2024年06月08日
太平洋戦争中日米は様々な航空機を開発した。戦争前半はどちらも性能は拮抗していたが、後半になると日米の航空機、特に戦闘機の性能はかなりの差が生じてしまった。特に速度では大きな差が生じてしまった。その理由はなんだろうか、❔。第一の理由は日本側が戦闘機用大馬力エンジンの開発が出来なかったことがある。当時の日本では海軍が肩入れした中島の誉エンジンと三菱の金星を18気筒化したハ43があったが、誉は小型高出力を狙ったために当時の日本の技術力を超える設計であり燃料やオイル精製技術、オイルシール、電装系などの技術が劣っていたことから額面性能を発揮出来ずトラブルも多くてまともに稼働しなかった。また誉の排気量は36リッターで米国の代表的な2000馬力級エンジンのダブルワスプは46リッターも排気量があったので今風に言えばV6 3.5リッターとV8 4.5リッターほどの違いがあり一口に2000馬力級と言ってもパワーにはかなりの差があった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️(ーー;)。
第二の理由は日本の戦闘機は翼面積を大きくして機体の運動性を重視していたことがある。翼を大きくすると運動性は向上するが、重量や抵抗が増加して速度は低下する。戦争前半の零戦21型の翼面荷重は102キロ/㎡だか、零戦のライバルだったグラマンF4Fは140キロ/㎡、後半の紫電改は170キロ/㎡のところグラマンF6Fは190キロ/㎡で零戦の後継機と言われた烈風などは全備重量でグラマンF6Fよりも1.5トンも軽いのに翼面積は同じというバカでかい翼をつけていた。烈風の翼面荷重を170キロ/㎡くらいにしておけば速度はそれなりに上がっただろうが、運動性は低下しただろう。速度と運動性はトレードオフの関係にある、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(ーー;)。ちなみに米海軍機の翼面荷重は190キロ/㎡くらい、陸軍機は200キロ/㎡を超えていたが、日本海軍機は150から170キロ/㎡、陸軍機も4式戦疾風などが185キロ/㎡ほどで日本側は運動性重視、米国側は速度重視の傾向がある。当時の世界の潮流は速度重視だった。
もっとも戦争末期に試作された対B29迎撃用の高高度戦闘機になると翼面荷重は軒並み200キロ/㎡を超えているが、これは速度がないと高速のB29に反復攻撃をかけられないことと爆撃機相手なら運動性はさほど必要ないからだろう。しかしこれらすべての機体はエンジン不調、爆撃による生産設備の破壊、資材不足などで試作中に終戦になっている。
当時の戦闘機の性能の違いは日米の戦闘機に対するフィロソフィの違いでもあるが、日本側が小型軽量にこだわったことや技術不足で安定した大出力エンジンが作れなかったことに加えて一騎打ちを好む日本人パイロットが格闘戦にこだわったために翼面荷重の低い運動性のいい機体を要求したことで運動性とトレードオフの関係で速度が低下したのだろう。しかし戦争末期には燃料の質の低下や物質の不足、人材の不足で戦闘機そのものの質の低下、そして人材や物資の不足による稼働率の低下で性能だけではなく数でも圧倒された。
パワーの小さいエンジンを使わざるを得なかったことで強武装、長い航続距離、軽快な運動性を得るために機体構造や防御力を犠牲にしたことがソロモン諸島の消耗戦で多数の熟練搭乗員を失うことになりこれが戦力の消耗に拍車をかけた。今時の車🚙もそうだが、性能を上げるにはやはりパワーを上げるに限る。零戦は武装の強化、防御力の強化、機体構造の強化など装備が増したのにエンジンのパワーが変わらなかったので相対的に性能が低下してしまった。零戦も52型を出した時点でエンジンを三菱の金星に換装して武装は13ミリ機銃4門で20ミリ機銃を廃止してしまえばもう少しはまともに米軍の戦闘機と戦えたかもしれない、\(^_^)/🙆🆗🛩️。戦闘機用の大出力エンジンが作れなかったこと、それだけで日本は米国には勝てなかったということになる、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️(ーー;)。
日本の戦闘機の速度が低かったことは用兵哲学、技術不足、資材不足が原因だが、飛行機も車🚙も「性能=パワー」でありこれが満たされなかったことがもっとも大きい理由だろう。航空自衛隊の次期戦闘機開発でF9という戦闘機用大出力エンジンを試作したのは「日本だってその気になればエンジンだって作れるんだぞ」という技術レベルを示すためでF9をそのまま使うわけではないだろう。それでも戦闘機用大出力エンジンが作れるようになったことは大したものではある。技術力のレベルは冷徹なものではある、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️(ーー;)😁🌀😱💧😅。
Posted at 2024/06/08 17:11:46 | |
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軍事 | 日記
2024年06月08日
過給機というのは空気の薄い高高度で空気を圧縮して酸素濃度を高めて航空機のエンジン出力を確保するための機械で第二次世界大戦では米国はエンジン排気を利用するターボチャージャーを、英国はエンジンの回転を利用するスーパーチャージャーを、ドイツはこうした機械式に頼らずエンジン気筒内に水メタノールを噴射して出力を増強する方法を選択した。捨ててしまう排気を利用するターボチャージャーを選択した米国はさすがに合理主義の国らしい。
日本はというとターボチャージャーは機械的にも材質的にもまともなものが出来ずスーパーチャージャーは過給性能が劣り水メタノール噴射はエンジンによって適合性にバラつきがあって結局どれもものにならなかったり性能的に中途半端で高高度における米軍機との戦闘に支障をきたしていた。戦後は航空機はジェット機になって過給機は必要なくなったが、その技術は車🚙のエンジン出力を上げるために使われた。
過給方法としては2種類でターボチャージャーとスーパーチャージャーだが、それぞれ一長一短あってスーパーチャージャーは低回転から過給が始まるが、エンジン出力を利用しているのでパワーロスがある。ターボチャージャーは過給性能は高いが、エンジン回転が上がらないと効率が悪いなどでターボチャージャーとスーパーチャージャーを両方備えたエンジンも作られた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨。
戦争中まともな過給機が作れなかった日本は戦後に頑張ってターボチャージャーのシェアを三菱重工とIHIで世界の3割ほどを占めているそうだ。トップはギャレットとボルグワーナーで世界シェアの6割を占めているそうだ。どちらも米国メーカーであるが、日本も頑張ったものではある、\(^_^)/🚙💨🙆🆗。車🚙の世界では日産がターボ、我がトヨタはツインカムで競っていたのであまり過給機付きの車🚙に乗ることはなかった。だいたい過給機なんか付いた車🚙は高いしねえ、(ーー;)😁🌀。
初めて過給機が付いた車🚙に乗ったのはコペンで軽だが2500回転を超えるとけっこういい加速をした。そう言ったらBMWに乗っているやつに笑われた、(ーー;)😁🌀😱💧😅。軽は排気量が小さいのでパワーを出すにはエンジンを回さないといけないのでターボチャージャーにかかる負担も大きいそうだ。だからオイル交換を怠ったりするとタービン軸が焼きついたり大きなトラブルになりやすいそうだ、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨。2台目は今のGRヤリスでこいつはラリーベース車🚙だけあって過給システムもなかなか凝っている。それからじいちゃんを医者まで送ってやるのにルーミーを使っているが、こいつもターボチャージャーが付いている。待ち時間にエンジンフードを開けたらインタークーラーが付いていたので分かった、\(^_^)/🚙💨🙆🆗。
最近はターボチャージャーも環境問題の影響で出力増強よりも小さい排気量でパワーを出すためのダウンサイジングターボなんて言われて使われたりもしたが、最近はあまり見かけない、(ーー;)🚙💨。戦争中日本はタービンブレードの材質や回転軸の潤滑冷却などでもたついてまともな過給機が作れなかったが、今では世界中で日本の過給機が使われるようになったのはけっこうなことではある。しかし当時は過給機だけでなく航空機用大出力エンジンも欧米に遅れを取っていたので両方合わせて開発を成功させないといけなかっただろう。
戦後は航空機やらジェットエンジンやら過給機やら細々でも開発を続けてきたから今がある。コストカットの名目で半導体開発を中台韓にマニュアル付きで丸投げして半導体後進国に成り下がったのとは好対象ではある。過給機は車🚙だけではなく船舶、建機、その他の発動機に広く使われているが、今後は脱二酸化炭素で衰退していくだろう。それでも内燃機関がある限り燃焼効率向上のために過給機は使われ続けるだろう。
でもターボチャージャーというともしも太平洋戦争当時に完成したものがあれば海軍の紫電改や陸軍の四式戦疾風などの戦闘機はもう少しは活躍できたかもしれない。また零戦の寿命も少しは延びただろうなんて考えてしまう。技術というものは開発を継続しないと発達しない、(ーー;)🚙💨。途中で止めたり他人任せにしてはいけない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨🙆🆗。
Posted at 2024/06/08 17:07:56 | |
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自動車 | 日記
2024年06月08日
今日はまたGRヤリスで箱根を越えて一回りしてきた、\(^_^)/🚙💨🙆🆗。今日も燃費運転だが、箱根新道で軽のサクラに煽られた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨。サクラはBEVの軽で馬力は64馬力だが、トルクが19kg/mもあって出足がいい。でもなんだかんだ言っても軽は軽なのでちょっとアクセルを踏み込むとあっという間に離れるが、またくっついてくる。GRヤリスとかいうと絡みたくなるんだろうか、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨。困った😖💦ものではある、(ーー;)🚙💨。
サクラは芦ノ湖の方に行ったが、次はホンダのフィットに絡まれた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🚙💨。そんなにゆっくり走っているわけではないのだが、横浜ナンバーだったので車間を詰める癖があるんだろうか、(ーー;)🚙💨。別に飛ばしてもいいんだけど今日はお上が箱根峠に関所を構えていた。これがあるからあまりむやみやたら飛ばせない、🙅🆖⤵️🚙💨。
伊豆縦貫自動車道に入ってからは穏やかに走れた、\(^_^)/🚙💨🙆🆗。新東名高速道路に入ると一度はちょっとアクセルを踏み込むことにしている。120キロ+αくらいまで加速して「やっぱりGRヤリスは速いなあ、\(^_^)/🚙💨🙆🆗。」とかちょっと自己満足している。これから先はのんびり走行に徹して燃費を稼ぐ。
足柄SAから先はトンネルとコーナーが続く高速には珍しい難所なので第一走行車線に入ってのんびり走る。こうして一生懸命燃費運転なんかしているが、GRヤリスも納車から半年、4500キロばかり走ったが、下道メインだと14キロの後半、高速メインだと15キロの前半くらいでまあこんなものだろう。86GRよりもやや燃費がいいが、似たようなものだろう。どっちもスポーツカーだが、排気量が小さいのでこんなものだろう。せめて地球環境のためにも燃費には気をつけて走ろう、🚙💨🙆🆗。でもやっぱりスポーツカーだからたまには気合いを入れて走ってみようとも思う。GRヤリス、なかなかいい車🚙ではある、\(^_^)/🚙💨🙆🆗🎃🐍🐲👺⛩️。
Posted at 2024/06/08 17:01:15 | |
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自動車 | 日記