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2020年02月15日 イイね!

100年前に作られた機関銃が現在も現役、これを凌ぐ機関銃が作れないという現実、・・(^。^)y-.。o○。

■強力な「代替なき老兵」ブローニングM2重機関銃(アメリカ)
第一次大戦当時のフランスは、技術先進国であり軍事大国として君臨していた。そのため、当時は軍事的にまだ二流国だったアメリカから軍人の留学生を多数受け入れており、そのひとりにジョン・パーカー陸軍大佐がいた。1917年、フランス陸軍機関銃研修所に派遣されていた彼は、同所でテスト中だった11mm弾と、同弾を使用するホチキスの試作重機関銃に強い興味を示していた。

フランス陸軍は戦訓により、航空機や気球、装甲車に対して、小銃弾を使用する機関銃では威力不足なことを経験していた。そこで、これらの手強い敵を撃破可能な大口径の機関銃と弾薬をテストしていたのだが、当然ながらアメリカ陸軍も同様の兵器を求めていた。威力が強く弾道の低伸性(まっすぐ進むこと)が良好な11mm弾の特性を高く評価したパーカーは、母国の陸軍兵器局宛てに詳細な報告を送った。同時期、在欧アメリカ軍総司令官ジョン“ブラックジャック”パーシング将軍もまた、戦場からのレポートに基づき、小銃弾より強力な弾薬を使用する機関銃の必要性を強く求める要望書を提出した。さすがに将軍であるパーシングの要望は効果的で、兵器局はコルト社に対し、パーカーが報告したフランス製11mm弾を使用する、M1917機関銃をベースにした試作銃の開発を命じた。

ところがアメリカ陸軍内部では、ドイツ軍から鹵獲した13mm対戦車銃弾に比べて、フランス製11mm弾では威力不足ではないかとの意見が多く聞かれた。そこで兵器局は、ウインチェスター社に対して11mm弾より強力な弾薬の開発を要請。その結果、50口径(12.7mm)ブローニング弾が生み出された。一方、この弾薬を使用する銃は、銃器設計の天才といわれたジョン・ブローニングに新規の設計が依頼され、1918年9月に試作銃が完成した。だがこの試作銃は射撃時の振動が激しく、照準が難しかった。とはいえ戦時下だったので、兵器局は不満足ながら同銃を50口径重機関銃M1918として仮制式化したものの、実戦には間に合わなかった。

 戦後、このM1918を再検証して改修を加えたM1921を経て、さらにいっそうの改良が施されたモデルが1933年にM2重機関銃として制式化された。21世紀の今日まで連綿と続く「M2神話」の始まりである。堅牢で威力があり信頼性が高いM2は、軍用車両、艦艇、航空機、歩兵用と、あらゆる用途でその大威力を発揮した。例えばジープに装備すれば、単なる自動車に軽装甲車並みの火力が備わることになった。また、重量の点で航空機にも多数を装備しやすかったため、本銃の航空用モデルを6挺も8挺も搭載したF6FヘルキャットやP-47サンダーボルトといった単発戦闘機は、空戦だけでなく地上掃射にも大活躍した。

一方、弾薬の50口径ブローニング弾は、今日ではアンチ・マティリアル・ライフルに採用され、遠距離狙撃でその威力を発揮している。こうして、M2は今日もなお「代替なき老兵」「オールド・フィフティ」「ビッグ・フィフティ」「マ・デュース(「M」を「マ」、「2」を俗称の「デュース」に読み換えて)」などといった愛称で、アメリカ軍やその同盟国の軍隊で運用され続けている。まさに名銃といえよう。(文/白石光(戦史研究家))



太平洋戦争の日本の軍事技術レベルを批判するのに「日本は日露戦争当時の明治の小銃で昭和の戦争を戦った」などと揶揄するが、とんでもない間違いである。38式歩兵銃と言うのは確かに明治38年に正式採用になった小銃だが、6.5ミリと言う口径に比して尖頭弾で弾頭重量が大きいので空気抵抗が小さく弾道が低伸するため命中精度が良く、海外にも多くが輸出され、現在でもスポーツ射撃に使用されるなどなかなかの名銃ではある。460メートルで8ミリの鉄板を貫通、同様に22センチのレンガブロックも貫通し、至近距離では人体3体を貫通したという。ボルトアクションライフルは20世紀の初頭にはほとんど改良の余地がないほどに完成されていて明治の小銃でも昭和の小銃でも基本的に変わりはなかったそうだ。機関銃も同様でこのM2重機関銃は現在も自衛隊や海保などで使用される名銃ではある。太平洋戦争では日本は航空機には一撃必殺の20ミリと言う大口径機銃を多用したが、米国はこのM2一本で補給が容易で初速が速く弾道が低伸するこの機銃には相当に痛い目に遭っている。このブローニングM2重機関銃も原型ができたのは1917年だが、以後100年を経過してもこれを凌ぐ機銃が出現しない。米軍では2回にわたって更新用の機銃を作ったが、構造が複雑で信頼性が低いなど結果としてM2を超えることができなかったそうだ。古い技術でもそれが完成され尽くしたものであるとそのレベルと言うのは恐るべきものがあるようだ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/02/15 16:15:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2020年02月15日 イイね!

車に転用された軍事技術だって、・・(^。^)y-.。o○?

クルマの世界にインパクトを与えた航空技術
text:Tom Evans(トム・エヴァンス)
今日、クルマにつかわれている技術は、もとは軍事や航空向けに発明されたものが数多くある。わたし達が普段何気なく使っているものも、実はかなり異なる用途や目的を持っていた。

アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)
EUおよび米国で生産されるクルマへの装着が義務化されている、アンチロック・ブレーキ・システムは、フランス航空界のパイオニア、ガブリエル・ヴォアザン(1880-1973、写真左)によって発明された。航空機はしばしば、タイヤを破裂させることなく、前線近くの短い滑走路に着陸、停止しなければならなかった。そこで、ヴォアザンは、第一次世界大戦の終わり頃に生産した軍用機(写真右)に、初歩的な機械形式のABS技術を採用した。
■クルマに使われているアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)
ABSは、今日のロードカーの最も重要な安全機能の1つだろう。ほとんどの路面、ほとんどの条件で、各車輪のブレーキ圧力を変化させてロックアップを防ぎ、クルマをより速く停止させることができる。この技術は、1966年に英国の4輪駆動スポーツカーであるジェンセンFFのロードカーに最初に採用された。1970年には、電子制御式ABSが、さまざまなクライスラーモデルに採用されたが、メルセデス・ベンツは、1978年にさらに洗練された4輪マルチ・チャンネル・システムをSクラスW116に導入した。

ヘッドアップディスプレイ(HUD)
ヘッドアップディスプレイ(HUD)の歴史は第二次世界大戦以前にさかのぼる。射撃の正確性を高めるため、航空機の照準器に十字線を追加したのが始まりだった。戦時中、イギリス空軍は、レーダースクリーンをモスキートの夜間戦闘機のフロントガラスに反射させることに成功した。この技術は戦後、徐々に高度になり、さまざまな脅威の兆候を戦闘機のディスプレイに表示できるようになった。
現在では民間航空機でも使われている。
■クルマに採用されているヘッドアップディスプレイ
HUDは、オールズモビル・カトラス・シュープリーム・コンバーチブル・インディ500ペースカーのプロダクションカーに最初に搭載され、1988年に50台がカスタマーに提供された。1990年にデジタルディスプレイに速度が表示される機能がオプションとして、オールズモビル・カトラス・シュープリーム・サルーンに採用され、より定着したものとなった。GMは、同社が1985年に購入したヒューズ・エアクラフトの名残であるヒューズ・エレクトロニクスの子会社からこの技術を入手した。

ヒーテッド・ウィンドスクリーン
導電性コーティングで覆われたガラス板に電流を流すことで、ガラスを加熱する機能のことを言う。低温や高地でフロントガラスの凍結を防ぐため、第二次世界大戦中の航空機で広く使われていた。戦後、安価で製造できるようになったため冬のクルマのフロントガラスの除氷への利用が検討されるようになった。フォードが初めてこのシステムを採用し、1974年のアメリカ国内のさまざまなモデルに使われたが、信頼性は低かった。1985年、ヨーロッパ向けフォード・グラナダ(写真上)とフォード・トーラス(写真下)およびマーキュリー・セーブルに、より技術の高いヒーテッド・ウィンドスクリーンが採用された。現在ではフォードの定番となっており、他の多くのメーカーでも採用されている。

チタン
素材としてのチタンは、非常に強く、軽く、腐食に強く、航空宇宙産業に最適とされている。機体の92%がチタンで作られていた、アメリカのロッキード社製SR-71「ブラックバード」偵察機(写真)は、皮肉にもそのほとんどのチタンがロシアから調達されていた。
■クルマで使われているチタン
チタンの利点はクルマにも当てはまるが、コストが高いため、通常の量産モデルには使用されていない。チタン排気システムを搭載したコルベットC7などの、プレミアムスポーツカーやスーパーカーに採用されている。2015年、世界初のフルチタン・スーパーカー、ICONAヴルカノが210万ポンド(3億円)で発表された。

V8エンジン
1902年にフランスの先駆者レオン・ルヴァヴァッスール(1863-1922)によって発明された最初のV8エンジンは、カナード機に取り付けられ、その後、第一次世界大戦中に戦闘機に搭載された。V8エンジンは当初、プロジェクトの財政支援者の娘にちなんで「アントワネット」と呼ばれていた。
■クルマに搭載されているV8エンジン
V8エンジンの発明なくしてクルマの歴史は語れないだろう。今日の小型化時代でも、多くの人気のあるスポーツカーに搭載されている。アメリカでは依然として人気が高く、ピックアップ、SUV、およびダッジ・チャレンジャーSRTのようなマッスルカーで採用されている。

レーダー
このテクノロジーは英語のRAdio Detection And Ranging(電波探知測距)を略してレーダー(Rader)と呼ばれるようになった。1930年代、空爆を恐れる多くの国々で、他の国に知られないよう秘密裏に開発された。レーダーは、爆撃機への攻撃をいち早く察知することで、戦いをより公平なものにすることができた。
1940年の英国空中戦で、イギリスがドイツ空軍に対して使用した、チェーンホーム・レーダーシステム(写真)が最初の成功例とされている。
■クルマに使われているレーダー
レーダーのクルマへの使用は、1982年、トヨタがコロナにバックソナーを取り付けたのが始まりだ。1998年、メルセデス・ベンツはレーダー技術をW220 Sクラスに使用し、量産車で利用可能なアダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)を世界に紹介した。

GPSナビゲーション
位置がわからなくなり、燃料を使い果たし、墜落するというパターンは、第二次世界大戦の数年後まで、非常に多かった。そこで、1950年代に米国政府は衛星を利用した、航空機、船舶、潜水艦の位置をグローバルで把握するトランシットシステム(写真)を立ち上げた。1993年には、はるかに正確なシステムである、Global Positioning System(GPS)に置き換えられた。
■クルマに搭載されているGPS
マツダ・ユーノス・コスモは、1990年にGPSを利用したサテライトナビゲーションを装備した最初の量産モデルとなった。1994年には、BMW(7シリーズE38)がヨーロッパで、翌年にはGMのオールズモビルがアメリカで、それぞれ初めてGPSを搭載したモデルを発表した。オールズモビルは、ガイドスターと呼ばれるシステムを採用した。すべてのGPS対応機器は米国空軍の善意により運営されている。

燃料噴射装置
燃費、出力、および信頼性を大幅に向上させた燃料噴射装置は、アントワネットV8航空機エンジンで最初に使用された。第二次世界大戦中には、戦闘機エンジン、特にメッサーシュミットBf 109(写真)のようなドイツ製エンジンで広く普及した。特定の操作中に電力を失う可能性のあるブリティッシュ・スピットファイアなどの航空機で使用されていたキャブレター・エンジンに対し、燃料噴射装置付きのエンジンは優位に立つことができた。
■クルマ用の燃料噴射装置
最も注目すべき燃料噴射装置エンジンの1つに、メッサーシュミットBf 109で使用されているダイムラー・ベンツDB 601のV12エンジンがある。戦後の時代を象徴する新しい魅力的なスポーツカー用の高性能パワープラントが必要だったダイムラーは、DB 601のシリンダーを半分に減らし、容量を33.9Lから3.0Lに縮小してもなお、243psを実現するエンジンを開発した。こうして、1954年にニューヨークショーで発表された、かの有名なモデル、メルセデス300SL「ガルウィング」のエンジンが生まれた。このモデルには、機械式燃料噴射装置が採用された。電子制御式燃料噴射装置は、1958年にクライスラーが生産したさまざまなモデルで採用されている。

ターボチャージャー
ターボチャージャーは、圧縮した空気をエンジンの燃焼室に送り込み、より多くの電力を生成する。1905年に特許を取得したが、1915年になって初めてターボチャージャーが燃焼機関に取り付けられた。フランス人エンジニアのアウグスト・ラトー(1863-1930、写真左上)は、第一次世界大戦中にフランスの戦闘機に搭載されたルノー・エンジンにターボを取り付けた。ラトーの独創的なシステムは、高度に関係なく、エンジン内の空気圧を一定に保つことができたため、空気が薄い場所でもその性能を発揮することができた。
■クルマに搭載されているターボチャージャー
今日、ターボチャージャーはクルマのガソリンエンジンで広く使われていて、比較的小さなエンジンから大きなパワーを生成するのを助けるため、燃費の向上に重要な役割を果たしている。ディーゼルエンジンにとっても、出力とトルクを向上させることのできるターボチャージャーは必要不可欠なものとなっている。
(AUTOCAR JAPAN)



民生技術と言うのは軍事技術から派生しているものが多い。地球上でもっとも好戦的な生物である人間は戦うことに関しては血道を上げて力を尽くす。車で画期的だったのはABS、レーダー、GPS、燃料噴射装置、過給機辺りだろうか。熱線ガラスなどは当たり前、チタン素材は車よりも鍋かまの世界が多用されているようだし、多気筒エンジンはエコで絶滅危惧種だろう。ABSは登場した時は車が変わるかと思った。その後、何台かABS付きの車に乗ったが、今のところ、ABSの世話になったことはない。レーダーも画期的だった。AH64戦闘ヘリに雨中でも使用可能なミリ波レーダーが装備されたという話を聞いていたが、車にミリ波レーダーがつくというのでどういうことだと思った。なんと衝突防止装置のためだった。排気タービン過給機も今は世界市場の9割が日本製と言うが、太平洋戦争当時は日本では実用的な過給機が作れず、高度1万メートルを飛行して都市無差別爆撃をするB29に有効な打撃を加えられず日本中丸焼けになった。当時、日本に実用的な過給機があればB29にもう少し痛い目を見せられたかもしれない。GPSはこれも画期的なデバイスで今では車もバイクもGPSなしでは乗れなくなった。当初は自車位置と目的地の方向を示すだけだったが、最近は様々な機能が加わって多様化している。スマホで代用している人が多いが、スマホは徒歩を基準にしているのでとんでもない道を案内することが多いとか聞く。燃料噴射装置も太平洋戦争中にドイツのボッシュ製の燃料噴射装置を購入して国産したものを三菱の金星エンジンなどに使っていたようだ。車の燃料噴射装置も採用当初は異常燃焼を起こすなんてこともあったようだが、最近の内燃機関では直噴が当たり前になっている。HUDは一部の車でフロントガラスに速度を表示する程度には使われているようだ。もっと多くの情報を表示してもいいと思うが、読み取りに忙しくなって事故を起こすなんてことがあるかもしれない。この先、最も大きく変わりそうな技術と言ったら自動化と動力だろうか。軍事の世界では兵器の無人化が進んでいるが、車も同様に自動運転技術が進んでいる。また動力も内燃機関から電力へと変化している。最近は8輪駆動の電動装甲車が8輪を微細に制御して超信地旋回をするなどという研究がおこなわれているが、この辺りは民生技術が軍事に転嫁するという逆転現象が起こるかもしれない、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/02/15 10:43:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2020年02月15日 イイね!

新型肺炎、防疫よりも治療体制の確立が急務だろう、・・(^。^)y-.。o○。

新型コロナウイルスをめぐり、日本国内で感染経路が「不明」の感染者が相次いで見つかり、日常生活の中で広がる「市中感染」が現実味を帯びている。専門家は「新しい局面に入った」と警戒感を強め、重症者の早期発見と適切な治療の必要性を呼びかける。いまだに3千人超の乗客乗員を抱え、感染者が後を絶たないクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応も続く中、国内の検査・医療態勢は十分といえるのか。国内初の死亡例を含む13日に公表された4人は、湖北省・浙江省への渡航歴を含めた中国との明確な接点がなかった。肺炎患者との接触も見受けられず、人から人への感染が連鎖的に起きた末の市中感染が強く疑われるケースといえる。神奈川県の80代女性の感染が確認されたのは13日の死亡後だった。ただ、1月22日から倦怠(けんたい)感などの初期症状を見せており、湖北省武漢市の空港が閉鎖される前の同月中旬ごろには感染していた可能性がある。
 
日本感染症学会の舘田一博理事長は「当時武漢市から来た人が無症状のままウイルスを持ち込んでいてもおかしくない。そこから感染した人がいても、初期なら風邪のような症状だから分からない」と感染拡大の経緯を推測。その上で「国内でも発見された症例以上に、水面下で感染が広がっている」と指摘する。国内の感染者はチャーター機やクルーズ船関連を除き、11都道府県にまたがる。ただ、大半が感染経路をたどれ、厚労省は「流行が認められている状況ではない」と一貫して説明。同日の加藤勝信厚労相も「流行している状況ではないとの見解を変更する根拠はない」との姿勢を崩さなかった。一方で、感染拡大の流れを否定せず、検査・医療態勢の強化方針を示している。クルーズ船の検査に追われる中、民間会社や大学などの協力も得て、1日の処理能力を約1100件に増強。最短15分でウイルスの有無を判定できる検出機器も3月末までに導入する。医療面では同船の感染者の入院先が当初の神奈川、東京では収まらず、北関東や長野、山梨にも依頼。今後も感染が爆発的に広がった場合、患者を受け入れきれるのかの懸念が募る。
 
感染症患者向けの設備がが整った指定医療機関は全国約370カ所で約1800床あり、「重症者には十分対応できる」(同省)。これに加え、一般の医療機関でも入院可能だとの通知を自治体に出している。舘田氏は「大事なのは、重症化しやすい高齢者や持病のある人の感染予防。多くの軽症者はインフルエンザと同じように自宅で療養し、感染を広げない。重症者に適切な治療を行うなどのすみ分けが必要な時期になってくる」と話した。



今回の新型肺炎は防疫よりも治療に力を入れる段階に入っているだろう。クルーズ船は失敗例だったかもしれないな。もっと早期に感染者とそうでない人を分離すべきだった。やむを得ない部分はあるけれど、・・。いずれにしても日本の医療体制であれば中国のようなことになることはないだろうし、対応が難しいということもないだろう。早期に治療態勢と整えるべきだろう、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/02/15 10:38:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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