安倍首相が、新国立競技場建設問題で、白紙撤回した。先週のコラムで、民主党時代に新国立競技場のデザイン採択、方向性が決まっていたことを指摘したが、その負の遺産を一掃したわけだ。その初期段階の情報は非公開にされているが、筆者がつかんでいるのは、その当時、文科省のみならず国交省の幹部も会議に参加していたという情報。その当時の情報が公開されれば、誰が問題を作り出したのかがよりわかるだろう。
断じて強行採決ではない
さて、安法関連法案は衆議院を通過した。強行採決とかいわれるが、これは欧米にない言葉で、日本のマスコミによる独特な表現である。普通にいえば、単なる民主主義プロセスである。安倍政権は、集団的自衛権の行使容認の方針について、以前から主張し、それで3回の国政選挙を勝ってきた。
もし、集団的自衛権の行使を法案化せずにあきらめたら、公約違反であり、国政選挙は無意味になってしまう。マスコミは、国民の声は反対というが、安倍政権の3回の国政選挙結果を無視しろというのだろうか。
マスコミは、憲法学者が反対しているというアンケートを掲載しているが、そうしたアンケートの時には3回の国政選挙での投票結果もあわせて掲載すべきだ。そうすれば、憲法学者がいかに民意とかけ離れた集団であるか、または選挙公約をろくに読まずに投票する集団なのか、いずれかがわかるだろう。筆者はおそらく前者であると思う。なにしろ、自衛隊が違憲という時代錯誤の見解をもっている集団だからだ。
それにしても、委員会採択当日の野党のプラカード行動は情けなかった。国会論戦では、リアルな国際政治・関係論がほとんどなく、憲法論などの国際関係を無視したお花畑論ばかりだった。
国際政治・関係論、平和論では、どうしたら戦争をしないようにできるかを研究する。左派勢力のように、憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になるという議論は論外だ。安保関連法案を提出する政府・与党側も、反対する野党側も、ともに目指すは平和である。であれば、どちらの案がより日本を平和にできるかで競うべきである。この意味で、対案のない民主党は論外であるが、参院では野党は対案をもって議論してもらいたい。
38回の戦争を振り返る
この場合、戦争の定義としては1000人以上の戦死者を出した軍事衝突が戦争と見なされており、この数量的定義が国際政治学では広く使われている。戦争といっても、国内、国家間、それ以外に分けられている。本稿では、第2次大戦後の国家間戦争を取り上げてみよう(以下では、戦争とは、国家間戦争をいう)。
第2次大戦後、地球上では次表のように、38回の戦争があった。
そうした戦争には、いろいろな国が関与してきた。同一国において同一年で複数の戦争を行った時には複数国としてカウントして、戦後の戦争国数の推移をみると、つぎのようになる。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、コソボ戦争の時に、グラフが跳ね上がっている。戦争の発生は、しばしば時間に関してランダムなポアソン過程であるといわれる。この場合、それぞれの戦争にはほとんど因果関係がないものと示唆されるが、実際にもそうなっていると感じさせられる。なお、ポワソン過程は、故障・災害の発生、店舗への来客、電話の着信、タクシーの待ち時間などのモデル化でよく用いられているものだ。
アジアは戦争の多い地域
次は、戦後の38の戦争について地域分布を示した図と、そのうちアジアでの15の戦争の表を表したものだ。
アジアは、世界の中でも戦争が多い地域であることがわかる。ここで、アジアの戦争について、アジア諸国で関わった延べ年数を表したものが次の地図だ。
ベトナム、中国、韓国、フィリッピン、タイ、カンボジアの回数が多い。また、アジアではないがオーストラリアも多い。これらの国は、世界の中でみても、目立った戦争関与国である。それは、世界の国と比較した次の図からわかる。
アジアは戦争が多い地域であり、しかも、日本のまわりには、戦争関与国が多いことがわかる。特に、中国の脅威は無視できない。例えば、中国機に対する自衛隊のスクランブルは、最近急増している。
中国を特に重視するのは、国際政治・関係論から見て、十分な根拠がある。それは、本コラムで筆者が再三にわたって紹介してきた民主的平和論(democratic peace theory)だ。それは、民主主義国間では戦争は起こらないという主張だ。
これは、古くはカントの「永遠平和のために」を源流として、筆者がプリンストン大学時代にお世話になったマイケル・ドイル教授(現コロンビア大教授)が現代に復活させ、今や国際政治・関係論では、もっとも法則らしい法則と見なされるものだ。
戦争を考えるうえで最も重要な理論
アジアにおいては、民主主義とはかけ離れた国として、中国、北朝鮮、ベトナムなどがある。このうち、中国と北朝鮮との距離は目と鼻の先であり、戦争について十分に警戒すべき国である。
民主的平和論については、民主主義の定義が曖昧とか、例外はあるなどという批判を受けてきた。ところが、ブルース・ラセットとジョン・オニールは、膨大な戦争データから、「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」ことを実証した。その集大成が、両氏によって2001年に出版された "Triangulating Peace" という本だ。筆者はプリンストン大時代に同書に出会うことができて、幸運だった。
同書は、従来の考え方を統合整理している。従来の国際政治・関係論では、軍事力によるバランス・オブ・パワー論に依拠するリアリズムと軍事力以外にも貿易などの要素を考慮し平和論を展開するリベラリズムが対立してきた。
同書では、1886年から1992年までの戦争データについて、リアリズムとリベラリズムのすべての要素が取り入れて実証分析がなされている。すると、リアリズムの軍事力も、かつてカントが主張していた「カントの三角形」も、すべて戦争のリスクを減らすためには重要であるという結論だった。
軍事力は、①同盟関係をもつこと、②相対的な軍事力、カントの三角形は、③民主主義の程度、④経済的依存関係、⑤国際的組織加入という具体的なもので置き換えられると、それぞれ、戦争を起こすリスクに関係があるとされたのだ。
具体的にいえば、きちんとした同盟関係をむすぶことで40%、相対的な軍事力が一定割合(標準偏差分、以下同じ)増すことで36%、民主主義の程度が一定割合増すことで33%、経済的依存関係が一定割合増加することで43%、国際的組織加入が一定割合増加することで24%、それぞれ戦争のリスクを減少させるという(同書。171ページ)。
国際関係の最終理論
なお、カントの三角形とは、民主主義、経済的依存関係、国際的組織加入が、平和を増すという考え方である。このうち、民主主義と戦争の関係が、民主的平和論として知られている。
① 同盟関係については、対外的には抑止力をもつので侵略される可能性が低くなるとともに、対内的にはそもそも同盟関係になれば同盟国同士では戦争しなくなるから、戦争のリスクを減らす。
② 相対的な軍事力については、差がありすぎると属国化して戦争になりにくい。
③ 民主主義については、両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味 で、古典的な民主的平和論になる。一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まるので。アジアにおいて、中国とベトナムで何度も戦争しているが、まさにこの例だろう。
④ 経済的依存関係、
⑤ 国際的組織加入については、従来のリアリズムから重要視されていなかったが、実証分析では十分に意味がある。
要するに、国の平和のためには、①~⑤までを過不足なく考慮する必要がある。ここで、重要なのは、属国化を望まないのであれば、①同盟関係とカントの三角形③~⑤を両方ともに考えなければいけない。カントの三角形だけで、①同盟関係の代替はできない。しかも、非民主主義国が相手の場合には、カントの三角形が崩れているので、①同盟関係にかかる比重は、ことさら大きくならざるをえない。
なお、最近の中国をみると、④経済的依存関係では、戦争のリスクは減少しているが、④国際的組織加入において、中国のAIIBの独自設立は不安定要因にもなり得るだろう。
民主党の理論は真逆
こうした国際政治・関係論の観点から、民主党の主張を考えてみよう。ここで、集団的自衛権の行使は、同盟関係の強化という点を確認しておきたい。集団的自衛権を行使しないことは、同盟関係を成り立たせなくするのと同じである。この点は、日本で誤解されている。たまたま日本で集団的自衛権の行使をしないと政府がいっても許されたのは、アメリカが日本の再軍備を恐れていたためだということは、本コラムでも再三書いてきた。
いずれにしても、民主党は、集団的自衛権の行使をすると、戦争のリスクが高まるという主張だ。しかし、過去の戦争データでは、先述べたように同盟関係の強化は戦争リスクを減少させると否定されている。
であれば、その理由とそれが説得的なデータを民主党は出す必要がある。維新の党についても同じだ。リスクについて、何か勘違いをしているのではないか。
また、戦争のリスクとの関係で、集団的自衛権を行使すると、戦争に巻き込まれるともいう。この点は、戦後、アメリカが関与した戦争の表を見てみよう。
たしかに、アメリカは単独ではなく複数である。ただし、イギリスやフランスを別にすれば、その地域に密接した国が参加している。例えば、ドイツは湾岸戦争には参戦せずに、コソボ戦争には参戦した。朝鮮戦争は、日本の海上保安庁は機雷掃海しているので、参加国に乗っていても不思議ではないが、所詮その程度までである。
防衛費でGDP1%以内という事実上の枠があったので、自衛隊は十分な戦力投射能力を持っていない。それが現実なので、軍事行動でついてアメリカから期待されることはまずない。地球のウラまでいうのは、現実的にありえない話である。
アメリカが複数国とともに戦争してきたという事実は、日本に対する抑止力向上になる。実際、アメリカはベトナムを除いて同盟国に侵略をさせていない。
集団的自衛権の行使のポイントは、①抑止力の向上、②防衛費の節減、③個別的自衛権の抑制の三つだ。
この3点について、野党の対案は、政府案よりすぐれているのかどうか、是非、参院は良識の府として矜恃を示してもらいたい。
いずれにしても、中国が日本の集団的自衛権の行使に反対するのは、中国の国益から当然である。もし、集団的自衛権行使を日本政府があきらめたら、日米安保条約が実効的でないと白状したようなものと、世界では受け止めるだろう。これは、同盟の弱体化であり、国際政治・関係論からみれば、戦争リスクの増加になる。中国はそれに乗じて圧力をかけてこないとはいえない。中国はこれまで多くの戦争をしてきている、非民主主義国であることを忘れてはいけない。そうした国に、いくら立憲主義を説いても意味ない。
戦争を抑止するには、適正なパワーバランスの形成、国際世論の支持、統治者の冷静客観的な事態対処能力、そうしたものが必要でその意味でも適正な国家群との集団的自衛権形成は戦争抑止の上で有効である。日本が集団的自衛権を行使すると言っても国際社会は特に反発はしていない。中韓だけが反発しているが、中国は自国の権益に影響があるから、半島の国は感情論で頭がぐるぐる回っているんだろう。冷静に考えれば集団的自衛権は日本にとって大きな利益をもたらすが、「戦争をする国になる。徴兵制につながる。」などわけの分からない反対が多い。それはこの国のメディアの超偏向報道とレベルの低さにも起因するのかもしれないが、日本の自衛隊には戦力の遠距離投射能力はない。遠くまで出かけて行ってドンパチやるにはそれ相応の装備が必要だが、自衛隊は国内専用でそんなものは全く持っていない。何百人かの小さな部隊等は可能だろうがそんなものは実践の役に立ちはしない。徴兵制もナンセンスだろう。集団的自衛権で防衛力が抑制できるのだから、逆にこれを行使しないほうが徴兵制につながるかもしれない。国をどうして守っていくかを議論するのに根拠もない感情論や神学論で対応している民主党は要するに党内事情で対案は出せず、目先の利益しか見えない超近視眼なのでここで党勢を拡大できると言ったレベルのことしか思い浮かばないのだろう。結果が決まった採決でプラカードを持って議会でバカ騒ぎする程度のレベルの政党ではもう一度この政党に政権を預けたら今度は米国と戦争でもするかもしれない。米国との同盟を非難し、憲法9条で日本を守ろうとするのはすでに中国様と組しているのかもしれないが、・・・。