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ntkd29のブログ一覧

2020年06月04日 イイね!

韓国が四の五の言うなら次は金融で痛い目を見せてやれ、‥(^。^)y-.。o○。

菅義偉官房長官は4日の記者会見で、韓国最高裁から元徴用工への賠償を命じられた日本企業の資産差し押さえ手続きが進められたことについて、「関連する司法手続きは明確な国際法違反だ。差し押さえ資産の現金化は深刻な状況を招くため避けなければならず、韓国側に繰り返し指摘している。今後も早期に解決策を示すよう強く求めていく」と述べた。

韓国裁判所は1日、日本製鉄(旧新日鉄住金)の資産差し押さえの関連文書を公示することで企業側に送達したとみなす「公示送達」の手続きを取った。韓国側は送達条約に基づき、日本の外務省を通じて日本製鉄本社に関連文書を送達しようとしたが、外務省は文書を韓国側に返送していた。
 
菅氏は、文書を送達しなかった理由や「公示送達」の有効性についてコメントを避けたが、「日本企業の正当な経済活動の保護の観点からも、あらゆる選択肢を視野に入れて、引き続き毅然(きぜん)と対応していきたい」と強調した。韓国政府は5月以降、2019年夏に強化された対韓輸出規制の緩和を求めて、世界貿易機関(WTO)への提訴や日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了の可能性に言及するなど、日本側への揺さぶりを強めている。【秋山信一】


新型コロナ感染症ですっかり忘れていたが、韓国とのゴタは続いているんだな。韓国との交渉をいくら続けても無駄だろう。正義は自分たちにあると思っている韓国はどこまで譲歩しても押し出してくるだろう。韓国との関係を断ったとしても日本に大きな影響はないだろう。一度思い切り痛い目を見せないとかの国は現実に向き合わないだろう。痛い目=金だろう。次は金融制裁で締め上げてやれ、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/06/04 16:50:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2020年06月04日 イイね!

今日も86GRで富士山を走ってきた、‥(^。^)y-.。o○。

今日は86GRで富士山を一周してきた。納車以来、走行距離は570キロ、燃費はリッター12キロ強でまあまあと言うところだろうか。車に関しては個人の好みもあるだろうし、もっと上には上があるだろうけどそれにしても恐るべき車ではある。足もしっかりしているが、無暗に堅いわけではなくそれなりに動いてショックを吸収している。乗っていて足が動いて衝撃を受け止めているが、それがボディにまで伝わってこないのが良く分かる。

それではタイトコーナーではロールするかと言うとほとんどロールはしない。直進とあまり変わらない感覚でするりとコーナーを抜けていく。コペンは足ががっちりと固められていてコーナーでは思い切り頑張っているという乗り味だったが、86GRは拍子抜けするほど頑張り感がないのに何事もなかったようにするりとコーナーをクリアする。これまでこんな車には乗ったことがない。もっとも大した車には乗っていないが、・・。

加速も悪くはない。どんな速度域からでも滑らかに加速していく。体がシートに押し付けられるようなというほどの暴力的な加速ではないが、気持ちのいい加速をする。普通に走るなら必要にして十分だろう。モンスター級のバイクに乗っていると車の加速など「まあこんなものか」と言う程度にしか感じない。バイクの加速は気合を入れると本当に首を捻挫するような加速をする。気を抜いていると後ろに吹っ飛びそうになる。モンスター級のバイクの加速はスーパーGTのGT500よりも速いものがある。バイク、恐るべしではある。

ブレーキも慣れれば効きもいいし、非常に制御し易い。安定感がある。シートもレカロでホールドもいいし、疲れにくい。コペンのレカロとはかなり違うのはスペースのせいだろうか。86GR、走りに関して文句はない。なかなか大した車だと思う。

ただちょっと困るのはサーキット走行を意識したエアロがついているのでクリアランスが小さく車止めが設置されている駐車場だとエアロを擦ってしまう可能性があるので駐車はバックに限られる。100ミリくらいしかクリアランスがないのではないだろうか。それから後輪が235・45/17だが、タイヤハウスとのクリアランスがないのでタイヤチェーンは装着不能だそうだ。そうすると冬タイヤをつけることになるが、チェーン規制の道路は走れないことになる。まあ、冬にガンガン走るわけではないのでかまわないのだが、・・。

まあでもそうした些細なことを割り引いたとしてもなかなか楽しい車ではある。さすが500万で、その評価は人によって様々だろうが、その価値は十分あると思う、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/06/04 16:45:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2020年06月03日 イイね!

韓国問題、何も片付いていなかったんだなあ、‥(^。^)y-.。o○。

日本政府は、自国の企業に対する韓国大法院(最高裁)の元徴用工賠償判決について今日(3日)、韓国側を相手に「企業の資産の現金化がなされれば、深刻な状況をもたらすだろう」と警告した。

時事通信などによると、茂木敏充外相はこの日になされたカン・ギョンファ(康京和)韓国外相との通話で、先のような内容を伝え、韓国側の「慎重な対応」を繰り返し要求したことが明らかとなった。

韓国大法院は去る2018年10月から日本製鉄と三菱重工業、不二越など日本の戦犯企業を相手に韓国内の元徴用工賠償金支給を命じた判決を下したが、この企業たちは元徴用工側との協議を拒んだまま、判決が履行できないでいる。

これにより元徴用工側では、昨年5月、日本製鉄など戦犯企業たちの韓国内資産に対する差し押さえ・売却の手続きを進行中である。茂木外相はこの日の通話で言及した「深刻な状況」とは、韓国に対する追加の報復措置を意味するものとみられる。日本政府は元徴用工賠償判決に対する報復次元で、すでに昨年7月から対韓輸出規制強化措置をとってきた状況である。(Copyrights(C) News1 wowkorea.jp)


そう言えば韓国問題はまだなにも片付いていなかったんだな。まあこれは何をしてもゴールが遠ざかっていくので未来永劫続くんだろう。まして文在寅大統領率いる与党が選挙で圧勝したので対日強硬策に出ないといけないのだろう。どうせ何を言っても無駄だからやるだけやらせておいて最後にバッサリと切ってやればいい。痛い目を見せなければ分からんのだよな、かの国は、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/06/03 22:48:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2020年06月01日 イイね!

日本の軍艦の艦名に人名がない理由とは、‥(^。^)y-.。o○。

旧日本海軍最初の命名基準では人名由来もOK
2019年10月27日、アメリカ海軍において1隻のイージス駆逐艦が進水しました。艦名は「ダニエル・イノウエ」、2012(平成24)年に亡くなった元アメリカ合衆国上院仮議長、ダニエル・イノウエ氏にちなんで名づけられた軍艦です。旧日本海軍や海上自衛隊には、人名に由来した艦名を持つ艦船はないため、「ダニエル・イノウエ」の進水は、日本人を含む初めての日系の人名が付いた軍艦になります。なぜ日本に人名由来の軍艦がないかというと、起源は旧日本海軍の黎明期にさかのぼります。旧日本海軍の創設は1872(明治5)年2月です。当時の海軍艦船は旧江戸(徳川)幕府および日本各地の諸大名が建造したものがほとんどで、戦うための船は軍艦もしくは運輸船の2種類の区分けでしかなく、ふたつの種別の内実も大小さまざまな艦船の混成でした。しかも、それらは名称を変えずに明治政府がそのまま用いたため、軍艦であっても国名、山岳名、気象名などが混在していました。

そののち明治政府が建造ならびに購入した艦船は、海軍卿(のちの海軍大臣)がいくつかの名称候補を用意し、太政大臣(のちの内閣総理大臣)が天皇陛下に提出、決裁(勅決)という流れで命名されましたが、山や川の名称がメインで、やはり統一性はとれていませんでした。
そこで艦船数の増加などもあり、最初の命名基準が1874(明治7)年に作られます。とはいえ、このとき軍艦名については日本の名山や大河、国名、または著名な人名に限るとされ、特段、人名付与が禁止されたわけではありませんでした。

人名や都市名を避けるのは軍艦が沈んだときのため
本格的に戦艦や巡洋艦などの艦種ごとに艦名基準が明確化されたのは、1905(明治38)年8月に定められた「艦名命名則」によってです。これにより戦艦は旧国名、巡洋戦艦および一等巡洋艦(のちの重巡洋艦)は山岳名、二等巡洋艦(のちの軽巡洋艦)は川の名前などと規定され、都市名は使用しないというガイドラインが形作られました。そののち、幾多の改正を経て、1933(昭和8)年には、新たに艦種として加わった航空母艦の命名基準が「飛行する瑞兆動物の名」と規定されています。

前述したように、旧日本海軍も1874(明治7)年から1905(明治38)年までは、軍艦に人名を付与することについて、特に禁止していたわけではありませんでした。それでも人名が付与されることがなかったのは、一説によると明治天皇の強い意向が働いたからといわれています。
明治天皇は、日本の軍艦名に人名はふさわしくないという考えを持っていたようです。いくら著名な人名であったとしても、仮にその艦船が沈没などした場合、子孫に悪影響を及ぼすとの思いがあったそうで、その意向を受けて、あらかじめ海軍卿(海軍大臣)は候補案のなかに人名を入れることはなかったといわれています。1905(明治38)年8月に定められた「艦名命名則」において、都市名が除かれたのも同様の理由からだそうで、やはり都市名の艦船が沈没などした際に、当該地域の住民に悪影響が出るのを懸念したからだといわれています。これは、あくまでも諸説あるなかのひとつです。真偽は不明ですが、結果的に1874(明治7)年から1905(明治38)年までのあいだ、人名由来の艦船は誕生しませんでした。

海上自衛隊でも人名使用は不可
太平洋戦争後、1954(昭和29)年に発足した海上自衛隊においても、1960(昭和35)年に定められた「海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」において、自衛艦の名称付与基準に人名は入っていません。こうした経緯から、冒頭に述べたように、アメリカ海軍において就役する軍艦の方が、日本の艦船よりも先に日系の人名が付く形となったのです。ちなみに、一般に南極観測船として知られる海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」は、日本で初めて南極探検を行なった白瀬 矗(しらせのぶ)陸軍中尉の名字が由来と思われがちです。

しかしその由来は、南極にある日本の観測拠点、昭和基地近傍の「白瀬氷河」です。この氷河自体、白瀬中尉の功績を称えて命名されたため、まったく無関係とはいえないものの、白瀬中尉の名前に由来するものではありません。なお海上自衛隊の艦名はひらがな表記のため、植物名や山岳名、河川名に由来するものであっても「わかば」や「はるな」、「よしの」など、人名のように思える護衛艦名が出てしまうのは致し方ないのかもしれません。(柘植優介(乗りものライター))


艦船の名前に個人名をつけるというのはその人物、あるいは関係者がいるうちはいろいろと問題があるかもしれない。例えば「なんでうちのご先祖は巡洋艦で向こうのご先祖は戦艦なのか」とかそう言うことを言い出すかもしれないし、事故があったり戦闘で撃沈されたりした場合もあれこれ言われるかもしれない。それに何よりもあまり格好が良くない。個人名よりもやはり「大和」「武蔵」「瑞鶴」「飛龍」「金剛」「榛名」「島風」「初月」「陽炎」「雪風」などの国名、飛翔に関する名称、山岳名、河川名、気象現象などの名前の方が格好がいい。米国などは個人名を艦船に大々的に使用するが、その辺は感覚的な相違だろうか。ただ主力艦には昔も今も州の名前を付けている。過去には戦艦の名前がそうだったし、現在は戦略ミサイル原潜が州の名前になっている。日本の主力艦が旧国名を使用しているのと共通なのは国家の基本は領土と国民という認識からだろうか、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/06/01 13:25:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2020年06月01日 イイね!

この先も復権は難しそうな2ドアクーペたち、‥(^。^)y-.。o○。

スタイリッシュなフォルムが魅力の2ドアクーペを振り返る
現在、国内市場のラインナップから激減してしまったクルマといえば、2ドアクーペです。とくに比較的手が届きやすいモデルは絶滅寸前の状況となってしまいました。

かつて日本中にあふれていた2ドアクーペたち
一方で、1980年代から1990年代には、2ドアクーペは3ドアハッチバックと並んで隆盛を誇り、若者を中心に絶大な人気を誇っていました。
 そこで、かつて一世を風靡するほどヒットした2ドアクーペを、5車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ「ソアラ」
当時の若者の憧れの的に君臨していた「ソアラ」
トヨタ初代「ソアラ」は1981年に発売され、ハイソカーブームをけん引し、若者だけでなく幅広い層から人気となりました。ボディはロングノーズのエレガントなフォルムで、全グレードで直列6気筒エンジンを搭載。デザインの美しさだけでなく先進的な装備も注目されました。1986年に2代目が登場すると、デザインは初代からキープコンセプトとされ、好景気に湧いていた時代背景もあって初代以上のヒット作になります。なかでも大学生や若い社会人の憧れの的だったのが、2リッター直列6気筒ツインターボエンジンを搭載した「2.0GT-TWIN TURBO」でした。当時の新車価格は320万6000円とバブル期とはいえ高価で、長期のローンを組んで手に入れたという人も数多く存在したほどです。

●ホンダ「プレリュード」
美しいフォルムが印象的だった「プレリュード」
1987年に発売された3代目「プレリュード」は、外観は2代目からのキープコンセプトとしながら、より洗練されデートカーとして若者から支持されました。外観の特徴はエンジンを後傾して搭載することで実現した低いボンネットで、そのボンネットのラインがそのままトランクまで続く、美しいウエストラインを描いています。ちなみにボンネットの高さは、当時販売されていたフェラーリ「328」に匹敵するといわれていました。エンジンは全グレードとも2リッター直列4気筒で、トップグレードの「2.0Si」には145馬力を発揮するDOHCエンジンが搭載され、見た目にふさわしい走りの良さを披露。また、3代目プレリュードには量産車世界初の4輪操舵が設定されことも大いに話題となり、高速走行時のレーンチェンジや、市街地の取り回しで威力を発揮しました。

●日産「シルビア」
シリーズ最大のヒット作になった「シルビア」
1988年に衝撃的なデビューを飾った日産5代目「シルビア」は、新世代のFRスポーツカーとして発売と同時にヒット。さらに、シルビアのデザインは斬新かつスタイリッシュで、若い女性からも人気となり、前述のプレリュードとともにデートカーとしても名を残しています。また、内装も曲線を多用することで、4代目までの無骨なイメージを払拭したことも印象的でした。グレード構成は「K's」「Q's」「J's」があり、エンジンはK'sが1.8リッター直列4気筒ターボで最高出力175馬力を誇り、Q'sとJ'sは自然吸気で135馬力を発揮。当時は、手頃な価格で購入できる高出力なFR車が少なくなったこともあり、走りを重視するユーザーからも支持を得ました。姉妹車として1989年に3ドアハッチバックの「180SX」が追加され、1991年には2リッターエンジンに換装される大幅なアップデートをおこない、人気を不動のものとします。

まさにバブル景気を象徴する「外車」とは!?
●トヨタ「カローラレビン/スプリンタートレノ」
バブル期の大学生から圧倒的な支持を得た「カローラレビン」
トヨタを代表する大衆車の「カローラ」には、2代目から「カローラレビン」、姉妹車の「スプリンタートレノ」というスポーツグレードが存在。そして、バブル景気が始まっていた1987年に発売されたのが、シリーズ初のFFとなった5代目カローラレビン/スプリンタートレノ(以下、レビン/トレノ)です。レビンは固定式ヘッドライト、トレノはリトラクタブルヘッドライトと、フロントフェイスが異なるのは先代のAE86型を踏襲。なかでもレビンのスタイルはソアラを小型化したイメージで、高価なソアラは買えないというユーザーから人気となりました。トップグレードには、120馬力を発揮する1.6リッター直列4気筒DOHCの「4A-GELU型」エンジンを搭載し、高回転まで淀みなく回るフィーリングが高く評価されます。レビン/トレノはレースの世界でホンダ「シビックSi」の後塵を拝しましたが、クルマとしての品質はさすがトヨタ車というべきレベルで、あらゆる面でシビックを凌駕していました。

●BMW「3シリーズ」
「六本木のカローラ」というフレーズが流行するほど売れた「3シリーズ」
1982年に欧州で発売されたBMW2代目「3シリーズ」は、BMWのエントリーモデルとして日本で大ヒットを記録しました。日本には1983年から正規輸入されると、当時ドイツ車のステータスは国産車よりもはるかに高く、車格が上の国産車よりも3シリーズを選ぶというユーザーが増えたことも、ヒットにつながったといえます。また、好景気を背景に円高も進んでいたため、正規輸入だけではなく並行輸入も盛んで、当時の雑誌には並行輸入の3シリーズの広告が数多く掲載されたほどです。ボディサイズは全長4325mm×全幅1645mm×全高1380mmと、いまの水準からするとかなりコンパクトで、2リッター以下のエンジンならば5ナンバー登録ということもあり、輸入車でも維持は比較的楽でした。もっとも人気があったのは2ドアクーペでした、4ドアセダンやステーションワゴン、カブリオレがラインナップされ、エンジンも1.8リッターから2.5リッターまで選べるなど、幅広いニーズに応えていたことも人気の理由です。
※ ※ ※
日本において2ドアクーペの需要は1990年代がピークで、2000年代になるとスポーツカー需要の低迷もあって台数が激減してしまいました。1人か2人で乗るならば2ドアクーペで十分なはずですが、せっかくなら使い勝手の良い5ドア車やミニバンを選ぶという心理は当然のことでしょう。これは海外も同様で比較的安価な2ドアクーペはだいぶ減ってしまい、おそらくこの先も復活は難しいでしょう。(くるまのニュース編集部)


バブルで景気が良かったころは誰でもちょっと頑張ればそれなりの車が買えた時代だった。まあ景気の良さに気が緩んで痛い目に遭ったのも多かったのかもしれないが、それでも先行きは極めて明るくどうにでもなりそうな時代だった。ここに出ている車は当時どこにでもありふれていた車ばかりで今のような実用一点張りで色気がない時代とはちょっと事情が違っていた。特にソアラは時代のはるか先を行っていた日本初のスーパーカーだった。初代ソアラの登場はまさに衝撃だった。プレリュード、シルビアも若い世代を中心に人気だった。レビン、トレノは庶民のスペシャルティでこれもあちこちで見かけた。BMWのクーペと3シリーズはこれも人気だった。メルセデス、BMW、ボルボ、アウディなどは今もかなりの数が出回っているが、ほとんどがSUVかワゴンでやはり実用が前に出てしまうのだろうが、家族があればこれはやむを得ないだろうけど何でもかんでもミニバン、SUVでは華がない。以前からずっとクーペに乗ってみたかったが、やはり家庭持ちだとなかなか思うようにはいかない。今は一人なんで好きなものに自由に乗れるが、クーペも悪くないと思う。まあ流行と言うのがあって日本人は主体性がないので結構流行に左右されやすいからミニバン、そしてSUVと言う流れもやむを得ないのだろうか。最近、コペンなどの2シーターやGRSports系の車に結構おじさんが乗っているのを見かけるが、やはりこうした現象も若いころの見果てぬ夢の実現だろうか。それにしてもソアラの2リッターツインターボが320万だったのか。今なら何と言うこともない価格だけど当時は高嶺の花だったな。この先もそうそう経済が急激に好転することもないだろうから趣味性の高い2ドアクーペの復活は難しいだろうなあ、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/06/01 11:26:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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