2022年08月03日
帝国海軍の軍用機で頑張った筆頭と言えばやはり零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦だろう。日中戦争から太平洋戦争の終末まで第一線の主力戦闘機として海軍航空隊を支えた。最後は特攻の主力として米軍に対抗した。登場当初は長距離侵攻能力、運動性、攻撃力と鍛え抜かれた搭乗員の技量で敵を圧倒したが、最後は米軍機に質、量ともに凌駕されて圧倒された。せめて52型の時にエンジンを金星に換装しておけばもう少しは何とかなったかもしれない。勝てたという意味ではない。局地的にもう少し頑張れたかという程度ではある。
次は雷電、海軍はこの機体をどうして三菱に開発させたのだろうか。ほかにも会社はあったのだから三菱は艦上戦闘機に集中させればよかった。雷電自体も陸軍の二式単戦を導入してもよかったし、ゼロ戦のエンジンを金星に換装して翼を切り詰めた、例えば32型に金星を取り付けるとか、してもよかったように思う。翼面荷重170キロくらいにしたゼロ戦の局地戦闘機型というのも面白かったかもしれないが、いずれにしても過給機がないと高空性能が不足しただろう。
紫電、紫電改は高性能戦闘機だったが、エンジンに裏切られた。紫電はそれ以外にも二段引き込み脚とか翼面の工作不良とかあったようだが、紫電の欠点を改良した紫電改は集中使用の効果もあって最後の最後で米軍に一泡吹かせたが、生産機数が400機ほどではそれ以上は無理だった。紫電改のエンジンを三菱のハ43に換装した紫電改5という機体は米軍のF8Fに匹敵する機体になったのではないかともいうが、実機が飛行していないので何とも言えない。
烈風は何よりも翼面積が巨大すぎる。翼面荷重を170くらいにしておけばそれなりに速度も出たのではないだろうか。どんなエンジンを積もうが、あの時期に速度が600キロちょっとというのでは700キロを超える米軍機を圧倒するのは覚束ないだろう。
攻撃機では99式艦上爆撃機と97式艦上攻撃機、この2機種は戦争前半の戦果をほとんどたたき出しているが、日本の航空戦力がまだ米軍のそれに対抗できた状況だったというのも大きいだろう。99式艦爆は搭載爆弾が250キロで1000ポンド爆弾を搭載できる米国のドーントレスに劣ったというが、97式艦攻はそれなりの性能があったというが、低速なことと長時間一定の低空飛行を行う日本の雷撃方法が仇となって被害も大きかったという。
この2機種の後継として登場した彗星艦爆と天山雷撃機はそれなり高性能だったが、米軍との戦力差があまりの大きくなりすぎて大きな戦果を挙げることはできなかった。彗星は水冷エンジンのトラブルにも祟られている。金星に換装した33型からは安定した性能を出している。彗星、天山とも特攻のほかに一部でそれなりに戦果を挙げている。
陸攻としては96式、一式に銀河だが、96式は武装が貧弱で被害を出している。一式は防弾が皆無でワンショットライターなどと言われているが、被害が大きかったのは対艦雷撃などを行った時でこんな大型機に雷撃などさせてはいけない。確かに防弾装備は貧弱だったかもしれないが、英独でもこの手の機体は昼間爆撃では大きな被害を出している。戦略爆撃などをさせるにはそれなりに大型の機体で防弾性能の高いものをあてがうべきだろう。米国のB17もドイツ爆撃では相当の被害を被っている。
それから日本の攻撃機は爆弾搭載量が少なすぎるように思う。一式あたりならせめて2トン程度の爆弾搭載能力が必要だろう。7、8人乗りの双発の大型機で爆弾搭載量1トンというのはあまりに少なすぎる。海軍は一式陸攻1個飛行隊が全滅しても米軍の戦艦1隻でも撃沈してくれればいいと思っていたのかもしれないが、あんな大型の機体で艦船雷撃は無理だろう。もっとも97式飛行艇や2式飛行艇にも雷撃をさせようというのだから恐れ入る。米軍の方が黙ってやらせてくれるなら妙手だったかもしれないが、・・。
銀河はそれなりに高性能だったが、空技廠が鍛造部材を多用した進歩的な機体を設計したが、中島には鍛造部材を作る技術も工作機械もなく鍛造部材を削り出して作るなど極めて作り難い機体で中島の工員は「国破れて銀河あり」などと愚痴を言ったとか。高性能と言っても戦争後半は米軍の戦力が質量ともに日本を圧倒していたので生半可な高性能など役には立たなかった。
偵察機では彩雲だろうか。非常にきれいな機体で速度、航続距離ともに傑出していたというが、やはりエンジン不調が響いている。高速の偵察機というなら少なくとも650キロ以上は出ないといけないだろう。米軍のテストでは694キロを出したというが、計測の仕方が違うので何とも言えないが、エンジンが快調であればそれなりの速度は出せただろう。
水上機は94式、95式、零式三座水偵、零式観測機、紫雲、瑞雲、97式飛行艇、2式飛行艇などだろうか。帝国海軍は各国海軍には例がないほど水上機を多用していた。94式、95式などは極めて使いやすい安定した水上機だったという。
後継の零式三座水偵、零式観測機も使いやすい機体で零式三座水偵はソロモン方面での魚雷艇狩りや対潜哨戒にも使用されたそうだ。零式観測機は運動性が極めて良くて戦闘機としても使用されたというが、かなりの被害を出している。二式水戦、強風など水上戦闘機として作られた機体でも苦戦しているので水上偵察機では普通の戦闘機に対抗するのは難しいだろう。
紫雲は高速水偵として試作されたが、期待通りの性能が出せずにボツ、瑞雲は戦争末期に沖縄方面での夜間攻撃などで活躍したが、戦争末期に水上機で攻撃というのは厳しいものがあっただろう。97式飛行艇は防弾、武装とも貧弱でB17やB24などによく撃墜されたという。二式飛行艇では防弾装備、武装が強化されたが、それでもなかなか厳しかったようだ。あんな大型の鈍足飛行艇が単機で敵の制空権下で活動すること自体が無理なことだろう。
その他に東海と言う哨戒機もあったようだ。機体としては哨戒機として安定した機体だったそうだが、制空権のない空域では米軍に見つかったが最後だったという。哨戒機としては96式陸攻、97式艦攻、零式三座水偵なども使用されたが、見つかったら百年目はどれも一緒だったという。現代でもそれは一緒でP3C、P1、AWACSなども一緒だろう。まあ航空機の性能的にそれは仕方がないだろう。陸軍機はまた別の機会に。
Posted at 2022/08/03 23:07:08 | |
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