2016年12月12日
先日、NHKで戦艦武蔵と言うドキュメンタリーを放映していた。全部は見なかったが、武蔵が沈んだのは装甲の接合方法に問題があり、被雷した衝撃で舷側装甲が内側に押し込まれて大浸水を起こして沈没したと言う。そうした欠陥があって二隻の戦艦は沈没したと言うようなことを言っていた。
大和型戦艦の舷側装甲はリベット止めされておりこのリベットが被雷の衝撃で外れて飛んで装甲接合部がずれて浸水を起こすことは大和、武蔵ともに米潜水艦の雷撃を受けて大浸水を起こしていることで証明されている。この点はその後改修されたと言うが、どの程度改修されたかは分からない。ダメージコントロールなどは米国の戦艦に比較すると日本の戦艦はかなり劣っていたようだ。
ただ、大和と言っても不沈艦ではない。不沈艦などこの世に存在しない。それで大和型戦艦がどの程度の被害を想定していたかと言うと、魚雷1本被雷では5分以内に注水して戦列に復帰、2本被雷でも戦闘力を維持し、3本被雷でも沈没せずに帰投出来る程度の防御力が要求されていたと言う。大和型戦艦が建造された当時はあのような圧倒的な航空攻撃は想定されていなかった。
武蔵は20本以上の魚雷を受けて沈没しているし、大和も左舷ばかり9本の魚雷を受けて傾斜が復元できずに転覆したが、それでも相当に沈み難い船だったことは間違いない。大和型戦艦は日本軍航空隊が制空権を掌握した上で、その掩護下で艦隊決戦を挑むために開発された戦艦で日本軍航空隊が壊滅した状態で100機以上の敵航空機から集中攻撃される事態は設計者達の予想を超えていたそうだ。
大和型戦艦設計者の一人である牧野茂は絶対的不沈艦などありえないと前置きした上で、「味方に航空兵力が存在する戦闘で相対的不沈艦とすることは望ましく大和型戦艦は概ねその成果を達成した」と述べている。
武蔵最後の戦闘記録は第一艦橋が全滅したこともあって不明な点が多く、副長メモでは魚雷命中、右舷に8本、左舷に15本、爆弾の直撃17発、至近弾18発、一方アメリカ軍は、爆弾命中44発、ロケット弾命中9発、魚雷の命中25本、総投下数161発中命中78発と記録した。武蔵の沈没の直接原因は、多数の魚雷命中による大浸水だった。
大和は左舷に多数の魚雷を受けて大傾斜し、それを復元できなかったことが沈没の原因だが、副長記録では魚雷命中12本、防空指揮所士官は魚雷14本、戦闘詳報では魚雷10本・爆弾7発、アメリカ軍戦略調査団は、日本側資料を参考に魚雷10本、爆弾5発、アメリカ軍飛行隊の戦闘報告では、367機出撃中最低117機が大和を攻撃し、魚雷30-35本、爆弾38発が命中したと主張、第58任務部隊は魚雷13-14本確実、爆弾5発確実と結論づけている。
米軍は、大和型戦艦の主要防御区画を守る20度傾斜410ミリVH甲鈑と下端のNVNC甲鈑との接合部分に構造的問題があり、主要防御区画への浸水遮蔽が不十分だったと指摘しているが、魚雷1本の被雷で深刻なダメージを受けた巡洋艦に比べ、戦艦が極めてタフであり、容易に撃破できない艦種であることも証明した。
技術的に完ぺきなものはあり得ないし、大和型戦艦にも欠点は数多くあっただろうが、現実的には武蔵にしても大和にしても全く想定されなかった航空攻撃下で、「よくぞここまで耐えた」と言うべきだろう。
Posted at 2016/12/12 15:29:55 | |
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軍事 | 日記
2016年12月12日
今日はコペンで箱根を走ってきた。特に用事はないのだが、せっかく買ったのだから乗らないといけないと言う、ただそれだけだ。コースは箱根新道から元箱根、そこから湖尻を経由して仙石原、そして県道736号、ここは以前三本和彦氏が新車情報で「何時もの山坂道」として使っていた山道だが、そして県道401号で御殿場、東名を走って帰ってきた。約100キロ弱のミニドライブだった。
箱根はかなり冷え込んでいて道路も黒く濡れたようになっているところは凍結の恐れがあるのでゆっくり走った。コペンもだいぶん慣れてきた。ステアリングは気持ちがいいほど切れがいい。足は超堅いのでロールはほとんどしない。
ただ、軽もターボ過給も初体験なのでエンジンのトルクの出方がまだよくつかめない。アイドル+αではトルクが少なくてエンストしそうになるが、ちょっと踏むとターボが効いてウォンということになる。この辺の感覚が未だつかみにくい。
高速での速度性能はまあまあ問題はない。軽と言うことを考慮すれば加速も悪くはない。で、燃費は16.36キロだった。今回は高速が4、下道が6くらいだからこんなものか。もう少し走ってもいいように思うが、・・。18キロくらい、・・。コペンのマニュアルは新鮮味に欠けると言うが、最近のマニュアルは何かあるんだろうか。何かの仕掛け、クラッチレスとか、でもなければ良いも悪いもあんなものだと思うけど、・・。車両感覚とかはだいぶん慣れてきた。視界の狭さもこんなものと思えばこんなものだ。まあ楽しく乗ろう。
Posted at 2016/12/12 15:28:23 | |
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自動車 | 日記
2016年12月12日
防衛省は11日、航空自衛隊機が中国軍機に対し「妨害弾を発射した」とする中国国防省の10日の発表について、「中国軍用機に対し近距離で妨害を行った事実はなく、妨害弾を発射し中国軍用機とその人員の安全を脅かした事実も一切ない」と否定するコメントを発表した。
同省はまた、「事実と明らかに異なることを中国国防省が一方的に発表したことは、日中関係の改善を損なうものであり、極めて遺憾だ」と非難した。
世界一抑制的な軍隊である自衛隊が何事もないのにフレアを発射したりするはずもない。事実がないならないとはっきり言ってやるべきだろう。例の射撃レーダー照射事件の時のように、・・。ただ、軍事的な機密などもあるからなあ。難しいtころだが、・・。
Posted at 2016/12/12 15:26:52 | |
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軍事 | 日記
2016年12月12日
帝国海軍の次期主力戦闘機だった烈風という機体がある。これも審査をしていた海軍のテストパイロットが、「烈風が2千機あれば戦局を変えることができる」と言ったほどの優秀な戦闘機だったと言う。機体は空力的には極致と言ってもいいほどの出来で非常にきれいな戦闘機だった。ところがエンジンが中島の誉だったが、出力がカタログ値ほどは出ておらず最高速度は300ノット、上昇力は6千メーターまで10分とまるで攻撃機のような状態で戦闘機としては使えないとして不採用となった。
治まらないのは三菱で自社のハ43という金星を18気筒化した2000馬力級エンジンを装備して名誉挽回を目指した。すると最高速度が340ノットまで回復し、操縦性も極めて滑らかで操縦し易い機体だったと言う。
烈風が当時の日本の戦闘機としては優れていたかもしれないが、如何せん、翼が大きすぎる。翼面積が31平米もあるというが、これは米海軍のF6Fと同様の翼面積で機体としてはF6Fの方が烈風よりもずっと大きい。翼幅も14メーターもあるが、これもあまりにも大きい。
当時の米軍の戦闘機、F4U、P38、P51、P47などは650キロから700キロで630キロ程度、試作機の速度なので量産機になれば600キロちょっとくらいまで落ちる、では相手に積極的な攻撃は仕掛けられないし、格闘戦に持ち込もうとしても急降下で逃げられれば追いかけることもできない。
もう少し翼を小さくして翼面荷重180キロ程度なら翼面積は26平米で翼幅を12メーターくらいまで小さくできただろう。その分、運動性は落ちるかもしれないが、速度はもう少し速くなっただろう。それでP51やP47と互角になったとしても米国はジェット戦闘機(P80など、・・)を雲霞の如くに差し向けてきただろう。
烈風の後は20試甲戦とか言って烈風の機体に2400馬力級の高性能エンジンを装備する計画だったと言うが、その機体が実戦配備される頃には戦闘機はジェット化されていただろう。烈風よりも紫電改にハ43を搭載した紫電改五の方がF8Fとスペックが似通っていて有望だったと言う話もあるが、紫電改自体もF6Fと互角かやや優勢と言う程度の機体でP51やP47などには分が悪かったようだ。
燃料やオイル、電装品などが良質なら米軍機に劣らない性能が出せたと言うが、そうしたインフラが劣っていては工業生産力とも相まって勝負あったと言うことだろう。19年ころに烈風が戦線に登場してくれば若干は有利な戦闘ができたかもしれないが、それは局地のある一面でと言うことで戦局が変わると言うことはなかっただろう。それよりも零戦52型に金星を搭載した方が良かったかもしれない。それで18年から19年の前半を凌いで紫電改につなぐか、三菱には局戦などやらせずに艦戦一本に絞らせるという手もあっただろう。
ただ、肝心の戦闘機用2千馬力エンジンが19年まで出来なかったので結果は同じだったかもしれない。技術には三段跳びはないのでどうやっても米国には勝てなかっただろう。そう言えばお隣の成金大国は技術の三段跳びを高らかに歌い上げているが、現実のレベルは日本以下かもしれない。烈風が順調に開発を終了して実戦配備になったとしてもその性能はF6F以上F8F、P51以下と言うところかもしれない。
Posted at 2016/12/12 00:05:33 | |
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