2025年09月06日
太平洋戦争中の日本の戦闘機は一概に速度が遅い、(ーー゛)😅😇🛩️。海軍の零戦は530キロから565キロ、紫電は574キロ、紫電改は594キロ、雷電は580キロから610キロ程度、戦闘機ではないが、艦上偵察機の彩雲は試験飛行で638キロを記録しているが、量産機は605キロ程度ではある、(ーー゛)😅😇🛩️。陸軍の一式戦は495キロから555キロ、二式単座戦闘機は580キロから615キロ、三式戦は590キロから610キロ、四式戦は624キロ、五式戦は580キロでいずれも500キロ台の後半から600キロを超えたところではある、(^_^;)😇😅🛩️。
米軍の戦闘機は前半のF4FやP40などは500キロ台の半ば程度だったが、後半のF6Fは594キロ、F4Uは680キロ、陸軍のP47は680キロ、P51は700キロを超える高速機である、(ーー゛)😅😇🛩️。英国のスピットファイアも前半の機体は500キロ台の後半だが、後半の機体は700キロを超えているし、ドイツのBF109も前半の機体は500キロ台の後半だが、後期の機体は700キロを超えている、(゜o゜;😅😇🛩️。フォッケウルフも700キロ前後の速度を出している、(--〆)😠🤬👿。
これは一つには設計思想の違いで欧米は速度を重視した一撃離脱戦法の機体を開発したが、日本では格闘性能重視の機体を開発した、(^_^;)😇😅👿🛩️。そのために翼面荷重を下げるために翼面積を大きく取ったのでその分重量と抵抗が増加して速度が伸びなかった、(^_^;)😇😅😅👿🛩️。機械的な理由では後半の欧米の戦闘機は2千馬力級エンジンを装備していたが、日本には安定した性能を発揮できる2千馬力級エンジンがなかったことで最後まで1千馬力級エンジンを搭載していたこともその理由だろう、(--〆)😠🤬👿。
またプロペラの技術も遅れていて米独仏から技術輸入したものを装備していたが、その効率が低かったようだ、(^_^;)😇😅👿🛩️。プロペラは大口径のものをゆっくり回した方が効率がいいそうだが、日本にはそうした大口径プロペラに関するノウハウがなかったようだ、(--〆)😠🤬👿。さらには過給機制作技術が追い付かなかったことも航空での速度性能の足を引っ張っているだろう、・・😅👿😡。また戦争後半になると燃料の欠乏から燃料の質が下がりエンジンの不調が多くなったそうだ、(--〆)😠🤬👿。ドイツは石炭から燃料を製造していたが、日本では法律を作って開発を急いだが、うまく行かなかったようだ、(--〆)😠🤬👿🛩️。さらにはプラグやプラグコードなど電装品やオイルシール技術の問題、空力的知識の欠如なども相まって戦争後半に向かってエンジン出力は低下する一方だった、・・(--〆)👿😅🛩。
戦後の米軍のテストでは向こうのガソリンやオイル、電装品などを使って飛行するとどの機体も概ね1割は速度が上がったとか、・・👿😅😡。ただこれも日米ではテスト飛行の条件が違うので一概には言えないとか、・・(--〆)💦👿😡😅。いずれにしても日本人搭乗員は1対1の格闘戦を好んだ、・・(--〆)👿😡。一方で欧米では速度を生かした一撃離脱戦法を好んだ、・・(--〆)👿😡。もうこれは用兵思想の違いや航空機設計哲学の問題だろう、・・😅。
でも雷電など作らずに零戦の翼を切り詰めて機体を補強して金星エンジンを積んだらそこそこ使える局地戦闘機になったんじゃないだろうか、・・👿😡。最大の問題は大馬力エンジンが作れなかったことだろう、・・(--〆)👿😡。これに尽きるだろう、・・(--〆)👿😡😅。
Posted at 2025/09/06 22:35:50 | |
トラックバック(0) |
軍事 | 日記
2025年09月06日
零戦に中島の栄から三菱の金星にエンジンを換装した機体を54型、その量産型を64型と呼称する、(ーー゛)😅😇👿。その性能は速度570キロ、上昇力は6千メートルまで6分50秒で零戦各型の中では最も速く上昇力が高い機体だったが、その分重量が増加して格闘能力は低下していたが、それでも米軍機よりは優秀だった、(^_-)-☆😉😄🛩️。
三式戦のエンジンを同じ金星に換装した陸軍の五式戦は戦争末期に活躍したが、金星零戦は量産機ができる前に終戦になって戦闘には参加していない、(ーー゛)😅😇🛩️。五式戦は速度580キロ、上昇力は5千メートルまで6分、翼面荷重は180キロなので運動性は零戦に劣るだろうが、機体が頑丈なので急降下速度などは零戦を上回っている、(^_-)-☆😉😄🛩️。どちらも当時の米軍機などと比べると平凡な性能の機体だが、五式戦の場合はエンジンが安定していて稼働率が高かったという、(^_-)-☆😉😄🛩️。
零戦54型も五式戦も昭和18年に登場すべき戦闘機で昭和18年に登場していればかなり活躍できただろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。三式戦はエンジン不調と上昇力不足で苦戦したし、零戦も米軍の大馬力エンジンを搭載したF6FやF4Uなどに苦戦するようになっていた、(ーー゛)😅😇👿🛩️。F6Fは機体重量6トンで2千馬力、零戦は3トンで1500馬力なのでトルクの違いはあるが、数さえ揃えばそこそこ張り合えるだろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。
五式戦も三式戦に比べて稼働率が高く上昇力や運動性もいいので有効な戦力になっただろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。ドイツから慣れない水冷エンジンを買ってエンジンのトラブルで四苦八苦するよりも使い慣れた空冷星型エンジンで稼働率と性能を確保した方が戦時の理に適っている、(^_-)-☆😉😄🛩️。特に海軍は最後の最後まで零戦の金星エンジン換装を認めなかったが、その辺りはトラブル続発の誉エンジンに見切りをつけていた陸軍の方が考え方が合理的ではある、(^_-)-☆😉😄🛩️。
「今手に入る最良の組み合わせが良い結果を生む」、それが正解でまともに動かない誉エンジンにこだわった海軍よりもまともに動かない水冷エンジンや誉エンジンを諦めて堅実な金星エンジンを多用した陸軍の方が合理的だったようだ、(^_-)-☆😉😄🛩️。
Posted at 2025/09/06 22:33:15 | |
トラックバック(0) |
軍事 | 日記
2025年09月06日
日本海軍の艦上戦闘機開発は複葉鋼管羽布張りの90式艦戦、その性能向上型の95式艦戦から全金属製単葉セミモノコック構造の96式艦戦、そして引込脚に20ミリ機銃装備の零式艦戦へと順調に発展してきた、(^_^)/~😇😅👿🛩️。零戦は太平洋戦争前半は優れた運動性と大口径機銃の破壊力に熟練搭乗員の優れた技量で連合軍の戦闘機を圧倒した、(^_^)/~😇😅👿🛩️。
ところが海軍はこの零戦を更新することができなかった、(ーー゛)😅👿🛩️。その最大の原因は2千馬力級エンジンの開発が遅れたこと、そして三菱の設計陣に14試局戦、後の雷電、の開発を担当させたことで三菱の設計陣に新たな艦上戦闘機開発を行う余裕がなくなってしまったことだろう、(ーー゛)😅👿。雷電は他の会社にやらせるか陸軍の二式単戦を使えばよかった、(^_-)-☆😉😄。当時の陸海軍の仲の悪さから陸軍の戦闘機を使うのは無理という意見もあるだろうが、偵察機などは陸軍の機体を借用しているからできないことはなかったと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。
そして零戦52型を出した時にエンジンを栄から三菱の金星に換装すべきだった、(^_-)-☆😉😄🛩️。海軍は航続距離が落ちる割に速度などの向上が小さいと言って認めなかったが、エンジンのパワーが1.5倍になれば飛行性能はかなり向上するだろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。零戦52型はそれまでの格闘性能重視の軽戦から縦の運動性重視の重戦へと零戦が性格を変えた戦闘機だからパワーアップは必然で航続距離はデカい増槽でも下げればいい、(^_-)-☆😉😄🛩️。パワーアップした零戦で凌いでいる間にハ43エンジンの開発を急いで19年半ばまでは零戦52型で頑張る、(--〆)😠🤬👿。
そしてハ43エンジンを載せた烈風を昭和19年半ばまでに完成させる、(^_-)-☆😉😄🛩️。烈風はいろいろ言われるが、ハ43を搭載した烈風であればF6FやF4Uには優勢だっただろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。まあこれも数の問題でまとまった数の烈風を投入できればの話ではあるが、(--〆)😠🤬👿。中島の誉エンジンは海軍がぞっこんで何でもかんでも新型機は誉エンジンだったが、どれもまともには飛んでいない、(--〆)😠🤬👿。だいたい自国で生産できずに戦争の相手国の米国から輸入しているハイオクガソリンを使うことでカタログ性能を出すなど正気の沙汰ではない、(--〆)😠🤬👿。
まあ仮にこうして烈風などの新型機を戦線に投入したと言っても米国に勝てるわけではないし一部の局地戦でちょっと有利になった程度だろう、(--〆)😠🤬👿🛩️。零戦が第一線で優勢を保てるのは昭和18年前半辺りまで、本来ならそこで新型機を投入できればいいのだが、さすがにそれはちょっと無理だろう、(ーー゛)😅👿🛩️。個人的には烈風は翼面荷重170キロ程度で速度を優先した方がよかったと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。紫電改もその程度なので空戦性能向上は空戦フラップなどを使って向上させればいいと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。
烈風、駄作だのと言われるが、エンジンさえ適当なものがあれば当時の日本海軍の艦上戦闘機としては優秀な機体で言われるほど駄作ではないと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。ただ欧米ではジェット機の時代になりつつあったので寿命は短かっただろう、(ーー゛)😅👿😇🛩️。
Posted at 2025/09/06 22:30:50 | |
トラックバック(0) |
軍事 | 日記