三菱重工業は5月11日の決算発表で、三菱スペースジェットの開発計画の見直しを公表した。新型コロナウイルスにより、航空業界が打撃を受けている特殊な状況であるとは言え、これまで6回も納入を延期してきた上の発表である。一方、ホンダジェットは2017年、2018年に続き、2019年も同カテゴリー内販売数世界一となった。これまでも、三菱スペースジェットの苦境とホンダジェットの成功という対比がなされてきたが、ホンダの成功が際立って見えているのは事実であろう。しかし、「三菱は苦戦、ホンダは世界一の大成功」というイメージは、一面ではそう見えるものの、事実を正しく反映しているものではない。両者の現状を比べその実態を明らかにしたい。
■ 三菱重工の現状
三菱重工のスペースジェットは、これまでも型式証明取得の遅れから販売に入れず、苦しい状況であった。今回、新型コロナウイルス感染症の広がりによる航空不況の影響で、事実上の休眠となった。この休眠は、体制を縮小し、金銭的出血を最小限にして、コロナ航空不況の推移を見るというもので、現時点では妥当なものである。しかし、いろいろと不透明な状況を抱えたままの休眠であり、休眠解除の後もスペースジェット販売開始まで相当時間がかかることが予想される。三菱重工は「M90」(旧MRJ90)というモデルの開発を進めてきた。型式証明が遅れているのはこのモデルである。とは言え、今度こそ型式証明が取得できる機体であるはずの10号機も完成し、コロナでこうなる前は、じわじわと開発は進んでいた。しかし、M90にはもう一つ深刻な問題があった。それは、完成しても主要マーケットと見ていた北米で売れないという問題である。米国の航空会社の労使協定にはスコープクローズというものがあり、導入できるリージョナルジェットは、最大離陸重量39トン以下、座席数76席以下でなければならない。しかし、M90は最大離陸重量42.8トンであり、座席を減らすだけでは対応できない。当初はこのスコープクローズが緩和される見通しだったが、現時点では緩和されておらず、見通しが狂った形になった。そこで、三菱重工は「M100」という最大離陸重量39トンのモデルの開発を、2019年からM90と並行して始めていた。なお報道で70席と呼ばれているのはM100のことである(紛らわしい話だが、MRJ70と呼ばれたM90の胴体短縮バージョンの70席モデルもかつて存在し、そちらは開発中止になっている)。M100は単純にM90を小型化したものではなく、貨物室を小さくするとともに機体構造の工夫で軽量化を目指すものである。北米仕様は76席となるが、M90と同じ座席ピッチで座席を並べると84席配置できる。
三菱スペースジェットの各モデルの関係
三菱重工は、M90の販売は最小限にとどめ、なるべく早くM100に製造・販売を移管することを目指していたようだ。M90は大量に生産することを前提とした準備がなされていない。M90は販売面でも製造面でも大量に出すことはできない機種なのだ。よって、M100の開発もM90の開発と同じように急ぐ必要があった。しかし、今回の休眠状態への体制見直しの中で、このM100の開発が休止になってしまった。M100の完成には開発再開から最低でも4~5年は必要である。これが何を意味するのかというと、コロナ不況の行方が分かってから最低4~5年はスペースジェットが大々的に生産されることはなく、大きな収益を上げることもないということだ。スペースジェットの苦境は続くことになる。とは言え、世界の航空産業は、コロナ航空不況でどこも大打撃である。ボーイングも、エアバスも、三菱スペースジェットの直接競合先であるエンブラエルも例外ではない。状況が見えない中、三菱重工の休眠という判断は妥当であろう。また、仮にM90の生産が最初の目論見通り立ち上がっていたとしても、他社と同じくコロナ航空不況で苦境に陥っていただだろう。作っても受け取る航空会社の財政が火の車では、順調に納入することは難しかったはずだ。
■ ホンダジェットは世界一
三菱スペースジェットがさえない状況が続く一方、ホンダジェットは、2017年から3年連続で世界一の販売数をたたき出したと広く認識されている。実際、2019年の数値を見ると、ホンダジェット36機販売に対し、同クラスの「セスナサイテーションM2」(テキストロン社製)が34機、「フェノム100」(エンブラエル製)が11機である。確かに、同カテゴリの中では販売機数は世界一である。しかし、このホンダジェットの世界一は、同じ世界一でもホンダの二輪が世界一であることとは相当意味が異なる。世界の二輪車の市場全体でホンダは圧倒的に世界一である。何と世界で生産される二輪車の3分の1がホンダ製である。一方、ホンダジェットはビジネスジェットの市場全体で世界一であるわけではなく、最大離陸重量5トン弱の超小型ビジネスジェットの3機種の中で世界一であるに過ぎない。ホンダのライバルメーカーは他のサイズのビジネスジェットも多数生産し、総量ではホンダを圧倒している。エンブラエル社はリージョナルジェットや軍用機も製造するメーカーであるが、ビジネスジェットを2019年に109機販売した。ホンダジェットと同クラスのフェノム100よりも1つ上のクラスとなる「フェノム300」は、ホンダジェットよりも多い51機を販売している。また、テキストロン社はビジネスジェットだけで206機、その他小型の民間機を入れると全体で600機製造している。
同クラスの機種もフェノム100はかつて年間100機以上販売されたこともあり、サイテーションM2とホンダジェットの販売数も僅差である。「ホンダジェット世界一」は、その言葉が与える印象と実態には大きな乖離があるように感じる。また、ホンダジェットはまだ利益を生んでいない。確かに、商品性を評価されるところまでは進んだが、まだプロジェクトとして成功したかは分からない段階である。加えて言うと、ホンダジェットとて、コロナ不況は無関係ではないだろう。
■ 実は三菱重工も同様の実績がある
ホンダジェットは型式証明取得に成功し販売を開始している。その点、三菱スペースジェットよりも一歩も二歩も先を行く。それどころか、商品性の高さが高く評価され、ライバル機をしのぐ売り上げを達成している。しかし、これは日本初の快挙ではなく、実は、三菱重工でも同じことに成功した実績がある。三菱重工は1960年代に「MU-2」というビジネス機を開発した。ホンダジェットがジェットエンジンを搭載するのに対し、MU-2はプロペラ機だったが、機体規模はほぼ同一である。三菱重工は、1967年から米国での最終組み立て工場を稼働させ、MU-2を米国を中心に販売した。MU-2も商品性を高く評価され、よく売れた。年間生産数は40~50機であり、さらに最盛期には年間100機近くを生産している。最終生産数は750機を超えている。しかしながら、MU-2はプロジェクト全体で利益を出すことはできなかった。その後、三菱重工はMU-2の後継として、「MU-300」というビジネスジェットを開発した。MU-300も高性能を高く評価されたが、型式証明の取得で時間がかかっている間に景気が冷えてしまい、期待したような販売数が実現できない可能性が出てきた。結局、ビーチクラフト社にMU-300の製造権を販売し、三菱重工は1800億円とも言われる巨額損失とともにビジネス機から撤退した。しかし、その後、景気が回復し、「ビーチジェット400」と名前を変えたMU-300は売れに売れ、2011年に製造・販売が終了するまでに1000機近くが販売された。三菱重工のビジネス機事業は、失敗と評されることも多い。結局、利益を生まなかったし、後にも続かなかった。確かに商売としては失敗だった。しかし、優れた航空機を開発し、世界で商品性の高さを認められることには成功している。ホンダジェットが到達した段階、すなわち商品性を評価されそれなりの販売数を達成したという段階は、かつて三菱重工も到達していたのである。それどころか、ホンダジェットの販売は始まったばかりであり、MU-2やMU-300ほどの生産数を達成できるか分からない。これ以上、失敗例を作ると、日本人がますます航空機製造から遠のくので、筆者もホンダジェットにも是非とも成功してほしいと考える。しかし、現時点では、ホンダジェットが成功したと言えるかはまだ分からない現実は、正しく理解されるべきと思う。
■ 三菱重工の苦労の実態
三菱重工がスペースジェットの開発で苦労している理由は、未経験であるということに尽きる。航空機1機を丸ごと開発する経験が乏しい上、民間機では必須となる型式証明の取得が事実上の未経験なのだ。型式証明は、航空機の安全性を各国の航空局が確認し発行するもので、これがないと民間機として販売することができない。この型式証明の発行で、事実上権威を持つのが米国の航空局であるFAAと欧州の航空局であるEASAである。日本の航空局にとっても、事実上、型式証明の発行は未経験であることも、三菱重工にとっては不利に働いている。この点、ホンダジェットは米国内での開発で、三菱重工よりも有利な環境にあった。スペースジェットの苦境の原因は、報道では技術力不足という言葉で片づけられることも多い。しかし、型式証明取得に苦戦していることは、“技術力不足”というイメージとは若干異なる。型式証明を取得するためには、型式証明取得の過程でどのような指摘が入るかを見極めつつ設計する必要がある。三菱重工は未経験ゆえこれに慣れていないのだ。スケジュールに最もインパクトが大きかった、900カ所以上の設計変更と5度目の延期を招いた配線の変更問題は、まさにこれだった。すでに初飛行を終えていた2017年、FAAからスペースジェットの配線に指摘が入った。現状の配線では、配線間が近過ぎスパークが飛ぶ可能性があるとの内容だ。三菱重工はその時の配線での、何があっても大丈夫という絶対的な安全性を証明できなかった(では、ただちに危険かというとそうではない)。結局、スペースジェットの配線をやり直すことになった。現在の電気信号で機体を操作するフライバイワイヤの機体では、配線は単純なものではなく、配線につながる機器の配置も変更が必要になる。開発やり直しとはいかないまでも、それに近い作業量が発生することになった。この配線に関するルールは1996年に起きたTWA800便の事故によって厳格化されたものであった。なお、この事故では、主翼と胴体をつなぐ部分にあった燃料タンク内の配線にスパークが発生し、燃料タンクが爆発した。この爆発で、操縦室を含む燃料タンクより前の胴体が折れてしまい墜落している。フライバイワイヤ以前の航空機では配線は現在ほど複雑ではなかったし、そもそも1996年以前にはスペースジェットが引っかかった厳格なルールがなかった。航空機の技術も型式証明を取得するためのルールも年々複雑化していくのである。型式証明の認定基準は、「配線が〇〇だけ離して配置されていること」といった具体的規定ではない。ちょうど、法律を勉強しないで条文だけ読んでもよく分からないのと同様、経験がなければ型式証明の認定基準を設計に反映することは難しい。
確かに、三菱重工は戦後も航空機の開発を経験してきた。しかし、「F-1」や「F-2」といった戦闘機では民間機と考え方も形状も異なる上、型式証明の取得はない。民間機でも、前述のMU-2、MU-300を開発したし、「YS-11」の開発でも三菱重工は中心的な役割を果たしたことは確かである。しかし、この中で最も新しいMU-300も初飛行は1978年であり、配線は現在よりも単純でルールも複雑でなかった。これらのかつて開発した民間機は、関係者の多くが既に引退している上、航空機そのものも、型式証明のルールも、現在とはあまりに違っていた。いうなれば、古すぎて経験が役に立たないのである。その点、ボーイングやエアバスは継続的に航空機の開発を行い、技術の進歩やルールの複雑化に対応している。
■ 実はホンダも苦労している
では、ホンダジェットの開発は順調だったのだろうか。時間軸を見ると、三菱スペースジェットと比べ勝るとも劣らない時間がかかっているのである。三菱スペースジェットは2008年に事業化を決定し、2015年に初飛行。そして、現在に至るまで型式証明を取得できていない。初飛行までに7年かかり、初飛行後5年経っても型式証明を取得できていない状況である。一方のホンダは、1986年から航空機研究を始め、90年代に試験機を一から開発し飛ばしている。現在のホンダジェットの原型になる機体は、1997年から開発が開始されている。この機体は2003年に初飛行をしている。この間6年である。また、2003年に初飛行し、事業化を2006年に決定したが、型式証明を目指す量産型機の初飛行をさせたのが2010年、型式証明を取得したのは2015年である。1997年の開発開始から型式証明の取得は18年かかり、初飛行からも12年、事業化を決定してからも9年、量産型機の初飛行からも5年かかっている。加えて2003年に機体が完成しながら、型式証明を前提とした量産型の開発までにも7年かかっている。ホンダジェットは機体の開発ができた段階で、事業化が決まっていたわけではないので、単純な比較はできない。しかし、1997年の開発開始から数え、ブランクとなりそうなのは2003年の初飛行から事業化開始までの3年間であり、15年程度は開発と型式証明に要したと読み取るべきであろう。三菱重工に当てはめれば、2008年から15年というと2023年である。ホンダジェットが三菱スペースジェットと比べ、特に素晴らしく順調に開発を進めたとは言えないのではないか。ホンダジェットも、それまで経験のなかった航空機開発では苦労をした。それだけでなく、型式証明を取得し、販売可能な民間機を作ることにも、相当苦労し時間もかかったというのが事実であろう。
時系列を確認すれば、そうしたことは容易に推測できるのだが、三菱重工は苦戦、ホンダは世界一というイメージが世間で広まった。ホンダのブランド力や良いイメージを広げる力というものは、さすがという気がする。実際、ホンダジェットの納入予定は事業化時点では2010年であった。ホンダジェットも5年遅れている。この間には、エンジンの型式証明取得で遅延を招いたりもしているが、米GE(ゼネラル・エレクトリック)の支援を得ながらも型式証明取得は苦労している。これは、だからホンダがダメだと言いたいわけではなく、未経験の航空機開発をすれば様々な障害を乗り越えていくのに、どうしても時間がかかってしまうということである。これは、三菱であれ、ホンダであれ、他のどこかの企業であれ、誰がやっても同じである。付け加えると、三菱スペースジェットは価格においても、機体の規模においてもホンダジェットのざっくり8倍である。それだけ三菱重工は複雑なものを開発しているのである。常識的に考え、複雑で規模の大きいものの方が発生するトラブルも困難も多く時間がかかるものである。三菱重工は苦戦、ホンダジェットは大成功という評価はあまり公平でなく見える。
■ よりチャレンジングなのは三菱
確かに、ホンダジェットが販売を開始し、圧倒的であるのかどうかは微妙であってもライバル機をしのぐ販売数を稼いでいることは立派である。航空機開発がチャレンジングだけでなく、量産・販売に乗り出すことはさらなる資金を要し、顧客への責任も発生するので、さらにチャレンジングである。ホンダは確かにチャレンジングな挑戦を進めている。しかし、ホンダジェットと三菱スペースジェットのどちらがチャレンジングかというと、客観的に見て三菱スペースジェットであることは明らかである。前述のとおり、機体の規模が全く異なるので、開発が難しいのは明らかにスペースジェットである。また、ホンダの売上高は約15兆円であるのに対し、三菱重工の売上高は約4兆円とホンダの4分の1ほどだ。その一方で、ホンダジェットはスペースジェットの8分の1の規模である。現時点で販売数は何とも言えないが、スペースジェットの生産が立ち上がれば、現状のホンダジェットの生産数と同等かそれ以上であろう。つまり、ホンダジェットは大きい会社の小さい事業であり、三菱スペースジェットは小さい会社の大きな事業である。言うまでもなく、事業規模が大きい方がリスクも大きく、規模の小さい会社の方がリスクを受け止めにくくなる。三菱重工にとって航空機の製造は本業であり成否は全社の業績を大きく左右する。一方、ホンダの本業は圧倒的に巨大な四輪車の製造であり、ホンダジェットの売上規模は全体の0.2%に満たないのだ。ホンダの航空機開発が、1986年から2015年まで30年近く、全く売り上げがないにもかかわらず継続できたのは、巨大な自動車の利益があってこその話である。2006年の事業化前は企業としてのリスクを冒してやっていたわけでもなかった。ホンダジェットも事業化までは、何度も存亡の危機に直面したと言われる。それでも、事業化決定までの20年間、利益を求められることなく、試作機をゼロから作る経験もして技術を磨くことができた。初めから本流の事業として稼ぐことが要求され、コストを切り詰めて開発を進めることが要求される三菱重工ではとてもできない贅沢である。ホンダジェットは、大きな売り上げを生むホンダの四輪車事業あってこその、ホンダの余裕の具現化とも言える。
■ スペースジェットは継続すべき
ホンダジェットは、日本企業が航空機製造を事業化し、ビジネスとしても成功の可能性があるという意味では大きな意義がある。しかし、約6億円のジェット機を年間40機程度販売しても240億円に過ぎない。また、生産の大部分が米国で行われている。日本の産業界への波及効果はほぼない。一方、三菱スペースジェットも高価な装備品の大半を海外に依存するため、確かに国産割合は半分以下である。しかし、それでも主要部分を日本で行う。日本で日本企業が主導して開発する機種があることで、これまでより航空関連のサプライヤーも育ちやすい環境ができる。航空関連の技術は、自動車よりも高度である場合が多いため、高度な技術を開発する環境ができるということだ。現時点では、苦境にありメリットをもたらしているように見えないかもしれない。しかし、販売まで立ち上がれば、日本にも本物の航空産業が生まれ、日本の産業界にも利益をもたらすはずである。仮に、三菱スペースジェットが断念されてしまうと、これまで10年以上にわたって積み上げてきた経験はリセットされ、YS-11やMU-300を断念した後と同様、技術や規制から取り残されてしまう。旅客機であれ、ビジネスジェットであれ、次に開発する時は経験の蓄積がない状態からのやり直しとなる。さらなる高度化、複雑化に応じ、スペースジェット以上に苦戦するだろう。航空機は業界の性質上、利益を出すまでに時間のかかるものである。また、浮き沈みも激しい。利益を出せるまで耐えきることが勝負の産業と言える。ボーイングはジャンボジェット開発時、経営破綻一歩手前まで行ったし、エアバスも初期には全く売れない飛行機を工場に並べる状態だった。そこを耐えたり、政府の手厚い支援があったりして発展してきた。新型コロナに苦しむ現状で、航空産業に儲かるイメージはないかもしれないが、ボーイングやエアバスは大きな利益を得ていた時期もある。また、三菱重工でも1990年代から2000年代に航空部門がガスタービン部門とともに利益を支えていた時代もあった。三菱スペースジェットを継続することは、日本の航空産業の生存にとって不可欠である。ここで、スペースジェットが断念されれば、巨額の開発費と失敗のリスクを考慮し、日本では二度と旅客機開発を言い出す人は現れないのではないか。三菱重工の意思決定者は社内の他の部門からの圧力にさらされるだろうし、世間でも断念を主張する人は現れるだろう。また、現場は失敗続きの中、苦しい場面も多いだろう。しかし、ここであきらめれば、苦労して得た経験だけでなく、将来的に訪れるであろう利益を得る機会も失う。コロナ航空不況が解消した時、休眠から覚め、スペースジェットの開発を再開できるよう何とか踏みとどまってもらいたいと思う。
また、世間にも三菱スペースジェットはホンダジェットよりも難しい挑戦であり、軌道に乗った際の波及効果も桁違いに大きいということに思いをはせていただき、三菱スペースジェットが存続できるよう応援していただくことを願いたい。(渡邊 光太郎)
三菱重工はいい飛行機を作る技術は十分に持っていたが、50年の旅客機開発の技術的、経験的空白でいい旅客機を作るだけの経験がなかった。スペースジェットの飛行を見ていると非常に素直で機敏に動くいい飛行機だと思う。しかしいい旅客機はきれいに飛べばいいというものではない。大勢の旅客を乗せて安全に、そして快適に飛行できないといけない。その安全で快適な飛行機を作るのに必要な技術や経験が三菱重工にはなかった。そして今苦労を重ねながらその技術と経験を獲得しようとしている。ここで開発を止めてしまったらその技術と経験は雲散霧消して日本ではもう二度と旅客用航空機を開発できなくなってしまうだろう。航空機産業はすそ野の広い産業でしかも最先端技術を必要とする。こうした産業は明日の日本には絶対に必要な産業である。三菱重工と言うと日本でもトップクラスの巨大企業のように思うが、実際には自動車産業などの方がはるかに大きい。しかし、三菱重工と言う会社は他の会社では代替できない先端技術を数多く有している。今は苦しい時だろうけどぜひこの場を凌いでスペースジェットを軌道に乗せて民間コマーシャルジェット産業を日本に定着されてほしい。ホンダのスペースジェットと比較されるが、プロジェクトの規模としては比較にならないし、売れていると言っても車で言えば自動車の販売部門で1位を取った程度の話で利益が出ているわけでもない。産業界への波及効果も未知数だし、規模も桁違いではある。スペースジェットを成功させれば民間航空機産業は日本の産業の柱の一つになり得る。高度な技術を必要とする割には利益が少ない事業ばかり取り組まされるが、この日本に三菱重工に代われる会社はない。頑張れ、三菱重工、明日の日本のために。株買ってやるぞ、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/06/11 14:06:44 | |
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