2025年10月15日
日本陸軍は精神主義が著しく頑迷で先端技術や兵站補給、機械化、装甲化など近代陸軍には必須の改革が遅れて第一次大戦型の陸軍から脱却できないでいたという、(^_^;)😅👿。確かにその傾向はあってまた多くの人員を抱えていたことから装備の近代化に金が回らなかったこともある、(^_^;)😅👿。
それに比べて海軍は考え方が合理的で技術や兵站補給にも理解があったとも言われる、😇😉😅。確かに陸軍は海軍の軍艦建造に予算を食われて金回りが悪く兵員数も海軍とは比較にならないほど多かったので人件費に食われて装備や兵站補給などに金が回らない傾向があった、(^_^;)😅👿。
しかし陸軍は海軍が興味を示さなかった暗号解読に力を入れて米軍の暗号を一部解読していたとも言われる、😇😉😅。またレーダーの開発にも積極的で戦争中盤には日本本土のレーダー早期警戒システムを完成させていた、😇😉😅。また航空機のエンジンも海軍が執着した不調の誉エンジン(ハ45)に見切りをつけて馬力は落ちるが、安定した三菱重工のハ112Ⅱに切り替えるなど合理的な面を見せている、😇😉😅。
戦争後半になると負け戦が続く海軍は何とか戦局を挽回することに執着して冷静さを失っていたのかもしれない、(^_^;)😅👿。陸軍にそうした合理的な面があったなら戦争を始める前に日米の国力の差を理解して対米戦回避に努力すべきだったのだが、当時の陸海軍は国家国民よりも省益優先で政治家は226事件がのしかかって軍の暴発を極度に恐れていた、(^_^;)😅👿。また外務省は強気の陸軍がビビるほど更に強気だったし、マスコミはそうした軍や政府の方針を煽りまくっていた、(--〆)😠🤬👿。
海軍の上層部はほとんどが米国と戦っても勝てないことを承知していたし陸軍にも同様の幹部は多かったという、(^_^;)😅👿。更には天皇陛下も非戦派だったそうだが、一度開戦へと国家レベルの大きな流れができてしまうとそれを止めることは極めて難しい、(--〆)😠🤬👿。
今の日本では国が対外戦争を始めることはないだろうし、自衛隊にはその装備も力もない、(^_^;)😅👿。当時の陸海軍がもう少し国家国民を顧みれば戦争は避けられたかもしれない、😇😉😅👿。その陸海軍、海軍は冷静合理的、陸軍は頑迷精神主義というのはちょっと違う部分があるかもしれない、(^_^;)😅👿。海軍も艦隊決戦に凝り固まって冷静かつ合理的な思考ができていなかったのかもしれない、(--〆)😠🤬👿。
Posted at 2025/10/15 18:39:02 | |
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軍事 | 日記
2025年10月15日
日本陸海軍のレーダー開発は陸軍が先鞭をつけて1930年代半ばから日本電気や日本無線などと協力して早期警戒用レーダーの開発を進めて1939年2月には航空機から反射される電波を捉えることに成功してその後超短波警戒機甲及びその改良型の超短波警戒機乙を国内に大量配備して日本本土のレーダー警戒システムを完成させている、😇😉(^_^)/~。しかし陸軍の技術導入先は英米よりも技術的に遅れていたドイツであり八木式指向性アンテナの使用やPPIスコープの導入などの技術的進歩がなかったのは痛かった、(ーー゛)😅👿。
一方海軍は一部の技術士官がレーダーの開発を提案したが、「そんな花魁の簪みたいなものを戦艦のマストにつけられるか」とか「電波なんか出したら敵に発見されるだろう」などと言って一蹴されて一部の士官がほそぼそと研究を続けて1940年10月に東京湾に停泊中の赤城からの反射電波を捉えることに成功した程度であった、(^_^;)😅😇。
しかし陸海軍の士官がバトル・オブ・ブリテンを視察してレーダーの重要性を認識して本格的な開発を始めた、😇😉😅(^_^;)。そして1941年9月に距離100キロで一式陸攻を捉えることに成功、更に改良を続けて二式二号電波探信儀一型を戦艦伊勢に、仮称二号電波探信儀二型を戦艦日向に搭載、ミッドウェー海戦に敗れて悪天候の中を撤退する際に二号電波探信儀二型は混乱する艦隊の統制を取るのに大活躍したというが、二式二号電波探信儀一型は採用になったが、二号電波探信儀二型は不採用でその後も改良を続けて1944年7月に採用となった、(^_^;)😇😉😅。
初期のレーダーは雨降り🌧️だと電波が乱反射して役に立たなくなってしまったが、改良によって光学測距儀と同程度の精度を持つようになったという、😇😉😅👿。更に小型軽量の三式一号電波探信儀三型や機上レーダーである三式空六号無線電信機なども開発されている、(^_^;)😅😇。
日本のレーダーの欠点はその性能よりも真空管や銅線などの構成品の質にバラツキがあって作動不安定な機器があったことだという、(ーー゛)😅👿。レーダー原理の簡単な応用で製作可能な近接信管も真空管の質が低くてできなかったそうだ、(ーー゛)😅👿。
しかし海軍のレーダーも性能的には光学測距儀と組み合わせればレーダー射撃も実用域に達していたと言うし、レーダー射撃で敵艦に命中弾を得たこともあるという、😇😉(^_^)/~。米海軍のレーダー射撃も戦後誇らしげに語られるほど精度が高いわけでもなかったそうだ、(^_^;)😇😅。
また戦後に南氷洋捕鯨の出漁の際にレーダーの装備のない捕鯨船に連合国の監督官が乗船することを拒否、敗戦後間もない日本にレーダーの開発をさせることもできず困惑😖していたところGHQが押収していた二号電波探信儀二型が大量にあったことからこれを装備したところ役に立たないだろうという前評判に反してかなりの効果があったそうだ、(^_^;)😅😇。これらのレーダーの整備調整は元海軍の技術士官やメーカーの製造担当者が行ったそうだ、(^_^)/~😇😉😅👿。
レーダーに関しては陸軍が積極的に開発を行っていたが、海軍もその有効性に着目して開発を行い、最終的にはレーダー射撃が可能なまでになっていたので立派に実用域に達していた、(^_^)/~😇😅😅。日本陸海軍はレーダーが実用化できなかったなどというのは大きな間違いではある、(--〆)😠🤬👿。
Posted at 2025/10/15 18:37:06 | |
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軍事 | 日記
2025年10月15日
日本陸海軍の高射砲は1万メートルの高高度まで砲弾が届かずB29を迎撃できなかったと評判が悪い、(^_^;)😅👿。陸軍の7センチ半野戦高射砲は移動式の高射砲で最大射高は9千メートル強で射撃指揮装置も野戦用の簡易型のためにB29迎撃には苦戦したようだ、(^_^;)😅👿。しかし新型の99式8センチ高射砲や3式12センチ高射砲など高性能高射砲とレーダー射撃指揮装置などの組み合わせで効果を上げるようになったそうだ、(^_^)/~😇😉。
陸軍の3式12センチ高射砲は海軍の技術支援を受けて製造されているが、完成したのは190門ほどだそうだ、😇😉😅。またスウェーデンのボフォース社の高射砲をコピーした4式7センチ半高射砲も高性能だったが、90門ほどしか生産されなかったそうだ、(^_^;)😅👿。真打ちは5式15センチ高射砲でこの砲は2門が製作されて東京久我山に配備された、(--〆)😠🤬👿。そして初弾でB29を2機撃墜したとか言うが、米軍には記録がないという、(--〆)😠🤬👿。
しかし米軍は複数が被弾爆発墜落したのを目撃したとか明らかに撃墜されたという具体的な証拠がないと被撃墜とは認めなかったそうだ、(--〆)😠🤬👿。また8月2日に久我山付近で2機のB29が戦闘機またはロケット砲で撃墜されたというのでこれは15センチ高射砲の戦果だろうという、(--〆)😠🤬👿。15センチ高射砲はウルツブルグレーダーと高性能高射装置や弾道計算機を使用して精密射撃が行えたという、(--〆)😠🤬👿。日本の高射砲はB29には手も足も出なかったと言われているが、実際は防空戦闘機部隊よりも大きな戦果を挙げていたそうだ、😇😉(^_^)/~。日本陸軍は戦争後半には本土全域をカバーするレーダー警戒システムを配備していたし、レーダー射撃も実用域に達していたという、(^_^)/~😇😉😅。日本陸軍をバカにしてはいけない、(--〆)😠🤬👿。
海軍は10年式12センチ高角砲、89式12.7センチ高角砲、98式長10センチ高角砲、98式8センチ高角砲などだが、海軍の高角砲は概ね1万メートルを射程内としていたが、本土防空は陸軍の管轄で海軍がB29と戦闘を行うのは軍港上空に飛来した機体に対して行う程度だが、それでもB29を撃墜した記録もあるようだ、(--〆)😠🤬👿。総じて艦隊の大型機に対する対空射撃はレーダーと精密な射撃指揮装置を駆使して精密射撃を行ったので効果が大きくフィリピンなどでB24などを多数撃墜したこともあるという、(--〆)😠🤬👿。
B29に対しては米軍が高高度精密爆撃から後半中低空焼夷弾攻撃に切り替えてからは日本の高射砲部隊もかなり戦果を挙げていたそうだ、(--〆)😠🤬👿。レーダーがなかったとか高射砲の砲弾が全く届かなかったなどというのは敗戦後の自虐的な話のようだ、(--〆)😠🤬👿。B29の爆撃で日本本土はほとんど灰になって何十万もの民間人が死亡したが、米軍にしても500機近いB29が撃墜されて2500機が損傷して搭乗員3千人以上が戦死しているので日本本土爆撃は鼻歌交じりの楽な出撃ではなかったようだ、(--〆)😠🤬👿。
Posted at 2025/10/15 18:35:05 | |
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軍事 | 日記