2023年08月23日
今日任意保険の更新でディーラーに寄ったついでに「GRヤリスのマイナーチェンジ版が出るらしいね」と聞くと「あ、それは話だけは来ています。でも詳しい内容は全くないし、もちろんオーダーも取れないから今は次の情報待ちというところです。」と言うので「エンジンはGRカローラの304馬力版でエアロとかあれこれつけて500万に近くなるらしい」と言うと「へえ~、そうなんですか」なんて言っていた。ただ出ると言う話は来ているそうなので実際にGRヤリスのマイナーチェンジ版が出ることは間違いないようだ。ついでに「GR86がフルモデルするって聞いている。1.6リッターターボにハイブリッドだそうだけど。」と聞いたが、それは全く話はないそうだ。「どこで聞いたんですか」と言うので「車雑誌情報」と言っておいた。GRヤリスのマイナーチェンジ版はディーラーに話が来ていると言うので確実なようだ。この秋から来春と言う話だが、オーダー云々の話は全くないそうだ。ついでにプリウスも納車まで2年以上で今はオーダーストップだそうだ、・・(>_<)。
Posted at 2023/08/23 22:17:24 | |
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自動車 | 日記
2023年08月23日
太平洋戦争開戦前、日本海軍は太平洋を渡って進攻してくる米海軍主力艦隊を西太平洋で迎え撃って勝利するために来るべき艦隊決戦に勝利するための軍備を築き上げてきた。ところがいざ蓋を開けてみると戦闘は空母機動部隊による航空撃滅戦、物資輸送のための海上護衛戦、太平洋に散在する島嶼争奪戦へと変化していた。日本海軍はこうした戦争の様相の変化に水雷戦に特化した艦隊駆逐艦を当てて対応したが、駆逐艦の消耗が激しく艦隊編成に支障をきたすようになった。そこで対潜、対空に重点を置いた松型駆逐艦を大量建造するとともに商船護衛のための海防艦を160隻以上建造、さらに両用戦のために松型駆逐艦の船体を利用して一等輸送艦21隻、着岸して戦車や車両を直接揚陸できる二等輸送艦60数隻を戦争後半に建造した。さすがに開戦後に建造した正規空母は大和型戦艦を改装した信濃を含めて5隻だったが、戦争の様相の変化に対応するために小型の護衛艦や輸送艦を大量建造した。大量建造と言ってもその数は米軍の1/10にも満たないが、これらの艦艇は多大な損害を出しながら海上護衛戦に、あるいは揚陸戦に活躍した。戦艦や空母、巡洋艦、駆逐艦などの戦闘艦以上に多大な損害を被りながらよく働いて戦線を支えたのはこうした艦艇だった。戦後残存したこれらの艦艇は賠償艦として戦勝国に引き渡されあるいは解体されたが、一等輸送艦の一隻は短い期間だったが、捕鯨母船として運用され、海防艦の一部は海上保安庁に移管されて定点観測船として活動するなど戦後日本の復興にも貢献している。海防艦の一隻は海保から除籍された後千葉県千葉市で海洋公民館として利用されていたが、1998年に解体された。日本海軍籍の艦艇で現在残っているのは宗谷だけだそうだが、歴史的記念艦として解体せずに保存しておけば良かったのに残念である。これらの大量建造艦は決して高性能ではなかったし、戦時急造艦でいろいろ不具合もあったそうだが、日本を支えようと良く働き、その電気溶接、ブロック建造法は戦後の日本の造船産業にも大きな貢献をした。戦艦や空母のように派手さはないし、人目を引く船ではなかったが、功労艦と言ってもいいだろう、\(^_^)/🙆🆗🎃😅。
Posted at 2023/08/23 21:01:12 | |
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軍事 | 日記
2023年08月23日
日本海軍のレーダーはずいぶん遅れていたように言われる。出だしは「軍艦に花魁の簪みたいなものを付けて電波を出すなどとんでもない」と言って見向きもせず陸軍の方が積極的であったが、英国などのレーダー活用情報に刺激されてレーダーの研究、開発を始めた。その後、開戦を過ぎて昭和17年になって戦艦伊勢に2号1型対空見張レーダーが、日向に2号2型水上見張りレーダーが試験的に装備されたが、日向の2号2型水上見張りレーダーはミッドウェー海戦時に悪天候の中、敗戦で混乱する艦隊を見事に統制して円滑に撤退させたと言う。しかし当時のレーダーは雨で電波が反射して探知できなくなるなど精度に問題があった。また当時の日本は強力な大出力のマグネトロンが作れず正確な探知に必須の極超短波レーダーが作れなかった。一方米国は当時レーダー技術の最先端を行っていた英国からの技術供与でレーダーを開発していた。当時の米軍のレーダーと日本海軍のレーダーでは天と地ほども開きがあったように言われるが、確かに探知の正確性や機械の信頼性は米軍のレーダーが上だったが、米軍のレーダー射撃もそうそうビシビシ当たったわけでもないようだ。サボ島沖海戦では初弾が重巡青葉の艦橋に命中したりもしたが、スリガオ海戦では米軍の大口径砲の命中率は1%以下などと言う話もある。何より戦艦山城、扶桑は魚雷命中で炎上していたのでレーダー射撃も何もなかったようだ。戦艦山城、扶桑を撃沈したのは駆逐艦と魚雷艇の魚雷だったそうだ。また日本海軍もレーダーの改良を続け、戦争後半には光学測距より正確に探知できるまでになっていたそうだ。またレーダー射撃についてもレーダーと光学測距を併用することでかなり精度を上げて実用の域に達していたと言う。実際にレーダー射撃で命中弾を出したこともあったと言う。ただ米軍はレーダーと原始的なコンピューターを組み合わせた射撃指揮装置を配備していたそうだからやはり米軍の方が先を行っていたようだ。しかし日本海軍のレーダーは目標を単体として捉えることができないなどと言うが、実際には大型艦なら距離2万メートル前後で、航空機でもB29などの大型機なら100キロほどで単体として捉えることができたそうだ。また戦争末期には海防艦や駆潜艇などの小型艦を含めてほとんど全ての艦艇に対空、対水上レーダーが装備されていた。当時の日本の電子技術もそうそうバカにしたものでもないようだ。レーダーについては戦後に捕鯨船団が出漁する際に連合軍の監督官が同乗することになっていたが、連合軍の監督官はレーダーが装備されていない捕鯨母船に乗り組むことを嫌がったそうだ。しかし敗戦国の日本にレーダーを開発させるわけにもいかず困っていたところ軍艦から外した2号2型水上レーダーが大量に保管されていることに目をつけ旧海軍の技術士官やメーカーの技術者を召集して整備して取り付けたところこれが大活躍で連合国軍の占領期間中捕鯨母船で使用されたと言う。日本海軍のレーダーはマグネトロンの出力や真空管の信頼性や耐久性など問題がなかったわけではないが、それなりの性能を持っていたのは事実で使い物にならないなどと言うことはなかったようだ、\(^_^)/🙆🆗😁🌀🎃😅。
Posted at 2023/08/23 20:58:17 | |
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軍事 | 日記