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2020年09月30日 イイね!

令和3年度防衛費概算要求は5兆5千億とか、‥(^。^)y-.。o○。

防衛省は30日、過去最大となる総額5兆4898億円の令和3年度予算の概算要求を決定した。前年度当初予算比3・3%増。中国やロシアが開発する極超音速滑空兵器(HGV)を追尾・探知する「衛星コンステレーション」の研究費として2億円を計上するなど、従来の陸・海・空にとどまらない新領域「宇宙・サイバー・電磁波」に重点を置いた。衛星コンステレーションは低軌道に大量の小型人工衛星を投入し、高速で複雑な動きをするHGVに対応。米国のミサイル防衛構想の一環で、日本も参加を目指す。

令和8年度をめどに打ち上げる宇宙状況監視衛星の設計・研究費に211億円を盛り込んだ。同衛星は、日本の衛星に衝突する危険性がある宇宙ごみ(スペースデブリ)などの動きを監視する。宇宙状況監視態勢の構築に取り組む航空自衛隊の宇宙作戦隊(20人)などを指揮下に置く「宇宙作戦群」(70人)も新設。これら宇宙関連経費は計724億円となる。

サイバー分野では、サイバー防衛機能を一元的に担う自衛隊サイバー防衛隊を3年度末に540人規模で新設し、各自衛隊のサイバー関連部隊から人員の一部を移す。

防衛費は当初予算ベースで今年度までに8年連続で増加している。今回の概算要求では、政府が検討中の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の代替策に関する経費は金額を示さない「事項要求」にとどまり、総額に含まれない。



防衛も時代は宇宙にサイバーか。防衛費GDPの2%と言うと今の2倍の10億か。BMDなどにも金がかかるが、一番安上がりなのは弾道弾と核弾頭を装備することだが、日本では難しいだろう。SSBNを6隻くらい装備すれば相当な抑止力にはなる。まあ日本では不可能だからBMDに力点を置く以外にはないだろう。防衛費も最近は補正予算で結構いろいろ購入しているので実際の経費は5兆5千億ほどにもなっているだろう。軍備と言うのは金がかかるものでなければない方がいいのだろうけど人間が存在する限りなくならないだろう。まあ社会保障費などは防衛費の6倍、7倍だからなあ。こっちも金がかかる。消費税は15%以上にしないと持たないだろう、‥(^。^)y-.。o○。


Posted at 2020/09/30 23:21:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2020年09月28日 イイね!

棟梁、君のために骨を折ってくれた人のためにも酒を止めろ、‥(^。^)y-.。o○。

9月22日、TOKIOの元メンバー、山口達也容疑者(48)が酒気帯び運転で現行犯逮捕された。この一報を受け、ジャニーズ関係者の間には衝撃が走った。すべての計画は水の泡。とりわけ、松岡昌宏(43)が荒れに荒れていたという。
 ***
東京都練馬区内の交差点で、山口の運転するハーレーダビットソンXR1200が、信号待ちをしていた車に突っ込んだ。幸いけが人はなかったが、山口からは0・7ミリグラムのアルコール濃度が検出され現行犯逮捕された。道交法違反の酒気帯び運転と見なされる呼気濃度の基準値は1リットルあたり0・15ミリグラム以上だから、4倍以上の呼気濃度だったことになる。また酒か、と思った方も少なくないだろう。18年4月、山口は泥酔の上、女子高生に強制わいせつを行ったとして、書類送検(起訴猶予)されている。

あなたは病気です
その際、メンバーに土下座をして謝罪する山口に対し、松岡は会見でこう言ったと明かしている。
「最初に言ったのは、『(謝るのは)僕らじゃない』。当たり前のことですが、『被害者の方に』と、『TOKIOのことは二の次三の次に考えてくれ』と言いました。それと、『正直あなたは病気です。自分の置かれている立場と今後のことにちゃんと向き合ってくれ。決してお酒は悪くない、悪いのは自分だ。その甘さと考えを改めてもらえない限り俺たちは何もできない。話すのはきっとそれからだ』と言いました」
まるで突き放すような厳しい言葉を浴びせていた。それだけに、今回の逮捕を受け、その松岡が荒れていたというのは意外な気もする。関係者は言う。

(株)TOKIOの意味
「松岡は行きつけの店で、酒を飲み、朝方まで荒れていたそうです。単にまたお酒で問題を起こしたことに怒っているわけではありません。今回の逮捕で、再結成の計画が消えてしまったからです。実は、そのために奔走してきたのが、松岡と国分太一(46)の2人だったんです」

すでに山口はジャニーズ事務所から契約解除になっている。さらに、今年7月には、長瀬智也(41)が来年3月いっぱいでTOKIOを脱退、事務所を退所することも発表されている。長瀬の脱退は、バンド活動ができなくなったことが要因とも報じられた。こんな状況で、再結成などできるのだろうか。
「そのための布石として、株式会社TOKIOが設立されたんです」(同・関係者)
(株)TOKIOの設立は、長瀬の脱退・退所発表と同時に公表された。ジャニーズはその趣旨をこう説明している。
〈株式会社TOKIOにつきましては、城島茂が社長として、国分太一と松岡昌宏は副社長として経営にも携わりながら、ジャニーが命名したTOKIOという看板は今後も背負った形で、グループと個人の仕事を今まで以上に自由度高く、新しい仕事に積極的に挑んでいきます。〉
当然ながら、長瀬、山口の名はこの会社にはない。

「ジャニーズの上層部は、残されたメンバーと協議し、山口を復帰させるために会社を作ることを認めたそうです。まず来年4月に城島(49)、松岡、国分の3人がジャニーズからTOKIOに移籍。その後、山口がTOKIOと契約して合流。その1年後に、長瀬も合流してバンドのTOKIOを再結成するというシナリオでした。この青写真はジャニーズ事務所が描いたものですが、そのために動いたのが松岡と国分だったんです」(同)

ジャニーズが残ったTOKIOメンバーを、易々と手放すとは思えないが、
「(株)TOKIOは、あくまでもジャニーズの関連会社です。それが証拠に代表取締役は藤島ジュリー景子さんであり、城島が社長といっても代表権はありません。実質の経営はジャニーズ本体なのです」(同)


わざわざ新会社まで設立したわけとは? 
「山口が前回起こした事件は、あまりにイメージが悪い。酔った上に女子高生を自宅に連れ込み、無理矢理キスするなど、ティーンや高校生がファン層に多いジャニーズとしては許しがたい行為です。世間からの目を考えても、ジャニーズと山口の再契約はありえない。そこで関連会社を作り、ジャニーズに戻るわけではないことにしたかったのでしょう」(同)
ならば、長瀬が辞める必要はないのではないか。
「メンバー4人が残ったままで、山口だけが合流してくるのも見栄えが悪いと考えたのでしょう。長瀬もいったん事務所を離れることで、このままではTOKIOが消滅してしまうというファンの心配を煽り、再結成の声が高まったところで、山口を復帰させ、長瀬も帰ってくるという筋書きでした」(同)

再結成まで、3人のTOKIOで持ちこたえられるのだろうか。
「たとえ地上波のレギュラーが減ったとしても、地方CMや広告関連での露出やPR活動を収益のメインとして考えていたようです。彼らが“DASH村”の農作業で、汗をかく姿は幅広い層から好感を持たれていましたし、福島県復興のイメージキャラクターも長年勤めてきましたから。だからこそ、ジャニーズ事務所も新会社設立を認めたのです」(同)
だが、肝心の山口が逮捕されてしまった。
「彼が自ら計画をすべてダメにしてしまった。彼が退所して1年半、残ったメンバーが地道に育ててきた計画だけに……松岡が荒れるのも当然でしょう。本当に残念です」(同)
(2020年9月28日 掲載「新潮社」)



基本的にタレントには興味がない。あれは作り上げられた虚像であって現実の人物ではないから評価の対象にはならない。ただTOKIOというグループは音楽活動よりも「ダッシュ村」や「ダッシュ島」で結構長い間見てきた。ああしたアイドル系のタレントは普通はあんな風に泥にまみれて農業や漁業、大工仕事などはしないものだが、本音はともかくも結構一生懸命やっているのが面白かった。その中でも山口は手先が器用なのか大工仕事などを率先してやっていてイメージとしては悪くはなかった。タレントの私生活などにも全く興味がなかったが、強制わいせつ事件の後に離婚していたことや飲酒癖があったことを記事で知った。それなりに生活には困らない金もあるだろうし、寂しさを酒に紛らわせていたんだろうとは思ったが、その後、復帰の話があるようでダッシュ島などにもさりげなく映像が出ていて、「才能はあるのだからそれはそれでよかったんじゃないか」と思っていたところに今回の事件ですべてが水泡に帰してしまったようだ。裏でいろいろ動いていた他のメンバーが怒るのも分かるが、何よりもまず酒を止めさせないとどうにもならないだろう。僕自身はタバコは吸った(6年前に前にやめました、‥(^。^)y-.。o○)が、酒は嫌いで飲まない。でも周りに酒飲みは山ほどいたし、酒で人生を失った例も数多く見てきた。薬物もなかなか恐ろしいが、酒も健康にも精神にも薬物に劣らず恐ろしい。山口が今後タレントとして復活する機会があるかどうかは分からないが、酒さえやめれば不可能ではないだろう。酒は嫌いだから飲む気持ちは分からんけれど度を過ごさなければそれはそれでいいと思う。でも度を過ごした飲酒は薬物以上に恐ろしいかも知れない。酒は違法ではないので容易に手に入るので酒におぼれるのも簡単だし、酒から抜け出すのも簡単に手に入るだけあって違法薬物以上に難しい。でもなあ、期待して待っている人もいるんだろうから、棟梁、何が何でも万難を排しても酒を止めろ。せっかくの才能がもったいないではないか。それにせっかく骨を折ってくれた人たちに申し訳が立たないだろう、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/09/28 14:25:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2020年09月28日 イイね!

何時までもボロが止まらないバ管元総理大臣、‥(^。^)y-.。o○。

十年一昔。与党だった民主党は離合集散の末“万年野党”に没落し、総理もかつての菅(かん)から今しも菅(すが)へと移り変わったが、忘却するにはまだ早い。今月8日、産経新聞の〈尖閣・中国漁船衝突10年〉という記事で“消したい過去”を暴露されたのは、菅直人元総理(73)である。

2010年9月、尖閣諸島沖で、海保の巡視船に漁船ごと体当たりした中国人船長が逮捕されたが、突如、釈放。この際、菅元総理の“鶴の一声”があったことを、外相だった前原誠司衆院議員(58)が告発したのだ。菅氏は、すぐさま自身のツイッターで〈私が釈放を指示したという指摘はあたらない〉と反論。しかし、

「今回の記事で菅氏の立場は悪くなる一方。彼の選挙区・衆院東京18区には、かつて民主党にいた長島昭久衆院議員が自民党から出馬することになっている。長島陣営は街頭演説で話す格好のネタになると大喜びで、菅氏の敗色はいよいよ濃厚です」(政治部記者)

10日には、菅氏も参加する新・立憲民主党の代表選が行われたが、

「菅氏は、尖閣の件を記者に聞かれても“ツイッターに書いた通り”の一点張り。枝野幸男代表の勝利集会にも来ませんでした」(同)

そんな菅氏が翌11日に姿を現したのは、経産省前。原発再稼働反対を訴える〈経産省前テントひろば10年目大集会〉だった。

「同じ“10年”でも、こちらは菅氏にとって、いわばホームグラウンド。聴衆はみんな仲間ばかりだとタカを括ってか、舌も滑らかに演説をしていましたね」(参加者の一人)

が、ここにも地雷が。

「集会の終盤、菅氏は参加者から“どうして野田佳彦元総理を新立民に加えたのか”と吊し上げられていました。野田氏は原発再稼働を強行した張本人。“よくあなたは一緒にやれるな”と痛いところを突かれた菅氏は言葉を失い、頭を抱えていましたよ」(同)

向かうところ敵ばかり。(「週刊新潮」2020年9月24日号 掲載)


バ管などかの国だったら間違いなく逮捕されて死刑か無期懲役だろう。まともなことは何一つできずろくでもないことばかりして日本憲政史上最強最悪の総理大臣だったが、権力の座を滑り落ちてもいつまでもぼろが出てくる総理大臣はこのバ管と宇宙バトくらいだろう。ただ宇宙バトは権力の座を滑り落ちても自分から話題になるようなコントを続けているが、何もしないのに次々ボロが出てくるのはこのバ管だけだろう。もういい加減に国会議員など止めて懺悔のお遍路でもしていればいい。次の選挙ではバ管が政治の世界から姿を消してくれることを祈っている。「言うだけ番長」、もっともっと言ってやれ、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/09/28 09:20:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2020年09月27日 イイね!

過去の遺物になりつつあるか、スポーツカー、‥(^。^)y-.。o○。

トヨタとスバルが共同開発したスポーツカー「86/BRZ」の現行モデルが生産終了となった。同車は2012年に発売され、次期型も開発は進められているといわれるが、一時的に販売が途切れることになった。 このように、スポーツカーを作り続けることは非常に難しい。日産 フェアレディZやホンダ NSXですら一時的に販売が途絶えた時期があり、国産スポーツで絶え間なく継続しているモデルはロードスターなど極めて少数だ。 しかし、「スポーツカーは文化だ」というフレーズもあるくらい、スポーツカーにはクルマ本来の魅力や奥ゆきが詰まっている。 そこで本稿では、そんな魅力にあふれながら一代限りで消滅してしまった国産スポーツカーにスポットを当てていきたい。

2代続いたミッドシップスポーツカーのMR2からバトンを託され、1999年秋に登場。
MR2との違いは、フルオープンスタイルを採用し、爽快なオープンエアモータリングも楽しめることだ。 また、パワーユニットをVVT-iを組み込んだ1.8Lの直列4気筒DOHCとし、多くの人が実力を引き出しやすいように配慮している。 しかもサイフにやさしいレギュラーガソリン仕様だった。5速MT(後期モデルは6速MT)を駆使すれば、140ps/17.4kgmのエンジンパワーをフルに使いきることができ、変速するのが楽しい。MR-Sの魅力は、もうひとつある。発売から1年後に加えられた電子制御シーケンシャル5速MTだ。日本で初めて気を遣うクラッチ操作を不要にした画期的なクラッチペダルレスのセミATだった。 AT免許で運転でき、エンジンの回転数もコンピュータが自動的に合わせてくれるから、ビギナーでもレーシングドライバーのように上手に変速することが可能だ。1トンを切る車重だから非力と感じないし、オン・ザ・レールの気持ちいいハンドリングにも魅せられる。特にサスペンションに改良を加え、タイヤもサイズアップした後期モデルは剛性が高く、コントロール性は向上した。

S2000は、ホンダの創設50周年を記念して企画され、1999年春に市販されたフルオープンのピュアスポーツカーだ。ホンダにとってはS800以来のFRスポーツで、パワーユニットやボディ設計にも当時の最新テクノロジーを多く採用している。車名にあるようにデビュー時のエンジンは、2Lの排気量だ。F20C型直列4気筒DOHC・VTECは圧縮比を11.7と高く取り、リッター当たり出力は125psに達した。当然、レーシングエンジンのようにビュンビュン回り、その気になれば9000回転まで使いきることができた。ショートストロークの6速MTは変速するのが楽しい。インホイールタイプのダブルウイッシュボーンサスペンションは、ドライバーが操っている感覚が強く、主人公になれる。電動パワーステアリングのステアリングギアを可変式にした「タイプV」は、さらにクイックで、身のこなしは軽やかだ。意のままに走れる。2005年には2.2Lエンジンにして扱いやすさを増した。現役のときはパンチの効いた2Lモデルに惹かれたが、今になってみるとバランスのよい2.2Lモデルのほうが実力を引き出しやすいし、足にも手を入れたから好印象と感じる。

マツダ RX-8
FD3S型RX-7は2002年8月に惜しまれつつ生産を終了した。これに代わるロータリーエンジン搭載車として東京モーターショーでベールを脱いだのが、観音開きドアを採用した「RX-EVOLV(エボルヴ)」である。このショーカーを発展させた4ドアのロータリー・スポーツがマツダ RX-8で、2003年4月に発売。パワーユニットは吸排気ポートをサイド方式に改めた新世代の13B-MPS型ロータリーだ。RX-7はターボだったが、RX-8は自然吸気のロータリーを搭載する。4速ATと5速MTもあるが、主役は高性能ロータリーに6速MTを組み合わせたタイプSだ。3B-MSPと呼ばれる2ローターのロータリーは9000回転まで苦もなく回るが、タイプS以外は最高出力を下げているため実用域のトルクもそれなりに太く、扱いやすかった。2008年以降はタイプRSもレギュラーガソリン仕様となったため、高回転域の伸びは今一歩となっている。が、8000回転オーバーまでモーターのように気持ちよく回った。観音開きドアを採用するためにシャシーの剛性は高く、サスペンションもダブルウイッシュボーンにマルチリンクの組み合わせだからワインディングロードでも意のままの走りを楽しめる。燃費が今一歩だったし、基本設計が古くなったため退いたが、走りの実力は今も一級だ。痛快なスポーツクーペだったから、違う形での再デビューを期待したい。

ドライビングの楽しさを徹底追及し、1994年秋にセンセーショナルなデビューを飾ったのが三菱FTOだ。
1970年代に話題をまいたギャランクーペFTOから車名をもらっているが、共通するところはまったくない。が、ご先祖以上に個性の強いデザインの2ドアクーペである。時代に先駆けて1735mmのワイドボディを採用し、プロポーションも独特だった。ちょっと進み過ぎていたのか、当時は今ひとつの販売に終わっている。が、FTOは今につながる技術を積極的に採用していた。最大の特徴は、主役となる2Lエンジンを贅沢なV型6気筒DOHCにしたことだ。GTOと同じように電子制御の可変吸気システムを採用し、高性能版には可変同弁機構のMIVECも組み込んでいる。トランスミッションは5速MTもあるが、注目は「インベックスII」と名付けたスポーツモード付きの4速ATを日本で初めて採用したことだ。今では珍しくないが、セレクターの「+」と「-」を駆使してスポーティな変速を楽しむことができた。後期モデルでは5速ATに進化し、さらに気持ちいい走りを引き出すことができるようになっている。V型6気筒エンジンはスムーズで軽やかに回ったし、ハンドリングも重さを感じさせない軽快なフィーリングだった。懐の深い走りを見せ、快適性もそれなりに確保していたが、販売は低空飛行を続けている。そのために21世紀を前にGTOとともに姿を消した。素性のいい上質なスポーツクーペだったが、魅力が理解されず残念な結果に終わっている。


スポーツカーと言うのはそれなりの性能を身に着けていないと話にならないので開発には金がかかる。エンジン、足回り、ブレーキ、ボディ剛性、全体のデザイン、それらがうまくバランスして人並み以上の性能を持たないとスポーツカーとは言えない。車がある意味ステータスで若者にも年配にも人気があったころは高性能の車を世に出せば話題になってそれなりに売れたし、自動車会社の広告塔にもなったが、車が生活の道具になるとただ走ることの性能向上に特化し、使い勝手の悪いスポーツカーはよほど好きな人や昔そうした車にあこがれていた人などごく少数の人にしか受け入れられなくなってくる。開発に金がかかるが、数が出なければ元が取れない。結局メーカーは売れ筋の車に走ってスポーツカーの開発は敬遠することになる。そうすると86やスープラのように複数のメーカーが協力して開発費やリスクを分担するとか、既存の技術を利用して開発費を圧縮するとか、そうした方向に向かい、最新技術は売れ筋の車種に導入されることが多いと言う。現行型コペンも結構力を入れて開発したが、出来上がっても数が売れず、苦労しているようだ。86も次期型が出ると言うが、外観デザインの変更とエンジンの換装程度であまり金をかけて開発しているとは思えない。スープラはBMWのZ4の手直し版だし、日産はフェアレディを出すと言うが、これも10年以上販売を続けないと元が取れないだろう。ホンダのNSXも数が出ないそうだが、3千万の車を買う人がそうそういるとも思えない。手ごろなところはマツダのロードスター辺りだろうけどこれも月の販売台数は数百台、コペン、S600なども価格はそれなりだがほとんど実用性のない車を300万も出して買う人は少ないだろう。まあコペンは2人までならそこそこの実用性はあったけど、・・。スバルは86、BRZの生産を止めたがっていたそうだが、スバルにしても月に数十台しか売れない車など作りたくないだろう。どうせ作るならもっと大きいエンジンを積んでATとのマッチングを良くして北米で売れるような車にしたい。日本での販売は受注販売で逆輸入で持ってくればいいなんてことにもなりかねない。この先スポーツカーが復権するなんてことはまずないだろう。スポーツカーと言うのはメーカーの広告塔としてのみ細々と存在し続けるんだろう。GRヤリスはWRC、GRスーパースポーツはWEC、スープラはスーパーGT、これならメーカーの広告塔として存在する意味はあるが、それがないスポーツカーは会社にとって単なるお荷物でしかない。レースと言うバックを失った86がどうなるか興味があるところだが、GRのサイトから削除されたり扱いが冷たい。トヨタのサイトにはまだ86のページはあるが、スバルが嫌がっているようだから一発大逆転、生産販売終了なんてことがないとは言えない。車雑誌や自動車評論家にとってはまだまだ主役のスポーツカーも環境性能や実用性が重要視される現代社会の中では過去の遺物になりつつあるのかもしれない、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/09/27 13:22:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2020年09月26日 イイね!

帝国海軍の軍艦がボカスカ撃沈された理由だって、‥(^。^)y-.。o○。

あまり知られていないが、太平洋戦争では日本の軍艦は魚雷攻撃に非常に弱く、いとも簡単に沈没していた。そのため戦艦大和は行動が制限され、海軍の基本戦略は齟齬をきたしたのである。なぜ日本の軍艦はそれほど脆かったのか? 映画『アルキメデスの大戦』で製図監修をつとめ、大和などの設計図をすべて描いた船舶設計のプロが、このほど上梓した『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)で指摘した、日本の軍艦の致命的な欠陥とは? ----------

「常套句」に隠されたもの
太平洋戦争における日本の敗因は、そもそも米国と戦ったことだとは、よくいわれるところです。たしかに開戦直前の国力の差は、GNPで比べると日本は米国の約9%にすぎませんでした。これでよくも開戦したものと驚くばかりです。しかも、日本が乏しい国力を傾けて建造した戦艦大和は、ほとんど出撃しないまま終戦直前に沈没し、戦後になってピラミッド、万里の長城と並ぶ「無用の長物」と揶揄されました。そんなものをつくった海軍は時代遅れの「大艦巨砲主義」に陥っていたと非難され、ただでさえ不利なのにこれでは勝てるはずがなかった、などと総括されています。しかし私は、そうした常套句だけでこの戦争を語るのは、何か大事なものを見過ごすことになるように思われてならないのです。もとより歴史や軍事の専門家ではありませんので、戦略や戦術についてのくわしいことはわかりません。それでも船のエンジニアとしての立場から、指摘しておきたいことがあるのです。

世界を驚かせた「造船の神様」
太平洋戦争前の国内工業は、たしかにあらゆる点で欧米先進国より遅れていて、工作機械もすべて輸入品でした。しかし、進取の気性に富む海軍は、航空機時代の到来を世界に先駆けて予見し、1922(大正11)年には航空母艦「鳳翔」を完成させました。これは世界で初めて設計段階から空母をつくる目的で建造された、本格的空母でした。さらに山本五十六連合艦隊司令官は海軍航空隊まで設立し、ほとんどの国がまだ航空機の効能を軽視していたなかで、確信をもって飛行訓練を重ねていました。そもそもは、日本の海軍は「大艦巨砲主義」ではなかったのです。むしろ、当時は米国や英国のほうが多くの大型戦艦を建造していました。世界が航空機の重要性に気づいたのは皮肉にも、日本がのちに真珠湾攻撃と、続くマレー沖海戦で大勝利をおさめてからでした。

1922年、第一次世界大戦の戦勝国である米英仏伊日の戦艦建造競争が過熱してきたため、ワシントン海軍軍縮条約によって戦艦保有規模が制限され、日本は米英の6割に抑えられました。そこで日本海軍はやむなく、巡洋艦や駆逐艦などの補助艦に活路を見いだす方針を打ち出します。巡洋艦とは、戦艦よりは小さくて速度がある中型の軍艦で、駆逐艦は、さらに小型で俊敏な艦です。翌1923年に完成した「夕張」は、排水量3100tと小型ながら、14 cm砲6門、61cm連装魚雷発射管2基を搭載し、なんと速力は34ノットと、5500t型巡洋艦と同等の戦闘能力を装備した画期的な巡洋艦でした。公開された夕張を見た各国の海軍関係者は、巡洋艦設計の概念を根本から覆す構想と、その工法に大きな衝撃を受けました。これにより、「夕張」を設計した造船中将・平賀譲の名は一躍、世界に知れわたったのです。平賀はまた、「古鷹」でも、世界で初めて戦艦並みの20cm砲を巡洋艦に搭載してみせました。

しかしワシントン条約以降は巡洋艦の建造競争が過熱したため、1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約によって、巡洋艦も排水量や砲の口径を基準に保有数を制限することになり、制限の対象となるものは重巡洋艦、それ以下のものは軽巡洋艦と呼ばれました。それでも平賀は、条約による制限のもとで精魂込めて、小型の巡洋艦でも1クラス上の巡洋艦と同じ性能や砲力をもたせようと、特異な設計をして世界を驚愕させつづけました。平賀は「造船の神様」とも呼ばれ、まさに伝説の設計者となったのです。なお、『アルキメデスの大戦』には、平賀をモデルにした平山忠道造船中将が登場し、戦艦大和をみずから設計して主人公の櫂直と対立しますが、実際の平賀は大和の設計には指導や助言をするのみだったようです。のちに東京帝国大学の総長もつとめた平賀を、私は船舶設計者としても、人間としても非常に尊敬しています。しかし、これから述べようとしているのは、そのような「神様」にも過ちがあったという話です。

巡洋艦に入れられた縦隔壁
太平洋戦争で、なぜ日本の巡洋艦と駆逐艦が魚雷攻撃に対して異常に弱かったのか。それは、これらには構造上、きわめて大きな欠陥があったからです。そして巡洋艦の欠陥は、平賀の設計に原因があったのです。日本の巡洋艦の内部には、船体の中央を縦に走り、左右を隔てる縦隔壁が入っていました。米英の巡洋艦には、そのようなものは入っていません。巡洋艦をとことん軽量化しようとした平賀は、そのために艦を縦に折り曲げようとする力に対する曲げ強度(縦強度)が不足することを懸念し、その対策として縦隔壁を設けたのです。しかし、これは非常に危険な構造でした。

艦が側面に魚雷を受けて浸水した場合、縦隔壁があると、水が艦の両側に流れず、片舷のみが浸水します。すると横傾斜が大きくなり、復原力が急速に消失して、横転沈没しやすくなるのです。横転には至らなくても、横傾斜すると砲が撃ちにくくなり、速度も低下するので敵に撃沈される危険が高くなります。「神様」の設計に対して畏れ多いことですが、縦隔壁を入れたことには大いに疑問があります。というのは、船体の曲げ強度は、縦隔壁を入れても大幅には増加しないからです。

土木建築の柱、梁、杭などに広く使われているI型鋼は、上下の水平部材と、縦の垂直部材の組み合わせですが、曲げ強度を増やすには垂直部材を厚くしてもあまり効果がありません。しかし水平部材を厚くすれば、曲げ強度は非常に大きくなります。したがって巡洋艦の曲げ強度を増やすには、縦隔壁を入れずに甲板と船底を厚くすべきだったのです。縦隔壁を入れたことは、平賀の致命的な設計ミスでした。縦隔壁がなかった米英の巡洋艦は、魚雷を受けても沈下はするものの、横転することはありませんでした。

太平洋戦争において沈没した日本の重巡洋艦と、その原因を表に示します。艦名を太字にしたものが、縦隔壁が原因とみられる沈没です。戦前、海軍では沈没は砲撃によるものが最も多くなると想定していましたが、それは11%にすぎず、じつに18隻中13隻、約72%が、航空機や潜水艦からの魚雷攻撃による横転沈没だったのです。なお、検証しきれていませんが縦隔壁は空母にも入っていましたので、同じ問題があったと思われます。だとすれば、それが多数の空母、そして航空機の喪失につながり、さらには制空権を奪われる原因ともなった可能性があります。

駆逐艦の動力系配置
もう一方の駆逐艦における問題は、平賀の設計ではありません。それはボイラー室とタービン室の配置にありました。ボイラーとは燃料を燃焼させて熱エネルギーをとりだす機関で、タービンは熱エネルギーを回転エネルギーに変えて動力を生みだす機関です。この二つは船の動力系で、いわば心臓部です。

日本の駆逐艦は、タービン室が2室連続し、そのあとボイラー室が2室連続するという基本構造でした。つまり、機能ごとに連続配置したのです。この配置では、機能が同じ2室の間に魚雷攻撃を受けたときは、両側2室とも浸水し、ボイラーあるいはタービンの機能は完全に失われます。つまり動力系が停止し、艦は動けなくなります。これに対して、米国の駆逐艦はタービン室、ボイラー室、タービン室、ボイラー室と交互に配置していたため、どこかの2室が浸水してもどこかは残るので、動力は低下するものの艦は動くことができたのです。その差は生死を分けるものでした。コストを考えれば、日本の駆逐艦のように区画ごとに機能をまとめるほうが、工事は容易で費用も安くすみました。機能を互い違いにすると、どうしても工程が煩雑になるからです。しかし米国の設計思想はそもそも、損傷したときにいかに被害を小さく抑えるかというダメージコントロールを重視していました。この違いが結果的に、太平洋戦争での1等駆逐艦の沈没数が日本は128隻、米国は71隻という差となって現れたのです。

駆逐艦は見直されたが…
太平洋戦争における海軍の基本戦略は「アウトレンジ作戦」でした。国力が違いすぎる米軍とは四つには組まず、前哨戦で戦力をできるだけ削ってから艦隊決戦に持ち込み、リーチの長い大型戦艦で遠くから決定打を放つという構想です。大和が建造されたのは、そのためでした。
ところが、大和の周囲を固めるべき巡洋艦や空母、駆逐艦などが欠陥によって次々と沈められ、艦隊決戦を挑む前に艦隊の編制が難しくなっていったのです。1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦は、敗色濃厚となった終戦前年にようやく訪れた、艦隊決戦の機会でした。しかし結局は、武蔵ほか戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦9隻、空母4隻が沈没し、帝国海軍はこれをもって事実上、壊滅しました。さきほど表に掲げたように重巡洋艦では「愛宕」「摩耶」「鳥海」「筑摩」の沈没と、「妙高」「那智」「熊野」「青葉」「高雄」の航行不能は、縦隔壁が原因と思われます。大和はついに艦隊決戦を戦うことが不可能となり、ここに海軍の基本戦略は完全に潰え去ったのです。

じつは、その少し前に、駆逐艦はあまりにも沈没が多いことから遅まきながら設計が見直され、米国のようにボイラー室とタービン室を交互に配置した松型駆逐艦がつくられました。コストを切りつめた二級品でしたが、魚雷攻撃への耐性はかなり高くなり、「これで生きて帰れる」と乗員には好評だったようです。巡洋艦にも欠陥があることに、誰も気づいていなかったとは考えにくいところです。しかし、「神様」が入れた縦隔壁が撤去されることはありませんでした。私はあの戦争には、こうしたことがいくつも積み重なっていたような気がしてなりません。そして、同じようなことは戦後75年以上たったいまも、あちこちで起きているように思われるのです。(播田 安弘)


帝国海軍の軍艦はボカスカ沈められたと言う。その理由は当時の艦艇が防御力よりも攻撃力を重視して設計されていたとか、記事にも書かれているように縦隔壁による復元性の喪失とか、機関のシフト配置とか、対空、対潜兵器が劣っていたとか、いろいろ理由があると思うが、何と言っても米軍の圧倒的な航空攻撃がその主な原因だろう。開戦からガダルカナル攻防戦が終了するころまでは日米双方の艦艇喪失はほぼ拮抗しているが、それ以降は圧倒的な米軍の航空攻撃で日本の艦艇はまさにボカスカ撃沈されている。戦艦大和・武蔵が戦争前半期にほとんど活躍しなかったのは両艦がそれぞれ連合艦隊旗艦で局地戦などに出撃できなかったこともあるが、一番の理由は動かすと大量の油を消費することが原因だった。マリアナ沖海戦以降は制空権を取られた日本艦隊は米軍の航空攻撃でいいように叩きのめされた。大和にしてもあれほどの航空攻撃を受けることは想定して設計はされていなかった。魚雷1本が命中しても5分以内に戦列に復帰でき、2,3発が命中しても帰港できるという程度の防御だった。それが武蔵は魚雷20本以上、爆弾10数発以上、大和も魚雷10本以上。爆弾数発以上という驚異的な抗堪性を発揮した。空母も脆弱と言うが、瑞鶴などは魚雷7本、爆弾多数という命中で沈没しているが、設計上は魚雷2本までは耐えられると言う程度だったそうだが、戦訓によって改造を重ねた結果だったそうだ。1万トン級の条約型重巡は攻撃力を重視しすぎて抗堪性はさほど高くはなかったようだ。条約で縛られていたので仕方がないが、こうした重巡よりも戦艦の方が攻撃力、抗堪性ともにはるかに高かったように思う。また日本の艦船はダメージコントロールも米国のそれに比べて劣っていたと言うが、航空攻撃でボカスカやられて最後にはかなりのレベルに達していたようだ。対米国戦争は五分に戦えるのは蓄積軍備が整っている2年間と言っていたが、全くその通りだった。圧倒的な戦力差の下では抗堪性もへったくれもない。小さな改善などで何とかなるようなレベルの話ではない。英国の戦艦プリンスオブウェールズは日本海軍の72機の陸攻の航空攻撃で5発の魚雷を受けて僚艦のレパルスと共に撃沈された。延べ1千機もの航空機による波状攻撃に耐えられる軍艦など当時の世界のどこにも存在しなかっただろう。大事なことは冷静に状況を認識して適切な判断を下せるかと言うことだろう。縦隔壁は問題があるのは戦訓で認識してはいたが、当時の海軍はもうそれを改善している余裕などなかったのだろう。良かれと思ってやったことが裏目に出ることはどこの国でもあることだ。日本が完膚なきまでに叩かれたのは状況判断を誤った結果で一つの技術を取り上げて云々してもあまり意味がないように思う、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2020/09/26 21:53:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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