戦艦を攻撃してくる敵航空機、この厄介な敵を迎撃するもうひとつの兵器が高角砲であった。その性能と問題点を浮き彫りにする。大和型戦艦には、当然ながら対空火器が備えられており、そのひとつの「主役」が、前回紹介した96式25mm機銃だった。しかし同機銃は近接対空射撃用のものであり、中距離対空射撃用としては、40口径89式12.7cm高角砲(こうかくほう)が装備されていた。
大和型に装備されたのは、40口径89式12.7cm高角砲A1型改3と称される、連装砲架に載せられたものだった。戦艦「大和」「武蔵」ともに、完成時には同砲を6基12門装備していたが、海戦の様相が洋上航空戦主体となったので、両艦ともに右舷と左舷の15.5cm副砲塔を撤去し、その跡に同高角砲6基12門を増設することとされた。ところが砲の生産が間に合わず、大和のみ増設され、武蔵では、代わりに25mm3連装機銃を増備したという(異説あり)。
大和型に搭載された40口径89式12.7cm高角砲A1型改3は、主砲射撃時の強烈な爆風を避けるために爆風楯を備えていたが、大和に増設された6基には、爆風楯の生産が間に合わなかった。そこで爆風を受けやすい位置の増設砲架に対して、既存の砲架の爆風楯を移設している。
40口径89式12.7cm高角砲は、カタログ上の値では1門当たり毎分14発が発射できることになっていたが、人力装填のため訓練次第で発射速度は速くも遅くもなり、しかも射撃時間が長くなると、装填手の疲労のせいで装填速度の低下が生じた。そのため、短時間の値では20発を撃ったケースも存在するが、公式の報告書では毎分12発と評され、現実的には7~8発程度だったようだ。
それよりも問題となったのは、対空時限信管の起爆タイミングの調定であった。敵機までの距離に基づいて信管の起爆時間を設定し、至近で炸裂させてその爆風や破片で撃墜破を目論むのが高角砲だが、信管調定器の精度が今ひとつだったという。この点、同じ12.7cmのアメリカ海軍の5インチ砲では、大戦中期以降のことだが、敵機に近づくと自動的に起爆するVT信管(レーダー信管)を備えており、信管調定器の必要がなく、かなり誤作動も生じたものの、概ね許容範囲の起爆精度が得られていた。
また、40口径89式12.7cm高角砲A1型改3は砲架の旋回と砲の俯仰のスピードが遅く、高速で飛行する敵機に追随できる迅速性に欠けるという点も、現場では問題視されていた。かような次第で、大和型における40口径89式12.7cm高角砲A1型改3の評価は、25mm機銃に比べてさほど高いものではなかった。
だがその一方で、大戦後期に建造された松型駆逐艦の主砲に採用された40口径89式12.7cm連装高角砲は、対水上・対空兼用の使い勝手のよい砲という評価を得ている。つまり同砲への評価は、使い方次第だったようだ。(白石 光)
89式40口径12.7センチ高角砲は半自動装てん装置や信管秒時自動調定装置を備えた当時としては極めて高度な機械的システムを有する高角砲だった。海軍は高角砲開発で苦労している陸軍にこの砲のノウハウをリースしている。そして太平洋戦争ではこの砲が各種艦艇に主力高角砲として装備された。ただ89式と言うように皇紀2589年制式で昭和7年に正式採用された砲だったので対象とした航空機は時速350キロほどのものだったと言うから太平洋戦争当時の時速500キロの航空機には対応が遅れたのかもしれない。その後は改良されてはいるが、レイテ沖海戦の戦訓では砲弾威力は十分だが、機動が遅くて高速機に対応できない。発射速度が遅くて弾幕を形成できないと言った戦訓が寄せられている。この高角砲の後継は98式10センチ連装高角砲でこの砲は秋月型駆逐艦や大鳳型空母に装備されたが、極めて高性能な高角砲で「この砲を片舷2群くらい装備して欲しい」という要求が多かったそうだ。大和型の後の信濃と4号艦には98式10センチ連装高角砲が装備される予定だったそうだ。米国のVT信管はずいぶん先進技術として喧伝されるが、それほどでもなかったと言う話もある。マリアナ沖海戦ではこのVT信管で多数の日本機が撃墜されたと言うが、実際には待ち構えていた米戦闘機群にほとんどが撃墜されていてVT信管で撃墜されたものは少数だったそうだ。またVT信管を装備した砲弾も20%ほどしか配備されていなかったそうだ。実際の勝利の要因は450機と言う日本側の倍以上の戦闘機の数と性能で圧倒したようだ。それでも日本が先端技術で欧米に遅れていたのは事実でそれはあらゆる分野に及んでいる。国力で劣り技術でも劣っている国が米国になどケンカを売ってはいけない、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/07/27 22:36:26 | |
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