2023年08月13日
12試三座水上偵察機は傑作と言われた94式三座水上偵察機の後継機として川西と愛知で競作が行われたが、川西の1号機は試験中の事故で破壊、2号機は試験飛行中行方不明で川西の機体は採用中止となってしまった。愛知の機体は期限に間に合わなかったために失格となっていたが、機体を完成させて社内で試験飛行中、川西の機体が2機とも失われたために急遽採用となって試験飛行が行われ「性能優秀、操縦安定良好、性能は要望に達する」として零式三座水上偵察機として採用となった。翼はハインケル系の楕円テーパー翼、胴体はセミモノコックで風防は三座とも密閉風防となっていた。エンジンは安定していることで定評のある金星43型、プロペラは住友ハミルトン系の直径3.1メートルの三翔定速型、武装は後方の7.7ミリ旋回機銃1丁、爆撃兵装は250キロ1発、60キロ4発だった。この機体は大型水上艦の偵察用として、または基地の偵察哨戒、連絡などに使用された。速力は380キロ弱で敵の戦闘機に捕まれば撃墜される可能性が非常に高かったが、それでもよく働いて敵の発見に努めている。またソロモン方面では偵察、哨戒、夜間爆撃や機体下部に20ミリ機銃を装備してソロモン方面で跳梁していた米軍の魚雷艇狩りに駆り出されて成果を挙げている。また戦争後期には偵察や哨戒に従事するとともに夜間の哨戒や攻撃にも従事している。またフィリピン戦、沖縄戦では通常攻撃以外に特攻にも参加している。さらには電探や磁探を装備して海上護衛作戦にも従事している。こうして零式水上偵察機は艦隊で、そしてまた基地航空隊で裏方として様々な作戦に従事して貢献した。総生産機数は1,400機強だが、終戦時には200機が残存していた。そのうち4分の一が外地にあったのは同機があらゆる戦地に配置されて活躍していたことがうかがわれる。変わったところでは48機の雷撃型が作られ配備されている。雷撃方法は敵艦の手前に着水して水上滑走で敵艦に接近して魚雷を投下、投下後は離水して帰投すると言うものだが、実戦に参加することはなかった。日本は四周を海に囲まれているので大量の水上機を保有していた。開戦時の海軍の航空機保有数は1,872機だったが、そのうち349機が水上偵察機で外地部隊に259機が、内地部隊に90機が配備されていた。これだけの水上偵察機を配備していた海軍は他にはなくその活動範囲は北はアリューシャン、南はオーストラリア、東は米国西海岸、西はインド洋に及ぶ。そして艦隊の目として、あるいは基地航空隊の連絡哨戒、攻撃用にと地味ながら活躍した。すべてが零式三座水上偵察機ではなく94式三座水上偵察機、95式水上偵察機、零式観測機、その他の水上機もあるが、日本の水上機はその性能に定評があった。零式三座水上偵察機は近代的水上偵察機としてその安定した性能で海軍の目としてあるいは局地攻撃用として地味ながら馬車馬のように働いた傑作機だった。
Posted at 2023/08/13 22:50:23 | |
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軍事 | 日記
2023年08月13日
日本海軍は進攻してくる米海軍艦隊と劣勢で艦隊決戦を行って勝利するために様々な方法を検討して実施した。軽快艦艇による雷撃、潜水艦による雷撃、そして航空機による雷撃である。そのために駆逐艦には次発を含めて16本から18本の魚雷を搭載、潜水艦は水上航行能力を向上させて艦隊に随伴させ航空機には魚雷を搭載して長距離を飛行できるものを開発した。12試陸上攻撃機、後の一式陸上攻撃機がそれである。この攻撃機は魚雷を搭載して4千キロ以上を飛行することができたが、防弾は一切考慮されていなかった。海軍は縁起を飛行して米艦隊を攻撃できることを最優先していて長期戦を考えてはいなかったことが防御を省いた理由と思われる。一式陸攻は開戦後フィリピンのクラーク飛行場爆撃、英戦艦プリンスオブウェールズ、レパルス撃沈など戦果を挙げた。日本側が優勢なうちは被害は少なかったが、米軍の戦力が増すに従って被害が増加している。特に艦船攻撃で大きな被害を出しているが、元来この手の大型機を艦船攻撃に使用すること自体が暴挙でさらには戦闘機の護衛もなしでは被害が出るのは当然である。一方でガタルカナル島の米軍飛行の高高度爆撃ではさほどの損害はなかったという。基本的には大型機による昼間爆撃は日本ばかりでなく英米独も大きな損害を出している。しかし防弾皆無というのはやはり問題があり海軍も一式陸攻の防弾装備に意を用いるようになった。しかし米軍との戦力差が拡大するに従ってなまじの防弾装備など役に立たず被害は増加していった。戦後はこの機体を「ワンショットライター」などと揶揄するが、ガソリンにしてもごま油にしても油は気化して空気と混合しないと発火しない。だから弾が当たれば何でもかんでも発火したわけではない。しかしこの防弾装備の欠如が熟練搭乗員を失う原因になったことは間違いない。戦闘機であれば積極的に被弾を避けることも可能だが、爆撃機のように撃たれることが前提の機体には防弾装備は不可欠だっただろう。撃たれ弱いと言われながら一式陸攻は2400機以上も作られて海軍の攻撃の中核として奮戦した。山本連合艦隊司令長官を乗せて撃墜されたのもこの機体だった。戦争末期桜花を搭載して出撃して全機撃墜されたのもこの機体だった。最後の34型は翼の構造を一新して航続距離を捨てて燃料タンクに防弾を施したが、すでに手遅れで混乱した生産の現場では少数機を作るのが精一杯だった。三菱は試作の指示を受けた際に金星エンジン4発の機体を提案したが、海軍に却下された。海軍は艦隊決戦に勝利するために遠距離を飛行して雷撃ができる機体を必要とした。一式陸攻が4発機になっていたら雷撃ではなく爆撃主体の全く違う機体になっていただろう。撃たれ弱いと言われながら最後まで海軍の攻撃機の主力で被害も多かったが、海軍切ってのポイントゲッターでもあった、\(^_^)/😁🌀🎃😅。
Posted at 2023/08/13 18:14:37 | |
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