2023年09月06日
太平洋戦争開戦時、日本海軍は特型駆逐艦以降夕雲型まで90隻近い一等駆逐艦を保有していた。これらの駆逐艦は艦隊決戦に際して進攻して来る米主力艦に魚雷攻撃をかけて米主力艦の数を減らすことを任務としていた。ところが蓋を開けてみると主力艦同士の艦隊決戦など生起せず空母機動艦隊による航空打撃戦や島嶼攻略戦が主体となり駆逐艦は艦隊護衛、輸送船団護衛、攻略戦支援、キスカ、ガダルカナル撤退戦など戦前は予想もしなかった様々な任務に投入され、1942年にガダルカナル島の飛行場を巡る攻防戦が始まると駆逐艦は輸送船団護衛だけでなく自らドラム缶に武器弾薬や糧食を詰めてガダルカナル島の日本軍に対する輸送任務にも投入され、米軍艦艇や航空機の妨害に被害を拡大していった。こうした本来駆逐艦の役目ではない任務に投入されて駆逐艦は急速に消耗して艦隊編成にも事欠くようなレベルに陥ってしまった。当時戦闘は対空戦、対潜戦が駆逐艦の任務の主体となっていたが、日本の駆逐艦は水雷戦に特化したもので艦隊型駆逐艦は不得手な戦闘に投入されて消耗していった。そうした対空対潜戦闘に適合した防空駆逐艦の秋月型や対空、対潜戦に特化した松型駆逐艦が建造されたが、1944年10月のレイテ沖海戦で連合艦隊は壊滅してしまった。そして特型から夕雲型まで90隻以上あった艦隊型駆逐艦で終戦まで残ったのは響、初霜、雪風の3隻だけだった。しかし初霜は大破擱座状態で戦後浮揚解体され、雪風は中華民国へ、響はソ連へ賠償艦として引き渡された。日本海軍は水雷戦に特化した駆逐艦の夜戦によって米主力艦隊に打撃を与えて主力艦同士の艦隊決戦に勝利することを目的として艦隊型駆逐艦の大量建造をしたが、ふたを開けてみれば駆逐艦の役割は艦隊護衛、対空対潜戦、輸送船団護衛、攻略支援など当初とは全く違う戦闘に投入されて消耗していった。そして開戦時から存在した90隻以上の艦隊型駆逐艦は3年半の間にそのほとんどが失われてしまった。駆逐艦は菊の紋章を抱かず軍艦として扱われず一種の消耗品として扱われたが、身を捨てたその決死の活躍は後世に伝えられるべきだろう、・・。
Posted at 2023/09/06 18:40:52 | |
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軍事 | 日記
2023年09月06日
日本陸海軍は太平洋戦争開戦とともに東南アジアから太平洋諸島へと勢力を拡大して行った。当然部隊を派遣すれば補給が必要になるが、日本陸海軍は補給を軽視したと言われている。しかし日本海軍は補給にはかなり努力していた。日本は海に囲まれているので人員物資は海路で移動させることになる。海路であれば当然海軍が主体になって補給を行うことになる。開戦後しばらくは日本が優勢だったので補給は問題なく行われていた。しかし米軍もただ黙って補給させるわけでもなく補給線に対する攻撃は徐々に激しさを増していく。特にガダルカナルの飛行場を巡る攻防戦になると制空制海権を米軍に取られて補給はままならなくなる。海軍は輸送船を送り込むが、米軍の航空機に妨害されて輸送船の損害ばかりが増えていく。また目的地にたどり着いても物資の揚陸に手間取って米軍の攻撃で焼かれてしまう。そこで海軍は物資をドラム缶に詰めて高速でガダルカナル島に接近、夜間にドラム缶を投棄して高速で米軍航空機の行動範囲外に退避するネズミ輸送という作戦を取ったが、駆逐艦では大した量は運べないし流失してしまう物資もあった。また米軍は艦艇で日本海軍の輸送を妨害したことから駆逐艦の損害が拡大して艦隊行動に支障を来すようになり潜水艦輸送に切り替えたが、これも損害が増加したことから大発動艇という上陸用舟艇で島伝いに物資を補給するアリ輸送を行ったが、これも米軍艦艇の妨害行動で思うようにならなかった。陸軍一個師団1万5千人を養うには1日数百トンの武器弾薬、糧食、被服、医薬品が必要と言うが、米軍の妨害を排除して相応の物資を輸送する能力は日本海軍にはなかった。当時の日本陸海軍の攻勢終末点は精一杯甘く見積もってもラバウル辺りだったのだろう。1943年以降ガダルカナル島から撤退するとソロモン諸島方面に残置された日本陸海軍への補給輸送は完全に途絶えてしまった。海軍の物資輸送能力に疑問を持った陸軍は自力で輸送船や小型空母、潜水艦を装備して自力輸送を試みたが、派遣軍に対する補給どころか戦略物資の国内への輸送もままならない状況ではどうにもならなかった。1944年の後半以降は船を出せば撃沈されるで現地に到着するのは武器弾薬や糧食を失った裸の兵隊ばかりだった。日本陸海軍は補給を軽視していたという見方もあるが、陸軍には「糧は敵に求めろ」などと補給を軽視する面もあったが、それなりに努力はしていた。しかし日増しに開いて行く日米の戦力差は如何ともし難く兵站補給は途絶してしまった。1944年以降になると連合艦隊への補給も思うようにならなかったという。また海軍と陸軍では物資の量や質に大きな差があって問題になったりもしたという。海外に派遣された日本陸海軍は補給が途絶して物資の不足に苦しんだが、補給を軽視したと言うよりは物資を補給したくても米軍に制空制海権を取られてできなかったというのが事実だろう、🎃🙅🎃😅。
Posted at 2023/09/06 18:39:31 | |
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軍事 | 日記
2023年09月06日
日本海軍には商船改造の空母が7隻あったが、隼膺、飛膺の2隻を除いて空母としては活用されず航空機運搬艦として利用された。それは飛行甲板が160メートルほどと短く速力が21ノットと遅くて航空機の運用に支障があるからだった。ところが米軍の護衛空母などは排水量8千トン、甲板長130メートル、速力18ノットでも船団護衛や上陸支援などに航空機を運用して立派に活躍していた。日本の改造空母よりはるかに小型低速だったが、そのわけはカタパルトだった。米軍は空母に航空機を射出する油圧式のカタパルトを装備していた。そのために小型低速の護衛空母でも重装備の航空機の運用が可能だった。日本にもカタパルトはあったが、火薬によって射出するもので戦艦や巡洋艦などの大型艦艇には装備されていたが、空母には装備されなかった。火薬式のカタパルトは射出速度が速すぎて機体が損傷したり搭乗員が負傷あるいは失神してしまうことがあった。また戦争後期に登場した流星や天山などの大型機は完全装備だと正規空母でも発艦が困難でロケットアシストポッドが必要な場合もあったそうだ。日本の空母は船体を細長くして甲板の長さを稼ぐなど建造上の制約があり航空機を発艦させる際には風上に向かって全速力で航行して合成風力を得るために高速を確保しないといけなかった。しかし日本の商船改造空母は21ノット程度と低速で風上に向かって全速力で航行しても新型の航空機を発艦させることができなかった。日本海軍も火薬式や圧搾空気式のカタパルトは開発して大型艦や潜水艦に装備していたが、油圧式のカタパルトは開発できなかった。当時の日本の油圧技術は米英に大きく劣っていて油圧の作動油漏れなんてことは日常茶飯事で取り扱う者を悩ませていた。だから航空機を射出させるような高圧の油圧作動機構など作れるはずもなかった。カタパルトは戦後は機関駆動用の高圧蒸気を使用するものから最近は電磁力を利用するリニアモーター式のものが出現しているが、莫大な電力を必要とするために発電力の大きな原子力推進艦などに装備されている。もしも日本が本格的な空母を持つとしたら排水量は5万トン以上、リニアモーター式のカタパルトを装備するものになるかもしれない。技術的には可能だろうが、問題は船の発電力だろう、😁🌀🎃😅。
Posted at 2023/09/06 18:38:21 | |
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