2015年08月01日
しばらくするとまた携帯が鳴った。女土方が近くに来ていると言うので僕はまとめた荷物を持って外に出た。路地を歩いて広い通りに出ると女土方のスマートがハザードを点滅させて停まっていた。僕が近づいて行くと女土方も気がついたようで車から降りて僕の方に向かって歩いて来た。そして面と向き合うと両目から大きな涙をいくつもこぼした。
「ごめんなさい、迷惑をかけて。でもどうしても淋しくて我慢が出来なかったの。」
僕は泣きじゃくる女土方の肩を抱いて車の方に導いた。そして女土方を助手席に座らせると自分は運転席に納まった。女土方の自宅までの道がよく分からなかったのでカーナビを立ち上げると住所を聞いてカーナビにデータを打ち込んでセットした。今は本当に便利になったものだ。カーナビのちょっと篭ったような案内の音声が聞こえると僕は車を発進させた。
日曜の夜で車も少なかったこともあって女土方の家には十分ほどで到着した。車をカーポートに入れると僕たちは家の中に入った。女土方は消え入りそうな小さな声で「ごめんなさい。」とだけ言った。僕は
「いいのよ。あなたの気持ちはよく分かっているから。」とだけ答えた。
「あなたが私を心配してくれていることはよく分かってる。でも私と違ってあなたは普通の女性だから私から離れていなくなってしまうんじゃないかと思うと怖いのよ。それも仕方のないことだということは分かっているわ。そしたらまた私は一人で取り残されるの。それが怖いのよ。」
普通でないことにかけては僕の方がはるかに上を行っているんじゃないかと思いはしたが、女土方の思いは痛いほどよく分かった。僕自身女土方よりもさらに過酷な運命に翻弄されている哀れな女、いや男かな、とにかく哀れな人間だったが、何度目が覚めたら全く見ず知らずの女に変わっていたなんて幾らなんでも誰も信じないだろう。
「大丈夫よ、私はあなたのそばにいるわ。それを信じるか信じないかはあなた次第よ。ねえ人間の出来ることには限度がある。自分に出来ることを一生懸命やってみて後は成り行きに任せる他はないわ。そうでしょう。」
いくら考えても先は見えないし見えないことをあれこれ言っても始まらない。女土方よりもさらに男に拒否反応を示さざるを得ない僕にとっては女土方との出会いと結びつきはそうなるべくしてなった当然の帰結であり僕自身諸般の状況を考えるとこの関係に拠らざるを得ない状況も女土方とさして変わらなかった。まあ敢えて女土方と異なって救いになることと言えば僕の精神構造が男のままだったので先に対しての見積もりが大雑把なことくらいだろう。
「ごめんなさい。よく分かってる。迷惑をかけてごめんなさい。」
女土方は何度も何度も謝ったが、別に謝ってもらう理由もないので女土方にもうそんなことを何度も謝るのはやめて休むようにと言った。
「そうね、明日は誰かに見られないように時間差で行かなくては。気の毒だけど早起きしよう。」
女土方はそんなことを言ったが、僕自身は出勤の時に一緒にいるところを見られたからと言って別に困るわけでもないし、女土方には「誰かに何かを言われても放っておけばいい」と言い聞かせた。第一自宅が同じ方向なのだから一緒になっても不自然でもない。こういうところは男の僕の方がずっと腹が据わっているのかもしれない。あるいはただいい加減で図々しいだけなのかも知れない。
僕は女土方に「休もう。」と言った。せめて休める時は穏やかに心と体を休めることが一番だというのが僕の信条の一つだった。女土方も黙って頷いた。
「どうぞ、先に休んでいて。私、シャワーを使ってくる。」
「待ってるわ、どうぞ。」
僕は今のソファに腰を下ろした。女土方が浴室に入ると僕は着替えを取り出して着ているものを取り替えた。そして企画書を取り出して読み直しを始めた。それなりに力を注いだ企画なのでつまらないミスで味噌をつけたくはなかった。ところが読み始めるとついその気になって女土方がシャワーを使い終わったのに気がつかなかった。
「新しい企画なの。そういえばあなた、語学コースの新企画を提案して取り組んでいたみたいね。」
いきなり後ろから声をかけられて体がすくんだ。
「あ、お帰り。」
僕は泡食って答えた。女土方はしばらく僕の肩越しに企画書を覗き込んでいたが、そのうちに「ちょっと見せてね。」と言うと僕から企画書を取り上げた。そして恐ろしい速さで企画書を読み始めた。その目は引き締まって涼やかでいつもの自信を取り戻しているように見えた。そうして女土方は幾つか僕の提案修正してくれた。
特にキャッチコピーについて僕は専門のコピーライターによる外注を考えていたが、女土方は僕のコピーで十分に面白いし、これで人を惹きつけられると主張した。その他にも単語の選定作業も部内で人をつけてもらってやる方がコストも下がるし、こちらのコースに応じてきめ細かな選定が出来て良いなどなかなかにくい助言を受けた。
「なかなかよく考えられた良い企画だと思うわ。あなたが言っているとおり楽しんで本当の外国語なんか身につけることは出来ないと思うわ。だから外国語の雰囲気を楽しむコースと本気で勉強するコースを分けたのは正解だと思うわ。
概ねの方向はこれでいいと思うけど後はどんな教材やカリキュラム、そして講師を組み合わせていくかが問題よね。」
あきれるくらいの速度で読み終えた女土方は顔を上げて僕を見た。
「企画が通ったらまたいろいろ考えてみるわ。その時は力になってね。さあそろそろ休もうか。」
僕は企画書を封筒にしまいながら女土方を促した。女土方も黙って頷いて立ち上がった。お互いに思うところは全く違っているのだろうが、それなりに短いながらも穏やかな一夜を過ごした後、僕たちは出勤のために起き出した。
女の朝は男以上に忙しいが、自分自身は男と思っている僕は簡単に出勤の準備を終えて居間で女土方を待っていると逆に女土方に呼ばれてこってりと化粧をされてしまった。あまり濃い化粧をすると後で手を加えて修正するのにとても困るのだが、まさかそれを言い出す訳にも行かず黙って化粧をされていた。
男を愛せない女土方は女の姿になった僕を好きになり、女の体になったとは言っても正真正銘男の感覚と精神構造を持った僕は僕を女と信じて接近してきた女土方を好きになった。こうしてまさに同床異夢とも言うべき関係を歩みだした僕たちは慌しい一週間へと突入して行った。
僕の企画書は上司の決裁を受けて企画部の審査に入った。その間に審査の際の細部の詰めやら次の段階に向けた準備など忙しさ、慌しさは拍車がかかったようだった。毎晩遅くになって本当に横になるためだけに自宅へ帰って翌朝また早朝に起き出して出勤した。そうしてあっという間に一週間が過ぎ、週末はまた女土方の家で過ごした。
しかし週末も女土方に手伝ってもらって企画書の内容の修正やら審査対応の準備やら企画の修正や補足で大半の時間を費やした後、眠りに就く前のほんのわずかな時間をお互いの心の渇きを癒すために当てた。それは決して十分な時間とは言えなかったが、それでも僕も女土方もお互いに満足だった。
Posted at 2015/08/01 16:39:46 | |
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小説 | 日記
2015年08月01日
例年7月の第2週末、イギリスのフェアフォード空軍基地において、世界的なエアショー「ロイヤル・インターナショナル・エアタトゥー(RIAT)」が開催されます。
この「エアタトゥー」はヨーロッパを中心に世界中から数百機の軍用機が集結し、飛行展示に限っても朝から晩まで8時間以上途切れることなく行われる「世界最大の軍用機エアショー」として知られます。今年も7月10日・11日に大盛況のうちに開催されましたが、今回は「エアタトゥー」史上初となる「珍客」が多くの注目を集めました。
その珍客とは海上自衛隊のP-1です。P-1は川崎重工製の国産哨戒機であり、現在、P-3C「オライオン」の後継として配備が進められ、まもなく実働体制に入る見込みの新鋭機。その飛行展示が今回、実施されています。また「哨戒機」とは、対潜水艦などを想定した航空機です。
2012年の「エアタトゥー」においては、航空自衛隊のKC-767空中給油機が自衛隊機として地上展示のみながら初参加していましたが、KC-767自体は米製のボーイング767旅客機の派生型。しかし今回のP-1は機体からエンジンまで日本製の国産機であり、しかも飛行展示を実施するという歴史的なイベントとなりました。
「エアタトゥー」は冷戦時代から続く歴史あるエアショーであり、実は主催者による自衛隊の招待は以前から行われていました。これまでずっと断り続けていた自衛隊がなぜ2012年になってKC-767を初派遣し、そして今年になって自衛隊機として初となるP-1の飛行展示に踏み切ったのでしょうか。
日本はこれまで堅持していた「武器輸出三原則」を緩和。2014年、新たに「防衛装備移転三原則」を制定し、自衛隊機として開発された航空機の輸出解禁に踏み切りました。そしてすでに海上自衛隊の新明和工業US-2救難飛行艇が、インド海軍へ導入されることが決まっています。
このUS-2は非武装の航空機ですが、今回は「潜水艦ハンター」である戦う航空機P-1の輸出成功を目指し、世界的なエアショーである「エアタトゥー」で“営業活動”を目的に飛行展示が行われました。
「エアタトゥー」におけるP-1営業活動の最大のターゲットは、ずばり開催国であるイギリスです。現在、イギリス海軍では次期哨戒機選定計画が進んでおり、ボーイングP-8A「ポセイドン」、ロッキードC-130MP「ハーキュリーズ」といった候補が有力であるとみられており、P-1はこれらと争うこととなります。
P-8Aはボーイング737旅客機を原型とした双発ジェット機で、C-130MPは輸送機を原型とした4発ターボプロップ(プロペラ)機です。いずれも数千機あまりが大量生産され高い信頼性を有しており、この点、後発のP-1は大きな不利となるでしょう。
しかしP-1は哨戒機専用に設計された4発ジェット機であることから、低空飛行の多い哨戒任務においてエンジンが1発停止してもまだ3発残る冗長性、そしてジェットがゆえの高い速度性能など、純粋に哨戒機として見た能力に分があります。
ただイギリス海軍では2011年までホーカー・シドレー「ニムロッド」4発ジェット哨戒機を運用していましたが、高コストから「ニムロッド」の性能向上計画を断念。後継機導入を待たずに早期退役してしまっています。また哨戒機としての能力は飛行性能よりも搭載されるレーダーや音響装置などミッションシステムが重要です。飛行性能の高すぎる高級機であるP-1は、逆に苦戦を強いられるかもしれません。
日本の海軍航空の始まりは、1921(大正10)年にイギリスから「センピル教育団」を招聘し、技術指導を受けたことに始まります。翌1922(大正11)年にはイギリス海軍の空母を参考にした日本初の空母「鳳翔」が完成し、さらに1923(大正12)年には「鳳翔」へ初めての着艦が行われましたが、このとき着艦に成功した三菱「一〇式艦上戦闘機」はイギリス人技師の手によって設計され、パイロットもまたイギリス人でした。
現在工事が進むイギリスの都市間高速鉄道計画においては、日立製の車両の導入が決まっています。日本の鉄道史も航空と同様にイギリスの技術供与から始まりました。もし日本海軍(海自)航空の結晶であるP-1哨戒機を逆に輸出することができたならば、鉄道に続き航空分野においても100年を経た良師への恩返しとなるでしょう。
なお余談ではありますが1941(昭和16)年、日本海軍は大恩あるイギリス海軍の戦艦を、よりによって航空機で2隻も沈めてしまいました。そして時のイギリス首相チャーチルは、「センピル教育団」を日本に派遣したまさにその時、航空相を務めていました。チャーチルは日本海軍の「お礼参り」こそが第二次世界大戦で最も憤慨した出来事だったと回想録に記しています。
明治以降、日本は英国の支援で近代化を推進してきた。太平洋戦争前も日本と同様に中国に利権を持つ英国は日本に同情的で米国のように先鋭化した反日行動はしなかった。当時の日本も頑なにならずに英国を介して和平交渉をするという手があったかもしれない。
米国はDC4という失敗作の欠陥機を日本に売りつけたが、(日本も旅客機を導入すると言って密かに爆撃機に改造するために買ったのだから似たもの同士かもしれないが、・・)英国はショート社に飛行艇を発注した日本に自国内で受注したものよりも品質のいい飛行艇を輸出するなど誠意のある対応をしてくれたそうだ。
明治以降、英国と友好関係にあった時の日本は国際社会で比較的安定した立場を占めていたというので英国は日本にとっては保護者でありお手本のような国でもあった。太平洋戦争で英国を敵として戦った日本は英国の友ではなくなったが、時代が過ぎて日本が英国に航空機を輸出しようとするのは画期的なことだと思う。
今の世界で高性能対潜哨戒機を製造できるのは日本のほかには米国くらいのもので、戦争中、米国の潜水艦に手ひどくやられた日本は、戦後米国から供与されたグラマンTBFを対潜哨戒機として運用し始めて以降、S2F、P2V7、P2J、P3Cと米国の技術を導入して対潜哨戒機を運用してきた日本は機体も装備も全て自前で開発できる能力を備えるに至った。
P-1は世界最新最強の対潜哨戒機でその能力は折り紙つきと言われるが、英国に採用になる可能性は低いだろう。それにしても日本が英国に対潜哨戒機を輸出しようとするのは時代がずい分と変わったことを思わせる。最近、英国とは兵器の共同開発の話が出ているようだが、英国は日本にとっていいパートナーだろう。また、かつてのいい関係が復活するといいのだが、・・。
Posted at 2015/08/01 12:39:29 | |
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軍事 | 日記
2015年08月01日
日本の空を護る航空自衛隊には、F-2、F-15「イーグル」、F-4EJ改「ファントムII」と呼ばれる3機種の主力戦闘機が配備されています。このうちF-15とF-4EJ改はアメリカのマクダネルダグラス社で開発された外国製ですが、最新鋭のF-2は三菱重工が主体となって開発した国産戦闘機です。
F-2はジェネラルダイナミクス社のF-16「ファイティングファルコン」を原型とし、日米共同によって独自の改修を加えるという形で開発がスタートしました。F-16が原型とはいってもその設計は殆どが見直されており、特に主翼は対艦ミサイルを4発携行するという目的を達成するために非常に大きくなっています。
一部メディアにおいて、アメリカの横やりによって純国産戦闘機の開発を潰されたという主張がありますが、この当時の日本には独自に戦闘機を開発する能力がありませんでした。もしアメリカの助力、特にエンジンの供与が無ければ、現在のF-2に匹敵する性能の戦闘機は開発できなかったに違いありません。
F-2は最新鋭とはいっても、2000(平成12)年の配備開始からすでに15年が経過しています。しかし、現代戦闘機にスピードや機動性は殆ど意味がありません。搭載電子機器やそれらを制御するソフトウェアが勝敗を決するため、F-2は継続したアップデートを行うことで、配備開始当時よりその戦闘能力は著しく向上しています。
かねてよりF-2は、「平成の零戦」というあだ名で呼ばれることがあります。実のところF-2はその配備当初、空戦能力は決して高いとはいえませんでした。むしろ対艦攻撃能力に重点を置いた「平成の一式陸攻」とも言える戦闘機でした。F-2はAESA式と呼ばれる新機軸のレーダーを搭載していましたが、初期には不具合も多発し空戦能力に欠陥ありと大々的に報道されたこともあります。
しかしそのAESAレーダーも現在では新しい「J/APG-2」へと切り替わっており、目視外視程空対空ミサイルも性能に劣るAIM-7F/M「スパロー」から、最新鋭の「99式空対空誘導弾」が装備できるようになり、極東においても有数の空戦能力を持つ戦闘機に生まれ変わっています。また近いうちに、すれ違いざまに射撃しても180度旋回して後方の戦闘機さえ撃墜可能な「04式空対空誘導弾」の搭載能力が付加される予定です。
初期のF-2が「平成の零戦」ならば、現在のF-2は「平成の烈風」と言えるかもしれません。「烈風」とは太平洋戦争末期に完成した三菱製の「零戦」後継機です。
F-2で当初、最重要視されていた対艦攻撃能力は、本来ソ連の艦隊を撃滅するためにありましたが、開発中に冷戦が終わってしまったため、配備されたころには敵が存在しないという無駄に高い能力となってしまいました。しかし近年中国の海洋進出が目覚ましく、再びその能力が注目されています。現在「XASM-3」超音速対艦ミサイルの開発が進んでおり、これが実用化されたならばF-2の対艦攻撃能力はさらに向上することになるでしょう。
またGPS誘導爆弾「JDAM」、レーザー誘導爆弾「LJDAM」の装備能力が付加されており、そしてこれらの照準に用いる「スナイパーXR」赤外線前方監視装置の運用もまもなく可能となり、対地攻撃能力も著しく増大しています。
F-2は本来130機を量産する予定でした。しかし2004年に「発展性に欠ける」という理由から、94機で打ち切る決定が下されてしまいます。
F-2は、本当に「発展性に欠けている」と言えたのでしょうか。かつて筆者(関 賢太郎)はF-2の開発に携わり現在、防衛省の先進技術実証機「心神」開発の中心的役割を担う技術者にインタビューをしたことがあります。彼らはこう言いました。
「どうしてF-2が発展性に欠けると烙印を押されたのか分からない。現代戦闘機はソフトウェアの書き換えでいくらでも機能を実装できる」
F-2は継続した性能向上によって情報処理能力が限界に達しており、将来のさらなる発展に備えミッションコンピューターの換装を行う予定です。F-2は恐らく2040年代までは運用されるでしょう。その頃には、現在よりもさらに強力な戦闘機へと進化しているに違いありません。
F-2は日本に侵攻してくる旧ソ連の船団を洋上で撃滅するために開発された当時は世界最新最強の戦闘攻撃機だった。対艦ミサイル4発を搭載して行動半径450nmは米国でも不可能な性能だった。しかし、その後、ソ連が崩壊して戦う相手が消滅し、小泉政権の軍縮とMD予算を確保するために、「小型で将来の発展性がなく価格も高価」と当時の石場防衛庁長官に決めつけられ、生産が縮小された。
また開発当初の初期不良と言うような問題が例のマスコミの誇大報道で拡散され、欠陥機とまで言われたが、このF-2戦闘機は新たな能力の付加やFCSの改良で現在でも世界第一級の能力を持つ多目的戦闘機で中国もこの戦闘機の存在をひそかに恐れている。
F4戦闘機の老朽化が言われているが、この戦闘機をその更新分としてあと40機ほども生産しておけば日本の航空兵力は飛躍的に強化されただろう。登場当初、三菱重工はこの戦闘機を「平成のゼロ戦」と言っていたが、元々、主力戦闘機として開発されたものではなく、支援戦闘機として開発されたので、立場としてはゼロ戦の後継として海軍の主力戦闘機として開発された烈風よりも局地戦闘機として開発された紫電・紫電改に近い。それを考えると、「平成の烈風」と言うよりも、「平成の紫電改」と言った方が良いかもしれない。
F-2は登場した時には戦うべき敵がいなくなっていたという戦艦大和のような悲運の戦闘機だったが、今はアップデートされて世界有数の高性能戦闘機になっている。東日本大震災で18機が水没したが、そのうち13機が復活すると言う。日本のために誠に結構なことと思う。
Posted at 2015/08/01 12:37:07 | |
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