2023年08月27日
日本海軍は翔鶴型空母に重防御を施した決戦空母大鳳を昭和16年に起工した。この空母は翔鶴型を基本としているが、機関部、水中、飛行甲板の防御を強化して対弾防御、対魚雷防御性能を上げ、飛行甲板も前後のエレベーターの間を500キロ爆弾の急降下爆撃に耐えるように装甲を施した。また艦首はエンクローズドバウとして艦首と甲板を一体化させて対波性を向上させている。また艦橋は艦の右舷に大型の艦橋構造物を設置して煙突は26度外舷に傾斜させたものとなっている。これは飛鷹、隼鷹で試験されたもので排煙の航空機に対する影響を最小に止めるための措置であった。対空火器は10センチ長砲身連装高角砲6基12門、25ミリ3連装機銃17基、同単装25基を搭載、不沈空母として全艦隊の期待を担って昭和19年3月に竣工した。搭載機は零戦52型、彗星艦爆、天山艦攻など54機を搭載した。大鳳は竣工後シンガポールを経由してリンガ泊地に回航、ここで艦載機の発着艦訓練を実施、その後5月にタウイタウイ泊地に移動したが、ここでは米潜水艦に外洋への出口を封鎖され、潜水艦を制圧に出た駆逐艦が撃沈されるあり様で泊地内では艦載機の訓練が出来ず搭乗員の技量も低下する一方で6月になってギマラス停泊地に移動、ここで訓練を実施しようとしたが、あ号作戦が発令されて訓練不十分のまま米機動部隊が上陸のため攻撃を始めたマリアナ沖に出撃した。この時の日本海軍の機動部隊は大鳳、翔鶴、瑞鶴に飛鷹、隼鷹、小型空母瑞鳳、千歳、千代田の9隻、搭載機500機弱で日本海軍史上最大の機動部隊だったが、米軍は空母7隻、軽空母8隻、艦載機900機の戦力で日本側をはるかに引き離していた。大鳳は第1次攻撃隊を発艦させていたところ米潜水艦アルバコアの雷撃を受け、午前8時ころ魚雷1発が右舷前部に命中、被害は軽微だったが、前部エレベーターが傾いて停止したことから発着艦のために木材などでエレベーターの窪みを塞いでそのまま戦闘行動を継続した。しかし被雷のショックで航空機用ガソリンタンクからガソリンが漏れ出しておりこれが艦内に充満、必死の換気作業が行われたが間に合わず午後2時ころガソリンの気化ガスに引火大爆発を起こした。必死の消火作業が行われたが、鎮火せず機関が停止、爆発が続いて手が付けられず最初の爆発から2時間後の午後4時過ぎに沈没した。マリアナ沖海戦も発艦した攻撃隊は待ち構えていた米軍のF6F戦闘機400機の攻撃を受けてその大部分が撃墜されほとんど攻撃の成果を挙げることなく壊滅してしまった。全軍の輿望を担って出撃した大鳳は訓練不足や徴用工による工作の不具合、材質の低下などにより被害が拡大、そして重防御閉鎖格納庫が爆発の衝撃を外部に逃がすことが出来ず爆風が艦内を破壊したことなどによって被害を拡大して沈没した。結局マリアナ沖海戦は他に空母翔鶴、飛鷹を失い、残った瑞鶴、隼鷹も中破、母艦航空隊は壊滅してこれ以降日本海軍は二度と空母機動部隊を再建することが出来なかった。さらにマリアナ諸島は米軍の手に落ちここに一大航空基地が建設されて日本本土はB29の戦略爆撃に晒されることになった。マリアナ沖海戦では日本海軍は過去最大規模の機動部隊を編成して臨んだが、米軍側はそれに倍する機動部隊を持って対抗しており日本側に最初から勝ち目はなかった。日本はガダルカナル島飛行場を巡る攻防戦に敗れた段階ですでに米国に敗北しておりこの海戦を含めて米軍側にとっては残敵掃討戦であった。日本海軍の最新鋭空母大鳳はこうして撃沈されたが、如何に高性能だろうとすでに1隻の空母で戦局がどうこうなるような状況ではなかった。この空母が1年早く完成していたらもっと活躍できただろうが、日本の国力ではそれが出来なかった。日本がこの1隻の空母を作る間に米国はエセックス型正規空母の大量建造を行って次々戦線に送り出していた。マリアナ沖海戦はその国力の差が勝敗を決めた戦いだった。
Posted at 2023/08/27 23:58:48 | |
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