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2019年12月30日 イイね!

三菱スペースジェット、2020半ばの納期が見通せず、‥(^。^)y-.。o○。

国産初のジェット旅客機「スペースジェット」(旧MRJ)の開発が遅れている。型式証明の取得がなかなかできず、試験に必要な試験機の製造も遅れているのだ。三菱航空機はいま何を行っているのか。【毎日新聞経済プレミア・平野純一】
 
◇カギを握る「試験10号機」
スペースジェットを開発する三菱航空機は12月20日、開発の進捗(しんちょく)を説明する会見を開いた。ANAグループへの1号機納入はこれまで5回延期され、現在の納期の2020年半ばもあと半年余りに迫る。これを守れるかが危ぶまれる中、水谷久和・三菱航空機社長は「依然として厳しい状況であることには変わりない」と述べ、予定通りに1号機を納入できるかギリギリの協議を行っていることを明らかにした。
 
スペースジェットは航空当局からの安全性のお墨付きをもらう「型式証明」をまだ取得できていない。カギとなるのは、新設計の試験機(試験10号機)の完成だ。三菱航空機は17年、型式証明取得の際の安全性をより高めるため、それまで機体前方の1カ所に設置していた飛行制御機器を前方と後方の2カ所に分散配置して設計し直すことを決めた。10号機はその新設計による試験機だ。この決定により、18年半ばの納期は2年延期され、現在表明している20年半ばとなった。
 
これまで試験機で、基本的な機体の強度に始まり、暑さや寒さに耐えられるか、ブレーキ、騒音など、さまざまな試験を行ってきた。飛行時間もすでに3500時間で、一般に型式証明取得に必要とされる2500時間を超えている。だが、設計を見直した分、新しい試験機で行うテストもかなり残る。三菱航空機としては、一日も早く新しい試験機を飛ばしたいところだ。しかし、その新試験機がなかなか出てこない。10月31日に親会社・三菱重工業の泉沢清次社長は「年明けには飛ばしたい」と述べていたが、12月20日の会見で水谷社長は「スケジュール全体を見直している中で試験10号機をいつ出せるかについても言える状況にはない」とし、むしろ後退してしまった。
 
関係者によると、新試験機は現在、分散配置した制御機器が正常に動くか「ファンクション(機能)テスト」を繰り返している。この確認作業の進捗がカギになりそうだ。正常と確認できれば、飛行試験の拠点となっているアメリカ西海岸のワシントン州モーゼスレークの空港に送り、型式証明取得に向けた最終テストの段階に入る。
 
◇「民間航空機をつくれる国はわずか」
スペースジェットは、まだMRJと呼ばれていた15年11月に試験機が初飛行し、その後計4機をアメリカに送って飛行試験を行っている。ただ、会見に同席したアレックス・ベラミー最高開発責任者は「これまでの試験機はいわば“プロトタイプ(試作品)”で、型式証明を取るのにふさわしい機体ではなかった。新設計の試験機は飛行制御機器の分散をはじめ、17年以降に行った数々の改良により、型式証明を取りにいける機体になった」と述べた。

ベラミー氏によると、17~19年に約900項目にのぼる改良や設計変更を行ったという。主翼、水平尾翼、垂直尾翼の可動翼のコントロール装置改良、着氷防止装置の改良、エアコンダクトの配置変更、機体中央部下の形状の再設計……などなどだ。航空機の開発は、飛行試験を重ねるなかで改良を加えていくもので、確かにスペースジェットは進化しているが、納期があと半年余りに迫るなか、まだ型式証明が取れていないようでは、スケジュール的に非常に厳しいことは間違いない。だが、会見では「いつまでに型式証明が取れる見通しなのか」との質問に、水谷社長は「試験は当局が行うもので、いつごろ取得できるかということは、我々から言えるものではない」と答えるにとどめた。
 
また、スペースジェットに関する会見では、ほぼ毎回指摘される開発の遅れについて、ベラミー最高開発責任者は「民間航空機をつくれる国は世界に多くないし、つくれる企業も多くない。いま日本と三菱航空機は、そのわずかな国と企業になろうとしている。批判があるのはわかっているが、われわれは結果を出していくしかない」と述べ、理解を求めた。


YS11を作って50年、やっと次の旅客機を作れる機会が来たが、50年と言う空白期間が作り出した溝は技術的にあまりにも深かったというところだろう。技術には継続が何よりも大事だということだ。しかし、ここで止めてしまったら日本はもう二度と旅客機を作れない国になってしまう。関連企業の多いすそ野の広い航空機産業は明日の日本には絶対に必要な産業だ。万難を排してもがんばれ、三菱重工、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/12/30 13:02:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2019年12月30日 イイね!

西側の常識からはかけ離れた思想で作られたMIG25戦闘機、‥(^。^)y-.。o○。

「史上最速戦闘機」の称号は半世紀前の戦闘機に
速い「乗りもの」と言えば、なんといっても飛行機です。とりわけジェット戦闘機は、その飛行機を追い掛けて撃ち落とすことを仕事としているため、遅くては話になりません。ゆえにこんにちでは、よほど特殊な用途の機種以外はみな音速(マッハ:高度0mで1224km/h)を超える破格のスピードを持っています。その数あるジェット戦闘機において史上最速、ナンバーワンとして君臨する機種が、旧ソ連のミグ設計局が開発したMiG-25です。日本では1976(昭和51)年9月6日に、函館空港へ強行着陸したソ連防空軍戦闘機として知られています。
 
そのMiG-25の最大速度は、実にマッハ3.2に達します(非武装時または偵察型)。何度か速度世界記録への挑戦を行っており、半径80km円周500kmコースの所要時間から実測された平均対地速度は2981.5km/h(1962〈昭和37〉年)でした。これはいまもなお円周500kmコースにおける飛行速度の世界記録です。航空自衛隊最新鋭戦闘機F-35Aの最大速度がマッハ1.6ですから、マッハ3.2はその2倍という、ちょっと信じられないような数字です。MiG-25の驚くべき速度性能は、1960年代にアメリカが開発したマッハ3級の偵察機A-12(SR-71)「ブラックバード」、同じくマッハ3級のXB-70戦略爆撃機に対抗することを目的としていました。しかしながらマッハ3を超える速度の達成は、容易なものではなかったようです。最大の問題が「熱の壁」です。

速すぎるとボディが溶ける! MiG-25はどう克服?
マッハ3もの速度になると、機体の前縁で圧縮された空気が大変な高熱を生み出します。これは「熱の壁」などと呼ばれることがあり、大気圏再突入時に発生する高熱と同じ理屈です。熱の壁は飛行機にとって大きな問題となります。飛行機の構造材として広く使われているアルミ合金の融点を超えうるからです。アルミ合金は、軽くて丈夫でしかも加工しやすく安いという、飛行機の構造材としてはうってつけの金属です。しかしMiG-25は、その速度を実現するのに避けられない「熱の壁」の問題のためアルミ合金を使えません。その解決策として「鋼鉄」を使いました。鉄はアルミに比べ熱に強い反面、アルミと同じだけの強度を得るためには倍以上の重さぶんの量が必要であり、体積も大きくなってしまいます。飛行機に対して「あんな鉄の塊が飛ぶなんておかしい」というジョークがありますが、鉄はデメリットが大きいため、実際に鉄を主要な構造材とする飛行機はほぼ皆無です。
 
MiG-25は鉄によって熱の壁を解決しましたが、その結果として空気の薄い(抵抗の小さい)高高度へ上昇し、そして速く飛ぶ以外のすべてを捨てた、最大離陸重量40tを超える超大型戦闘機となりました。当然エンジンなども高高度の高速飛行に最適化されており、燃費は最悪です。大きな機体にものを言わせ、F-15「イーグル」の3倍近い14tもの大量の燃料を搭載しているにも関わらず、航続距離2575kmはF-15を下回ります。

最速の座に50年 伝説はいつまで続く?
MiG-25は上昇高度記録も持っており、ほかの戦闘機では到達することさえできない高度3万5000mまで4分11秒で駆け上がります。そして超音速まで加速し、大型のレーダーと高性能ミサイルを活かして一撃を加えるという目的に特化、世界で最も優秀な防空用「迎撃戦闘機」として、ソ連防空軍をはじめ多くの国にも輸出されました。実戦経験も豊富であり、1971(昭和46)年にまず偵察型MiG-25Rがデビュー。高高度をマッハ3.2で飛ぶMiG-25Rをレーダーで発見できても、戦闘機も地対空ミサイルも容易に振り切ってしまうため、MiG-25は世界中に衝撃を与えました。そして戦闘機型も1991(平成3)年の湾岸戦争において、アメリカ海軍のF/A-18を撃墜しました。これはアメリカ軍にとって、ベトナム戦争以降の戦闘機VS戦闘機、唯一の敗北です。

一方1970年代以降、飛行機に最大速度の向上が求められることはなくなりました。熱の壁の問題に加え、超音速飛行はあまりに燃費が悪すぎたためです。亜音速の巡航能力が重視されるようになり、戦闘機も非常時にマッハ1をわずかに超える程度の能力があれば十分となりました。結果として、あくなき速度競争の最終勝利者となったMiG-25は、現在に至るまで50年もの長きにわたり王座の地位に君臨しています。MiG-25も亜音速飛行能力が重視されるようになり、最大速度を抑え燃費を改善した発展型MiG-31が開発されました。そして現在ロシアでは、MiG-31の後継を担う次世代迎撃戦闘機開発を計画しており、「MiG-41」とも呼ばれています。MiG-41はマッハ3から4以上の速度が与えられるともされます。MiG-25の伝説を受け継ぐ最速戦闘機が実現するか否か。その動向が注目を集めています。(関 賢太郎(航空軍事評論家))


高空をマッハ3で飛行するためだけに作られたMIG25戦闘機は高熱にさらされる部分はニッケル鋼やステンレスが使われていたという。高度1万メートル以上をマッハ3で飛行するMIG25に当時西側の最新戦闘機だったF4は手も足も出ず米軍は青くなったそうだ。そのためにF15、F14などの新型戦闘機を立て続けに開発することになったというが、新型戦闘機の予算確保のためにMiGの脅威をことさら強調したという話もある。この方が真実っぽい。函館空港にMiGが強行着陸した時は大騒ぎで無暗にいじると重要部分に仕掛けられた爆薬が爆発して機体を破壊するとかで自衛隊は手も足も出ず、米軍が来るまでお手上げだったそうだ。その間空港の警備に派遣された陸海空自衛隊は機体を破壊しに来る旧ソ連の航空機あるいは特殊部隊との戦闘を覚悟して配置についていたという。その後、低空侵入に弱点があった日本の防空システムはE2Cの装備などで改善された。しかし、機体構造の80%に鋼を使用し、マッハ3で飛行する戦闘機は後にも先にもこの機体だけだそうだ。たった一つの高性能のために他のものはすべて捨てるという思想は昔の日本にも似ているように思う。いずれにしても西側の常識からみれば奇想天外とも言うべき戦闘機であったことは間違いない、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/12/30 12:58:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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