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2019年12月01日 イイね!

四式戦、紫電21型は傑作機か、駄作機か、・・(^。^)y-.。o○。

まとめ】
・紫電改と疾風は傑作機として知られている
・だが、性能は米戦闘機に対し比較劣位であった
・その高評価は防御側有利の影響が含まれている

紫電改と疾風は本当に傑作機だったのだろうか?
紫電改と疾風は傑作機といわれる。前者は日本海軍、後者は日本陸軍の戦闘機である。それぞれが太平洋戦争に実戦投入できた最後の、いわば最新鋭の機体であった。その高評価は米戦闘機と互角に戦った結果だ。有名なゼロ戦や隼は戦争後半には旧式化した。P-51やF-4Uといった米新鋭戦闘機に圧倒された。紫電改と疾風はその新型機と対等に戦えた。それゆえに高性能傑作機とされている。

かつては米軍機を圧倒できたとも信じられていた。日本側の過大戦果が鵜呑みにされた時代にはそう考えられていた。
この古いイメージはフィクションによく現れている。小説や映画、マンガは紫電改や疾風は遅れてきた傑作機として扱われている。「米新鋭機を圧倒する性能を持つ。しかし登場は遅すぎたため日本は戦争に負けた。悲劇の傑作機」の扱いである。(*1)

しかしその評価は妥当だろうか?
過剰評価である。本土防空での活躍は防御側有利の下駄を履いた結果だからだ。その有利を具体的に述べればつぎのとおりである。第1は戦闘距離の有利、第2は迎撃支援の効果、第3は救難体制の確保である。紫電改や疾風はこれらがあってどうにか対等に戦えたのだ。P-51は最高のレシプロ戦闘機とされる。紫電改、疾風を超える高性能機であり欧州・太平洋の両戦線で日独軍機を圧倒した。

■ 戦闘距離の有利
なぜ紫電改や疾風は米戦闘機と対等に戦えたのか?その第1は戦闘距離の有利を享受できた結果だ。日本戦闘機には基地近隣で戦える有利があった。本土防空である。戦闘時の飛行距離も滞空時間も短い。パイロットは燃料切れの不安なしに思う存分に戦えた。あるいは燃料搭載量を減らして機体重量を軽くもできた。それにより日本戦闘機は額面以上の性能を発揮できたのだ。

対して米軍機は遠距離攻撃の不利があった。
一つは燃料事情である。特に硫黄島から出発するP-51は往復距離ギリギリだった。戦闘でも常に帰り分の燃料を気にしなければならない。当然ながら日本戦闘機への攻撃も淡白となった。執拗な空中戦はできない。日本戦闘機に手負いまで追い込んでも深追いはできないのだ。また長距離飛行の疲労も伴った。本土防空戦では米軍機は進攻側となった。離陸から日本上空まで、日本上空から基地に帰投するまで長時間飛行をする立場となった。その点でも存分に戦えなかったのだ。(*2)紫電改や疾風の活躍にはこの戦闘距離の有利があったのである。

■ 迎撃システムの有利
第2は防空システムの支援をうけた結果である。本土防空戦では日本機は防空システムの支援を得られた。対して米軍機にはそれはなかった。これも紫電改や疾風が米新鋭機と対等に戦えた理由だ。レーダ情報利用の利益は大きい。戦争後半には本土各地にはレーダが整備されている。さらにそれら情報を集約し判断する防空指揮機能も存在していた。
日本戦闘機部隊は一方的にその利益を得られた。米軍機の来襲地域や概略の状況を事前に察知できたのである。うまくすれば日本戦闘機は米軍機を待ち伏せできた。また奇襲による被害も回避できた。飛行訓練中に攻撃される。あるいは地上で撃破される。そのような最悪事態を避けられた。また、日本戦闘機は自軍対空射撃からも利益を得られた。対空砲は米軍機に脅威を与える兵器である。その点で日本戦闘機を直接的に支援したわけではない。ただ、米軍機の足を引っ張った結果、日本戦闘機が有利に戦いやすくなったのである。

■ 救難の有利
第3は救難の有利を得た結果だ。これも日本機だけあって米軍機にない要素である。日本パイロットは撃墜されても脱出救難を期待できた。実際に本土防空戦ではパイロットの救難活動は軍民問わず積極的に行われていた。また不時着も選択肢となった。戦争末期は本土には多数の飛行場が設営されている。大損傷をうけてもそのいずれか、あるいは河川敷や田畑に滑り込めばどうにかなる判断も成り立った。そのため強引な戦いができた。脱出すれば、不時着すればどうにかなるからだ。その最たる例が震天制空隊で知られるB-29への体当たりである。爆撃機に体当りして落下傘で生還する。実際にそのような戦いも全くの不可能ではなかった。米軍機にはそれはなかった。少なくとも海上まで移動しなければ落下傘による脱出も危険であった。無事陸上に脱出しても日本捕虜となってしまうのだ。これも戦闘に影響した。日本戦闘機は米軍機に対し積極的に戦えた。対して米軍機は慎重となった。帰還や脱出を考慮すれば小規模被弾でも引き下がらなければならない。当然だが日本機への押しは弱くなったのである。

■ 活躍は敗北の結果
紫電改や疾風が活躍できたのはこれら防御側有利があった結果である。その効果は絶大である。それは二線級戦闘機の活動からも伺える。戦争後半の本土防空戦ではゼロ戦や隼も積極的に防空戦に参加している。そして紫電改や疾風には全く及ばないもののそれなりの戦果を挙げた。これも防御側有利の効果あってだ。それを考慮すれば紫電改や疾風への見方も変わる。性能で米戦闘機と対等だから活躍できたのではない。防御側有利を生かしてようやく対等に戦えたのだ。そもそも性能では一品下る戦闘機であった。額面性能や戦後の米軍試験、エンジン性能や機体設計の水準からすれば紫電改や疾風はあきらかに米新鋭機の一段格下である。つまり「遅れてきた傑作機」「悲劇の傑作機」の理解も誤っているのだ。高性能機だから活躍できたのではない。敗北により日本本土まで押された結果、ホームグランドで戦う有利が得られたのだ。それにより活躍できたに過ぎないのである。

(*1) 「悲劇の傑作機」の題材は太平洋戦争の枠をも超えて使われている。例えばゲルググは全くその扱いである。紫電改や疾風の「遅れてきた傑作機」の印象はゲルググに投影されている。80年代以降にはゲルググの印象になぞらえて紫電改や疾風を悲劇の傑作機と見る転倒した理解も生じている。

(*2) これは米海軍のF-6Fとの戦いが厳しかったことでも伺える。紫電改や疾風はP-51のほか性能凡庸なF-6Fをも強敵としていた。運動性良好がその理由としてあげられるがそれには戦闘距離の影響もある。F-6Fは日本近海まで接近した空母から出撃する。だから燃料問題はさほど深刻とはならなかったためだ。(文谷数重(軍事専門誌ライター))



太平洋戦争当時の日本の航空機技術で最も劣っていたのがプロペラ設計技術、そして次がエンジン、そしてその他にも油圧機器、電動機器、電装系なども欧米に劣っていたという。特にプロペラはほとんどが欧米のライセンスか模倣、四式戦のプロペラはフランスのラチェ製電動可変ピッチ、紫電はドイツのVDM製油圧可変ピッチであったが、いずれも作動不安定だったという。エンジンは誉(ハ45)だが、日本の当時の技術水準を超えた設計で設計通りの性能が出れば夢の高性能エンジンだったが、粗製乱造と燃料、潤滑油の質の低下で離昇出力2000馬力、高度6千メーターで1600馬力のところ、せいぜい1300馬力程度しか出ていなかったようだ。大体、当時の日本では91オクタン以上のハイオク燃料が作れなかったとか。また過給機も有効なものが実用化できず、高度性能も劣っていた。しかし、機体設計などは欧米と比較してもそん色はなかったようだ。ここで言うように地の利と言うのはあったかもしれないが、こうした技術的な遅れや物資の欠乏、そして数で圧倒されていたので地の利が特に有利と言うこともないと思う。また戦後米軍が日本の戦闘機のテストをしたところ、概ね速度が10%ほど向上したというし、テストに参加した実戦経験のある米軍パイロットは「自分が戦った日本戦闘機とは性能が段違いだ。同じ機体とは思えない」と言ったそうだからそれなりの性能は出せたのだと思う。四式戦は690キロ、紫電も670キロほどの速度を記録したというのでエンジンがカタログ通りの性能を発揮すれば飛び抜けた性能とは言えないまでも当時の第一線機としては十分な性能を持った戦闘機だったとは思う。戦果の誇大報告とは言ってもそれは日米一緒で米軍は撃墜されても搭乗員が生還すれば被撃墜とはカウントしていなかったようだし、公表していない被害もあったようではある。ただ、戦闘機を一つの戦闘システムとしてとらえればエンジン、プロペラから油圧、電装、燃料など明らかに米軍に劣っている部分があり、システムとしては米軍と比較すると格下とも言えるだろう。しかし、戦争末期の圧倒的な戦力差の中で欠乏する物資をやり繰りしながらよくぞ戦ったというところではないだろうか。
Posted at 2019/12/01 13:32:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2019年12月01日 イイね!

戦艦大和の巨大な砲塔を動かしていた動力は、・・(^。^)y-.。o○。

砲塔ひとつで駆逐艦1隻よりも重い
日本が生み出した世界最大の戦艦「大和」は、搭載するものの多くがビッグサイズです。そのなかでも最も大きく目立つのは、45口径46cm3連装砲塔でしょう。大和型戦艦はこの3連装砲塔を3基搭載しています。

この45口径46cm3連装砲塔は砲塔1基あたり約2500tあります。太平洋戦争期における旧日本海軍の駆逐艦がおおむね排水量2000トンですから、数字のみを一概には比較できませんが、ケタ外れの重さであることがわかります。こんな大重量の砲塔をどうやって動かしていたのでしょうか。
 
そもそも、なぜ「大和」の主砲塔がこんなに巨大なのかというと、46cm砲を3本まとめて搭載し、その下の艦体に埋め込まれている部分に弾薬庫や給弾システムを備えているほか、敵戦艦との打ち合いで敵の砲弾をはじくだけのぶ厚い装甲をまとっているからです。
 
この装甲は、砲塔上面が最も厚いように思われますが、いちばん厚いのは砲塔下部、艦体との接続部分で、ここは560mmもの厚さがあります。さすが世界最大の戦艦というべき装甲厚ですが、それゆえに約2500tという途方もない重さなのです。
 
この重く大きな砲塔を動かすために、「大和」は駆動方式に水圧を用いていました。とはいえ「大和」に限らず、太平洋戦争で用いられた日本戦艦は全て水圧式でした。出力と信頼性の面で当時、最も優れていたのが水圧だったからです。
1942(昭和17)年8月に撮影された大和型戦艦の2番艦「武蔵」。砲身1本あたり166tあった(画像:アメリカ海軍)。

戦艦の砲塔に水圧駆動が適しているワケ
2019年現在、大きなものを動かすには電気モーターや油圧が用いられることが多いですが、大出力の電気モーターが普及したのは第2次世界大戦後になってからで、大戦前は世界的に水圧もしくは油圧を用いていました。「大和」が建造されたのと同時期のアメリカでは、戦艦の砲塔駆動に油圧も使われるようになっていました。しかし、日本ではオイル漏れを防ぐシーリング加工などの工作制度が低かったため、油圧式の導入は軽巡洋艦や駆逐艦クラスの小型砲塔に限られました。
 
重巡洋艦以上の大型艦には、技術的に確立され、なおかつ漏れても問題のない水圧式が多用されたのです。ただし水圧式といっても、動力の源は蒸気タービンエンジンです。主機関として艦中央に搭載した蒸気タービンで発生した力を水圧ポンプに伝達し、このポンプを動かすことで砲塔各部を動かしていました。
 
水圧式の場合、内部には真水が充填されますが、油圧式だと漏れたオイルに引火する恐れがあるのに対して、水であれば引火の問題はありません。また漏れても真水は蒸発していくため、水量さえ気にして減ったらその都度補充すれば済みます。
 
さらに普段は、錆などメンテナンス性の観点から普段は真水を使っていましたが、戦闘などでポンプが破壊され、内部の水が少なくなったら、非常措置として海水を用いることができました。これらのメリットから、戦艦「大和」は駆動方式を水圧としたのです。
 
2019年現在、海上自衛隊の護衛艦が装備する主砲は、76mm単装砲や127mm単装砲ですが、これらは全て電気油圧式です。これら単装砲のなかで最も重いのは、はたかぜ型護衛艦が装備する54口径5インチ単装速射砲で重さは約67t、約2500tもの重さがある戦艦「大和」の45口径46cm三連装砲塔と比べると40分の1以下の重さです。戦艦「大和」は、この砲塔を3つも搭載していたのですから、やはりその大きさはケタ違いだったといえるでしょう。(柘植優介(乗りものライター))



貧乏国だった日本が米国に数で競っても勝てないので一点豪華主義で建造した戦艦大和・武蔵だが、それにしてもよくぞあんな戦艦を作ったものだ。今になるといろいろ言われるが、大和も武蔵も建造当時は想像もできなかった圧倒的な航空攻撃を受けて撃沈されたが、それでもどちらも10本から20本の魚雷を受けて沈んでいるが、それほどの抗堪性を示した戦艦は例がない。当時の日本では電動技術や油圧などのオイルシール技術などは欧米に劣っていたので確実な水圧ポンプ駆動にしたのだろう。航空機の脚を折りたたんだり格納したりする油圧作動機器や電動モーターもオイルが漏れたり茶道が不安定でものにならなかったらしい。大和・武蔵もソロモンをめぐる攻防戦辺りで使っていれば活躍の場はあったかもしれないが、航空戦力が隔絶してしまった戦争後半では活躍の場がなかったのは残念なことではあるが、常に油を気にしないといけなかった帝国海軍では動かせば大量の燃料を消費する大和・武蔵を容易には動かせなかったようだ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/01 13:29:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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