敵戦艦の主砲が当たっても沈没しない設計・構造であった戦艦大和。世界最強を誇った防御力の秘密に迫る。さて、戦艦「大和」の主砲による「攻」の次は、装甲による「防」である。
軍艦は頭の天辺(てっぺん)からつま先まで装甲(そうこう)で覆われているわけではない。かつてはそういう時代もあったが、高い防御力を維持しつつ重量を削減し、その分、船足を速くするといった発想も影響して、新しい考え方が登場した。それを簡単に言ってしまうと、主砲弾火薬庫、発令所、機械室、缶室、発電機、舵取機室など、バイタルパートと呼ばれる軍艦にとって重要な区画を特別厳重に分厚い装甲で守る代わりに、他の区画の装甲防御は適度のものにするという考え方である。しかも大和の場合、このバイタルパートをコンパクトにまとめることで、重装甲防御の範囲を圧縮するという優れた設計手法が講じられている。戦艦「大和」のバイタルパートは、射距離20000~30000mから発射された46cm砲弾に耐えるように設計されていたという。
大和の各部の装甲防御は、世界の軍艦の中でも最強で、甲板は200~230mm、舷側上部は410mm、同下部は50~200mmで、主砲塔の正面は650mm、天井は270mmだった。また、大和では排煙用に蜂の巣状の穴を開けた380mm厚の装甲板を、煙突内部の基部に水平に配置し、煙突から飛び込んでくる敵の砲弾を防御した。
このように、理論上、また、数字では大和の防御力は世界一であり、しかも傑出して優れているといえた。にもかかわらず、大和もそして武蔵も、航空攻撃によって撃沈されている。それはなぜか? もしバイタルパートの防御が理論のように完璧であるなら、沈まないはずではないのか。
この点について、乱暴ながらごく簡単に説明してしまうと、大前提となるのが、大和も武蔵も設計段階で想定されていた砲戦ではなく航空攻撃、しかも多数の被雷によってバイタルパート以外への浸水量が多くなり、それが原因で沈んでしまったのである。特に坊ノ岬沖(ぼうのみさきおき)海戦で戦没した大和の場合は、被雷が偏ったせいで片方の舷(げん)への浸水が多く、それが艦の傾斜を招き、ついには転覆に至って最期を迎えている。
何本もの航空魚雷を被雷して浸水が重なると、防水措置作業やポンプによる排水が間に合わなくなり、このような事態となってしまうのだ。結局のところ、いくら不沈戦艦として設計されているとはいっても、ダメージの累積に抗する術はない。つまり「不沈」などあり得ないのである。(白石 光)
大和型戦艦は米国の戦艦と砲戦を行って勝つことを目的に作られた戦艦である。3万メートル前後の砲戦距離で米国戦艦を圧倒して米国戦艦からの砲弾2~3発を受けても戦列に止まり、駆逐艦などからの魚雷1本を受けても5分以内に戦列に復帰出来、2~3発の魚雷を受けても沈没することなく母港に何とか帰港できると言った程度の防御力だったそうだ。大和型戦艦設計当時は戦争末期のような米軍の圧倒的な航空攻撃などは全く想定されていなかった。大和型戦艦は味方の制空権下において艦隊決戦を行うべくして建造された戦艦である。大和型戦艦を設計した技術者も、「この世に浮沈艦などと言うものはあり得ない。我々はできるだけ沈み難い船を作るだけだ」と言っている。その意味では確かに大和型戦艦は沈み難い船だった。武蔵は魚雷20本を被雷して沈没している。大和は左舷に魚雷9本を受けて艦のバランスを失って沈没している。混乱した戦闘の中で計算した被雷本数で両艦とももっと多数の魚雷を受けている可能性さえある。リベットでとめられた装甲板が被雷のショックでリベットが飛び散って緩んだと言うこともあったそうだが、それにしてもよく耐えたものである。大和型戦艦は設計限度以上の被弾に耐えたと言ってもいいだろう。大和型戦艦には完成時高角砲と機銃が装備されているが、これは来襲する敵機を撃退すると言うよりも敵の着弾観測機を追い払うとか観測機が艦橋に機銃掃射をしてくるのを撃退するとか言う程度のものだろう。大和型戦艦も最後には高角砲24門、機銃150丁を装備してハリネズミのようになっていたが、それでも波状攻撃をしてくる数百機の米軍機には対抗できなかったが、そうした攻撃を撃退できるようにもそれに耐えるようにも設計されていなかったのだから仕方がない。もっと戦争前期に使えばよかったのだろうが、それでも想定されていない戦場でよく戦ったと言うべきだろう。もって瞑すべきではある、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/06/15 22:32:34 | |
トラックバック(0) |
軍事 | 日記