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2016年12月26日 イイね!

辺野古埋め立て承認の取り消しを撤回、工事再開へ、・・。




沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、翁長(おなが)雄志(たけし)知事は26日午後、移設先の埋め立て承認取り消し処分を撤回するとの文書を沖縄防衛局に発送した。

 
知事による取り消し処分を違法とする司法判断が20日に確定したことを受けた措置。政府は文書を確認した上で、移設工事を約9か月ぶりに再開させる方向で調整している。

 
翁長氏は昨年10月、仲井真弘多(ひろかず)前知事による2013年12月の埋め立て承認を取り消した。国は今年3月、移設を巡る県との訴訟が和解したことを受けて工事を中断。一方で、取り消し撤回を求める是正指示に翁長氏が従わなかったため、7月に提訴し、再び法廷闘争に入っていた。

 
今回の取り消し撤回により、埋め立て承認の効力が復活するため、国は辺野古沖で移設に向けた工事を再開。海上の臨時制限区域への立ち入りを防止するため、フロート(浮具)を再設置する作業から始める見通しだ。

 
ただ、翁長氏は来年3月で期限切れとなる岩礁破砕許可の更新を認めないなど、知事権限を行使して移設阻止を図るとしている。




岩礁破砕許可の更新を認めないとまたそこで裁判ということになるのか。もう司法の判断が出たのだから終わりにすればいいだろう。自分たちに有利な判決が出れば「適正、正当」、不利ならば「不当、政府追従」など言いたい放題だが、それじゃあ司法も浮かばれない。何のための裁判所か分からなくなるじゃないか。
Posted at 2016/12/26 22:30:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年12月26日 イイね!

翼の向こうに(41)




「敵機は飛行高度が高い。迎撃するなのなら早く上がってこっちも高度を取らないと逃げられる。」

 
島田一飛曹が呟いた。私は指揮所の方を見た。発進の指示はなかった。以前筑波で同じようにサイパンから単機侵入してくるB二九を追撃したことを思い出した。零戦では敵の高度まで上がれずに何時も取り逃がしていた。その当時は『敵の飛行する高度に上がれない戦闘機で戦争に勝てるのだろうか。』という漠然とした疑問は感じたものの、内地の飛行隊であったことから装備については特に気にも留めず、『きっと零戦の再来と言われるような最強の戦闘機が開発されているのだろう。』と勝手に都合のいいことばかり考えてそんな疑問を深く追及することもしなかった。


「出るかも知れん。準備をしておけ。」


私は部下に指示をすると自分も高高度飛行に備えて飛行服を整えてマフラーを巻き直した。

「伝令が来ます。」

 
誰かが声をあげた。伝令は自転車を降りると安藤大尉のところに走りよって「指揮所より命令、待機戦闘機隊は一個小隊をもって敵偵察機を捕捉撃滅せよ。」と発進命令を伝えた。安藤大尉は私のところに歩いて来て「武田中尉、ご苦労だが貴様に行ってもらおう。俺は敵の戦闘機に備える。」と静かに言った。命令を復唱して敬礼をし終わる頃には戦闘機はすでに発動機の始動を始め、指揮所にも発進を合図する旗が翻っていた。


「敵の偵察機を迎撃する。敵情は逐次無線で知らせる。行くぞ。」

 
私は部下に声をかけた。「おう。」という威勢のいい掛け声と共に二人が走り出して戦闘機に取り付いた。島田一飛曹は私に歩み寄って「あらかじめ高度を取っておいて前上方から背面降下攻撃をかけます。勝負は一撃か二撃。それ以上は無理でしょう。分隊士、言っておきますが敵に情けは禁物ですよ。命取りになります。」と言った。私は笑顔で頷いて戦闘機に乗り込んだ。

 
紫電でも高度一万メートルまで上がるには三十分ほどもかかる。大きく旋回しながら徐々に高度を上げていって目的の高度の達した頃には敵機は九州から海上に抜けて進路を南東に変針していた。松山に向かっていることは間違いなかった。高度一万一千に達した時に島田一飛曹の声がレシーバーに響いた。


「敵発見。十時の方向、高度約九千。」


無線で指示された方向に向かって目を凝らすと空のかなたにかすかに光るものが見えた。


「敵に向かう。島田機、先導せよ。我は後尾に付く。」

 
島田機は大きき翼を振るとまっしぐらに敵に向かった。その後に列機が続いた。私は最後尾から後方を警戒しつつ先行する三機の後を追った。敵機とは反航する形で接敵したことから相対速度は優に時速千キロを超えていた。発見したときは小さな光点にしか見えなかった敵はすぐにその機体がはっきりと視認出来る距離に接近した。そのころには敵も我々を発見したようで機体の上面に付いている二基の銃塔が角を振り立てたカブト虫の角のようにこちらに向くのが見えた。

 
島田機は突然百八十度機体を捻って背面にすると、そのまま敵に向かって降下していった。二番機、三番機がその後に続いたが、傍目にも降下の角度が浅くうまく敵を捕らえることは難しそうだった。私も頃合を見計らって機体を背面にすると操縦桿を手前に引いた。それまで足の下にあった敵機がぐるりと回って頭の上に現れた。敵の機銃は先行する島田機に射線を集中していた。その島田機からも射線が敵に向かって延びて両翼の付け根に命中し始めた。弾が命中した部分から破片が飛び散り白煙が後方に流れた。

 
島田機は機体を右に捻って敵の左翼前方を降下していった。二番機、三番機は思ったとおり降下角が浅すぎて射点が後落として敵機のはるか後方へと流れていった。私は照準機のガラスに浮かんだ照準環を睨みつけるように凝視していた。運良く私は敵を照準環の中に捕らえることが出来た。敵の射線は正確に私の機体を捕らえて絶え間なく弾丸を送り出してきたが恐怖は全く感じなかった。


『この敵を帰したら大型爆撃機が大挙来襲する。そうすれば松山の市街に大きな被害が出る。その松山には小桜がいる。』

 
接敵を続けながら私はそんなことを考えていた。敵は照準環の中で大きく膨らんでもうはみ出しそうになっていた。その時前面風防に衝撃を感じた。防弾ガラスにひびが広がった。その瞬間、私の中から一気に怒りが湧き上がってくるのを感じた。そして同時に機銃の引き金を引いた。敵の弾丸と交差して私の弾丸が敵に伸びて右翼内側の発動機とその周辺に吸い込まれていった。


「引け。」

 
絶叫にも近い叫び声がレシーバーに響いた。反射的に私は操縦桿を一杯に引いてフットバーを右に蹴った。機体はかろうじて敵機の左翼前方を抜けた。徐々に機体を水平に起こして後方を振り返ると敵機は右翼内側の発動機から火を発して長く黒煙を引きながらも速度を落とすこともなく飛行を続けていた。前方には第二撃の位置を占めるため上昇を続ける島田機が見えた。後に続こうと機体を持ち上げようとした時、後方に強い閃光を感じた。その直後に機体が大きく煽られた。振り返ると敵機は爆発して大きな赤黒い火の玉に変わっていた。そして敵機を呑み込んだ赤い火の玉は黒い煙の帯を引いて海へ向かって落下していった。


「帰投する。我日振島上空、高度七千、集まれ。」

 
機体を水平に戻し、基地の方向に頭を振りながら部下を呼んだ。真っ先に機体を寄せてきたのは島田一飛曹だった。そのまま列機を探しながらしばらく飛ぶうちに残りの二機も我々を見つけて編隊を組んできた。こうして集合を終わった我々はB二九撃墜という晴れがましい戦果を引っさげて帰投した。

 
車輪が接地して機体の行き足が止まると私は深いため息をついた。そこに島田一飛曹が機体に飛び乗るように駆け上がってきて風防を叩いた。


「分隊士、体当たりでもするつもりかと思いましたよ。それにしても見事な撃墜でした。おめでとうございます。」

 
私は黙って頷くと操縦席から降りた。全身から力が抜けたように気だるかった。ゆっくり走って指揮所に向かった。そこで飛行長に敵偵察機撃墜を報告した。飛行長は「ご苦労。」とだけ短く答えた。待機所に戻ると椅子に体を投げ出した。目の前では今戻ったばかりの我々の機体に整備兵が取り付いて機体の点検整備が行われ機銃弾や燃料が補充されていた。


「分隊士、近づきすぎです。もっと早く引き起こさないとぶつかってしまいます。」

 
島田一飛曹がそばに来て話しかけてきた。顔を起こして頷くと島田一飛曹は敵機の位置と降下開始時期、敵の未来位置の推定、照準環に写った大型機の機影と自機との距離の関係等を説明してくれた。


「ほんの一瞬ですよ、射撃の機会は。今日、敵にぶつからなかったのはただ幸運だっただけです。どうか無理をしないでください。」

 
最後に島田一飛曹はそう付け加えた。私は最後にやっと島田一飛曹に向かって笑顔を作って頷いた。従兵の運んでくれたお茶を飲み終わらないうちに「待機戦闘機隊、発進準備。」がかかった。誰もが怪訝な顔をして指揮所の方を見た。その直後に発進を示す旗流が指揮所のマストに上がった。


「敵らしき小型機八機、南西方向から高度四千で接近中。待機戦闘機隊、至急発進せよ。」

 
待機所のスピーカーが鳴った。その時にはもうすでに八人の搭乗員はそれぞれの機体に向かって駆け出していた。発動機が始動をするのも待ちかねたようにスロットルを押し込んで離陸を開始して上昇しながら列機を待った。そして列機が追従してくるのを確認すると機首を南西に振った。

 
高度を上げようとしたが、会敵までに優位を占めることは難しそうだった。いったん離脱して高度を取るべきとも思ったが、指揮官機は真直ぐに敵に向かった。たとえ同数といっても敵が速度の速い新型のP五一やP四七だとすると上からかぶられて一撃を食らう恐れがあった。


「指揮所より疾風、敵の位置、松山より南西、距離約一万、高度四千から降下中、速度約二百。」

 
基地から無線連絡があった。それと同時に島田機から「敵発見、正面上方。」と一報が入った。私は上を見上げたが、どうも様子がおかしかった。敵は編隊が乱れてはいたが、編隊を解いて攻撃してくる様子はなかった。まるで松山に着陸でもするかのように緩降下で接近してきた。


「分隊士、様子がおかしいです。友軍機かもしれません。」

 
島田一飛曹がバンクを振った。それに合わせて相手も先頭機がバンクを返してきた。それを見たとたん張り詰めた神経がどっと緩んだ。それでも警戒しながら大きく旋回して会合すると敵と思われたのは陸軍の四式戦だった。後で聞いたところ彼等は知覧への移動中、航法のミスと燃料不足から松山に不時着しようと接近中であったが、無線の不調や陸海軍が使う無線機の周波数の違いから連絡を取ることが出来ず、敵と誤認されたとのことだった。我々は勇んで飛び出してみたものの、味方を護衛誘導することになって何とも中途半端な形で帰還した。

 
基地に戻ってから興に駆られて彼等の四式戦を見せてもらった。同じ誉発動機を搭載していても四式戦は全体に太くてがっしりとした紫電とは異なり、すらりと細長い後胴を持った精悍な機体だった。武装は二十ミリ機関砲二門、十三ミリ機関砲二門となかなか強力で、速力も三百四十ノット近い高速を誇る当時大東亜決戦機と呼ばれた純粋の制空戦闘機だった。

 
しかし、驚いたのは機体各部の説明を聞いた時だった。まず陸軍で開発した二十ミリ機関砲は紫電に搭載されている海軍の二十ミリ機銃とは弾薬の互換性がなく相互に弾丸を補給し合うことは出来ないということだった。それは十三ミリ機銃にも言えることで陸軍と海軍では口径が微妙に違うなどの理由で弾薬の互換性はなかった。

 
もしも今日、彼等が空戦をして弾薬を撃ち尽くしていても海軍が展開する松山では弾薬の補給を受けることが出来ず、明日は敵機が跳梁する中を丸腰で飛び立たなければならなかった。また同じ発動機を搭載しているこの二つの機体のプロペラは四式戦が仏蘭西製の電気駆動式可変ピッチ、紫電は独逸製の油圧式可変ピッチで全く異なっていた。規格を単一の型式で統一することは仮に重大な欠陥が生じた場合大きな問題となることは明らかだったが、決して生産力が大きいとはいえない日本にとって、多大な消耗を強いる戦争という非常時を生き抜くには有効な方法の一つには違いなかった。これ以外にも陸軍機と海軍機では本当にこの二つの機体が同じ国で作られた飛行機かと疑うほど部品や規格の違いが山ほどあった。

 
それともう一つ、紫電も四式戦も確かに日本の作った優秀な機体かもしれないが、本当に国産と言えるものは外側の機体だけで、発動機は元を正せば米国製、プロペラは米国、仏蘭西、独逸製、機銃はスイス、独逸、米国、英国、帰投用方位指示装置は米国製など、まるで欧米技術の展覧会のようだった。戦争をしている相手国の技術で戦争を継続する。それはまるで悲しい笑い話のようでもあった。そうした話は高瀬から聞いていたが、実際に自分の目で見てみるとこれが国家の命運を賭けて戦争をしている国かと呆れるほどもどかしく感じた。



Posted at 2016/12/26 17:55:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記
2016年12月26日 イイね!

日本維新足立議員の「民進党ブーメラン三分類」




昨日24日、大阪市内を遊説中の民進党蓮舫代表が橋下徹前大阪市長の行動を「テレビで、普通の民間放送に出ておられる方が、こうした特定の政党のまるでトップかのように行動するというのは、わたしにとっては、大きな違和感があります」と批判したという。本当にダブスタ(二重基準)にもほどがある!(報道ぶり(http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00345490.html))

蓮舫氏が批判した橋下氏の行動とは、同日昼に安倍首相と会食したことだそうですが、蓮舫氏自身が代表就任後に橋下前市長と会食していたため、完全にブーメランに。その日のうちに橋下氏から「蓮舫さん、そりゃないよ」「それ(蓮舫代表との会食)はOKで首相はダメな基準を教えてよ」と反論され撃沈。(橋下氏ツイート(https://twitter.com/t_ishin/status/812664374452072449))

蓮舫氏が民進党代表に就任した時、私もなんでこんな人が代表に?と訝りましたが、最近は、やることなすこと全てがブーメランになるダブスタ政党民進党には打って付けの象徴的な人物であると、妙に納得しているところです。二重国籍問題で反省しているのかと思いきや、まったく懲りてる節がありません。

蓮舫氏は続けて「通常国会や臨時国会の維新の行動をみていると、ほぼ与党と同じだ。あらためて維新と連携するという道は、相当難しい…」とのたまったという、本当アホじゃないかと思います。公務員給与を引き上げる給与法に反対したのは維新だけ。民進党は共産党と一緒に政府案に賛成したじゃないか!

民進党のダブスタぶりは、蓮舫代表を筆頭に、枚挙にいとまがありません。今年、私が関わった人物だけでも、蓮舫代表のほかに、泉健太議運委筆頭、寺田学外務委筆頭、辻元清美憲法審幹事、小西洋之憲法審幹事、山尾志桜里議運委理事、初鹿明博前青年局長など、その徹底ぶりは憲政史上に残るレベルです。

これら懲りない面々を私なりに類型化してみました。いわゆるブーメランのタイプ分けです。地元活動の合間に軽く考えてみただけですので、フォロアーの皆様のご批判を仰げれば幸いですが、第一は反射型ブーメラン、第二は指令型ブーメラン、第三は信念型ブーメラン。これで網羅できるような気がします。

第一は反射型ブーメラン。深く考えずにその場の都合で言葉を発する民進党らしいブーメラン、ほとんど中身はありません。蓮舫代表が安倍総理に放った「息をするように嘘をつく」(報道ぶり(http://www.j-cast.com/2016/12/09285674.html))、山尾氏の「維新は法案を提出できる数をそろえてから(来なさい)」(YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=glL6v2UTYcU))、初鹿氏の「まさか強行採決なんて考えてませんよね」(YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=Qo1GgMKIc9E))。

第二は指令型ブーメラン。上からの指令でやってるだけだから現場はグダグダ、ブーメランは飛ばずに民進党の足下に落下。私への4度目の懲罰動議はTPP採決の日、安住代行から足立を黙らせろと言われた泉健太議運委筆頭が、国会法の制約(三日ルール)から別件(外務委)で逮捕せざるを得なかった顛末。

第三は信念型ブーメラン。私は今年、辻元清美議員からのこの言葉が忘れられません。「足立さん、ええもん持ってるやん。でも民進党に向けててもアカンで。私みたいにソーリ、ソーリって(政府を追及せな)!」ここまで来ると「この人を相手にしててもアカンわ」と妙に達観してしまったのを思い出します。

まあ辻元さんは信念型といっても所詮、“詐欺師”の信念ですから大したことないですが、今年の年末に、なるほどな、と思ったのが小西洋之参院憲法審幹事です。11月30日に私の事務所に来られ、何かと思ったら、一週間前の衆院憲法審査会での私の発言について、一つだけ訂正したいとやって来られたのです。

私が憲法審で、立憲主義の理解に関連して「違憲立法審査権を有しない憲法学者の一部意見を殊さらに振りかざし」云々と民進党を断じた部分について、「憲法学者が言っているから違憲なんじゃなくて、むしろ逆。」「誰もできなかった憲法違反を証明したのは私なのだ。(私が指導して)憲法学者もようやく(違憲の理由を)言えるようになってきた。」と。

小西議員曰く「民主党が去年、(安保法制の)憲法違反を証明したんです。この世で誰も出来なかった証明を我々がやったんです。それを元最高裁判事や元法制局長官や学者らに私が説明したんです!」。おいおい、そう来るかぁ!と閉口するばかりでしたが、要するに一番“賢い”のは学者らではなく私だ、と。

“賢さ”などトランプ時代には屁の役にも立たないということは往復ツイートをご覧いただければ明らかですが、蓮舫代表や山尾氏に象徴される(第一の)反射型ブーメランや、安住代表代行が繰り出す(第二の)指令型ブーメランに比べると、反面教師くらいにはなりそうです。来年は楽しくなりそうです!(往復ツイートまとめ(http://ishin-info.com/nihonishin/post-773/))

なお、江田憲司代表代行や柿沢未途役員室長への言及がないとお叱りを受けるかもしれませんが、彼らの言動を敢えて名付けるとすれば、残党型ブーメラン。「身を切る改革」と言いつつ文通費領収書の公開を止めてしまう、偽新(偽物維新)の残党に未来はありません。年末に総括する価値もない方々なのです。


編集部より:この記事は、衆議院議員・足立康史氏の公式ブログ 2016年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は足立氏のブログ(http://adachiyasushi.jp/?cat=5)をご覧ください。




うん、足立議員もなかなか頑張っているようで結構なことだ。民進党のブーメラン3分類、確かに面白い。でもその大部分はろくに考えもしないで口走る反射型だろうか。大体、レンホー代表を持ってきた時点でもう民進党は政党として終わっている。あ、元々政党じゃなかったか。選挙互助会だったな。それならグラピンレンホー代表は正しい選択だろう。頑張れ、日本維新の足立議員、応援しているぞ。
Posted at 2016/12/26 17:50:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年12月26日 イイね!

「ニイタカヤマノボレ」太平洋戦争開戦通告はなぜ遅れた。




太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。

 
日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。

 
三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。この電報の存在と時刻が何を意味するのか。


電報は14部に分けて発信
 
旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の午後2時20分だった。この遅れが、米国から「だまし討ち」と批判される原因となった。

 
覚書は、外務省が発信した暗号電報を大使館が解読し、英文に直してタイプライターで作成した。長文のため、電報は14部に分けて発信された。

 
1~13部は同6日午前8時~11時25分に発信されており、内容はこれまでの日米交渉を確認するにとどまる。交渉を打ち切るという「結論」は14部で初めて分かるが、ぎりぎりまで機密を保持するため、13部から約15時間後の7日午前2時38分に発信された。


二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」
 
現在の通説はこうだ。大使館は6日中に13部までをタイプライターで清書し、7日朝に14部を追加すれば開戦前に通告できたはず。しかし、大使館は7日朝から1~14部の清書を始めたため、間に合わなかった。6日夜に大使館内で送別会があっていたことなどから、大使館の「怠慢」が通告遅れを招いた-。

 
だが、三輪教授は、元外務省ニュージーランド大使の井口武夫氏が2008年の著書で触れた訂正電報の存在に注目した。当時、大使館の1等書記官だった奥村勝蔵氏が、1945年に「夜半までに13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と陳述していた。

 
三輪教授は、大使館が1~13部の「訂正電報」を待っていたため、清書ができなかったとする仮説を立てた。訂正が175字に上っていたことも外交資料で分かった。当時のタイプライターは途中で挿入や訂正ができない。大使館は「訂正電報」が届くまで清書ができなかったのではないか。

 
発見した二つの電報は、他の電報の詳細と突き合わせた結果、「訂正電報の可能性が極めて高く、奥村証言を裏付ける証拠」と三輪教授は読む。13部が発信された6日午前11時半から、二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」がある。この間、大使館は清書ができない。

 
これが事実とすれば、では何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか。




連合艦隊側は山本長官の強い意向で「開戦1時間前の通告」を主張したが、軍令部と外務省は米軍側に悟られて防衛策を講じられることを強く警戒して通報を30分前としていた。そんな状況だから通報を遅らせるこちに関して何らかの故意が働いたとしてもおかしくはない。当時の外務省は今のような借りてきた猫状態の大人しさではなくあの帝国陸軍も引いてしまうほど勇ましかったと言うので軍令部と示し合わせてそのくらいのことはやるかもしれない。遅れそうなら1~13は後回しにしてまず14部から手交すれば良かったと言う話もあるが、いずれにしても米国は日本の外交暗号の傍受解読によって開戦を知っていたのだからやはり利用されたと言うべきだろう。ただ、アあれほどの被害を受けるとは予想していなかったようだが、・・。
Posted at 2016/12/26 14:04:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2016年12月26日 イイね!

MRJ,5回目の納期延期か。




三菱重工業の宮永俊一社長は、朝日新聞などとのインタビューで、「2018年半ば」としている国産初のジェット旅客機MRJの納入開始時期について「現状をみて、そう簡単なことではない」などと語り、延期する考えを示した。延期は5回目。来月、納期の見直しを発表する方針だ。


MRJは当初、13年に納入を始める予定だったが、設計変更などでこれまでに4回延期した。宮永社長はインタビューで、「機体への評価は国際的にも高い」と強調しつつ、「必要なテストがまだたくさんある。正直言って今の通りやってもなかなか難しい。(来年)1月中には対応を公表したい」と話した。





商用機というのはただ個体性能のいいものを作ればいいというものじゃないからなあ。需要のある時に需要のある場所に需要のあるものを適切に送り込まないといけない。ぐずぐずしているとせっかくの新型機もすっかり鮮度が落ちてしまって他社の後塵を拝することになってしまう。そうならなければいいのだが、・・。

Posted at 2016/12/26 14:02:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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