2021年07月11日
今日は、実際には昨日だが、久しぶりに86に乗ってきた。遠くに行ったわけではなく近場をちょっと走ってきただけだが、大磯ロングビーチのプリンスホテルはオリンピックセイリングの選手村になっていた。大会中は大磯~江の島間は交通規制があるそうだ。
ガソリンは高値のままで近所のスタンドではハイオクが165円、レギュラーが154円で会員価格だと4円ほど下がる。ガソリンが高いから乗らなかったわけではないが、梅雨で雨の中を乗り回すと泥跳ねで汚れるし、掃除もできないので何となく控えていた。
3週間ぶりで乗った86だが、やはり安定した走りは特筆ものではある。西湘バイパスから小田厚、秦野中井から大井松田まで東名と短い距離ではあるが高速走行も楽しんできた。ただ最近は高速も無暗に飛ばさずにのんびり走っている。まあ飛ばせばそれなりに速いけどぶっちぎりというわけでもないし、お上も目を光らせているのでお手を煩わせるのは恐れ多い。まあのんびり走っても非常に安定していて楽しい車ではある。東名を降りて矢倉沢の山道を走ってきた。大した山坂道ではないが、まあこんなものでもステアリングを楽しむには悪くはない。
86の排気音だが、最近の車にしては排気音が大きいなどというのもいるが、わざわざそういう音を作っているのでその分にも金がかかっている。そういえばコペンも軽にしてはなかなかいい排気音だった。そうした音作りにもそれなりに金がかかっているので、それをうるさいと言われては立つ瀬がないだろう。まあ86GRの排気音はいい音だと思う。
86GRで何がいいかと言えば正確なステアリング、扱いやすい適度なパワー、安定した走行性、そして座り心地のいいレカロシートだろう。GRは外注部品を入れなくなっていると言うが、スープラ、ヤリスやGR86のシートはどうなんだろう。レカロと同程度のものが入っているんだろうか。やっと梅雨が明けたようでバイクや車で遠出できる季節になった。新型コロナ感染症は続いているが、バイクや車で走るのは問題ないだろう。できるうちに楽しもう、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2021/07/12 00:39:38 | |
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自動車 | 日記
2021年07月11日
太平洋戦争前から戦中にかけて三菱重工が設計製造した金星という航空機用空冷星型エンジンがある。このエンジンは海軍に採用され、海軍の主力エンジンとして多くの海軍機に搭載され、また戦争後期には陸軍にもハ112として採用されている。このエンジンは1931年(昭和6年)中島に先駆けて離昇800馬力を狙った先進的なA4空冷星型14気筒エンジンとして開発されたが、トラブルが多く、不調だったそうだ。
その後、三菱は今後のエンジン生産を空冷としてP&W R-1690 ホーネットの製造権を購入し、「明星」として生産して、それ以後はこのエンジンを参考としたことから三菱のエンジンは、P&Wの影響を受けたものとなる。そしてA4を改良して機構を一新したA8は1935年(昭和10年)12月の設計開始からわずか3ヶ月後の1936年(昭和11年)3月に試作機が完成し、テストが行われた。陸海軍の要求によりA6・A7エンジンを開発中であるにも関わらず進められたA8の開発は軍の意向を半ば無視した形となり、海軍も当初は乗り気ではなかったという。
しかし、テストの結果、信頼性が大幅に向上していることを認め、金星三型として制式採用となった。その後、高馬力化に向けた改良も進められ、1937年(昭和12年)に金星四〇型として制式採用となっている。これが三菱では最初の1,000馬力級の発動機となった。その後、五〇型、六〇型と出力が強化され、シリーズ総計で15,124台生産された。また、金星と部品の多くを共通とし、ショートストローク化することで小型化した瑞星、機構を踏襲した上でボア・ストロークを拡大した火星、18気筒化したハ43が開発されている。
金星は製作年度は1931年と古いエンジンではあるが、その後、時間をかけて熟成され、当時の日本の航空機用エンジンとしては非常に安定したエンジンで最終的には1500馬力まで出力が向上し、この金星を発展させた三菱のハ43や中島の栄の発展型である誉など2000馬力級エンジンもあるが、試作の域を出ておらず、性能も不安定で誉は海軍の紫電、紫電改、彩雲、銀河、陸軍の疾風など採用された機種も多いが、本来の性能を発揮していない。
金星は、九六式陸上攻撃機、九七式二号艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式輸送機、零式水上偵察機、瑞雲、一〇〇式司令部偵察機三型/四型、五式戦闘機、キ102、キ116、彗星三三型、零式艦上戦闘機五四型/六四型、キ96など様々な機種に採用されている。いずれも突出した性能の機体はないが、安定した性能の機体で試作で終わった機体を除いて、いずれも十分に活躍した機体ばかりである。
日本は太平洋戦争では2000馬力級エンジンを開発するだけの技術力がなく追い込まれていたずらに高性能を狙ったエンジン開発を行って自滅している。米国は大排気量大馬力のエンジンを実用化しているが、日本は軽量小型に拘ってエンジンの機構を複雑化しているが、技術がない方が余裕を持った設計にした方がよかったんじゃないだろうか。
金星エンジンを積んだ航空機で安定した性能を示したのは、九六式陸上攻撃機、九七式二号艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式輸送機、零式水上偵察機、5式戦、100式司令部偵察機、瑞雲、試作機ではキ96などで試作機以外は戦争でそれなりに活躍しているし、稼働率の高い扱いやすい機体となっている。
零戦も戦争末期になって金星搭載型が試作されているが、量産型が出る前に終戦となっている。零戦の場合は52型が出た際にエンジンを栄から金星に換装しておけばもう少し戦闘機としての寿命が延びただろうし、米軍のF6Fともそれなりに戦えただろう。零戦が名機と言われる所以は機体性能もあるかもしれないが、戦争前半期に大活躍をしたのは当時の鍛えに鍛えぬいた一騎当千の搭乗員の技量による部分もあるだろう。
5式戦なども「特段見るべきものはないが、その時に最善のものの組み合わせが好結果を生むこともある」と英国では皮肉な評価をされているが、稼働性が高く性能が安定していることは軍用機としては重要なことである。海軍は零戦の後継機である烈風の開発にエンジンの選定で失敗したが、零戦のエンジンを金星に換装して時間を稼いでもう少し時間をかけて新型機の開発をした方がよかったようにも思うが、いずれにしても日本の国力がそれを許さなかっただろう。
結局当時の日本は航空機用エンジンは1500馬力級までしか実用化できなかった。だからその1500馬力級エンジンをもっと使うべきだった。それでは戦争に勝てないというのならそんな戦争は始めるべきではなかった。5式戦も特筆するような高性能機ではなかったし、金星搭載零戦が実用化されたとしても戦局が変わるなどということはなかったことは間違いないが、局地的にはもう少しまともな戦いができただろう。高嶺の花を求めようとする気持ちもわかるが、実戦では英国が言うようにその時最善をうまく使うことも効果的な方法ではあったように思う、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2021/07/11 22:57:54 | |
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