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2023年09月13日 イイね!

#9月に思うこと やっぱりエンジンがネックで登場も遅すぎた日本海軍魚雷艇、・・(◎_◎;)。

#9月に思うこと やっぱりエンジンがネックで登場も遅すぎた日本海軍魚雷艇、・・(◎_◎;)。欧米では魚雷艇の研究、建造が行われていたことから日本海軍も1930年代後半に魚雷艇の試作に着手した。主に英国やイタリアの魚雷艇を購入して研究し、1942年に魚雷艇1号を6隻建造した。しかしその頃には米軍はPTボートという魚雷艇を大量に建造してソロモン諸島方面に投入、日本軍の海上輸送路を脅かしていた。日本海軍はその対応に苦心して大発に機銃を装備したり陸軍から借用した対戦車砲を載せて対抗したが、速力が40ノットと8ノットでは話にならず被害が増加した。日本海軍は魚雷艇を大量建造しようとしたが、問題はエンジンで当時の日本には小型軽量高出力のエンジンがなかった。そこで目をつけたのが旧式化した航空機から取り外した中古エンジンでこれを片っ端から搭載したが、多種多様なエンジンを搭載した上にエンジン自体の性能にもバラつきがあり艇の性能もまちまちで高速が出ないものもありそのような艇は雑役艇に編入された。また米軍の魚雷艇駆逐と味方輸送艇防護のために魚雷を搭載せずに機銃を増備した艇も作られた。しかしいずれにしてもしりに火がついてからの付け焼刃で慌てて高速艇を建造したが、例によってエンジンのトラブルが響いて日本海軍の高速艇は機能しなかった。結局西太平洋における日米の艦隊決戦思想に囚われてそれに向けた海軍を建造してきたので島嶼部で小型高速艇で戦闘するなどということには考えが到らなかった。小沢治三郎でさえ部下に「予算が余っているので魚雷艇でも作ってみましょうか」と具申されたが、「そんなもの役になんか立つものか」と言下に否定している。結局高速艇の建造に不慣れだったことや適当なエンジンがなかったことなどここでもエンジンで足を引っ張られている。それでも海軍水雷学校に魚雷艇部(のちに水雷学校分校)を設置して乗員の養成に努めてはいるが、乗員は震洋艇の要員となったのだろう。またエンジンもパワーウエイトレシオでは世界トップクラスの2ストロークディーゼルエンジンが開発されたが、これも例によって戦争には間に合わなかった。もう少し早めに計画しておけばいいのだが、貧乏海軍ではあっちもこっちもと言うようなわけにはいかなかったのだろう。小舟で島伝いに輸送などその時点で兵站補給が崩壊しているが、その小舟を守るために速力25ノットから30ノット程度、武装は25ミリ機銃1門、13ミリ機銃2門程度の中速艇が何隻かついていればPTボートの攻撃をある程度は防げただろう。でも日本軍て何時も遅いんだよな、・・(◎_◎;)。
Posted at 2023/09/13 13:03:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2023年09月13日 イイね!

艦隊防空に特化した秋月型防空駆逐艦、\(^_^)/。

艦隊防空に特化した秋月型防空駆逐艦、\(^_^)/。1930年代になって航空機の性能が劇的に進歩して艦船にとって無視できない脅威になってくると英国は旧式巡洋艦の主砲や魚雷をすべて撤去して高角砲10門を搭載したダイドー級防空巡洋艦を建造、米国も12.7センチ高角砲12門を搭載したアトランタ型防空巡洋艦を建造した。日本海軍は旧式巡洋艦を改装する予定だったが、水雷戦重視の思想から中止となり1939年に高角砲8門、速力35ノット、航続距離18ノットで1万海里の防空艦建造が決まった。しかしこれでは排水量が4千トンを超えることから速力33ノット、航続距離18ノットで8千海里として艦形の小型化を図ったが、魚雷バカの日本海軍はこの時点で4連装魚雷発射管1基に予備魚雷4本を搭載することにして艦種は駆逐艦と決まった。それでも満載排水量は3800トンと4千トンに近かった。この艦の肝は98式長10センチ連装高角砲でこの砲は日本海軍の主力高角砲の40口径12.7センチ連装高角砲と比較すると最大射程も最大射高も1.4倍以上で最大射程は19500メートル、最大射高は14700メートルで砲自体は極めて優秀な砲だったが、光学照準装置だけでレーダーと連動した射撃指揮装置がなかったので射撃の精度は操作員の能力に頼っていた。後日レーダーが装備されると来襲する敵機の方位、距離、機数が分かるようになって対空戦闘には必須の装備となった。94式射撃指揮装置は2基装備される予定だったが、最後まで1基しか装備されず同時に2目標を射撃することはできなかった。一番艦秋月は1942年6月に竣工、以降11隻が完成している。秋月は完成するとソロモン諸島方面の輸送作戦に投入され、自慢の主砲でB17爆撃機1機を撃墜するなどしたが、魚雷を受けて大破、エンガノ岬沖海戦で沈没した。二番艦照月はソロモン諸島方面で沈没、三番艦涼月はソロモン諸島方面で被雷、修理後大和と沖縄に向かうが、大破、後進で佐世保に帰港、そのまま防空砲台として終戦を迎える。初月はマリアナ沖海戦に参加、次のエンガノ岬沖海戦で沈没艦の乗員救助中に米重巡洋艦3隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦12隻と遭遇、2時間の砲戦の後に撃沈されたが、味方艦が退却する時間をかせいだ。新月はソロモン諸島方面で輸送作戦従事中米艦と交戦沈没、若月はソロモン諸島方面の輸送作戦などに従事、マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦を生き抜いたが、レイテ島輸送作戦で沈没、霜月はマリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦を生き抜いたが、その後レイテ方面に移動中、米潜水艦の雷撃で沈没、冬月は戦艦大和とともに沖縄に出撃、その後は門司で防空砲台として使用され戦後解体、船体は涼月とともに若松港の防波堤に利用された。春月、宵月、夏月、満月、花月は竣工したが、戦闘に参加することなく戦後は復員艦として利用されるなどした後に賠償艦として戦勝国に引き渡されあるいは解体された。これ以降の艦は建造中止となった。秋月型防空駆逐艦は戦時中の建造で竣工と同時に戦線に投入され数が揃わないまま完全な戦隊を組むことなく戦没して行った。後期竣工艦はすでに連合艦隊は壊滅して活躍の場はなかった。しかし背負式に4基の砲塔を備えた艦形はなかなか重厚で駆逐艦とは思えない艦容ではある。この艦が数が揃って戦隊を組んで空母の護衛として活動したらそれなりに成果を挙げたかもしれない。エンガノ岬沖海戦で米巡洋艦群と砲戦を交えて撃沈された初月を米軍は阿賀野型軽巡洋艦と認識していたようだが、それもやむを得ないような艦形ではある。日本海軍はこの防空駆逐艦の大量建造を計画していたようだが、それは正しい決断だったと思う。まとまった数があれば防空の任務をよく果たしたと思う、\(^_^)/🙆🆗🎃😅。
Posted at 2023/09/13 13:01:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2023年09月13日 イイね!

日本海軍が使用した96式25ミリ機銃、\(^_^)/。

日本海軍が使用した96式25ミリ機銃、\(^_^)/。日本海軍は近接防御火器に25ミリ機銃を使用した。その生産数は3万丁以上、特に米軍の航空戦力が急増した1944年には2万丁を生産している。海軍は近接防御火器として英国ビッカース社の40ミリ機銃や7.7ミリ機銃を使用していたが、威力不足や弾道特性が悪く故障が多いなどの理由でこれらに代わる機銃を求めていたところフランスホチキス社製の25ミリ機銃に着目、これを改良して対空火器として使用した。この機銃は戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦などの戦闘艦艇から輸送船、タンカー、特務艦艇、魚雷艇、監視艇、地上施設の防御火器としてまでありとあらゆる艦艇に搭載、あるいは施設防御に活用された。弾薬の給弾方式は15
発入りの箱形弾倉を差し込んで行い、発射速度は毎分220発程度で初速は900メートル/毎秒、有効射程は公称4千メートルというが、実際には1500メートル程度だったという。装備方式は単装、連装、3連装で基本は連装だが、戦争後期には3連装と単装が併用された。3連装は重量が架台を含めて3トン近くあり人力で取り回すには問題があったというし、航空機の動きに追従できなかったようだが、艦艇装備の場合は電動で駆動していたようだ。単装は1名で運用出来て航空機の動きにも追従できたようだ。この機銃の欠点は弾倉の装弾数が少ないことと威力不足というが、装弾数はともかく25ミリの大口径機銃で威力不足はあり得ない。有効射程の問題でそう言われたのだろうが、投弾前の敵機には当たらなかったという話もあった。また米軍の航空機に当たっても弾が弾かれたというが、戦車ではあるまいし、航空機にそんなことはあり得ない。有効射程を超えた威力のなくなった弾が弾かれたのだろう。エンガノ岬沖海戦で空母瑞鶴の25ミリ機銃が来襲した米軍機を撃墜した場面が映像で残っている。ただ確かに当たっているのだが、なかなか墜ちないという戦訓は米軍機が予想以上に頑丈だったからだろう。海軍は12.7センチ高角砲とこの25ミリ機銃で対空戦闘を戦ったが、米軍のように間に40ミリ機銃のような中口径機銃を入れた方がよかったかもしれない。しかし当時の日本は機銃のような精密銃器の設計製作は欧米に比べて劣っていて開戦前に適当な機銃を入手しないと間に合わなかっただろうし、仮に中口径機銃があったとしても戦争後半の米軍の怒涛のような航空攻撃には焼け石に水だっただろう。それでも撃つ側はともかく撃たれる側には自分に向かって飛んでくる機銃弾はずいぶん恐ろしかったという。威力の有り無しにかかわらず撃たれる側には「嫌な機銃」だったのだろう。この機銃は陸上でも対空機銃としてだけでなく地上戦にも使われたそうだが、水平に射撃すると米軍の軽装甲車両などは簡単に撃破したそうで米軍に恐れられたそうだ。それを見ても威力不足というのは違うだろう。この機銃には機銃員を守る防弾装置がなく戦闘では機銃員の死傷が多くそのために土嚢、マントレット、防弾板などが弾避けとして有効だったという。この機銃、本家のフランスでは発射速度が遅すぎるとして使用されずルーマニアとスペインに少数が輸出されただけでライセンスを購入して大量に使用したのは日本だけだったという、😁🌀😨🎃😅。


Posted at 2023/09/13 13:00:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2023年09月10日 イイね!

過給機の話。欧米と日本の過給機はどうだったのか、・・(◎_◎;)。

過給機の話。欧米と日本の過給機はどうだったのか、・・(◎_◎;)。高高度になると空気が薄くなって酸素の量が減少するのでエンジン出力が下がるのは当然ではある。空気を圧縮して酸素密度を高めてエンジンの高高度性能を維持する装置を過給機と言う。過給機には排気を利用する排気タービンとエンジンの出力を利用して空気を圧縮するスーパーチャージャーがある。これ以外にエンジンのシリンダー内部に水メタノールを噴射して爆発力を高める方法などがあるが、エンジンとのマッチングがなかなか難しいと言う。米国は主に排気タービン過給器を多用した。英国はスーパーチャージャーを二段にして対応した。ドイツは水メタノール噴射装置を使用したようだ。日本は基本的にスーパーチャージャー、そして一部に水メタノール噴射、排気タービン過給器は試験的に装着した程度で実用化はされなかった。スーパーチャージャーは日本の場合1段2速過給機で高度が上がると容量不足だった。2段2速過給機は戦前欧米などでその例を見ていなかったので実用化できなかったとか。排気タービン過給器は排気の高温に耐える耐熱鋼が入手できずまたタービン軸の強度不足や冷却用のオイル漏れなどの問題を克服できなかったようだ。当時の日本の冶金技術にも問題があったのかもしれない。またインタークーラーの装備を忘れていたのでせっかく圧縮した空気も高温でエンジンが異常燃焼を起こすなどの問題もあったようだ。それであれこれやっても故障ばかりで結局実用にはならなかった。排気タービンの装備位置を下げて排気温度を下げるなどの試みもしたが、結局間に合わなかった。またシステム重量が増してエンジンのパワーアップ分と相殺なんてこともあったそうだ。スーパーチャージャーも2段にするという例を見ていなかったことがネックとなりドイツなどのエンジンを見習って流体継ぎ手、今風に言えばビスカスカップリングのようなものか、による2段過給機を作ろうとしたが技術的に流体継ぎ手の製作がうまくできずに失敗した。結局ハイオクガソリンの入手困難からドイツや日本では水メタノール噴射で気筒温度を下げて爆発力を高める水メタノール噴射が盛んに行われた。しかしこれはエンジンとのマッチングの問題もあり三菱の金星や火星ではうまく行って問題も少なかったが、中島の栄や誉は全くダメで軍も技術者も手を焼いたと言う。一方で陸軍では隼に栄31型の小改良型のハ115Ⅱでは性能が向上したと言うので海軍の整備がいいとか悪いとかそういう問題ではなく微妙な調整の問題なのかもしれない。結局太平洋戦争当時、特に後半の日本陸海軍は高出力エンジンの開発もダメ、過給機などの出力増強装置もダメで万事休した。しかし誉などもきちんと整備すれば100%稼働できたと言うが、これは定期的なエンジンの整備基準を決めて整備を行った結果だそうだが、実際には100%ではなかったという話もある。当時は一応マニュアルはあったが、ほとんど整備は整備員の経験と勘に頼っていたと言うのでなかなかうまく行かない面もあったのだろう。本土の部隊であればないとは言っても交換部品や補給品は少しは余裕があったんだろうが、外地ではそうもいかなかっただろう。そんなこんなで太平洋戦争中はモノにならなかった過給器だが、現在は三菱重工とIHIで世界シェアの20%程度を確保しているようだ。米国はボルグワーナーとギャレットで60%ほどなのでやはり米国はターボチャージャー王国ではある、・・(^。^)y-.。o○。

Posted at 2023/09/10 21:53:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2023年09月10日 イイね!

FIA世界耐久選手権(WEC)第6戦富士6時間レース、トヨタが1‐2、・・(^_-)-☆。

FIA世界耐久選手権(WEC)第6戦富士6時間レース、トヨタが1‐2、・・(^_-)-☆。FIA世界耐久選手権(WEC)第6戦富士6時間レースの決勝は、ポルシェ6号車との熱戦を制し、トヨタ7号車が優勝。8号車も2位に入り、トヨタが母国でワンツーフィニッシュを決めた。多くのマシンがランオフエリアに飛び出す波乱のスタートで幕を開けた6時間のレース。ターン1で首位に立ったポルシェ6号車に対し、トヨタ7号車は最大20秒ほどまで開いたギャップを少しずつ削り取っていった。



レース折り返しとなる3時間が経過した時点で、2台の差はごくわずか。ポルシェ6号車のケビン・エストレが粘りの走りを見せる一方、トヨタ7号車のホセ・マリア・ロペスは慎重にそれを追った。3番手のトヨタ8号車は、なかなかトップ2台とのギャップを縮められずにいたが、レース中盤を担当し機を伺っていた平川亮が、トップ争いが膠着する間に一気に迫っていった。

レース残り時間が2時間30分を切る頃には、トヨタ8号車も完全に追いつき、トップ3が0.5秒間隔の三つ巴状態となるが、他クラスの車両を巧みに使いながらポルシェ6号車が首位をキープ。トヨタ7号車も徐々にタイヤが厳しくなり、挙動を乱して8号車が前に出かけるシーンもあった。ポルシェ6号車に抑え込まれ7号車のタイヤが苦しくなったこともあり、トヨタは2台のポジションを入れ替えた。8号車の平川は一気に6号車に接近すると、ダンロップコーナーでインに飛び込み、ズバッと一発でオーバーテイクを決めた。レース開始から4時間が経とうというところで、トヨタがこのレースで初めて首位に立った。 首位陥落したポルシェ6号車はそのままピットイン。アンドレ・ロッテラーに後を託した。トヨタの2台もその後ピットインし、首位8号車にはブレンドン・ハートレー、7号車には小林可夢偉が乗り込んだ。

その後ハイパーカークラス9番手を走っていたキャデラック2号車の左フロントタイヤが外れてしまうという危険なアクシデントが発生したものの、幸い大事には至らず。2号車はなんとか自走してピットに戻ったが、ピットでの修復を強いられた。
トップに立ったトヨタ8号車だが、マシンバランスが苦しいことからトヨタは7号車とのポジションを再度入れ替えることを決断、フィニッシュを目指した。

サーキット上空には厚い雲が接近したものの、結局雨が降らないままレースは終了。小林が乗って以降は快調にトップをひた走ったトヨタ7号車は、僚友8号車に38秒差をつけてトップチェッカーを受けた。今回のレースもう1台の主役、ポルシェ6号車は3位。8号車からおよそ10秒遅れでチェッカーを受けている。フェラーリの2台は1周遅れでのフィニッシュ。50号車が4位、タイトルを争う51号車はペースが上がらず5位に終わった。この結果、トヨタはフェラーリに40ポイント差をつけたことで最終戦を待たずにマニュファクチャラーズタイトル獲得を決めた。6位にはポルシェカスタマーのハーツ・チームJOTA38号車。プジョー勢が7、8位に入っている。

LMP2クラスはレース序盤からユナイテッド・オートスポーツ22号車が首位を走ったが、ポイントリーダーのチームWRT41号車がユナイテッド・オートスポーツのワンツー体制に割って入ると、終盤に41号車のロバート・クビサが23号車をオーバーテイク。クラスチャンピオンを大きく手繰り寄せる優勝を飾った。

LM-GTE Amクラスは、すでにチャンピオン獲得を決めているコルベット33号車が圧倒的な強さを発揮。他車との接触で30秒のストップ&ゴーペナルティを受けながらも追い上げて首位を走っていたが、他車を押し出したとしてさらに10秒のタイム加算ペナルティを受けてトップから陥落、3位でのフィニッシュとなった。週末を通じて速さを見せていたAFコルセ54号車フェラーリが代わって首位に浮上、クラス優勝を達成した。ケッセル・レーシング57号車は他車からの追突を受けて途中スピンしながらも、追い上げて表彰台争いを展開した。フィニッシュまでの2時間をWEC決勝デビューとなる宮田莉朋に託すと、宮田は54号車のプラチナドライバーであるダビデ・リゴンと遜色ないタイムをマークする素晴らしい走りを披露。最後は54号車に差をつけられたものの、見事に2位フィニッシュを果たした。星野敏と藤井誠暢が乗るDステーション・レーシング777号車アストンマーチンは一時クラス首位を走ったものの、最終的にクラス10位。小泉洋史とケイ・コッツォリーノが今回ドライバーを務めたAFコルセ21号車はクラス12位でレースを終えている。(松本和己)


ポールとか言っても何時も最初はフェラーリやらポルシェやらが食い込んできてトップを取られる。どこのチームも必死だから紙一重のところを狙ってくるんだろう。でもやはり速さではトヨタが断然上でフェラーリ2台をかわしてポルシェを追いかける。WECでいいところのないポルシェもトップを死守しようとする。しかしやはりトヨタが速い。4時間後に8号車が首位に、その後はチームオーダーなのか7号車が首位にそのまま1‐2でゴールした。GR010は速い。あのヨーロッパ勢を勝たせようとするおかしなBopさえなければ今年のルマンは間違いなくトヨタが勝っただろう。これで今シーズンのコンストラクターズタイトルはトヨタに決まった。トヨタ速い。20年ルマンで勝てなかったトヨタだが、すっかり勝ち方を身に着けたようだ。フェラーリもポルシェもトヨタの前には跪くしかないだろう。でも来年はBMWやランボルギーニなど新勢力も参戦すると言うしポルシェやフェラーリなど既存のチームも力をつけてくるだろう。どこも打倒トヨタで挑んでくるだろう。どんな戦いになるか楽しみではある、・・(^_-)-☆。
Posted at 2023/09/10 18:11:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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