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2019年12月27日 イイね!

陸自初の装輪装甲車82式と陸自の装甲化を達成した軽装甲機動車、‥(^。^)y-.。o○。

防弾装備を採用した機動性に優れる車両
「大阪モーターショー2019」の“はたらくクルマコーナー“では、バスやトラックに混じって、自衛隊の車両も出展されていた。ブースに配置された2台の車両は、めったに見かけることはできないだけに大人も子供も興味津々。1台はイラク派遣などでも活躍したという「軽装甲機動車」。もう1台は、有事の際、作戦の指揮や通信を行なうための「82式指揮通信車」という車両だ。

どちらも人員輸送を目的とした中型トラックなどの高機動車とは異なり、ヘビーデューティな車体には迷彩色にカラーリング。自衛隊ファンでなくても、一体どんな装備をしているのか? どんな場所で使用されるのか? など、興味は尽きないだけに、自衛隊「大阪地方協力本部」の長谷川裕一主任広報官にお話しを伺ってみた。幅広ボディにゴツイタイヤ、小さい窓など特徴的なボディを持つのが「軽装甲機動車」。通称“LAV(ラブ・Light Armoured Vehicle)“と呼ばれ、主に普通科部隊や偵察部隊に配備されており、移動や警備に使用されているそうだ。“軽装甲“と呼ばれるのは、小銃弾程度の防弾装備を備えているため。乗員は4名で、最高速度100km/hなので、高速道路を走行することもできるという。
 
この軽装甲機動車を実際に使用した長谷川裕一主任広報官によると「軽装甲機動車は、平成17年に私がイラク派遣された時に、現地で活躍してくれた車両です。一般の隊員でも扱うことができ、イラク現地では、主に移動や警備時に使用していました。固有の搭載火器はないものの、車体上部に機関銃をセットすることが可能で上部ハッチから上半身を出して射撃することができるほか、ガラスも非常に厚みのある防弾仕様となっています。他にもパンクしても走れる特殊タイヤを装備していますね」。運転した感想を聞くと、車重4.5トンもあるとはいえ力強く走ってくれるそう。国内では主に訓練で使用しているそうで、今回の車両は陸上自衛隊の伊丹駐屯地(兵庫県)に所属する個体だ。

「ボディサイドにある“トラ“のイラストは 伊丹駐屯地の第36普通科連隊・第5普通科中隊の軽装甲化機動車化中隊を表しています。5本のラインは第5普通科中隊を意味しており、伊丹周辺ではよく見かける車両ですが、今回の会場となった大阪で見る機会はほとんどないと思います」。
 
軽装甲機動車は、東日本大震災の時には原発汚染地域の偵察活動にも使用されたそうだ。装備に関しては機密事項が多いため詳しい話は聞けなかったが、マフラーの位置が通常のクルマより高い位置にあるのは、冠水路や泥水地での走行を可能とするため。ボディに偽装(カモフラージュ)を施すために、木の枝をくくりつけたりするためのフックが車体の随所に取り付けられていた。この軽装甲機動車、モーターショーなどのイベントや防災訓練、駐屯地で開催される記念イベントなどで拝見できるそうだ。機会があれば、ぜひチェックしてほしい。

ゴツイボディの正体は指揮通信の作戦指令車
「82式指揮通信車」という、通称“CCV“(Command and Communication Vehicle)は、1982年に陸上自衛隊が初めて採用した国産の装輪装甲車(車輪付き装甲車で製作したのは小松製作所)。主な目的は、有事の際に指揮官が前線で戦闘指揮を行なうためのもので、まず普段お目に掛かることのない車両だが、自衛隊のパレードなどでは、師団長などが乗る車両としても使用されているそうだ。
 
長谷川主任広報官によると「有事の際に、指揮官が作戦指令を立てたり、戦闘指揮を行なう時に使用します。車両後方は天井部を高く作られており、会議や指揮、通信ができるスペースが設けられています。公道は走れますが、災害派遣には使用されないので、皆さんの目に触れることが少ない車両と言えるでしょうね。なお、今回の個体は、第3師団司令部がある伊丹の千僧駐屯地に配備されているものです」。
 
ぶ厚い装甲を持つ車体は耐弾能力は高く、多少の被弾でも耐えうることが可能。触ってみた感じは、まさに鉄の塊といった感じだ。今回の展示では窓をすべてハッチで覆われていたが、ハッチを開けて走ることもできるので、見た目よりは運転しやすいとか。また、こんなボディ形状のため死角になる部分が多いため、助手席の乗員が運転のサポートをするそうだ。我が国の平和維持だけでなく、国民の生命や財産を守ってくれる自衛隊。災害派遣時を含め、隊員の活躍には本当には頭が下がる思いだ。
(武田真吾)


軽装甲機動車は東名や名神を走っているのをよく見かける。この装甲車の配備で陸自の歩兵部隊の装甲化が達成されたという。評価は様々だが、小型で本格的な装甲を施した車両は世界でも貴重でハンビィに装甲を施した車両を使っている米軍からうらやましがられるという。82式指揮通信車は現在ではスペースがなく装備している通信機材も旧式で現在ではもう役不足だそうだ。しかし、使いやすい車両でこの装甲車が登場したころに半個分隊乗車の兵員輸送車として使ったらどうかと言う話があったそうだが、陸自はそれを嫌って96式を装備したそうだが、82式を使っていればもっと早く陸自の装甲化を達成できたんじゃないかと言う意見もあるそうだ。確かに軽装甲機動車はよく見かけるが、82式は滅多に見ない。司令部付きの車両なんであまり表には出ないんだろう、‥(^。^)y-.。o○。


Posted at 2019/12/27 23:01:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2019年12月27日 イイね!

F86Fと朝鮮半島の制空権をかけて戦ったMIG15戦闘機、‥(^。^)y-.。o○。

謎の新型戦闘機はソ連製 「ミグ」の名は世界へ
2020年は、北朝鮮の韓国に対する奇襲的南進から始まった朝鮮戦争の勃発から70周年です。朝鮮戦争は一進一退の苛烈な激戦で、半島南端のプサンから北端の中国国境部に至るまでほぼ全土が戦場となり、太平洋戦争における日本人犠牲者数(約300万人)さえ遥かに上回る推定500万人もの韓国および北朝鮮の国民が犠牲となっています。

朝鮮戦争は1945(昭和20)年の第2次世界大戦終結以降、ピストンエンジンとプロペラの組み合わせから、新しいジェットエンジンへと急速に変化しつつあった飛行機の歴史においても、大きな転換期となる戦いでした。韓国を支援する、アメリカやイギリスを中心とした国連軍は、早い段階で最新鋭ジェット戦闘機を多数、実戦投入しました。そして戦争勃発から半年が経過しようとしていた1950(昭和25)年秋頃、国連軍の前に突然、北朝鮮空軍所属ながら正体不明の高性能ジェット戦闘機が現れるようになります。北朝鮮空軍機はそれまでプロペラ機が主であったにも関わらず、謎のジェット戦闘機は米英機に比べ速度、上昇力、旋回性能、武装の火力、ことごとくこれらを凌駕していました。
 
のちに判明したその謎の戦闘機の正体は、ソ連製ミグ設計局MiG-15。実はMiG-15は戦争前からその存在が知られていましたが、アメリカはソ連を航空技術に遅れた国と見なしていたことから、実戦投入可能なレベルにあると考える人はほとんどいませんでした。この「ミグショック」は太平洋戦争における「零戦ショック」に近いと言えるかもしれません。

史上初 ジェット戦闘機同士のドッグファイト勃発
そして1950年11月8日、ついに歴史上初めてとなる「ジェット戦闘機VSジェット戦闘機」のドッグファイトが行われました。この戦いの勝利者はアメリカ空軍ジェット戦闘機F-80C「シューティングスター」であり、MiG-15は撃墜されていますが、劣るF-80Cと勝るMiG-15の性能差は歴然であり、「ミグショック」への対抗は急務でした。そして当時、まだアメリカ本土にしかなかった新鋭機の急きょ投入を決定します。
 
1か月後、福岡県のアメリカ軍板付基地(当時。現在の福岡空港)にアメリカ空軍の新鋭機F-86A「セイバー」が到着。即座に実戦投入されました。そしてF-86とMiG-15の両機は、性能向上型も含め、1953(昭和28)年の休戦まで数百回にも及ぶ熾烈なドッグファイトを繰り広げます。北朝鮮空軍、またはのちに参戦した中国空軍パイロットたちは、お世辞にも上手いとは言えない素人ばかりでした。彼らはほとんどの場合、MiG-15の高性能を活かしきれずF-86に敗北しています。しかし無線で「なぜか流暢なロシア語をしゃべるパイロット(ソ連は名目上参戦していないことになっていた)」だけは違いました。ロシア語をしゃべるパイロットたちは国連軍から、リーダーを意味する日本語を語源とする「ホンチョウ(班長)」と呼ばれ、F-86と対等以上に戦っています。

MiG-15とF-86は結局どちらが強かった?
MiG-15とF-86が旧来機より飛びぬけて強い理由は、どちらも第2次世界大戦前には発明されていた、「後退翼」と呼ばれる民生技術を軍事転用した点にありました。後退翼とは、主翼を尾部側に向けて斜めに取り付けた「後退角」を持った翼型であり、800km/hから900km/h以上において抵抗を大きく軽減させる効果を持ちます。結果、どちらも最大速度1100km/h弱を誇り、F-86に至っては急降下で音速に達することができました。
 
どちらが強いかは議論が分かれるところですが、MiG-15はひと回り小型であり飛行性能面ではほぼ上回っています。一方F-86は機体が大きいぶん燃料搭載量が多く、さらに急旋回時の負担を軽減する耐Gスーツや、レーダー測距照準器を搭載するなど、飛行性能以外の面に優れていました。
 
なおMiG-15のエンジンは、イギリスのロールスロイス「ニーン」エンジンのコピー品でした。「ニーン」エンジンはアメリカ海軍のグラマンF9F「パンサー」戦闘機、イギリス海軍のスーパーマリン「アタッカー」戦闘機などにも搭載されていましたが、両機ともMiG-15の高性能には全くおよびませんでした。F9Fや「アタッカー」の開発者たちは、ミグ設計局の高い技術力に驚くと同時に、同じエンジンで負けてしまった事実が悔しかったに違いありません。
 
MiG-15の活躍によって以降、「ミグ」の名はソ連戦闘機の代名詞ともなりました。2019年現在はスホーイなど、ほかの航空機メーカーと統合されており、ユナイテッドエアクラフト社の戦闘機部門子会社としてブランド名が存続しています。(関 賢太郎(航空軍事評論家))


朝鮮戦線に突如登場した共産軍の後退翼ジェット戦闘機は国連軍のレシプロ戦闘機はもちろん直線翼のジェット戦闘機もまるで歯が立たず国連軍の航空優勢は崩壊の危機に瀕した。対日戦では日本の戦闘機が歯が立たなかったB29などミグ15の37ミリ機関砲の一撃で火を噴いて墜落し、まともに出撃もできなくなった。B29に手を焼いた日本軍のパイロットはこれを聞いて「思い知ったか」とほくそ笑んだものもいたそうだ。米軍はこの事態にF86を投入した。双方、後退翼の戦闘機だが、飛行性能ではミグの方が上だったが、F86の射撃指揮装置や耐Gスーツなどに加えて太平洋戦争で豊富な実戦経験を有する米軍のパイロットに対し、経験の浅い北朝鮮・中共軍のパイロットは空戦技量で圧倒されたともいう。ただ、ロシア軍ぽパイロットは高い技量を持って米軍戦闘機と互角の戦いをしたそうだ。小型の機体に高出力エンジンを搭載した機動性の高い大火力を備えた戦闘機だったが、操縦のし易さやレーダーを活用した戦闘指揮式システムなどで米軍側に後れを取っていたそうだ。しかし、いずれにしても一時代を築いた戦闘機ではあった、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/27 22:53:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2019年12月27日 イイね!

佐山芳恵再び、・・(^。^)y-.。o○(80)

それにその対象の女と言うが、年はもう30ほどなんで十分大人なんだろうけどどうせサルの仲間と言うのだから能天気な極楽とんぼでハイビスカスの花の間を飛び回っているような手合いなんだろう。様々考えただけで気が重くなるが話はもう始まってしまっているので今更引くこともできない。女土方は傍観者を決め込んでいるようだし、知的美人は「一緒に行ってやるんだからいい宿取りなさいよ」などと半分以上旅行気分ではある。どうでもいいけど結局はみんな僕に丸投げしようという魂胆のようではある。男に金を貸そうが体を与えようがそんなことは自己責任でやってもらいたい。

そんなこんなで週末がやって来た。4人なので電車で行こうかと言う話もあったが、そう言えばこのうちは最近お買い物車を買い替えた。まあトップなどでいろいろ付き合いがあるんだろうし、業務用の車両も大量に購入しているのでそんな付き合いがあるのかもしれないが、お買い物車にレクサスの最上級セダンを入れた。そんなわけなんでせっかくの高級車だからそれで行こうという話になった。

でもじゃあ誰が運転をと言うと全員が僕の方を見たのでここでもまた僕が貧乏くじを引くことになった。でもまあ車の運転は好きなので東京から箱根くらいならどうと言いうこともないが、・・。晩飯を一緒に食いましょうということのようなのであまり早く行っても仕方がないので自宅を昼頃に出発した。

しかし、高級車と言うのは僕の車に対する常識が全く通用しない。シート一つにしてもすべて電動でタッチパネルか何かで操作するんだろうけど何をどうすればいいのかもよく分からない。シートなんか手で動かせばいいだろうに面倒くさい。一度セットするとボタン一つでその人に合ったポジションに変化するらしいが、セットするのが面倒くさい。レカロのバケットでもつけておけばいいのに付け替えたら怒られるだろうか。

まあそんなこんなで走り出して首都高から東名、でも箱根表は込み合っているだろうから御殿場側から入って2時間ほどで到着した。到着してびっくりしたのはその旅館の構えだった。どう見ても一泊二食付き1万5千円とか言う普通の旅館ではない。お出迎えを受けて車を預けるとロビーに入ったが、ここって一人一泊で6桁の世界だろう。チェックインを済ませると部屋まで案内してくれたが、ずい分ていねいで恐縮して肩が凝ってしまうような応対だった。

「あんた、こんなところ誰が取ったのよ。一体いくらするの、一泊で、・・。」

僕がそう聞くと「いいところを取っておいてと会社に頼んだの。支払いは父の口座から落ちるから大丈夫よ。」と澄ましていた。会社とはうちの方じゃなくて銀行の方だろう。それからしばらく自分の懐で泊まることはないだろう超高級旅館を見学したり風呂に入ったりして時間を潰して向こう様が来るのを待った。

夕方、そろそろ飯の時間かなと言う頃になって向こう様から「もう少しで到着する」と連絡が入ったとクレヨンが伝えた。この部屋は入り口を入ると控えの間があってその奥に二十畳ほどの宴会でもできそうな居間そして寝室が二つ、浴室に大きなベランダには露天風呂と僕らの旅館の常識を超越したような間取りだった。そのほかに向こう様用に二人部屋を取ったというから剛毅なものではある。クレヨンの携帯が鳴ってメールを確認すると「ちょっとこっちに連れて来るね」と言い残して部屋を出て行った。

「しかし、豪勢なものねえ。こんなところに六人も招くんだから」

知的美人が部屋を見まわして感極まるような調子でそう言った。

「あんたのところだってそうでしょう。お父さんは大物政治家なんだから金なんかいくらでも入って来るでしょう」

僕がそう言うと知的美人はあきれたような顔をした。

「あのね、政治家なんて金なんか右から左へ通過するだけ。自転車操業、火の車なの。特に子分を抱えているとその面倒も見ないといけないし、そうかと言ってこのご時世金なんかそうそう入って来るものじゃないのよ。下手すれば手が後ろに回るでしょう。」

まあいわれてみればその通りで政治家なんかその辺の勤め人よりは金があるかもしれないが、先祖代々の資産でもない限り確かに自転車操業、火の車だろう。そんなことを言っているうちに「さあ、ここよ。入って」と言うクレヨンの声が聞こえて向こう様が入って来た。クレヨンに案内されて入って来た二人を見てまず驚いたのは男の方の軽薄さだった。パッと見はまあ今どきのイケメンとでもいうのかもしれないが、何だか全身から軽薄さが噴出しているようなおバカ小僧だった。こいつにできる事業と言ったら一体何があるのか全く思いつかなかった。僕なら天地がひっくり返ろうと太陽が墜落しようとこんなのには絶対に投資したりしない。まあこの世の中には物好きもいたものだ。

で、その物好きなんだけどそれがおバカ小僧とは比較にならないほどの驚愕の原因だった。どうしてってとんでもない美人だったから。世の中できれいだの美人だのと言うけど実際には真ん中で線を引いたらかわいい方とか、まあきれいな方とか言うその程度の女はごまんといる。それよりも高尚な美人もまあ少しはいる。女土方もそうだし、知的美人もそうだろう。クレヨンも頭は致命的だが、「どうか」と聞けば10人のうち6,7人は「まあまあいいんじゃないの」と言うだろう。でも今入って来た女はそれよりも一段上、10人のうち8,9人は「おお、きれい」と言うレベルだろう。品もよさそうだし、クレヨンとは違って頭も悪そうには見えないいい女だった。
Posted at 2019/12/27 17:00:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説3 | 日記
2019年12月26日 イイね!

今時、こんな堂々とした贈収賄事件も珍しいな、・・(^。^)y-.。o○。

カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件で、東京地裁は26日、収賄容疑で逮捕された衆院議員の秋元司容疑者(48)=25日に自民党を離党=について、来年1月4日まで10日間の勾留を認める決定を出した。贈賄側の中国企業「500ドットコム」の顧問ら3人についても、同日までの勾留を認めた。
 
特捜部の発表によると、秋元議員は2017年9月下旬、同社がIR事業を行うための便宜を図る見返りに、東京都内で同社側の3人から現金300万円を賄賂として収受。18年2月中旬にも、妻子とともに北海道への旅行の招待を受け、航空運賃や宿泊代など計約70万円相当の賄賂を受けていた疑いがある。(朝日新聞社)



今時これだけ堂々とした典型的な贈収賄事件も珍しいよな。業者側は便宜を図ってもらおうとあの手この手で寄って来るんだろうけど国会議員なんだから常識として「やばい、まずい」は分かりそうなものだけどなあ。羊羹の袋の中に300万円を入れて渡すなんて時代劇の典型的な悪代官と商人のような関係じゃないか。「回船問屋、おぬしもワルよのう、・・ぐふふ、・・。」みたいな、・・。自分に与えられた権力は国家と国民のために使うべきもの、それが分からん人間が国会議員なんかになってはいかんなあ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/26 15:22:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2019年12月26日 イイね!

陸軍が作った輸送船と言う名の空母、・・(^。^)y-.。o○。

陸軍が作ったトップシークレットの「船」
1941(昭和16)年12月16日に竣工した戦艦「大和」は日本海軍のトップシークレットでしたが、約1か月後の1942(昭和17)年1月30日に播磨造船所(現、IHI)にて竣工した船もトップシークレットでした。その船の姿は全通飛行甲板を持った見まごうこともない「空母」ですが、所有者は民間企業の日本海運で、あくまで商船でした。陸軍が建造費を補助し、戦時には徴用するという建前になっていました。陸軍がお金を出して作った商船扱いの空母のような船。説明するだけでもややこしいのですが、これが「特種船丙型」と呼ばれる「あきつ丸」です。
 
日本は島国であり領土には多くの島しょ部があり、陸軍が展開するのに船は必須でした。揚陸作戦には陸軍と海軍の緊密な協力関係が必要ですが、海軍は艦隊決戦に必要な戦闘艦に傾注し、陸軍の輸送や揚陸支援には消極的でした。官僚組織の縦割りと省益優先意識は昔もいまも変わりません。陸軍は自由に使える船が欲しくて、補助金を出し民間企業に船を造らせたのです。「あきつ丸」は陸軍が揚陸作戦に使いやすいようにアイデアを凝らしました。設計には海軍も助言したとはいうものの、陸軍は造船には門外漢であり、往々にして失敗作になるパターンなのですが、「あきつ丸」はどんな船だったのでしょうか。

自慢は「大発」! アイデア満載の先進船
2019年現在、海上自衛隊は「おおすみ」型輸送艦を保有しています。艦内に揚陸を行える2機のエアクッション艇を搭載したドック型揚陸艦です。飛行甲板があるものの航空機用格納庫やエレベーターはなく、また固有の航空機は持っていませんが大型輸送ヘリCH-47が発着可能であり、陸上自衛隊が配備するV-22「オスプレイ」も運用できるように改修が行われています。「ドック型揚陸艦」は兵員や装備、物資輸送と共に、揚陸作戦に必要な舟艇、航空機運用機能を持っていることが特徴です。

「あきつ丸」はこの特徴を先取りして実現したような、先進的なコンセプトの船でした。揚陸作戦といえば映画『史上最大の作戦』に出てくるような、船首がパタンと開いてそのままランプとなり人や車両が降ろせる上陸用舟艇をイメージするかもしれませんが、この舟艇を最初に実用化したのは日本陸軍で、「大発動艇」、通称「大発」と呼ばれる秘密兵器でした。大発を最大27隻搭載し、1個大隊約1000名の兵員が収容できた「あきつ丸」は、船内で人員や装備を大発に搭載して、船尾から直接、滑走台を使って海面に降ろしました。船が作戦発起位置についてから揚陸部隊発進までの時間を、大幅に短縮できたのが最大のメリットです。この先進的なアイデアは、特種船第一号である「神州丸」で日本が世界最初に実用化していました。「あきつ丸」はその発展型です。それまでは舟艇を輸送船の甲板に載せて発起位置まで行き、1隻ずつクレーン(デリック)で海面に降ろし、さらに縄梯子を使って輸送船舷側から兵員を移乗させていましたので、手間も時間も掛かり危険だったのです。

飛行機も自前で用意 ただし着艦不可
海軍が、虎の子である正規空母を陸軍の支援に出してくれることは期待できませんでしたので、陸軍は自前で用意しようとします。そこで「あきつ丸」は空母のような形となり、新造時には九七式戦闘機13機を搭載することができました。とはいえ、陸軍には空母で航空機を運用するノウハウが無く、発進させるのが精一杯で着艦させることは無理でした。航空機は発進、作戦後はどこか味方飛行場に着陸するか、不時着して機体を放棄しパイロットのみ脱出することが考えられていました。実際の作戦で航空機を運用する機会はありませんでしたが、航空機用の格納スペースは倉庫として重宝し、航空機輸送にも使われます。「あきつ丸」は現代の揚陸艦を先取りした、使い勝手の良い成功作となりますが、本来の揚陸艦として実戦の上陸作戦に参加したのは、1942(昭和17)年3月1日のジャワ島上陸作戦が最初で最後です。
 
アイデア満載の「あきつ丸」と大発は戦艦「大和」並みのトップシークレットだったはずですが、特種船第一号である「神州丸」や大発はアメリカ軍によって1937(昭和12)年ごろに中国戦線で詳細に撮影されており、このアイデアは研究されていたようです。中国戦線にアメリカは情報網を張り巡らせていました。戦争後半では上陸用舟艇を大量生産して日本軍を苦しめることになります。
 
太平洋戦争中期以降、アメリカ潜水艦による日本の輸送船被害が急増します。海軍をあてにしない陸軍は、「あきつ丸」の航空機運用能力に注目します。短距離で離着陸のできた三式指揮連絡機を搭載して対潜哨戒用に使用しようということで、「あきつ丸」は1944(昭和19)年7月に護衛空母へ改装されます。しかし対潜作戦ではさしたる戦果を挙げることができず、輸送任務に戻りますが、1944(昭和19)年11月15日に長崎県の五島列島沖にて、アメリカ海軍の潜水艦「クイーンフィッシュ」による雷撃で撃沈されます。21世紀の現在、2019年度以降の「防衛大綱(31大綱)」では陸自が独自に「海上輸送部隊」を新編することを検討しています。歴史はまた繰り返していくのでしょうか。(月刊PANZER編集部)



当時の陸軍は艦隊決戦にばかり熱心で輸送を軽視する海軍に不信感を持っていたのでこんな船を作ったんだろう。後には三式連絡機やオートジャイロなどを使って対潜哨戒までしようとしたようだ。陸軍は輸送船を護衛する空母が欲しかったんだろう。蒸気機関車製造メーカーに指示して自前で潜水艦まで作っているので海軍不信は相当なものだったんだろう。もっとも海軍も陸軍には相当な不信感を持っていたのでお互いさまではある。当時、長距離侵攻戦闘機は海軍の零戦を使う、局地戦闘機は陸軍の航空機を使う、機銃の共通化を図るなど陸海軍が協力して役割分担や兵器の共通化、標準化を進めていたらもう少し合理的な戦争ができたかもしれないが、だからと言って米国に勝てたわけではないのは当然のことではある。最近、陸自が輸送艦を運用しようとしているのは陸自生き残りをかけた両用戦部隊のために大型の強襲揚陸艦を保有運用してほしいと海自に言ったところ、「人がいないのにそんなもの運用などできるか。やりたきゃ自分でやれ」と言われたからだそうだ。陸自から人を貸してやればいいんだろうけど組織と言うのはどんなことがあっても自分の組織を削ることを極端に嫌うからなあ。自衛隊も陸海空別個に採用ではなくて自衛隊員として採用して必要に応じて配分すればいいんだろうけど法令で定められた定員があるのでなかなか難しいんだろう。またそんなことをしたら人の取り合いで大騒ぎになるかな。警察と海保が仲が悪いのは警察が海保を取り込もうとしたことが原因だとか、組織と言うのは難しい、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/26 11:20:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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