2023年09月03日
軽巡洋艦酒匂は阿賀野型軽巡洋艦の4番艦として1942年11月に佐世保で起工された。阿賀野型軽巡洋艦は八八艦隊計画時の水雷戦隊旗艦として建造された5500トン型軽巡洋艦が旧式化したため新時代の水雷戦隊旗艦として建造されたものである。新時代の水雷戦隊旗艦として満載排水量は8千トンを超える大型艦になった。武装は15センチ砲6門、8センチ連装高角砲2基4門、4連装魚雷発射管2基、水上偵察機2機、25ミリ3連装機銃10基などであった。酒匂は1944年11月に竣工して第11水雷戦隊旗艦となったが、すでに連合艦隊はレイテ沖に壊滅して大規模な艦隊行動を取ることが不可能になっていた。酒匂は水雷戦隊の旗艦となったが、すでに魚雷で米艦隊と戦うような戦闘はあり得ず戦う相手は航空機と潜水艦になっていた。第11水雷戦隊もそのために秋月型防空駆逐艦と松型汎用駆逐艦の編成となっていた。酒匂は戦艦大和の沖縄出撃に参加する予定だったが、練度不十分で参加取り止めとなり舞鶴に移動、すでに艦を動かす燃料もなく対空火器は陸上に上げて陸上から電気をひいて偽装して係留していたが、終戦まで空襲の被害も受けずに健在だった。終戦後は武装を撤去して台湾、朝鮮半島、南方諸島、ニューギニアなどの復員輸送に従事している。そして最後には苛酷な運命が酒匂を待ち受けていた。酒匂は戦艦長門とともにビキニ環礁に回航されて原爆実験の標的にされることになった。1946年7月1日、クロスロード作戦が実施され1回目の実験は空中爆破で酒匂は爆心から500メートルの地点にあったが、爆心地がずれて原爆は酒匂の直上で爆発した。酒匂は艦橋から後ろの上部構造物が爆風でなぎ倒されて24時間にわたって炎上、艦尾から浸水が始まった。酒匂を浅瀬に曳航しようとしたが、艦は艦尾から沈没した。国を守って敵と戦うために生まれてきた酒匂は敵と戦うことなく原爆実験の標的となってビキニ環礁の水深60メートルの海底に沈んでいる。
Posted at 2023/09/03 21:56:23 | |
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