日中戦争から太平洋戦争の終戦までを戦い抜いた岩本徹三(いわもとてつぞう)。ドッグファイトからヒット・アンド・アウェーまで、日本軍パイロットには珍しく多用な戦法を駆使し、海軍屈指の撃墜王となった。岩本の戦歴とともに、愛機・零戦の技術的変遷を追う。
太平洋戦争の開戦直後は、列強の戦闘機も零戦と同格の1000馬力級エンジンを搭載しており、零戦のように極端に防御力を犠牲にして他の性能を向上させる設計はされていなかった。しかも日本海軍パイロットの練度の高さがそれに加わって、「戦闘機としての優れた特性」と「パイロットの優れた腕」の相乗効果で、まさにゼロ戦を「世界の最強戦闘機」としていた。
ところが、うち続く激戦でベテラン・パイロットが次々と失われ、アメリカが2000馬力級エンジンを搭載した戦闘機を投入しだした戦争中期以降、零戦の優位は急速に失われた。空戦技も、そのために零戦が開発されたといってもよい第1次大戦以来のドッグファイト(格闘戦)から、大馬力エンジンの高速性を生かしたヒット・アンド・アウェー(一撃離脱戦)へと変化し、空戦の主導権は「有利と見れば襲い、不利と見れば逃げられる」2000馬力級エンジンを搭載して防御力にも優れた敵戦闘機が握るようになり、ゼロ戦得意の運動性能だけでは後手に回らざるを得なかった。このような敵に主導権を握られた空戦では、零戦も逃げ切れずに被弾するようになったが、元来が防御力皆無に等しい本機は、被弾すればたやすく炎上墜落することになった。
しかし後継機の開発は進捗しなかった。そこで1943年中頃から、エンジン出力を200馬力ほど強化し、エンジンの排気管をそれまでの集合排気管に代えて、排気ガスを機体を推し進める力に利用する推力式単排気管を採用。翼内燃料タンクに自動消火装置を備えることで、速度性能と防御力の向上を図った零戦五二型シリーズの生産が始まった。
これに加えて、五二型をベースに胴体下部の増槽懸吊架(ぞうそうけんちょうか)に増槽だけでなく250kg爆弾を搭載できるようにした、戦闘爆撃機型の零戦六二型も造られた。鈍重な艦上爆撃機では、敵の艦上戦闘機に撃墜されてしまい敵艦隊まで到達できないことが多くなったため、軽快な零戦に爆弾を搭載した「戦爆」として運用することが考えられたのである。なお、これら爆装できる零戦は神風攻撃の体当たり機としても用いられた。
零戦を駆って戦った日本の撃墜王のひとりに、「零戦虎徹」の異名で知られた岩本徹三がいる。日中戦争から太平洋戦争の終戦までを戦い抜き、正確な撃墜機数は不明ながら、自己申告で202機、推察では80機撃墜ともいわれる。岩本はドッグファイトの腕も抜群だったが、特に戦争中盤以降はあえてヒット・アンド・アウェーを多用。また、信頼性の低い機上無線を巧みに使いこなして、欧米のような列機をともなう編隊空戦を得意とした。
「5倍や10倍ほどの敵など恐くない。しかしエンジン故障だけはどうしようもない」
「敵機は目で見るものではない。感じるものだ」
「こびず、へつらわず、とらわれず」
といった名言を、岩本は上司、同僚、部下らに語っている。「戦闘機乗りになるために生まれてきたような男だった」とは、ある元上司が彼の葬儀の際に語った言葉だという。(白石 光)
帝国海軍は個人撃墜数を称賛するようなことはしなかったので撃墜王と言われるパイロットでも公式の撃墜数と言うのは明らかではないが、空戦に強い優秀なパイロットは数多くいたようだ。戦争前半は日本の戦闘機も欧米のものに引けを取らないものが多かったが、中盤から後半になると米軍戦闘機は2000馬力級エンジンを実用化して戦闘機の性能を上げて行ったが、日本側はエンジン制作技術だけでなくその周辺技術の遅れから2000馬力級航空機エンジンの開発に遅れを取った結果、適時適切に新型戦闘機を戦場に投入できず後手に回って苦戦を続けた。零戦も1000馬力級エンジンを改良して使い続けた結果、米軍戦闘機に後れを取るようになってしまった。零戦も52型を生産する際に1500馬力級の金星に換装しておけばまだ少しは対抗できたのではないだろうか。終戦間際に陸軍の3式戦闘機が液冷エンジンの不調でいわゆるエンジンのない首なし機体が大量に残ってしまったことから空冷の金星エンジンに換装して5式戦として配備したところ「五式戦をもってすれば絶対に不敗」と言うほど評価が上がった。これはこの戦闘機が高性能と言うよりも戦争末期の日本戦闘機はカタログデータは高くてもエンジンの不調でまともに動かないものが多かったところきちんと動いてカタログデータ通りの性能を発揮できることが好まれたのだろう。三菱製の金星と言うエンジンは設計の古いエンジンだったが、その分性能は安定していて最終的には1500馬力級まで改良されている。零戦も終戦間際にこの金星に換装した54型と言う機体を試作しているが、生産が間に合わずに試作で終わっている。もしも52型が出た昭和18年に金星に換装した機体が出ていれば戦局を転換するなどと言うことはないが、局地的に航空戦でもう少し有利な戦い方ができたかもしれない。零戦も武装の強化や防弾装備の追加などで重量が増加していったが、エンジン出力は1000馬力級から強化されることがなく相対的に性能を低下させて行った。金星も陸海軍で使用していたエンジンなので生産数の問題などもあっただろうが、少しでもパワーのあるエンジンに換装していれば性能の低下を食い止められたかもしれない。ただ日本の航空機用エンジンは馬力では1000馬力とか2000馬力と言うが、排気量が小さく回転数で馬力を稼ぐエンジンが多かったそうなので大排気量でトルクに勝る米軍などの航空機と比較すると加速性能が劣ったそうだ。結局日本は1500馬力級の戦闘機用エンジンしか実用化できなかったのだからこれをもっと活用すべきだった。三菱のハ43や中島の誉(ハ45)など2000馬力級エンジンもあったが、いずれも試作のレベルを脱しておらず作動が不安定でカタログ性能を発揮できていなかった。名人が乗れば旧式化した零戦でも敵に勝てたかもしれないが、太平洋戦争は国家総力戦で性能のいい兵器を大量に戦場に投入できた方が勝つ戦争だった。日本が戦争後半には何とか米軍を凌駕する戦闘機を作ろうとして技術不足のために自滅したが、持てる最良のものをもっと効果的に使うべきだった。1500馬力エンジンでは米軍には勝てないというならばそんな戦争は始めるべきではなかった。貧すれば鈍すると言うが、戦争後半期の日本は背伸びしては失敗するというまさにそんな状況だった、・・(>_<)。
Posted at 2022/12/07 18:12:58 | |
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