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2022年09月29日 イイね!

トヨタ、マツダ、ロシアから全面撤退とか、・・(^。^)y-.。o○。

トヨタ、マツダ、ロシアから全面撤退とか、・・(^。^)y-.。o○。ロシア自動車産業の時計は再び止まってしまうかもしれない
トヨタがサンクトペテルブルクで車両生産を開始したのは2007年。乗用車だけでなく商用車(バンとマイクロバス)も生産してきた。2005年ごろのロシアは「経済好調のBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)」として注目され、将来は年間500万台を超える自動車市場になると期待されていた。トヨタの工場進出も、その期待感から実現した。

今回のトヨタの生産撤退は現地生産に必要な部品・資材の調達が「いつ正常に戻るか判断できない」点が最大の理由だ。日本や欧州からの輸入トヨタ車も含めて、新車の販売から全撤退する。残るのは修理とそのための部品供給だけだ。日産と三菱は現地生産を停止したままの状態。マツダはロシアのソラーズ社との合弁工場(ウラジオストク)での現地組立を終了することをロシア側と協議している。

日系自動車メーカーのロシア生産拠点は、いずれすべて閉鎖され、設備はそのままロシア政府のものになる可能性すら高くなってきた。大型のプレス機や溶接ロボットなどはすべて設置当時の最新鋭であり、まだ充分に使えるが、設備の撤収のほうがお金がかかるから、あらゆる設備はそのまま廃棄される。おそらく、撤去費用をロシア側に徴収され、ロシア側は国内企業に工場を売却するのではないだろうか。

マクドナルドなど外食産業の店舗もすべてロシア企業が「居抜き」で使っている。ロシア側にしてみれば「設備を置いて行きなさい」と言う必要もなく、日本の自動車メーカーから「人と資本」だけが消える。機械と建物はそのまま残る。サンクトペテルブルク市の要望でトヨタが作った橋や道路も残る。

それと、おそらくロシアの中古車輸入が増えるだろう。現在はVWグループやヒョンデ・キア・グループも生産を休止している。もし、全社が生産撤退となったら旧ソビエト国営企業しか残らない。金型や生産工具はすべて工場に残したままの撤退だろうから、いずれ同じ工場で生産再開できる可能性はある。しかし当面の商品がない。となれば中古車輸入だ。

トヨタはロシアでの修理と修理部品の供給は続けると発表した。だから、ロシアの業者が中古トヨタ車を輸入しても補修部品はある。かつてロシア政府が「右ハンドル車禁止」を強引に法制化したときも、極東ロシアの業者は日本から中古車を仕入れ、それを左ハンドルに作り直すビジネスで儲けた。そういう手間をかけても、走行5万km程度で手放された5年落ち(初回車検3年+継続車検2年)の日本車はすぐ売れる。

ロシアでの日本ブランド乗用車のシェアは、2020年実績で約16%。なかでもトヨタ「RAV4」、日産「キャシュカイ」、三菱「アウトランダー」といったSUVが人気だ。かつてトヨタ「ランドクルーザー70」、日産「パスファインダー」、三菱「パジェロ」で築いた信頼はいまも引き継がれている。

ロシアでは「日本は寒い国」だと思われているそうだ。この話は日本の商社マンや現地の自動車販売関係者からよく聞かされた。「寒い国、日本のクルマは信頼されている」と。それと、通貨の価値が安定しないロシアでは「景気が悪くなるとクルマが売れる」という現象がたびたび起きる。

「ルーブル紙幣の価値はどんどん下がるが、クルマの価値はそこまで下がらないし、外国車は市販価格が値上がりすれば中古車価格も値上がりし、買ったときよりも価値が上がることさえある。だから不景気の足音が聞こえてくると、クルマが売れる。現金を物に変えて持っていようという人が増える」

この話もずいぶん聞かされた。ロシアの自動車生産は2021年実績で156万台。かつて2012年のピーク時には223万台だったが、その後は増減を繰り返してきた。自動車販売のピークは2008年の322万台で、これも2013年からはほぼジリ貧の状態だ。

メーカー別のシェアは、販売総数163万1,163台(車両重量3.5トン以下)だった2020年の実績で首位が元国営のラダ、シェア21.06%(34.3万台)。2位は韓国・キアで12.37%(20.2万台)、3位も同じく韓国のヒョンデで10.01%(16.3万台)、4位ルノー7.87%(12.8万台)、5位フォルクスワーゲン(VW)6.14%(10.0万台)、6位スコダ(チェコのVW子会社)5.80%(9.5万台)、その次の7位がトヨタで5.62%(9.2万台)という順位である。

トヨタとレクサスを合計すると11万台を超え、5位のVWを抜くが、VWにアウディとスコダを加えたVWグループ合計では2位のキアを抜く。また、ルノー/ダチア、日産/インフィニティ/ダットサン、三菱の合計は2位のキアを3万台以上上回る。ロシアの自動車市場はヒョンデ・キア・グループ、ルノー・日産・三菱グループ、VWグループの大手3グループが年に合計80万台を売り過半数のシェアを握っている市場である。すでにロシア生産から撤退したルノーは、2022年上半期(1~6月)の連結決算で13億5,700万ユーロ(約1,800億円)の最終赤字を計上した。ルノーにとってロシアは、国別ではフランスに次ぐ売上を確保していただけに、撤退の影響は大きい。

ルノーの場合もトヨタ同様、半導体などの生産材が現地に届かないと言う理由で生産が止まっていた。しかし、ロシア撤退は5月に決めており、これはEU(欧州連合)加盟各国と歩調を合わせたロシア制裁という意味合いが強い。ルノーの経営には株主であるフランス政府が何かと首を突っ込んで来るから、これも仕方ない。

ウクライナ戦争がいつまで続くかはまったく予測もできない。ロシアの自動車普及率は2019年のOECDデータだと人口1,000人当たり365.78台。アメリカの813.17台に比べると半分以下だ。欧州諸国の多くは600台以上であり、旧東欧やベラルーシやラトビアもロシアを上回る。

ウクライナ現地から届く映像を見ていると、侵攻当初には多かった新しいキャブオーバー型のトラックはほとんどが破壊されたのか、最近は古い型のボンネット・トラックが圧倒的に多い。トラックはロシアメーカー製がほとんどだから、おそらく多くの工場で生産がストップしたままなのでは、と思う。

ルノーはロシア最大の自動車メーカー・ワズ(アフトワズ)の保有株式のうち68%をわずか1ルーブルで売却することを発表している。買い戻しオプション付きだが、プーチン政権が続く限りは買い戻すことはないだろう。ソビエト連邦崩壊とともに西側の資本と技術を入れて近代化が進んだロシア自動車産業だが、ふたたびその時計は止まってしまうかもしれない。(牧野 茂雄)


プースケの体制が崩壊するまではロシアには手を出さない方がいい。大統領令で理不尽なことでもなんでもすべて決まってしまうような国は危なくて仕方がない。さっさと引き上げた方がいい。工場なんて爆破してしまえばいいんだろうけどそれでは犯罪になってしまうし、今後のこともあるだろう。機械のソフトなんか初期化してしまうと言うのもありだろうけどまた新たに書き込めば使えるだろうし、ロシア国内でメンテの仕事を続けるとなるとあまり過激なことはできないだろう。撤退した西側企業の設備は全部取りで撤去費用まで徴収と言うなら濡れ手で粟だが、先々その付けが回ってくるだろう。せっかく西側の力を借りて育てようとしていた自国の経済をNATOがロシアを侵略するとか妄想を逞しくして狂気のウクライナ侵攻に走るなど狂気の沙汰ではある。とにかく先制独裁国家での商売はリスクが大き過ぎる。今のロシア、と言うか、プースケのやっていることを見ていると「毒食らわば皿まで」とか「死なばもろとも」みたいな印象で危ないことこの上ない。大やけどしないうちに手を引くのが最善かもしれない、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/10/01 22:38:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2022年09月29日 イイね!

日本の戦後戦車史に新たなページを加えた74式戦車、・・(^。^)y-.。o○。

日本の戦車もここまで来たかーと言わしめた「74式戦車」とは
日本の戦車には自衛隊員に「日本の戦車もここまで来たかー」といわせた74式戦車というものが存在します。どのような特徴があるのでしょうか。


「日本の戦車もここまで来たかー」。戦後国産2代目となる74式戦車が初めて登場したときに当時の自衛隊戦車乗員が抱いた第一印象だそうです。戦後初めて開発された61式戦車は戦前からの日本の戦車技術を継承しつつアメリカのなどの先進技術も取り入れた習作のような戦車でした。メーカーや自衛隊でも終戦後空白期間があった戦車の取り扱いの「勘」を取り戻す役割を果たしました。

61式から約10年後に完成した74式はゴツゴツしたどこか野暮ったい61式と比べても、滑らかな傾斜を多用した流麗な姿をしており、外見からでも進歩ぶりを伺わせるものでした。74式の開発は61式戦車が採用されて間もない1964年に始まりましたが、終戦後の空白期間もあって日本の戦車開発は世界と比べても一歩遅れており、設計陣の目標はこの遅れを取り戻すことです。

74式には当時主流の105mm砲を搭載し、油気圧サスペンションで車体を前後左右に傾ける姿勢制御機能、命中精度を上げる為射撃管制装置にレーザー測距儀、アナログ弾道計算コンピューターを導入するなど、中身も当時の最新技術を詰め込みました。61式で訓練してきた戦車乗員が「ここまで来たかー」と唸るだけのことはあったのです。

74式の外見上の特徴は滑らかな流線形です。でも普通のクルマのように空気抵抗を抑えるなんて意味ではありません。そこにはカッコ良さというよりもっと切実な事情がありました。戦車の装甲とそれを破ろうとする対戦車砲弾の関係はまさに盾と矛のシーソーゲームなのです。しかし、当時は対戦車砲弾の威力が装甲の防御力よりも強く、被弾即撃破という状況でした。そのため、74式も含めこの世代の戦車はやたら装甲を厚くして鈍重になるくらいなら、軽く機動力が発揮できる必要最低限の厚さとする傾向にありました。74式の装甲厚は第2次大戦中期に登場したドイツ軍パンター戦車と同じレベルとされています。この流線形はそれでも薄い装甲で何とか敵弾を食い止めようと「避弾経始」の考えが駆使された苦心のデザインなのです。「避弾経始」とは弾が傾斜した装甲に当たることで弾いたり、命中角度を浅くして装甲厚の効果が増すことを狙ったものです。

戦車隊には「初弾必中」というスローガンがあります。被弾即撃破という厳しい戦場では、先に敵戦車を発見し先に命中弾を与えた方が勝ちます。74式は初弾必中を最優先した戦車でした。射撃管制装置にレーザー測距儀、アナログ弾道計算コンピューターという当時の最先端技術はただ初弾必中を実現するためでした。姿勢制御装置も車体姿勢を出来るだけ水平にして精度を上げる意味もあり、訓練でも敵に見つかるより早く敵を見つけ、初弾必中を徹底的に叩き込まれました。

74式ではセミオートマチック化! 進化した戦車「74式」
61式で戦車操縦を覚えたという陸自OB氏によれば、74式で「ここまで来たかー」と実感したのが、61式では泣かされた変速操作のことでした。現在、クルマのトランスミッションはほとんどオートマチックですが、当時はマニュアルが普通でした。61式は当時の大型車と同じく完全なマニュアルで、シンクロ機構もないのでダブルクラッチという技が必要だったのです。変速レバーもやたら重く、操作のタイミングがズレると変速できないばかりか、ギアが鳴って変速レバーに手が弾かれて捻挫したり腕時計を壊してしまうこともあったそうです。それで61式の操縦手は変速レバーを操作する左手に腕時計をしなかったという話もあります。

それが74式ではセミオートマチックとなり、発進時にはクラッチを踏んでギヤを入れますが、走り出したらクラッチ操作は基本不要でアクセルを離して、変速レバーを入れるだけでギヤが入るようになり操縦手にも異次元的な進歩だったそうです。でも運転が簡単になったとはいっても、やはり雑に扱うと雑な反応が返って来たといいます。セミオートマチックでも変速時にアクセルの踏み込み加減を間違えると、2サイクルディーゼルエンジンは不完全燃焼して排気口から白煙を豪快に噴き出します。晴れ舞台となる駐屯地記念行事のパレードでくだんのOB氏はこれをやらかして会場一面が白煙に包まれて後で大目玉を食ったそうです。

74式の量産が始まる頃には次の新戦車の研究開発が始まり、1990年に90式戦車として制式化されますが、大きさや使い勝手から北海道中心に配備されたのみでしたので、74式が引き続き数的にも日本の主力戦車の地位にあり続けました。現在では10式戦車や16式機動戦闘車と交代して退役が進み数を減らしています。873両生産されたのですが現在では100両程度しか残っておらず数年以内に姿を消します。

10式戦車は74式戦車のサイズで90式の戦闘力を目指しました。16式機動戦闘車は日本の道路網を生かして高速移動できるタイヤ式戦闘車で74式戦車と同じ口径の主砲が装備されています。関係者に「ここまで来たかー」といわしめた74式戦車は戦後日本戦車のスタンダードになってきたのです。(月刊PANZER編集部)


74式戦車は戦後2台目の国産戦車で西側の第二世代105ミリ戦車砲装備の戦車よりも半歩遅れて世に出てきた分、レーザー測距儀と弾道コンピューターを組み合わせた照準装置や車体を前後左右に傾斜させることができる油圧サスペンションを装備するなど先進的なものがあったので2.5世代戦車などとも言われた。ただこの油圧懸架装置は初期には油が凍り付いたり抜けてしまったりとトラブルが多かったと言う。実戦を経験していない自衛隊の机上の理論で作られた戦車などとも言われた。それでも東西冷戦の真っただ中で毎年60両前後が生産されて最終的には900両近くが装備された。途中何度か改造が加えられたが、最も大きなものは暗視照準器を装備したもので一応正式化されて試作車両1両と実車4両が製作されたが、それ以上量産されることはなかった。改良した戦車を量産すると財務省が戦車の新規開発を認めなくなるからだそうだ。この74式改戦車は最後は駒門駐屯地で大型特殊車両免許取得のための教習車となっていた。61式戦車は戦後初の国産戦車で米国のM26を国内技術で開発したなどと言われ、操縦性や防御装甲などいろいろ問題があったようだが、74式戦車はそれはそれで問題があったものの世界の新型戦車に匹敵する戦車ではあった。ただ個人的には日本の戦車もここまで来たかと思ったのは90式戦車で、その理由は120ミリ滑空砲装備と複合装甲防御にあった。戦前戦中の日本戦車はどれも小型軽量小火力で米国のM4に蹂躙されていたが、90式は50トンの重量で複合装甲を備えた重防御戦車でその意味で「ここまで来たか」と思ったものである。74式の装甲は車体正面が傾斜分を考慮して120ミリ程度、砲塔前面で250ミリ程度と言うが、APFSDSやHEAT-MPなどで撃たれると装甲をいくら厚くしても無意味なので妥当なところだろう。この時代の米国以外の戦車はいずれも装甲よりも機動性で被弾を避けようとしていたようである。いずれにしても74式戦車は日本の戦車開発に一つの時代を作った戦車だろう。間もなくすべて退役するだろうが、実戦を経験することなく退役できるのは日本にとって幸運だろう、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/09/29 15:20:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2022年09月29日 イイね!

またやったか、玉川徹、性懲りもないやつ、・・(^。^)y-.。o○。

テレビ朝日の玉川徹氏が29日、コメンテーターを務める同局系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・午前8時)で28日の同番組での自身の発言を訂正し謝罪した。

司会の羽鳥慎一アナウンサーから「昨日のパネルコーナーで玉川さんが発言したことに対して玉川さんから」と促されると、玉川氏は「昨日のパネルコーナーの中で私が安倍元総理の国葬に電通が関与している、というふうにコメントしたんですけど、この発言は事実ではありませんでした。さらに電通はまったく関わっていないことがわかりました」とし「関係者のみなさま、視聴者のみなさんに訂正し謝罪します。申し訳ございませんでした」と頭を下げ謝罪した。

28日の同番組は27日に日本武道館で行われた安倍晋三元首相の国葬を特集。その中で玉川氏は国葬の進行、菅義偉前首相の弔辞などに関し「当然これ、電通が入ってますからね」とコメントしていた。

玉川氏は今月9日の同番組でも自民党の茂木敏充幹事長が8日に所属国会議員に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との接点確認を求めた調査結果を公表したことを報じた中で関連団体と関わった議員について旧統一教会と関係していることの認識がなかった議員が9割近くいたことに「何の団体かわからないで、そんな政党大丈夫かと思います」などと指摘し「あまり知らないで何でもいいから電報打つ、付き合うみたいなことだったらどうするんですか?そこに反社会勢力がいたらどうするんですか?そこに北朝鮮の人たちの作っている団体、そういうふうなのいたらどうするんですか?」などと疑問を投げかけた。

ただ、その後、「私のコメントで反社会的勢力と北朝鮮に関わる団体ということで2つ並べて話しちゃったんですけど、北朝鮮に関わる団体というのは、国会議員は正常な国交を持たない国の団体との関係について慎重にならなければいけないという意味で言ったんですけど、これ並べて話したので同列だっていうふうに受け止られかねないので、不適切だったと思います。すみませんでした」と頭を下げて謝罪していた。相次いだ自身の発言への謝罪にSNS上では「裏付けも何も無く憶測だけで言ってた」 「非常識に見苦しい言い訳」など厳しいコメントが書き込まれる事態となっている。(報知新聞社)


局の意向に沿うような意見をしっかりした確認もなく鬼の首を取ったように言いまくるからこういうことになる。MCの羽鳥アナウンサーの方がよほど頭がいい。玉川も辻元病だろうか。それともブーメラン食らい過ぎて思考が乱れまくっているんだろうか。テレビなどのマスメディアと言うのは影響が極めて大きい。そうした場での発言は事実は事実としてきちんと伝えたうえでそれについて個人の意見を述べるべきだろう。事実と個人の意見を混同してしまうととんでもないことになる。少なくとも日本を代表するマスメディアの局員でコメンテーターならそのくらいはしっかり理解すべきだろう。京都帝大を出ているんだろう。菅さんは安部ちゃんを心から盟友として信頼していたんだろう。弔辞を聞いていてそんな気がした、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/09/29 14:30:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2022年09月29日 イイね!

横断歩道で止まってくれた車両に会釈でお礼はいいことではないか、・・(^。^)y-.。o○。

横断歩道で止まってくれた車両に会釈でお礼はいいことではないか、・・(^。^)y-.。o○。信号機のない横断歩道で、車が止まってくれず渡ろうとしても渡れない。誰しも一度はこんな経験をしたことが、あるのではないでしょうか。時には悲惨な事故にもつながる、こんな場面を減らそうと、茨城県警が制作したのが…。

信号機のない横断歩道を渡る時は手を上げ、止まってくれたドライバーには会釈をするなどして感謝の意思を示そうと促すキャンペーンです。その名も「その手で合図!止まってくれてありがとう大作戦」が、ネット上で、なぜか物議を醸しているのです。

ネット上の声:「言いたいことは分からなくもないが、『感謝しよう』は違くないか…合図は大賛成」「『歩行者優先の原則』をドライバーに厳守させるのが先でしょうよ!!と強く強く言いたいです」

そもそも法律には、「歩行者優先」が定められていて、「感謝を求めるのはどうなのか、まず違反者を取り締まるべきでは」という意見が出ています。県警は、一体なぜ、このようなキャンペーンを行うことにしたのでしょうか?

JAFが去年行った調査によると、横断歩道を歩行者が渡ろうとする際、車の一時停止率が、茨城県は19%しかなく、全国42位の結果になりました。そこで、参考にしたのが、85%で1位となった長野県の取り組みでした。

長野県では、幼い時から横断する時に手を上げ、ドライバーに一礼する教育が推進されていて、運転する側になっても横断歩道の前での一時停止が習慣化しているといいます。茨城県警は、ドライバーへの指導や取り締まりは大前提だとしたうえで、キャンペーンの趣旨をこう説明しています。

茨城県警:「運転者が歩行者から感謝を示されれば優しい心が生まれ、歩行者への保護意識が向上することが目的。交通事故の未然防止を図りたい」(「グッド!モーニング」2022年9月29日放送分より・テレビ朝日)


横断歩道における歩行者優先と保護は法律で定められていてこれを遵守しなければ違反で摘発される。だからどんどん摘発すればいいというのも考え方だが、取り締まる側の人員にも限界があるし、やはり人と人との関係なので止まってくれたらちょっと挨拶くらいはいいのではないだろうか。横断歩道で止まってくれた車両にはちょっと手を上げて挨拶して歩道は小走りに駆け抜けることにしている。自分が運転しているときも横断歩道に人が立っていれば止まるようにしているが、当然だとばかりに悠然と闊歩されるとあまりいい気持ちはしない。車同士でも進路を譲ってもらったらいろいろな方法で「ありがとう」を伝えるだろう。「法律で決まっているんだから、・・。」と言われれば確かにそうだが、それでは何となく世の中が殺伐として来ないか。法の規定とは言っても横断歩道で止まってくれる車両の割合はそう多くはない。止まってくれた車両の運転手にちょっと会釈して感謝の意を示すのはいいことではないだろうか、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2022/09/29 13:50:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2022年09月29日 イイね!

連合艦隊旗艦とは、・・ヽ(^。^)ノ。

連合艦隊旗艦とは、・・ヽ(^。^)ノ。連合艦隊旗艦と言うと海軍創設以降最優秀艦が旗艦となってそれに連合艦隊司令長官が座乗して先頭に立って全艦隊を指揮して戦うというのが海軍のしきたりだった。これは英国海軍をまねたもので「指揮官先頭、単縦陣」と言うのが艦隊決戦の際の基準だった。だから日本海軍は太平洋戦争でも中盤以降までこれを守って開戦時の旗艦は戦艦長門、その後、連合艦隊旗艦は戦艦大和に移り、そしてさらに戦艦武蔵に移った。

こうして最優秀艦を旗艦にしてしまうと作戦全般の指揮をとらなければいけない旗艦はそうそう無闇に局地戦などに出張ることができなくなる。他に燃料の問題などもあったらしいが、当時の日本海軍で最高の火力と防御力を兼ね備えた2隻の戦艦はトラック島の泊地にくぎ付けになってしまった。

本来旗艦などと言うのは戦闘に参加すべきでもないし、むやみに動かずに作戦全般を指揮していればいいのだから司令部要員が乗艦できて通信設備の整った大型の客船でもいいし、陸上施設ならもっといい。米軍太平洋艦隊司令長官などはハワイの陸上から動かなかった。まあ大型の客船を改造した通信能力の高い船でも旗艦にして呉か横須賀で停泊して指揮をすればよかった。

宇垣参謀長の意見で連合艦隊司令部がラバウルに進出した際に山本五十六は「最高司令部がだんだん敵の最前線に引き付けられて行くのは好ましいことではないなあ」と不機嫌だったと言う。指揮官先頭が海軍の伝統だったにしても山本にすれば連合艦隊司令部などは横須賀においてそこで指揮をすればいいというところだったんだろう。

その後米軍に押し込まれて余裕がなくなると戦艦大和、武蔵と言う最有力の戦闘艦を旗艦などにして後方に下げて置く余裕がなくなって水雷戦隊の大型航空偵察巡洋艦として建造された軽巡大淀の格納庫を司令部スペースに改造してこれを連合艦隊旗艦としたが、その後すぐに連合艦隊司令部は船を捨てて日吉の慶応大学に移転してしまった。

日露戦争ころまでの単純な海戦で通信機能も限定的であれば「指揮官先頭」も勇ましくてよかったのかもしれないが、その後の第一次世界大戦、第二次世界大戦などになると戦場も広く複合的な戦闘様相になるので最上級司令部は通信設備の整った場所で多角的かつ複合的な戦闘に対応すべく指揮を執る方がよかった。そうすれば旗艦などと言って有力な戦闘艦を戦闘から外してしまわないでも済んだだろう。

太平洋戦争開戦時に連合艦隊司令部が通信設備の整った大型の客船か陸上に移っていれば戦艦大和、武蔵ももう少し戦闘に参加できたかもしれない。特にガダルカナル島争奪をめぐるソロモン海域での戦闘に参加できればその大火力と防御力を発揮できたかもしれないが、大き過ぎて使いにくかったかもしれない。しかしガダルカナル島のヘンダーソン飛行場砲撃を大和、武蔵にやらせてみたかった。

太平洋戦争の天王山はガダルカナル島争奪を中心としたソロモン海域での戦闘で日本が米国と戦力的に何とか五分に戦えるのはそこまでだった。だから旗艦だのなんだの言っていないで持てる有力艦はすべて投入すればよかった。その辺は米国の方が先を行っていただろう。で、もしもそうすれば勝てたかって、・・?そんなことはあり得ない。何をしても日本が太平洋戦争に勝つという目はなかった。ただ局地的にもうちょっと留飲を下げるような戦いができたかもしれないとその程度だろう。もしかしたらもっと負けていたかもしれない。何しろ国力が10対1以下では話にならない、・・(>_<)。


Posted at 2022/09/29 01:57:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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