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2021年01月11日 イイね!

緊急事態宣言は「Gotoトラベル」を停止した際に行うべきだった、‥(^。^)y-.。o○。

共同通信社が9、10両日に実施した全国電話世論調査によると、菅内閣の支持率は41.3%だった。12.7ポイント急落した12月の前回調査から、さらに9.0ポイント下落。今回の不支持率は42.8%で、政権発足から約4カ月で不支持と支持が拮抗した。新型コロナ感染拡大で1都3県に再発令した緊急事態宣言のタイミングは「遅過ぎた」との回答が79.2%に上った。政府のコロナ対応を「評価しない」が68.3%。評価するは24.9%で安倍政権下を含め最も低かった。内閣不支持理由では「首相に指導力がない」が41.2%で最多だった。回答は固定電話521人、携帯電話520人。


緊急事態宣言の発令は「Gotoトラベル」を停止した時、この時に抱き合わせで緊急事態宣言をして「国民に危機感を持ってもらうためにGotoトラベルを停止する。感染防止のために飲み会宴会、会食はぜひ控えて欲しい」と注釈をつけておけばもう少し効果が上がっただろう。日本人は超他力本願だからどうしてもお上に頼りがちになる。そうした時に強いお上でないと拠り所をなくしてそっぽを向く。東日本大震災の時がそのいい例だ。お上が頼りないと認識すると日本人はとんでもないエネルギーを発揮して自ら事態に対処しようとする。でもこの程度の危機では超他力本願のままであり、支持率命の政治家には底が付け目ではある。「強く、分かりやすく、効果が上がるように」、これが大原則で場合によっては拙速も必要だろう。また5万円を配れなんて意見もあるが、そんな金があるならワクチンや治療薬の開発につぎ込むべきだと思うがどうだろう、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2021/01/11 14:55:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2021年01月11日 イイね!

継続の力、新明和「US-2」救難飛行艇、‥(^。^)y-.。o○。

水上で離発着できることから、「空飛ぶ船」との異名を持つ航空機「飛行艇」。国内唯一の飛行艇メーカーである新明和工業(兵庫県宝塚市)が2020年、創業100年を迎えた。滑走路のない離島や海難事故現場から、千人超の急病人やけが人を搬送してきたユニークな機種を、同社はどんな経緯で手掛けるようになったのか-。1世紀にわたる航空機造りの軌跡をたどった。(長尾亮太)

第1次世界大戦が終息しつつあった1918(大正7)年5月。日本毛織社長の川西清兵衛は、群馬の実業家と飛行機製作の会社を設立した。協力相手は中島知久平(ちくへい)。自動車メーカーのSUBARUの前身、中島飛行機の創業者である。もともと中島の飛行機開発を資金面で支えてきたのは、神戸の米穀肥料商だった。ところが、経営に行き詰まり、清兵衛はその事業整理を引き受けた縁で中島の動きを知ったのだ。「これからは飛行機の時代だ」。大戦で初めて戦線に投入された飛行機が注目される中で、その好機を逃さなかった。

中島と意見が食い違い、わずか1年8カ月で決別したものの、群馬から引き揚げてきた若い技術者たちが「もう一度、飛行機をやらせてほしい」と清兵衛に懇願。毛織物の増産に向け、20年に発足させたばかりの繊維機械メーカー「川西機械製作所」の倉庫で、飛行機づくりが始まった。赤字を出しながらも技術を磨き上げ、清兵衛は28(昭和3)年11月、川西機械の飛行機部を「川西航空機」として独立。翌月に海軍の指定工場となり、新たな大口納入先を手にした。海軍の要請に応じ、水上で発着できる機体を開発するため、海に面した西宮・鳴尾に本社工場を移した。当時は大型機の着陸に耐えられる「脚」の部品や滑走路の造成技術が未熟で、機体への負担が軽い水上での発着が求められたからだ。

胴体下部が船体となって水面に浮かぶ飛行艇に初めて携わったのは31年。海軍が英国から調達した機種の分解・組み立てを川西航空機が任されたのだ。このとき英国人から教わった技術が、後の飛行艇開発の礎となった。川西航空機は「九七式」「二式」と呼ばれる自社開発機を投入。長い航続距離と輸送力を生かし、南太平洋で偵察や兵士、物資の輸送に珍重された。ところが、太平洋戦争で飛行艇の需要は縮小する。戦況悪化で本土攻撃の恐れが強まると、航続力の長さは意味をなさなくなった。「代わりに戦闘機が必要になる」と見定めた川西航空機は42年に「紫電」を、翌年には改良版の「紫電改」を生み出した。最新鋭の強力エンジンを載せたところ、高い性能を発揮した。零戦の後継機として海軍は国内で生産する戦闘機を紫電改に絞ったが、8月の終戦が迫るタイミングだった。「年1、2機のハイペースで新型機を開発した戦時中は、飛行機製造の技術が目覚ましく進歩した」。飛行艇や戦闘機の主任設計者を務めた故菊原静男さんは、戦後の後輩に向けた講義で胸を張った。ただ、送り出した機体は戦争に使われたため、表情はどこかもの悲しさを帯びていたという。

■戦後
敗戦国の日本は1945年から7年間、連合国軍総司令部(GHQ)に航空機の生産を禁じられた。解禁を受けた53年、新明和は飛行艇の開発を再開した。目指したのは、3メートルの荒波でも発着できる性能だ。「天候に左右されず常時使えるように」と、設計者の故菊原静男さんは考えた。着水の衝撃を最小化するために低速でふわりと降りることを目指したが、一定の速度がないと揚力が減って落下してしまう。そこで、翼の上に空気を吹き出して揚力を生み出す理論を実用化。着水時の波しぶきでプロペラやエンジンの故障につながらないよう、胴体底に設けた溝で波の勢いを止める「波消し装置」も生み出した。

こうして開発したのが、海中にソナー(音波探知機)をつり下げて潜水艦を探し出す飛行艇「PS-1」だ。70年代を中心に23機を送り出したが、空からソナー付きのブイを海面に落として潜水艦を探知する哨戒機に代替されると飛行艇は使われなくなり、生産が打ち切られた。それでも「飛行艇づくりの灯を絶やすな」と、新たな役割として「救難」を提唱した。救急搬送に欠かせない陸上で発着できるように「脚」を付ける改造を経て、74年に「US-1」が完成。2005年までに20機を防衛庁(現防衛省)に納めた。

新型飛行艇の開発でメインの契約先に指名する-。そんな吉報が届いたのは96年。飛行艇の製作拠点である甲南工場が阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた翌年だった。「この開発の成功を震災復興のシンボルにしよう」と、関係者が一丸となって開発は始動したが、US-1の開発からすでに四半世紀が経過。経験者は少なく「図面はあっても『なぜそうなるのか』との設計思想が分からなかった」と石丸寛二副社長(63)。OBや防衛省ベテラン技官から助言を受け「何とかひもといた」という。

高い高度を飛べるように機体内部の気圧を高められる構造にするなど、新規開発に匹敵する大がかりなプロジェクトとなったが、川崎重工業など他の機体メーカーの協力も得て、8年の歳月をかけて完成させた。カナダやロシア、中国も飛行艇を製作する中、波高3メートルの外洋で離着水できる性能を備えるのはUS-2のみで、インドなどが輸入に関心を示す。また、大規模な火災を空から消火する「消防飛行艇」など新たな用途の研究も進めている。川西機械製作所の発足以来、時代の荒波をくぐり抜けながらつかみ取ってきた飛行艇づくりの技術。それだけに「救難や救助など人命を守るための任務を通して社会の役に立ちたい」と、石丸副社長は力を込める。


川西は戦前は一貫して飛行艇の開発に尽力してきた。太平洋戦争後期には強風と言う水上戦闘機から改良発展した紫電、紫電改と言う陸上戦闘機も手掛けた。戦後は新明和と会社の名称を変更して産業機器システムや特装車などを手掛けるとともにPS1、US1、そして現在はUS2と言う飛行艇を自衛隊向けに生産している。3メーターの波高の荒れた海にも着水できる高性能飛行艇だが、自衛隊向けのみの少数生産で1機100億円超の高価格のためになかなか輸出ができない。それでも非常に高性能な機体でこれはやはり開発を継続してきた賜物だろう。技術は継続して続けないと進歩しない。三菱重工のスペースジェットは飛行機としてはよくできた飛行機だったが、旅客機としては失格だった。それはYS11開発後50年と言う空白があったからだ。飛行艇と言う機体自体は用途が限られ、今後、販路が拡大する可能性は少ないが、日本のように四周を海に囲まれた国には必要な機体だろう。今後もぜひ開発を続けて欲しいがなかなか難しいかも知れない、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2021/01/11 14:09:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2021年01月11日 イイね!

経済規模が鳥取県と同程度の北朝鮮が何で原潜なんか作れるんだ、‥(^。^)y-.。o○。

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が第8回党大会で「新しい原子力潜水艦設計研究が終わり、最終審査段階にある」と述べ、原子力潜水艦の開発を初めて公式化した。北朝鮮が戦場の「ゲームチェンジャー」と呼ばれる原子力潜水艦を保有する場合、北東アジア軍事力競争構図の再編に少なからず影響を及ぼすと予想される。

北朝鮮の原子力潜水艦は従来の潜水艦より規模が大きい5000-6000トン級で、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)6基以上を搭載できると推定される。相手に探知されず米国本土に接近し、奇襲でSLBMを発射できる。原子力潜水艦は理論上3カ月間ほど海上に出ることなく航海でき、戦力の露出なく作戦遂行が可能だ。

SLBM6発を搭載できる5000トン級規模である可能性が高い。軍の一部ではSLBM10-12発ほどを搭載できる最大6000トン級という見方もある。原子力潜水艦は韓国も推進中の核心戦力で、徐旭(ソ・ウク)国防部長官は昨年11月、「(原子力潜水艦の開発)推進を検討している」と述べた。

※本記事の原文著作権は「韓国経済新聞社」にあり、中央日報日本語版で翻訳しサービスします。


鳥取県と同程度のGDPしかない国がどうして核兵器だのミサイルだの原子力潜水艦などと次から次へとできるんだろう。その程度の経済力でそんなことが可能なら日本の各県はすべて核大国になれそうだな。まさに不思議な国ではある。仮に北朝鮮が米国と戦争をすると経済規模では米国と鳥取県が戦うようなものではある、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2021/01/11 14:06:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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