戦争資料を収集している福岡県筑前町の大刀洗平和記念館は、プロペラを後ろに搭載した旧日本海軍の戦闘機「震電(しんでん)」の実物大模型を新たに展示した。福岡市の工場で太平洋戦争末期に開発され、わが国の航空技術の高さを示した機体だったが、実戦で使われることなく終戦を迎えた「幻の戦闘機」。特徴的な外観の機体を通して、技術の進歩と平和について考えてもらうのが陳列の狙いだ。
震電は、高度1万メートルを飛行する米軍の爆撃機B29を迎撃するため、福岡市の九州飛行機が開発した。主翼も機体後部に取り付けられ、推進力でほぼ垂直に急上昇する。高度1万2千メートルを飛行可能で、最高速度は時速750キロを誇った。終戦直前の1945年8月に福岡市博多区の席田(むしろだ)飛行場(現福岡空港)で試験飛行。製造された3機のうち、完成した1機の機体の一部が米国のスミソニアン博物館に展示されている。
九州飛行機は、記念館のある大刀洗地区に存在した軍需工場「大刀洗製作所」と前身の企業が同じ。地元と縁のある機体で「戦争と技術」を学ぶ素材になるとして、記念館が関連資料を探していた。東京の映像制作会社が実物大模型を所有していることが分かり、2200万円で購入した。
模型は全長約10メートル、両翼の端から端まで約11メートル。購入費のうち500万円は、インターネットで資金を募るクラウドファンディング(CF)でまかなう。募金専用サイト「READYFOR(レディーフォー)」で8月26日まで受け付ける。記念館は「今につながる航空技術は、戦争で発展した歴史がある。展示を通して、考えるきっかけにしてほしい」としている。 (西田昌矢)
震電は高高度迎撃機として制作され試作機が完成した。しかし2回の試験飛行を行っただけで終戦となってしまった。日本はB29迎撃のために様々な高高度戦闘機を制作したが、実戦に間に合ったものはなかった。この機体もエンジンの冷却不足やその他のトラブル、トルク制御、機種が重くて上がらないといった問題が山積して実用化には時間がかかっただろう。どちらかと言えばジェット化に適した機体だったが、当時の日本には適当なジェットエンジンが作れなかっただろう。しかし戦争末期の混乱期によくこんな機体を作ったものだ。じっくり熟成すればいい機体になったかもしれない。ただすぐにジェット化されただろうが、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/07/14 15:20:24 | |
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