先日信楽に行ってタヌキの置物を見たが、だいたいあのタヌキの置物はキン✕マ袋がむやみやたら大きい。たしか「平成タヌキ合戦」とか言うアニメでもタヌキを排除しに来た機動隊をキン✕マ袋でくるんだりキン✕マ袋を振り回して抵抗するなんて場面があったように思う。中身もデカいんだろうけどあれでぶん殴ったんじゃあ殴ったタヌキも痛くて悶え苦しむんじゃないか❔ 余計なことか、😅🎃😁🌀。歌にも「たんたんタヌキのキン✕マは風に吹かれてぶーらぶら」なんて歌詞があった。信楽タヌキの置物は明治になって何とか言う陶芸家が作ったそうだが、それが始まりかというと江戸時代の浮世絵に大きいキン✕マ袋を持ったタヌキが頻繁に登場するという。そのデカいキン✕マ袋を雨避けに使ったりキン✕マ袋にくるまって寝たりしている浮世絵があるのでどうも大きいキン✕マ袋を持ったタヌキの始まりは江戸時代らしい。江戸時代は平和でみんな暇だったそうだからタヌキに化かされただのキン✕マ袋がむやみやたらデカいだのと想像力がたくましかったのかもしれない。その大元というのが彫金師らしい。そのわけは金箔を作るのに少量の金をタヌキの革に包んで叩いて延ばすと8畳間くらいまで延びるそうだ。そこからタヌキのキン✕マ袋は8畳敷きなんて話が生まれたらしい。江戸時代の人々は暇に任せて様々与太噺を作る天才だったようだ。現実のタヌキのキン✕マは小指の先程度で非常に小さいそうだ。まあ8畳敷きもあったら動きにくくて自然界では外敵に捕食されてすぐに絶滅してしまうだろう🙅。ちなみにタヌキのペアはとても仲良し😃🍒😃で生涯一緒にいるそうだ。くっついては離れを繰り返す人間様よりよほどまともかもしれないが、人間様はそうして様々交雑して子孫を作っているからはびこっているのかもしれない。信楽タヌキさん、なかなかかわいらしい、\(^_^)/🙆🆗🎃🌃✨🌕️😅🌴。
新東名高速は開通してから10年以上になる。最初は御殿場から三ヶ日まででそこから東名高速に入った。その頃は東名高速の三ヶ日から豊田までは速度が60キロ、雨天は40キロ規制で「なんだ、こりゃ。愛知県警やりやがったな」的な感じだったが、3車線の広々とした新東名高速に比べて2車線で曲がりくねった東名高速は何だか貧相に思えた。新東名高速も最近は舗装の修復工事が頻繁ではある。開通直後はほとんど凹凸のない滑らかな路面に感動したが、最近は継ぎはぎ、凹凸、轍まで出来てさすがに大型貨物が走りまくる道路は舗装の痛みが早いのだろう。荷物満載だと30トン以上の貨物トラックが頻繁に走るんだから痛みもするだろう。新名神高速道路は開通4年目でまだ舗装はさほど痛んではいないが、すでに片側3車線工事が始まっている。最初から3車線で作ればいいのになあと思うが、予算や政治の問題があったのだろう。新東名高速道路も浜松いなさから豊田JCTまでは片側2車線だが、すぐに拡幅が必要になるだろう。今でも交通集中とかで渋滞🚗😠⚡している。今の道路に一車線を足すことは出来そうもないので東名高速大井松田~足柄SA間のように新たに道路を作ることになるんだろう。御殿場~新秦野間が完成したら始めるんだろうか。新東名高速、伊勢湾岸道、新名神高速道路は東名高速、名神高速に代わる日本の大動脈なのでこれからも発展していくだろう。第二東名高速計画とか言っていたが、まだまだ先だろうと思っていたらあっと言う間に出来上がった。これは海岸沿いを走る東名高速に対して地震対策の意味合いもあるんだろう。東名高速、名神高速と共に最近は頻繁に使用している新東名高速、伊勢湾岸道、新名神高速道路だが、新しいだけあって走りやすい沿線施設も充実している道路ではある、\(^_^)/🚗🙆🆗🎃😅🌴。
9月ももう終わり、でも暑い、☀️😵💦🥵😵💦。それで今日は86GRで信楽までタヌキの置物を見に来た。自宅から430キロを走ってたどり着いたけどタヌキの置物、どこにあるか分からん、😁🌀👋😞🎃😅。橋🌉の欄干にタヌキ様が鎮座していた。それでいいとしておこう。しかし86GR、本当に素晴らしいコーナリングマシンではある、\(^_^)/🙆🆗🎃😅🌴。箱根を越えて来たが、後ろに食い下がる奴がいるが、コーナリングで離れてしまう。直線でまた詰めて来るが、コーナーでまた離れる。車🚗が違うと気がつかんのかねえ、😁🌀👋😞🙅。別にアクセルなんか全く踏んでいないんだけどな、😁🌀\(^_^)/🙆🆗🎃😅🌴。高速はあまりかっ飛ばさないでゆるゆる走って来たが、加速性能も悪くはない。燃費はリッター16キロを超えている。一応スポーツカーだけどなかなかいい燃費ではある。今回もトイレ休憩くらいで走り通した。直進安定性も抜群なので疲れない。明日は360キロくらいでちょっと短いけどまあのんびり走ろう、\(^_^)/🙆🆗🎃😅🌴。何だか手放すのが惜しくなってきた、😁🌀👋😞🙅。86GR、素晴らしいスポーツカーではある、\(^_^)/🙆🆗🎃😁🌀😅🌴。
太平洋戦争当時の日本の各種技術は欧米のそれと比べてどうだったのだろうか。まず航空機だが、機体設計はさほど劣ってはいなかった。エンジンは周回遅れ、エンジンの高高度性能を維持する過給器は予選落ちで勝負にならずと言ったところだろう。ジェット機とジェットエンジンの開発については出力や耐久性、信頼性で劣っていたが、戦争末期の物資の不足や空襲による生産設備の破壊を考慮するとやむを得ないだろう。防弾については設計哲学の相違もあるが、燃料タンクの防弾を研究し始めたのは日米独とも一緒で英国が最後だそうだ。しかしガソリンで溶けない防弾ゴムの開発など化学的な分野は遅れていた。装備品の機銃は欧米製品のライセンスかコピー、無線機はこれも至近距離でないと全く聞こえず予選落ちと言ったところだろう。|
大型二輪に乗ろう(バイク用手袋はどんなものがいいだろう、‥(^。^)y-.。o○) カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2021/09/27 16:54:07 |
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