今年4月、青森県の航空自衛隊三沢基地(三沢市)から、沖縄県の那覇基地(那覇市)への“お引っ越し”が行われた。三沢基地の飛行警戒監視隊に13機配備していた早期警戒機E2Cのうち、4機を那覇基地に移転し、警戒航空隊第603飛行隊を新編した。
第603飛行隊の誕生は、中国の存在抜きには語れない。
平成24年12月13日、中国国家海洋局所属の多用途小型プロペラ機Y12が尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島付近の日本領空を侵犯した。この際、自衛隊のレーダーではY12を捕捉できなかった。F15戦闘機とE2Cを緊急発進(スクランブル)させたのも、海上保安庁の巡視船から連絡を受けた後だった。空自にとっては「絶対にあってはならないこと」(関係者)という屈辱だった。
空自は同年9月の尖閣国有化を受け、三沢基地のE2Cを那覇基地に展開していたが、この事件をきっかけにさらに態勢を強化した。浜松基地(浜松市)に拠点を置く早期警戒管制機(AWACS)とともに尖閣周辺空域での警戒・監視活動に当たった。
E2CとAWACSによるスクランブルは年間20件程度だったのに対し、24年度は250回前後に激増したとみられている。スクランブルは25年度も増え続け、中国政府の防空識別圏設定や、中国軍機による自衛隊機への異常接近など南西方面の緊迫は増すばかりだ。このため、1年8カ月の“出張”を経て、隊員約60人、E2C4機の陣容で603飛行隊が新編された。
「力による現状変更の試みが継続されており、不測の事態を招きかねない危険な状況になっている。地上固定式レーダーを補完する警戒航空隊の果たす役割は重要だ」
第603飛行隊の発足式が行われた今年4月20日、当時の小野寺五典(いつのり)防衛相はE2Cが果たす役割をこう強調した。
円盤状の回転式アンテナが特徴のE2Cは「空飛ぶレーダーサイト」とも呼ばれる。数多くの敵機を同時に追尾し、対空無線で敵機の位置情報などを地上の防空司令所や遼機に伝送し、要撃機を指揮することもできる。全長約49メートルのAWACSと比べて17.6メートルと小型のため、すぐに飛び立つことができる即応性も強みだ。
E2Cが自衛隊に部隊配備されたのは昭和58年2月のことだが、これも自衛隊にショックを与えた事件が背景にある。
51年9月のベレンコ中尉亡命事件だ。ソ連(当時)の戦闘機ミグ25が北海道南部に低空飛行で侵入し、函館空港に強行着陸したが、自衛隊は追跡途中で戦闘機を見失った。地上レーダーでは水平線の向こう側を低空飛行する航空機を捉えることはできない。このレーダー網の穴を埋めるために導入されたのがE2Cだった。
冷戦時代の主要脅威であるソ連をにらみ青森県に配備され、冷戦後は台頭著しい中国軍に対抗するため沖縄県に移転されたE2Cは、日本の脅威認識の変化を象徴する存在といえる。
中国は東シナ海の制海権を確保するために制空権の確保を狙って空軍力を強化している。どの程度の性能を有するのかは不明だが、一応、ステルス戦闘機も実戦配備に向けた開発が続いている。中国の戦力強化に対する日本の切り札は、F35とE2Dだろう。その先駆けとしてE2Cが沖縄に配備されたことは意味深い。F15戦闘機の増強だけでは近い将来中国に対抗できなくなるだろう。こうした中国の空軍力の増強に空自はどう対抗していくのか、数はなかなか難しいだろうから質で対抗していくしかないだろう。
Posted at 2014/11/25 23:37:16 | |
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