三菱重工業製の空冷エンジンを搭載
1945(昭和20)年の2月1日は、川崎航空機(現・川崎重工業航空宇宙システムカンパニー)が開発した五式戦闘機(キ100)が初飛行したとされる日です。なお日付を巡っては、生みの親である土井武夫技師は2月1日を、初飛行で操縦を担当した坂井 菴少佐は2月11日を、それぞれ主張しています。
五式戦闘機は旧日本陸軍の単座戦闘機ですが、誕生は一風変わったものでした。三式戦闘機「飛燕」に搭載するはずだった液冷エンジン(川崎航空機製)の生産が間に合わず、機体だけ完成していたところに三菱重工業製の空冷エンジンを搭載したのです。いわば間に合わせといったところでした。
もともと「飛燕」をベースにした機体であるため、空冷エンジンを搭載すると頭でっかちになりました。これは飛行性能に悪影響を及ぼす重大な懸念でしたが、川崎航空機は持ちうる技術で丁寧にメカ的な処置を施し解決。加えて、液冷エンジンなら必要であった熱処理装置が空冷エンジンのため不要になり、機体の軽量化にも寄与しました。
また、この空冷エンジンは海軍の九九式艦上爆撃機や零式水上偵察機などに採用されたものの発展型でもあり、搭載実績があることから現場での整備性は良かったとされます。太平洋戦争末期、日に日に追いつめられる中にあって、「飛燕」のような運動性能を持ちつつ頑丈な戦闘機が完成したのです。計画変更からわずか4か月ほどのことでした。
量産体制に移行したいところでしたが、悪化する戦局の最中、各地の軍需工場は爆撃されるうえ物資も乏しく、思うように生産できません。結果的に400機弱の完成にとどまりますが、実戦では“少数精鋭ぶり”を発揮することとなります。日本本土に襲来するB-29爆撃機や、日本近海のアメリカ軍空母が発進させた艦上戦闘機、またある時には超高速を誇るP-51「マスタング」などと交戦。性能・防御力とも高いアメリカ機を相手に喪失機以上の撃墜数を記録することもあったといい、ほかの防空戦闘機が次々失われるなか、五式戦闘機の評価は高かったそうです。(乗りものニュース編集部)
五式戦はDB601エンジンの国産液冷エンジンハ140が不調でどうにもならないために安定した性能の三菱金星エンジンに換装した急造機であったが、安定した性能の金星エンジンで不調なく稼働率もよかったことから名機と言われる。しかし性能的には戦争後期の戦闘機としては平凡でこれと言って目立ったところはない。英国でも「特に見るべきものはないが、利用しうる最良の組み合わせが好結果を生むこともある」と言った皮肉めいたものであった。そんな機体がなぜ搭乗員から高い評価を受けたかと言えば、当時は四式戦や紫電改など新型機が登場していたが、エンジンの不調でカタログ性能が出ず、稼働率も低かったが、安定したエンジンに換装した五式戦は燃料と潤滑油を入れればいつでも動くと言われるほど稼働率が良く、カタログ性能を発揮することができたことが実戦部隊に好感されたのだろう。戦争を戦うにはカタログデータではなく実際の戦闘できちんと動いて持てる性能を発揮できることが大事なことである。性能は平凡であってもその性能を十二分に発揮でき、それなりの数を戦闘に投入できるということが何より重要なことだったのだろう。三菱の金星と言うエンジンは1500馬力を発揮できる安定したエンジンで当時の日本の実用戦闘機用エンジンとしては最高のものだった。ゼロ戦も戦争末期になって金星エンジンに換装した試作機ができたが、実戦には間に合わなかった。飛燕も早い時期に金星に換装しておけばソロモンを巡る戦闘で活躍できただろうし、ゼロ戦も昭和18年に52型が出たときに金星エンジンに換装しておけばもう少し第一線で活躍できただろう。それで戦局が変わるなどと言うことはあり得ないが、個々の局面で有利な戦闘ができただろう。残念なことではある、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/02/01 18:27:41 | |
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