2025年02月26日
なくても困らない誰のためか分からない車🚗の装備だって、(ーー;)(/o\)。
まずヨーク型ステアリングホイール、ステアリングホイールのことをハンドルというが、ハンドルは取っ手のこと、いい加減正しく呼べばいいのになあ、(ーー;)。ヨーク型ステアリングホイールとはU字、あるいは角形ステアリングホイールのことをいうそうだが、一部の車🚗に採用されている、(ーー;)。これって車輪の舵角を大きく取るときには不便じゃないの、(ーー;)。レーシングカーのように車輪の舵角とステアリングホイールの角度が1対1ならいいけどねぇ、(ーー;)。
次はデジタルアウターミラー、これはLEXUSのESがそうだったような、(○_○)!!。WECのハイパーカーはルームミラーはデジタルではあるが、車の構造的に後ろは全く見えないから仕方ない、(ーー;)。これもコスパの問題だろうか、(ーー;)。あまり普及していないようだ、(ーー;)。普通のミラーで用が足りればわざわざカメラやそれを映す液晶モニターは必要ないように思う、(ーー;)(/o\)。
次はアンビエントライト、これは内装をライトで飾るもので要は飾り、以前ウェルカムライトだかなんだかドアを開けると足元が明るくなるとかいうのがオプションであったが、全く必要ないだろう、👋😞(ノ-_-)ノ~┻━┻。ドアを開ければルームライトが点灯するしなあ、👋😞(ノ-_-)ノ~┻━┻。足元が7色に光ってもありがたくもない、👋😞(ノ-_-)ノ~┻━┻。
次はHUD、ヘッドアップディスプレイだが、これは戦闘機の装備から始まったもので計基盤のレーダースクリーンを見ていてパッと顔を上げると日光に幻惑されて視界を失うので正面の風防やパネルに必要な情報を投影しようというもので前期型のGRヤリスには装備されていた、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。これはいちいちインパネを確認する必要なく走行に必要な情報が表示されるので便利だと思う、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。後期型のGRヤリスではなくなってしまった、(ーー;)(/o\)。
次はヘッドランプウォッシャー、これはボルボには付いていたような、(○_○)!!。あとは日産の何かしらにも付いていたような、(○_○)!!。これも泥道を走らなければ必要ないと思う、👋😞(ーー;)。ただ積雪地域などではライトが発熱量の小さいLEDになっているので便利な機能かもしれない、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。
最後はアイドリングストップ機能で前期型のGRヤリスに付いていた、(○_○)!!⛽💴。ラリーカーにアイドリングストップ機能でもないだろうと思ったが、面白半分何時もオンにして「お、止まった、止まった」とか面白がっていた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。メーカーとしては激しい燃費競争の中で少しでも燃費⛽💴がよくなるようにと装備したんだろうけどセルモーターやバッテリーの負担が大きくなる割にはあまり燃費⛽💴に貢献しないとか、(ーー;)。また燃費⛽💴の測定方法が変わって停車時にエンジン止めてもメリットがなくなったということで廃止しているようだ、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。この装置もけっこう細かく制御しているので金がかかっているだろう、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。これもなくてもいいように思う、👋😞(ーー;)。
車🚙💨も様々な機能やら装備が開発されて行くが、いつの間にかなくなっている装備もけっこう多い、👋😞(ノ-_-)ノ~┻━┻(ーー;)。基本走りに関する装備しかオプションしないのであまり変なものが付いていることはない、👋😞(ノ-_-)ノ~┻━┻。人気のない装備で付いているのはサイドバイザーくらいだろうか、(ーー;)👋😞。
Posted at 2025/02/26 18:17:46 | |
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自動車 | 日記
2025年02月26日
昭和の初期、日本は航空機の設計製造に関しては後進国で欧米から技術者を招聘して機体設計の指導を仰ぎ、エンジンは欧米製のものを使用していた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
これではいかんということで海軍など軍が主導して三菱重工、中島飛行機(現SUBARU)などの航空機製造会社と協力して飛行性能の向上に重点を置いた航空機の開発を推進して太平洋戦争開戦時には零戦、一式陸攻、97式艦攻、99式艦爆、一式戦、二式単戦、百式重爆など欧米の第一線機に劣らない機体を揃えることができた、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。しかし肝心のエンジンとプロペラは米国製のコピーあるいは米国製のものを基本型に開発したものだった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
戦争が始まって昭和18年になると米国は2千馬力級のエンジンを積んだ海軍のF6F、F4U、陸軍のP47、P51などの新鋭機を続々と戦線に投入、日本陸海軍の航空機を圧倒した、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
日本側も誉(ハ45)やハ43など2千馬力級エンジンの開発を推進していたが、日本の工業技術力を超える高度な設計に加えて日本では精製出来ない100オクタンの燃料を必要とするなど米国から技術や燃料を買っていた日本では計画したパワーが出ず、また故障が多く航空機の稼働率を落としていた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
海軍の紫電改、陸軍の四式戦などはエンジンさえきちんと動けば米軍の新鋭機に対抗することができたが、エンジンの不調やらフランスから導入したラチェの電動式プロペラ、ドイツから導入したVDM式油圧プロペラの不調が拍車をかけた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
その当時日本が入手可能な高性能戦闘機用エンジンは三菱の金星でこのエンジンは燃料直噴、水メタノール噴射装置付で最大出力は1500馬力、設計は古いが、その分こなれた使いやすいエンジンだった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。
このエンジンを積んだ機体は陸軍の五式戦、百式司令部偵察機、試作機のキ96、海軍の99式艦爆、瑞雲水上爆撃機、零式水上偵察機、96式陸攻など派手さはないが、安定した機体が多かった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。
戦争前半は米軍戦闘機を圧倒した零戦も中期になると米軍の新鋭機に苦戦するようになった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。そんな米軍の新鋭機に対抗するために零戦も武装を強化して防御力を高めた52型が開発されたが、エンジンは栄21型1130馬力のままだった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
飛行性能を上げるにはエンジンのパワーを上げるのが一番効果的だが、海軍は航続距離が減少することを嫌って換装を認めなかった、(ーー;)(/o\)。もしもこの時点で零戦のエンジンを金星に換装しておけば零戦の第一線機としての寿命も延びただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。
零戦も昭和19年の末から金星エンジンへの換装試作が始まり昭和20年4月に試作機が完成、五式戦同様にかなりの性能向上が認められたが、量産準備中に終戦となった、(ーー;)(/o\)😖💦。
陸軍の五式戦はダイムラーベンツのDB601水冷エンジンを搭載した三式戦がエンジンの不調で生産が進まないことから金星エンジンに換装した機体だが、戦争末期に中島の誉エンジンを搭載した機体がエンジンの不調でまともに飛ばない状況の中で五式戦は「燃料と油さえ入れれば飛ぶ」というくらい安定した機体だった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。
「五式戦で戦えば絶対不敗」とまでいう搭乗員もいたそうだ、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。それはカタログ通りの性能が出るということだろうが、当時の日本陸海軍の航空機はそこまで不調に悩まされていた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
零戦も昭和18年に金星エンジンに換装しておけば性能の低下を防止して活躍しただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。だからといってそれで戦局が変わるなどということはないが、局地戦ではもう少し有利に戦えただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。海軍の石頭にも困ったものではある、(ーー;)(/o\)😖💦。
Posted at 2025/02/26 18:14:29 | |
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軍事 | 日記
2025年02月26日
太平洋戦争で残念なことがある、(ーー;)(/o\)。一つ目は真珠湾攻撃で艦船修理施設や石油タンクを破壊しなかったこと、これらを破壊していれば米軍の反攻は半年から1年は遅れただろう、(ーー;)。勝敗を1日で決するという覚悟があったならやるべきだった、(ーー;)。ただ南雲機動部隊には軍令部から「艦を失うな」という指示が出ていたそうだから止まって反撃を受けることを恐れたようだ、(ーー;)(/o\)。当時の海軍は連合艦隊と軍令部の二重の指揮を受けていたので作戦の意思決定が統一されないきらいがあったようだ、(ーー;)。
次はミッドウェイ海戦、暗号が米軍側に解読されて情報が漏れたとかいうが、米海軍の空母撃滅が目的なら情報が漏れて米海軍の空母が出て来てくれれば万々歳で負けたのは作戦目的を米空母撃滅とミッドウェイ島攻略の二股かけたことだろう、(ーー;)。またアリューシャン攻略など意味のない作戦を計画して兵力を分散したこと、アリューシャン攻略部隊を上陸部隊の支援に当てて主力部隊も機動部隊護衛と攻略部隊の護衛に分散すれば良かった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。そして第一航空戦隊は島の攻略には参加させずに米海軍機動部隊に備えて待機させておけばいい、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。それで勝てたかどうかは分からないが、あれほどの惨敗はしなかっただろう、(ーー;)。ただ太平洋戦争の勝敗の分岐点はミッドウェイ海戦というが、それは間違いで確かに手痛い敗戦だったが、本当に日本の戦力が尽きたのはソロモン諸島方面での1年間の大消耗戦でこの戦いが終わった時に太平洋戦争の勝敗が着いていた、(ーー;)(/o\)。その後の戦闘は米軍による残敵掃討戦だった、(ーー;)(/o\)。
次はマリアナ沖海戦、この頃は日米の戦力は隔絶していて米海軍機動部隊は日本側の2倍の航空戦力を有していた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。日本側は基地航空戦力と合わせて米海軍に対抗する予定が、基地航空戦力は米海軍に振り回されて各個撃破されてしまって存在せず機動部隊の戦力だけで米海軍に対抗することになっていた、(ーー;)。そして小沢司令官はアウトレンジ作戦を取ったが、当時の未熟な搭乗員には無理な作戦だった、(ーー;)。出来れば可能な限り接近して刺し違えるという作戦の方が良かったかもしれない、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。また日本側は戦闘機の数で圧倒されたが、艦載戦闘機の数をもっと増やすべきだった、(⌒‐⌒)😃⤴️。機材や搭乗員に限りがあるだろうけど450機のうちの300機くらいを戦闘機、100機が艦爆、50機が艦攻くらいでもいいだろう、(⌒‐⌒)😃⤴️。米海軍機動部隊は艦載機の半分は戦闘機だったそうだ、(ーー;)(/o\)。
次はレイテ沖海戦、この頃は日米の戦力は隔絶していてまともに戦えるような状態ではなかった、(ーー;)。この作戦自体が全滅を睹した殴り込みのような作戦だったが、連合艦隊をすりつぶすつもりのレイテ湾殴り込みならせっかく湾口までたどり着いた第二遊撃部隊はそのまま突入すべきだっただろう、(ーー;)。それでどんな戦果があったか分からないし、戦艦大和以下の第二遊撃部隊はそこで全滅したかもしれない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。しかしそれが作戦の目的ならやるべきだろう、(ーー;)。栗田中将の謎の反転というが、あれは間違いなく逃げたのだろう、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。栗田という提督はミッドウエー海戦でも逃げたし、何かというと逃げるクセがあったという、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。反転した時に宇垣中将が「敵はそっちじゃない。あっちだ」とレイテ湾口を示したというが、その時は米軍の戦艦のマストが見えていたという、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。レイテ湾に突入してもどのくらいの戦果があったか分からないし、仮にそこで勝っても一時的な勝利でしかなかっただろう、(ーー;)(/o\)。連合艦隊はそこで全滅していたかもしれない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。でも本土で空襲で撃沈されるよりは戦って沈んだ方がましだったかもしれない、(ーー;)(/o\)。米海軍戦艦部隊は西村艦隊との戦闘で弾丸を撃ち尽くしていたなんて話もあるが、弾は十分に残っていたとか、(ーー;)。
結局帝国海軍は自分たちが予想したとおり2年間は何とか米海軍と五分に戦って敗れた、(/o\)。敗れた最大の原因は国力の差でこれはどうしようもないことだった、(ーー;)。だが最後まで戦闘の目的を統一出来ずにちぐはぐな作戦を繰り返して個々の戦闘でも敗れ去った、(ーー;)(/o\)。海軍部内でもう少し意思統一が出来れば勝てた戦もあったかもしれない、(ーー;)(/o\)。ただそうして個々の戦闘で勝利しても戦争が半年か1年延びただけで最終的な勝利はなかったことは間違いないが、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(ーー;)(/o\)😖💦。
Posted at 2025/02/26 18:12:13 | |
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軍事 | 日記