
3つ目のブログは近代の大阪の史跡戦跡についてです。
NHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」で太平洋戦争時に大阪も大空襲の被害にあうシーンがありましたが大阪に住んでいる者としてあまり実感の無いシーンでした。
大阪は古墳時代、難波宮の建てられた飛鳥時代など、京都や奈良に負けないくらい古い都の歴史をもつまちですが、観光に来た方をご案内できるのはUSJや海遊館などの新しい施設ばかりです。市内にはお寺もたくさんあるのですが、コンクリート製の建物ばかりが目立ちます。その理由はアメリカ軍によって大阪のまちはすべて焼きつくされたからだったようです。
明治維新の頃に徳川慶喜が脱出する際に燃えてしまった後、大阪城とその周辺は明治以降日本の軍の施設と軍需工場の立ち並ぶ場所になりました。アメリカ軍が重点的に攻撃したのもそれが理由です。
大阪城は地理的軍事的にそれだけ優れていたのでしょうか・・・。
京橋の近くにある大正の頃に建てられた旧大阪砲兵工廠化学分析場は戦後一時自衛隊が使用していましたが、今は廃墟のまま放置されています。
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日本軍砲兵工廠守衛詰所 posted by
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日中戦争の際に日本が略奪した?明時代の狛犬なんてのもありました。
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秀頼、淀君ら自刃の地の脇にも謎めいた階段があります。今もなんの説明もなく閉鎖されていますがおそらく軍の利便性のために石垣に階段をつけたのでしょうか。これは歴史文化財ではなく、軍事用城塞として実用されていたことが伺えます。
謎の階段 posted by
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昭和の初め頃にコンクリート製の大阪城天守閣が建てられますが、しかし何故かお城のすぐ横に同時に軍の指令部の建物が建てられ、戦後の今もそれは存在しています。全国色んな所に天守閣はありますが日本軍の施設と一緒になっているところは他にあるのでしょうか?そして今はこちらも使用されず閉鎖されています。いまだここも「戦後」のまま。戦争遺産として平和目的に扱われる日はいまだ未定のようです。
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写真ではわかりにくいので撮りませんでしたが、大阪城の石垣のあちこちにアメリカ軍の銃弾の跡や爆撃の跡が見られます。今後この大阪城は豊臣の史跡の部分だけを発掘して残し、徳川期から第二次世界大戦の戦跡や傷あとはすべて無かったことにして潰してしまうのでしょうか。古い戦争でも新しい戦争でも悲惨さに変わりはないはずですよ。
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この後は大阪で唯一大阪大空襲のことを展示しているという「ピースおおさか」に行きました。ここは平成3年に大阪府と大阪市が出資して建てられた戦争博物館です。
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アメリカ軍が空を覆うように何百ものB29から大量の1トン爆弾と焼夷弾を火の雨が降るように撒き散らし、一度の空襲で大阪のまちはそのほとんどが焼けたようです。奈良からは西の空が真っ赤に見えるくらいの業火だったそうで焼け残った建物は高島屋と歌舞伎座、大丸くらいになってしまいました。
今、同じようにある日空を見上げたら爆撃機がいっぱいということが起きたら、誰もが絶体絶命を感じることでしょう。戦争というのは、国と国が戦うということは、いかに恐ろしいことかよくわかりました。
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アメリカ軍は渦巻状に外から火災を起こし、徐々に中心部に追い詰める作戦をとっていたようで、おそらく大阪の中心部にいるすべての人間を殺そうとしたのです。今は非戦闘員を攻撃するとダメとかいいますが、当時は関係なかったのでしょう。当時大阪市200万人の人口のうち100万人が被害を受け、1万人以上が虐殺されたのです。
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アメリカはこんなビラを空中から散布し、大阪からの脱出避難を呼びかけていたようです。爆撃予告をした上で残っている人は非戦闘員ではないという解釈をしているのはこのビラがあるからでしょう。
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館内には戦災者名簿が置かれていました。私と同じ姓を探すと12人も犠牲になっており、もしかしたら遠い親戚がアメリカ人に殺されたのかと思うと胸がつまりました。
このような大規模な殺戮と虐殺に対する慰霊碑は、京橋駅南口に京橋駅空襲の際の慰霊碑があるだけだそうで、これも個人が建てられたものだそうです。戦争の恐ろしさやアメリカ軍の虐殺を忘れないためにも、大阪府には大阪大空襲被災者すべてを慰霊する施設を大阪城公園内に建てていただきたいものです。そして政府、大阪府主催で毎年追悼式典を行うことで、犠牲者を追悼し平和を祈念することができるのではないでしょうか。
東京都には墨田区に東京大空襲の慰霊堂があり、今年も3/10に秋篠宮殿下ご夫妻や東京都知事が参列されたそうです。
大阪大空襲のことを説明するAゾーンですが、最初にこの説明が眼に入るように展示されています。
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日本国は・・・ではなく「日本国民は・・・アジア太平洋地域の人々に多大な損害を与えました。」で始まります。そして「わたくしたちは・・・世界の恒久平和達成のために努力を積み重ねていかねばなりません。」と結びます。英訳も「Japanese people were・・・」であり、わたくしたちはのくだりも「each one of us must・・・」とあり、現在の私たち日本人が戦争を起こした国民で現在の日本人が平和への努力をしなければならない。戦争責任の一部を負わなくてはならない。というものです。
Bゾーンには戦争当時日本の犯した罪を断罪する内容ばかりとなります。その視点は朝鮮人や中国人のもので、とても日本人の建てた施設で、日本人が書いたものとは思えないものばかりです。
例えばこの説明
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もちろん被害者の視点に立つことも大事なことですがそればかりだと、戦時中日本がなぜそのような政策をとったのかの説明が不十分で、同じ日本人として理解できないのです。これは日本の戦後教育と同じですね。「負けたから悪く言われるんだ」と最近よく言われてます。この施設だと「世界中で一番日本人はひどいことをしたからこんな空襲に遭ったのです。」という因果応報的な意図があるようです。
そうすると逆に「次は負けないように戦争をやればいいんだ」という論理になる恐れがありますから、この展示はむしろ逆効果になるのではと思います。広島の原爆資料館のように世界中のの人々に訪れてもらい、アメリカ軍の非道な残虐行為、戦争の恐ろしさを知ってもらえる施設に生まれ変わってほしいものです。
それで平和には十分だと思います。
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一言放言 | 日記
Posted at
2014/03/10 02:00:13