戦、ロケット戦闘機の秋水は最初の試験飛行で燃料を少なく入れたために途中で燃料が吸い出せなくなってエンジンが停止、墜落という惨憺たる有様だった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。

その原因は各種物資が乏しくなってからの開発であったこと、昭和19年末からはB29の空襲で生産設備を破壊されたことや東南海地震地震で三菱などの工場🏭️が被害を受けたことなど様々あるが、最大の問題は大馬力エンジンが作れなかったことと高高度でエンジン出力を確保する過給機、ターボチャージャー、スーパーチャージャー、水メタノール噴射装置など、が作れなかったことだろう、(゜o゜;😅👿(^_^;)。

海軍には局地戦闘機として雷電があったが、この機体も振動🫨やらエンジン不調などで開発生産が進まず陸軍は2式単戦を捨てて新型の4式戦に力を入れたが、4式戦もエンジン不調でカタログ性能が出せず結局は日本陸海軍は戦争序盤の機体でB29と戦うことになってしまった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。

陸軍には昭和18年当時キ102の元になったキ96という双発単座の機体があってそこそこの性能を出していたが、まだ防空戦闘機の必要に迫られていなかった陸軍は開発を中止してしまった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。比較的性能が安定していた陸軍の2式単戦やこのキ96を改良あるいは実用化しておけばそれなり活躍できただろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。

海軍の機体は全滅でこれと言った機体はないが、零戦を金星エンジンに換装して航続距離などを短くした軽量型などである程度は対応できただろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。

昭和18年辺りに2千馬力級の安定した性能を発揮できるエンジンの開発に成功していれば海軍は紫電改や烈風で間に合っただろうし、陸軍は4式戦が高高度戦闘機の役割を果たしてこのように百花繚乱的な高高度戦闘機の開発をしなくても済んだだろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。

戦況が悪くなると一発逆転を狙って高性能機を開発しようとするが、身の丈に合った機体、今ある最良のものを組み合わせた現実に対応可能な機体の開発をすべきだったかもしれない、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。


Posted at 2025/07/05 22:14:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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